週刊わたしのおにいちゃん
2004/02/02


 またもやフィギュアの話で「いい加減飽きた」という方もいるかと思いますが。

 最近の(僕ら周辺)最大のニュースの一つといえば『週刊わたしのおにいちゃん』(通称:わたおに)の発売すかね、やっぱ。

 昨年夏・ワンフェスでの発表以来待っていたわけですが、やっとこさ発売。
 商品そのものへの印象としては、事前(特に1ヶ月くらい前)に発表された情報がそこそこ多かったこともあり、「想像していた物」とのズレはそれほどありませんでした。
 ただ、書籍サイズは『電撃萌王』とかそういうサイズだと思っていたので「小さ!」というのが意外でしたが。

 書籍としての企画性も想像に即した物だったし、加えて書くなら巻末のコラムなどは(個人的には)お得感があったり。
 フィギュアの方は、なんというか…女の子の出来がいいのはわかっていたけど、台座となる教室の一部分であるとか、そういう部分のキッチリとした作りの方がむしろ驚かされたり満足しちゃったり。
 女の子フィギュア原型師という側面ばかりが評価される大嶋優木の、造形師としての巧みさと言いますかね。そういうのが発揮されてるよなあ、と。

 んで、特に大騒ぎになっているのが第3号です。
 実はこの第3号のフィギュアの仕掛け…「服がパカッとはずせて、その下から裸の幼女が出現」。僕は某氏に数ヶ月前から話を聞いて知っていたんですけど、いかんせん大嶋は昨年発売された『ちょびっツ2』の1アイテム「琴子」でも「服が別パーツ。外すとしたから幼女の裸が…」を造形したものの、問題ありありだったのか製品版では服パーツがガッチリ接着されてしまった(んで、その作業が追加されたために告知より発売がのびた…と言われてますけど)という前科者ですから、今回のも「ホントにそれで出るの?」と思い、こういう場で書くのは控えたりしてたんですけどね。

 んで出た第3号。
 そのフィギュアがコレ。



 学校の階段近くで給食のシチューをズンドウごとひっくり返してしまった女の子。

 さりげに、演劇の舞台背景のようにものすごいパースでデフォルメされている階段の作りが面白かったりするんですけど、それは今回おいといて…

 分割線があるのでわかるかと思いますが、服が別パーツでボディに被さっています。
 ただ、「ヤッパリ」というか何というか、この3号も「ガッチリ接着」されてますな。そりゃもう、親の仇のように。
 正直、よっぽど接着が緩い商品に当たらない限り、パカッと簡単にははずせないです。
 しかし、
 「そこに分割線があり、そこにギミックが仕込まれていた以上、それを探求するのが進むべき道ではないだろうか?」
 深夜にふと思い立ち、早速実行。

 とにかく服パーツはガッチリ接着されているんで、慎重に剥がします。
 ぶっちゃけ「1個おシャカにするくらいのつもり」でやらないとムズイです。
 あー、あと気を付けないと首がちぎれたりするんで。(首ははずせません。)

 剥がれたー!

 あー、ちなみに上記写真では分割線がかなりハッキリしてますけど、これは剥がした後に撮影したからで、実際はここまでハッキリしてないです。

 おう?!

 なんと、服の下から現れた裸ボディにも白い色が塗られている!
 ここまで徹底して「幼女の裸出現ギミック」を阻止しようとしたのか…。
 つーか、前の『ちょびっツ2』しかりコレしかり、ここまでのことするハメになるようなギミックを何で入れるかなあ…(^^;;)

 『わたおに』は第1号でも「服をはずすと…」のギミックはありましたが、あれはまだ
「第1号は色違いの服をオマケで付けたので、どちらにも着せ替えできます」
という(モノスゲー後付くさい感じの)エクスキューズがあったんですが、さすがにコレには「給食をこぼしている」ことと「幼女の裸」を結びつけるエクスキューズが全く付けられなかったので徹底的なオミットがされたのではないかと思います。

 んで、あとはひたすら裸体の白色を剥がしていくわけですが。
 めんどくさ…
 んで、消えてしまった塗装部分(胸に付いたシチューとか)をリペイント。

 実作業としては1時間ほどですけど、これはツールやらなにやらを僕が全部すでに持っているからとか、作業の仕方わかってるとかあった上でなので、未経験の人がやろうとするともう少しかかります。(&お金が少しかかります。)

 そうすると、このようなものが出現!!
 禁断の扉、開門!



