サバイバルゲームの歴史

written 2015/11

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■■■ つづみ弾の時代 ■■■

遙かいにしえの時代。
まだモデルガンばかりの時代。
突如として現れたエアガンという存在があった。
当時、弾のでるトイガンは皆無。
そこに出現したエアガンの存在は、明治維新以来の日本の大革命であった。

「弾の出るトイガンで遊べる」

庶民は皆、口を揃えてそう驚いた。

つづみ弾と呼ばれるてるてる坊主型の弾を打ち出すその玩具銃は、瞬く間に日本の銃器ファンを虜にしていった。

つづみ弾はBB弾と違い前後がある。
かっこよく言えば実弾のようである。
しかし実際には実銃のような螺旋スピンをかけて打ち出すものではないため、飛行中に不規則な回転をしながら飛んでいき、空気抵抗が大きかった。無論、弾道もそれほど優れてはいない。

しかし当時のトイガンファンに、そのような事は重要な事ではなかった。
弾が出る。ただそれだけでよかった。

モデルガンは弾がでなかったのだ。
火薬を爆発させ、音と動作を楽しむ。
そこには、標的を狙って撃つという楽しみは存在しなかった。

つづみ弾のエアガンは、その夢を叶えてくれたのであった。
標的を狙って撃つという事を。

つづみ弾のエアガンが普及すると、そのエアガンを使って対人で撃ち合う者達が現れた。
これが今でいう日本のサバイバルゲームの原型である。
正確の言えば、それ以前、アメリカであったペイントボールと言われる遊びがあった。
ペイントボールを打ち出す銃を使い、それを使ってサバイバルゲームを行う遊びである。

日本ではペイントボールは存在しなかった。
よって、その代用品としてつづみ弾エアガンが使われたのである。
ごく当然の事だ。

つづみ弾を使ったサバイバルゲームは、今までのモデルガンでは出来なかったほどの楽しみを与えてくれた。
狙って撃つ、弾を避ける。そこには高度で深い戦術があった。
電動エアガンが普及した今とは違う楽しみがあった。

射程が短い。
10mも離れれば当たらないかもしれない。

連射ができない。
一発ごとにスプリングをコックしなければならなかった。

弾が少ない。
カートを使うエアガンが主流だった。
1マガジンに10発程度しか入らなかった。
数百発も入るエアガンは存在しなかった。


一発一発の大事さがあった。
狙って撃っても当たらない緊迫感があった。
相手の背後を取る駆け引きがあった。


今は忘れ去られた楽しみかもしれない。
便利になった反面、人はあの時代に何かを忘れてきたのかもしれない。




■■■ BB弾登場の時代 ■■■
80年代の半ば。
時代の転機は訪れた。

丸い、球形の弾の存在である。



6mmの球形の弾。
それはBB弾と呼ばれた。

BB弾は球形。
そのため、カートを使わず、じゃらじゃらと弾を流し込める銃も現れた。

時代は変わった。

つづみ弾は負けたのだ。
カートを使わないBB弾に。

カート式の銃の装弾数は30発も入らない。
BB弾で流し込む方式なら100発を越える銃も可能だ。

フィールドに増えていくBB弾を使用する銃。
カート式つづみ弾のユーザーは瀕死の状態だった。

あるつづみ弾のユーザーは言った。
「もうダメだ。BB弾には勝てない」と

そう言って銃を燃えないゴミに出した。

翌日、BB弾を使うエアガンを買った。


またある者は自分のつづみ弾の銃を見て言った。
「これはもう過去の遺物だ」
その日のサバイバルゲームの後、その銃はフィールドに置かれたままになっていた。
何ヶ月も雨ざらしになり、やがては朽ちていったのだろう。

