電動ガン第一号は東京マルイのFAMAS
それまで電動を利用したガスガンなどは存在したが、電動モーターでギアを動かしピストンをコッキングし、BB弾を発射するという画期的なシステムを開発した。
また、それまでのアサルトライフル、SMG系エアガン(ガスガン)はほぼすべてエアタンクなどの外部パワーソースを必要としたが、このFAMASはハンドガード内にバッテリーを内蔵し外部からのパワーソース供給を一切不要とした。このため電動ガンは外見上では実銃とほぼ同じ形状を取ることが可能となり、リアル感が非常に向上した。
電動ガンは第一号FAMASの実銃としての知名度の低さと作動音(特有のモーター音とギア音)、動作のおもちゃ感から当初あまり爆発的な人気とまではいかなかったようである。しかしFAMASという一見近未来的なフォルムと300連射可能なマガジン、電動ガン第2弾としてM16A1という最もメジャーな銃といっていい機種のラインナップとともに躍進する
1990年代始めの話である。
エアガンメーカーの中では比較的子供向け、初心者向けのエアガンばかりを出していた東京マルイが、何を血迷ったか「電動エアガンFAMAS」を発売した。
「マルイはバカだ。あんなものが売れるわけがない」
誰もがそう口を揃えてそういった。
電動エアガンの第一段、FAMASは笑われた。
当時として、その斬新すぎてなじまれないデザイン。
電動エアガン特有のモーター音。そしてハイパワーなガスガンに比べると低いパワー。
その全てが嘲笑の対象だった。
それまでのエアガンと言えば、JAC、アサヒファイアアームズといったガスフルオートエアガンメーカーが主流。
実際にFAMASのパワーでは、アサヒやJACのハイパワーフルオートガスガンには対向できなかったのが事実である。
当時はパワーレギュレーションなど無いのが主流だったためだ。
自分の銃のパワーの上げられる範囲であれば、どこまで改造しても良いのである。
アルミカンの片面も打ち抜けないFAMASでは、アルミカン一つ二つ、三つ貫通するハイパワーなフルオートガスガンに勝てるはずはなかったのである。
東京マルイは諦めなかった。
電動エアガン第二段となるM16A1をFAMASの一年後に発売した。
僅かであるがユーザーは増えた。
少しずつ、着実に。
ハイパワーガスフルオートガンの牙城を崩しつつあったのだ。
さらには電動MP5A5、電動XM177E2を投入していくマルイ。
少しずつ電動エアガンが普及した。
そしてこのころからパワーレギュレーションがあるチームが増えた。
あるラインを定め、それ以上パワーを上げてはいけないというルールである。
このルールが電動エアガンを基準にしたチームが増えたのである。
つまり、これではハイパワーなガスフルオートは使えない。
ガスフルオートの最大のアドバンテージはパワー、パワーが一緒ならガスフルオートでは電動ガンに勝てないのである。
ガスフルオートユーザーはようやく気付いた。
自分達が少数派になっていることを。
FAMAS発売から3年ほどで、いつのまにか電動ガンユーザー率は50%を超えていた。
ハイパワーとはいえ、重いエアタンクを背負わなければならないガスフルオートより、お手軽な電動ガンにユーザーは流れたのだ。
多数派は強い。
多数派になった電動ガンユーザーは、いつのまにか自分達だけに有利なレギュレーションを作っていたのである。
JAC、アサヒなどのハイパワーガスガンユーザーはパワーダウンに取り組んだ。
レギュレーションにあわせるため、パワーを落とした。
だが同じパワーでは電動に勝てない。
苦渋の決断を迫られた。
ハイパワーのガスガンを手放し、電動ガンを購入するという。
負けたのだ。
ガスガンは電動ガンに負けたのだ。
電動ガンの何倍ものパワーを持つガスフルオートガンが。
貧弱なパワーの電動ガンに。
これがハイパワー時代の終わりとなった。
フィールドには電動ガンがあふれかえり。
パワーは1ジュール程度という規制の中で遊ぶようになった。
サバイバルゲームはパワーを失った。
しかし、その事でサバイバルゲームの敷居は低くなった。
ケガを恐れて参加しづらなかった初心者も参加しやすくなった。
ある電動ユーザーは言った。
「エアガンのパワーがサバイバルゲームの楽しさを決める決定的差ではないという事を・・・・・・教えてやる」
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