 しかしなんだな。予想していたとおり、「裸+こぼれたシチュー」。
 ただの意味不明なフィギュアになったな…(^^;;)
 いや、こぼれたシチューがなければただの犯罪現場か。
 下に並べてあるのは上半身の服パーツ&帽子。

 自分を客観視したくないんだけど、この作業している姿は相当犯罪者だよ。



★とか、やっておきながら…

 …とかまあ、こういう方面ばかりが話題のような気がしてならないんだけど、正当評価として『わたおに』ってのを僕は結構高く評価しています。

 「かわいい」をテーマにしたものとして、デザインや、書籍の作家ラインナップも見事にマッチしてますし。
 テキストや、遊びのページなんかも面白いです。
 「エロ的なロリ」に持っていくのは簡単ですし、商品として「よくありがちなデザイン」になるわけですが、安易なそういう方向性ではなく、寸止めで「かわいいロリ」に抑えている。
 いわゆる「ロリ系」としては2次元3次元ともに最高の布陣だと言えるような気がします。
 さらに理由としては
「フィギュア単体がウリではないところ」
 ですかね。

 「大嶋優木のオリジナルフィギュア企画」という側面が強い商品でありながら、そこをメインにせず、それでいてそれをさらにうまく活かす方向に持って行っているプロダクツのバランスの良さ。
 目新しいように思えて、冷静に考えると「フィギュア付き書籍」そのものは別段目新しいものではありません。
 最近はコミックの初回特典でフィギュア付けている物も多いし、さらにはディアゴスティーニの雑誌なんかでもミニカーやら何やらのフィギュアが付いてます。
 じゃあ、それらと『わたおに』が僕の中でどう違うのか? というと、それらの従来品におけるフィギュアって「オマケ」なんですよ、やっぱ。メインは本です。
 対して『わたおに』は、フィギュアがオマケではないのだけど、プロダクツのバランスとして「メインになっていない」ところ。
 正直、発表当時はもっとメインだと思っていたんですが、書籍の方なども見るとそうでもない。
 装丁も、書籍と「フィギュアの入った箱」を一つの表紙で綴じているところから「どちらかがオマケなのではなく、等価の、併せて一つのプロダクツである」ことが表されています。
 実際、周りを見ていると「フィギュアに興味はないしわからないけど、本の方が欲しくて買った」という人もチラリホラリといたりしますし。
 早い話「フィギュアと書籍で『わたおに』」であると。
(その部分では「食玩かそうでないか」という巨大な差はあるんだけど、もしかすると僕の中では『王立科学博物館』に近いような気もする。)

 まあ、本棚に置いたときに「かさばる物」であることに違いはないんですけどね。(^^;;)
(その意味では、フィギュアの入っている箱は簡単に剥がせるとか別とかにして、捨てられるようにして欲しかったのだよな…。)

 でまあ、そのトータルバランスの1ピースとして、海洋堂お得意の「悪意」という調味料も(気づかない人には気づかない感じで)降りかかってるわけで、僕はこの辺に「相変わらずだなあ」的なイヤミを感じつつ、喜んでしまってもいたり。


★海洋堂の「悪意」と、消費評価。

 『わたおに』に関して一番多い「女の子の造形がカワイイ」とか「上着パーツを外したら、幼女が裸に!」とかは、ある程度想像していたとはいえ、その部分で“のみ”の評価とかがあまりにも多いのがガックリというか、実は不安にもなってしまったりするわけですよ。