これがカート式のつづみ弾の終焉の時だった。

時代は変わっていくものだ。
それが望む望まれないに関わらず。




■■■ エアタンク時代 ■■■

さらに時代は流れた。

これまでのエアガンと言えば、全てコッキング式だった。
一発ごとにスプリングを手動でコックする、または押し込んで圧縮する方式だった。

よって連射はできない。
トリガーを一回引くたびに、スプリングを引く動作が必要なのだ。

これは今でも存在するエアコッキング銃と変わらない。


「トリガーを引くだけで連射ができる銃が現れた」

そんな噂が町を駆けめぐった。

「そんなはずはない」

誰もがそう思ったはずだ。
しかし現実だった。
あるフィールドに現れた銃はガスガンと呼ばれるものだった。

フロンガスをチャージすることによって、スプリングを圧縮せずに連射ができた。
トリガーを引くだけで連射ができるのだ。
セミオートと呼ばれる存在。

幾多の勇者が、コッキングBB弾のエアガンを使い、ガスガンに戦いを挑んだ・・・
そしてことごとく敗れ去った。

さらにはフルオートと呼ばれる存在も出てきた。
トリガーを引くだけで連射ができるシステムだ。

これは大量のガスを使用するため。フロンガスではガスの供給が追いつかなかった。
そこで現れたのはエアタンクと呼ばれるタンクだ。
1〜12リットル程度のタンクに8気圧程度の圧縮空気を詰め込み、それをフロンガス代わりに使うのだ。

フィールドに轟く連射音。

秒間10発を越える脅威の連射。

一秒に一発程度しか打てないコッキング式のエアガンでは勝ち目がなかった。

フィールドにはフルオートの銃が増えていった。
皆が背中にエアタンクを背負い。

これまでの10年間でエアガンは激しく変化した。
高性能になったのだ。

しかし、その高性能化は問題も生みだした。

大きな問題はパワー問題である。

エアタンクを使用したフルオート銃は、比較的簡単にパワーが上がった。
エアタンクの放出圧力を高くし、銃本体にもそれにあわせたセッティングを施すのだ。

コッキング式のエアガンとは圧倒的差だった。

ダンボールやアルミカンを貫通し、人体の皮膚も傷つけ、出血させた。

しかし当時のサバイバルゲーマーはハイパワーな銃を持てる喜びに取り憑かれていた。

「俺の銃は強い」

その喜びはサバイバルゲームの危険性を上回った。

この頃になるとエアガンの悪用事件も現れた。
パワーアップした銃での器物破損、動物に対する虐待も現れた。

学校では「エアガン禁止」が増え、社会的にも「エアガンで遊ぶ者の多くは低所得者と低学歴者」というレッテルまで貼られた。

しかしサバイバルゲーマーはこの遊びを続けた。
その遊びを続けることが、自らの境遇を打破する方法だと信じていたからである。

このハイパワー時代は1985〜1990年頃の時期である。
この頃はサバイバルゲーマーが増えた時期でもありながら、上記のように大きな問題を抱えた暗黒の時代、サバイバルゲーム歴史の汚点となる時期でもあった。


●この時代の詳細
1985年
ガスガンが出現すると、それによってサバイバルゲームの戦い方を一変させるほどの変化が起こった。
バトルマスターをきっかけに、スターリング(バトルマスターU)などのBV式ガスガンが現れはじめる。
それから1990年代初めまでの数年間、これと同じような機構を持つ銃が色々なメーカーから発売されていくことになる。
これが、ガスガン時代の始まりである。
この時期より、JACやアサヒファイアーアームズが優位に立ち、マルゼンはシェアを失うことになる。
また、コクサイがそれまでの火薬ブローバック(スーパーウェポン)をやめ、名作のガスセミオートに転換したのもこの時期である。
ハンドガンではプッシュコッキング式が登場する。
スライドが後退状態から始まり、コッキング(前に押す)しトリガーを引くとスライドが後退してBB弾が出るというシステムである。
実は、カートを排出するためにはこのシステムが必要だったのである。
さらに、当時のモデルガンメーカーのMGCがここでM93Rを発売する。