 全ての商品に対して当てはまるわけではないのだけど、僕印象では基本的に「海洋堂の造形物ってのは毒が入ってる」なんですね。
 たわいもない物でも毒が仕掛けられている。
 最近の物だったら『カムイ外伝』とか。
 おそらくクオリティでは昨年の海洋堂食玩フィギュアではベスト1と言っても差し支えがないのではないかと思うほどなんですけど、でもその「最高のクオリティでリリースしている物が、とにかく売れることが見込めそうにない『カムイ外伝』」なわけです。
(正確には食玩ではなく、お菓子の入っていないブラインドフィギュアですが)
 実際、あちらこちらで褒めていたんだけど「売ってるの見たことない」人の方が多数で、たしかに僕もよく行く量販店ホビー売り場では見た記憶がありません。(なので海洋堂ホビーロビーで買ったわけですが。)
 また、「海外の美術オークションでウン千万円の値がついた」村上隆の現代アートを「300円の物にして(しかも、村上自身の監修の元に)リリース」してしまうなんてのも、実はこの行為自体が「アート=僕らのいる世界の物ではなく、値段も高い」という固定観念へのある種の毒なワケです。
 『王立科学博物館』なんかもそうですね。以前書いた食玩テキストで「王立は次世代食玩だ」と書きましたが、そういった新概念のために「買い手の受け入れ方」に対して、これまでの考え方では無理だよん…というのを意図的に盛り込んでるわけです。
 対して、他のメーカーのフィギュアとかは、ある意味安心して「出来がいいか」とか「自分はそれが欲しいか」という部分“のみ”で買うことが出来る。これは理由は簡単で、「そういった毒が入っていないから」に他なりません。

 「どっちが好きか?」に関しては、実は僕はかなり微妙です。「物によりけり」という感じ。
 でも「どっちが面白いか?」と聞かれたら、即答で「毒が入っている方」。

 「なんで素直なことをしない?!」というイヤミっぽさを感じつつも、でもやっぱ「面白い」と思ってしまうのも事実で。

 何が書きたいのかというと、『わたしのおにいちゃん』も僕には毒の塊に見えるわけです。
 いや、もう、モロに毒じゃん!!
 それは「幼女」だとか「犯罪ちっく」だとかそういうことじゃなくて、なんというかな。(この部分に関しては「毒」というより「チャレンジ」かと。)

 「こーゆーの出しゃ買うんだろ、オマエら!!」

 みたいなそういう部分。
 同様のプログレス的な物として存在した『リカヴィネ』だってもちろん毒です。
 大嶋自身がそういうことを「毒」と思っているのか? 毒として入れているか? ではないんですよ。
 もしかしたら大嶋自身は無自覚かも知れない。
 でも、大元の海洋堂が、そのコントロールとプロダクツの中で「毒」を入れている。これはこの会社のカラーだとも言えますけどね。

 さらに言えば、2月のワンフェスで『リカヴィネのリセットちゃん版(リセヴィネ)』がリリースされるって言うのも、僕はこの毒の延長にしかみえんワケで、「リカヴィネ再販!?」と大々的に告知しておきながら「実はリカじゃなく、頭がリセットちゃんでして…」というのは、『リカヴィネ』で「美少女フィギュア(&大嶋優木)の表面的な部分だけに対してのみ騒いだヌルい層」へのイヤミにしか思えないんですけどね。
 で、そのイヤミがイヤミだともわからないヌルい人たちってのがいるわけで…
 で、そういう毒であるとか、実際「プロダクツとしてトータルに優れている」部分とか全部スッ飛ばして「カワイイ女の子が…」的な部分だけが語られてしまうことが怖いよなあと。

 何が怖いのか? というと、昨年の『リカヴィネ』騒動以降に発生した「一部での大嶋人気」って、結局「原型師・大嶋優木が評価された」わけでも「美少女フィギュアが評価された」わけでもないんですよ。
 そういう「今、大嶋フィギュアについて騒いでいる人たち」って、同人誌などにおける「旬の人気イラストレーター」と果てしなく同じ感覚で騒いでいるだけ…にしか見えんわけです。
 イラストではなく、それが立体物だった…と。それだけの違いで。
 「フィギュアがそういう風に扱われる時代が来た」という意味では感慨深い物はあるし、「それは大嶋が評価されているってことじゃないのか?」という意見もあるかも知れないんだけど、でもその本質は「大嶋の作った幼女フィギュアが喜ばれている」だけであって、「大嶋優木という原型師が評価されている」とは異なっている。