ストック、サイレンサーの他、当時の低価格ダットサイト(MGC、エースポイント)を装備したMGCのM93R。

これも、名作だったといわれており、現在でも下請けをやっていたKSCが改良を重ね続けながらM93Rを出している。
この時期にLSやウエスタンアームズなどのメーカーが続々と参入し、新発売の商品の数も、以前の2倍か3倍にまで膨れ上がる。
1986年
1986年、東京マルイがエアーコッキングのルガーP08を発売、命中精度の高さが話題を呼んだ。
この時期になるとエアーコッキング式は既に時代遅れとなっていたが、ガスフルオートの精度の低さから狙撃銃として現代まで生き残る事になった。
それぞれのメーカーが次々にガスフルオートを発売し、時代はガスフルオートが主流となる。
もはや、SS9くらいしかコッキングでガス系に対抗できるものはなかった。
また、この年にはウエスタンアームズが初の電動ガスガンが発売され、外部ソースにせずとも比較的優秀だったことから、話題を呼んだ。
1987年
1987年、勢いに乗るJACはUZI発売、大ヒットとなる。__さらに、AR18などの人気商品を展開していく。
さらに初のガスブローバック銃が、東京マルイから発売される。
また、この時期になってくるとエアータンクの普及によりハイパワー化がより進展した。
当時のガスフルオートは、リキッドチャージで遊ぶにはあまりにも効率が悪かった事もその理由の一つである。
さらに、トイテックが強力な装弾数を誇るキャリコを発売する。
その強力な弾幕でスイカを真っ二つにした画像が広告に利用され、読者の度肝を抜いた。
1988年
1988年にはアサヒ、JACは最盛期を迎え、M16やFNC、FALといった名作が発売される。
特にFNCは鉄パーツを大量に使用し、米軍にも訓練用として納入された実績を誇るほど、当時としては優れた合成を持っていた。
また、MGCがルガー10/22を発売、コクサイのM16と並んでガスの狙撃銃として双璧を成すに至った。
ルガー10/22(ブラックパンサー)と、コクサイM16の双璧は、ガスセミの世界ではもはや伝説ともされるほどの高いスペックを持つ。
また、MGCがガスフルオートのM16を発売。
当時のガスフルオートにしては珍しく空撃ちができる(ドライファイアシステム)モデルではあったが当時はハイパワーが主流の環境。
MGCのガスフルオートは総じてローパワーであり、役に立たなかった。
マルゼンからステアーAUGが発売される。これは初めてトリガーの引く位置によってセミ、フルを切り替えることが出来た。
安価で中々の性能であったことから、資金の少ない学生の方に人気が出た。__ 余談ですが、初期型のマルゼンBVイングラムやUZIピストルは、高圧をかけるとマガジンが破裂する。
マルイがライブカート式のSMGを出しますが、時既に遅く。
1988年当時、マルイの銃を使用している者はバカにされていたといわれている。
1989年
MMCがPV式のM16A2を発売する。この時期はLSやコクサイ、JACなどがこぞってM16を出しており、M16の競争が盛んになっていた。
トイガンメーカーもかなりの数になり、トイガン業界はピークとも言える時期を迎える。
PV式はパワーが出ず、人気がなかった。
1990年
更にガスフルオートの時代が過熱化していく。JACは名作UZIを改良し、ν(ニュー)UZIとして発売するものの、重いモデルであったため以前のモデルほどヒットするには至らなかった。
同時にアサヒがブッシュマスターを改良した「ウルトラカスタム」を発売する。このモデルは箱出しで1jを超えるどころか3,5気圧掛けて動かす事ができなかったらしく、初速もかなりのものだったようだ。まさにハイパワー戦真っ盛りであったといえる。
ちなみに、マルイはルガーから始まったコッキングシリーズを年々増やして行き、この時期ではかなりの数になっていた。
さらに、マルコシがUX-SUPER-9の後継機であるスーパー9PROを発売、ボルトアクションの狙撃銃としての名声を得る。当然、これも相当なパワーアップをするチューンが流行っていた。
トイテックがP90を発売、JACなどに比べ燃費も良く多弾数であった事、かつ高い初速を持っていたこと、さらにその独特のスタイルから人気を得る。
しかし、これはハイパワー化しづらいシステムでもあった。

エアタンクも「カール君」「シャーマン」等の、ユーザーの資金に応じて様々なタンクがあった。
資金が乏しいユーザーは重い鉄のタンクを背負う必要があった。(そうでなくても皆がエアタンクを背負う時代だったが。)
また、カール君はタンクとポンプが一体化したものであった。

■■■ 電動ガン時代 ■■■

電動ガン第一号は東京マルイのFAMAS それまで電動を利用したガスガンなどは存在したが、電動モーターでギアを動かしピストンをコッキングし、BB弾を発射するという画期的なシステムを開発した。 また、それまでのアサルトライフル、SMG系エアガン(ガスガン)はほぼすべてエアタンクなどの外部パワーソースを必要としたが、このFAMASはハンドガード内にバッテリーを内蔵し外部からのパワーソース供給を一切不要とした。このため電動ガンは外見上では実銃とほぼ同じ形状を取ることが可能となり、リアル感が非常に向上した。

 電動ガンは第一号FAMASの実銃としての知名度の低さと作動音(特有のモーター音とギア音)、動作のおもちゃ感から当初あまり爆発的な人気とまではいかなかったようである。しかしFAMASという一見近未来的なフォルムと300連射可能なマガジン、電動ガン第2弾としてM16A1という最もメジャーな銃といっていい機種のラインナップとともに躍進する 

1990年代始めの話である。
エアガンメーカーの中では比較的子供向け、初心者向けのエアガンばかりを出していた東京マルイが、何を血迷ったか「電動エアガンFAMAS」を発売した。

「マルイはバカだ。あんなものが売れるわけがない」

誰もがそう口を揃えてそういった。

電動エアガンの第一段、FAMASは笑われた。

当時として、その斬新すぎてなじまれないデザイン。
電動エアガン特有のモーター音。そしてハイパワーなガスガンに比べると低いパワー。

その全てが嘲笑の対象だった。

それまでのエアガンと言えば、JAC、アサヒファイアアームズといったガスフルオートエアガンメーカーが主流。

実際にFAMASのパワーでは、アサヒやJACのハイパワーフルオートガスガンには対向できなかったのが事実である。

当時はパワーレギュレーションなど無いのが主流だったためだ。
自分の銃のパワーの上げられる範囲であれば、どこまで改造しても良いのである。

アルミカンの片面も打ち抜けないFAMASでは、アルミカン一つ二つ、三つ貫通するハイパワーなフルオートガスガンに勝てるはずはなかったのである。

東京マルイは諦めなかった。
電動エアガン第二段となるM16A1をFAMASの一年後に発売した。

僅かであるがユーザーは増えた。
少しずつ、着実に。

ハイパワーガスフルオートガンの牙城を崩しつつあったのだ。

さらには電動MP5A5、電動XM177E2を投入していくマルイ。
少しずつ電動エアガンが普及した。

そしてこのころからパワーレギュレーションがあるチームが増えた。

あるラインを定め、それ以上パワーを上げてはいけないというルールである。
このルールが電動エアガンを基準にしたチームが増えたのである。

つまり、これではハイパワーなガスフルオートは使えない。
ガスフルオートの最大のアドバンテージはパワー、パワーが一緒ならガスフルオートでは電動ガンに勝てないのである。

ガスフルオートユーザーはようやく気付いた。
自分達が少数派になっていることを。
FAMAS発売から3年ほどで、いつのまにか電動ガンユーザー率は50%を超えていた。
ハイパワーとはいえ、重いエアタンクを背負わなければならないガスフルオートより、お手軽な電動ガンにユーザーは流れたのだ。

多数派は強い。
多数派になった電動ガンユーザーは、いつのまにか自分達だけに有利なレギュレーションを作っていたのである。

JAC、アサヒなどのハイパワーガスガンユーザーはパワーダウンに取り組んだ。 レギュレーションにあわせるため、パワーを落とした。

だが同じパワーでは電動に勝てない。

苦渋の決断を迫られた。

ハイパワーのガスガンを手放し、電動ガンを購入するという。

負けたのだ。
ガスガンは電動ガンに負けたのだ。
電動ガンの何倍ものパワーを持つガスフルオートガンが。
貧弱なパワーの電動ガンに。

これがハイパワー時代の終わりとなった。


フィールドには電動ガンがあふれかえり。
パワーは1ジュール程度という規制の中で遊ぶようになった。

サバイバルゲームはパワーを失った。
しかし、その事でサバイバルゲームの敷居は低くなった。
ケガを恐れて参加しづらなかった初心者も参加しやすくなった。

ある電動ユーザーは言った。

「エアガンのパワーがサバイバルゲームの楽しさを決める決定的差ではないという事を・・・・・・教えてやる」

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