 それまでのガレージキットフィギュア全盛期に「海洋堂系の美少女フィギュア原型師のトップランナー」として10数年にわたって海洋堂のBOMEが存在していたわけですが、これが昨年「大嶋優木」にそのパラダイムを変えました。
 このこと自体が、長いことフィギュアに接していたファン層やリリースサイドにとっては結構大きな“事件”だったんだけど、もしかすると「パラダイムが変化した理由そのものが、BOMEが評価されていた理由」とは全く異なるわけです。
 大きな理由として、BOMEの基本立ち位置が現在でも「ガレージキットフィギュア」にあるのに対し、大嶋優木は(雑誌のインタビューでも語っていたように)「完成品トイ」にあります。
 自分の作った原型がものすごくキレイに抜けたキット状態になり、それを組み上げること…に喜びを感じるのではなく、「自分の作った原型が、色の塗られた完成品フィギュア」になっていることに喜びを感じるタイプ。
 プロダクツとしての着地点が違うんですね。
 早い話、5年チョイ前からスタートした「完成品フィギュアブーム世代」の造形師なわけで、この部分がわかる人には面白い存在。
 ただ、実際に「『リカヴィネ』以降」で騒いでいる人の多くはそんなことにも興味がなく、「大嶋の作った幼女フィギュア、エロくてサイコー!」なわけです。

 で、こういう評価軸そのものは前述のように「フィギュアがそういうもの(同人誌や萌え画など)と同じ扱いを受ける存在になった」という受け止め方も出来るし、「完成ブーム」ゆえに発生した新しい評価軸だという考え方も出来るのだけど、僕が何を「怖い」と言っているのかというと、過去のこういった同人系人気イラストレーターがそうであったように、しばらくしたら何か一方的に「●●? もう古いでしょ。今は■■ですよ」みたいなジャッジされちゃって「消費され尽くしたらそれで終わり」にされてしまいかねないよなあ…と。
 しかもこういったいわゆる「萌え系」をはじめとしたベクトルの消費速度ってのは年々加速しているんで、ヘタすりゃ1年保たないかも知れない。
 こういった「ライト化」ってのにものすごく疑問と怖さを感じるんですけどね。僕は。
(こういう「ただ消費を加速させていくだけ」という部分で、僕はライト化ってのをやはり快く思えないんですよ。)

 同時に、大嶋の造形ユニット「eyewater」の相方・榎木ともひでが、あれだけ圧倒的な…それも全方向に対しての力量を持ちながらも認知度が上がらないのは「こういったヌルい層にわかりやすい部分が無いからなんじゃないかなあ?」とか思ったりするわけです。

 昨年末に『オタク大賞』やっている中、雑談で「キャプテンの大賞って何?」と聞かれたときに「eyewaterの2人(大嶋と榎木)」と言ったんですが、それもこのあまりにも極端な対比が面白い&現在の完成品フィギュアブームの一つのターニングポイントのような時点での評価の現れ方が状況そのものを象徴している…と思ったからだったりします。


相変わらず写真がヘタなんですけど(^^;;)、コレが去年、オレ的お気に入りだった『ビヨンド・ザ・グレイヴ』(原型:榎木ともひで)
あまりのカッチョヨサに、発売前にホビーロビーで見るや10分ほどショウケースに張り付いて眺めていたという…(^^;;)
何がスゲエって、こんだけデカイ棺桶を背負ってるのに自立するんだよ。
また、完成品トイ評価において重要な「塗装」も、気持ち悪いくらいキッチリ塗り分けられてます。(これは原型師の仕事ではないですが。)
個人的に唯一気に入らなかったのは「腕が正面を向かない」ところ。やっぱゲーム同様「2丁拳銃を正面に向けている」はポージング出来て欲しかった…
あー、あと「帽子を取った状態の頭部」も入れて欲しかった。(この2つは『ガングレイヴ』ファンとして…って感じですかね。)


 実際、僕の中で「原型師としてはどっちが好き?」になると、実は榎木ともひでです。
 伊達や酔狂で8000円もする『ガングレイヴ』フィギュアを2個も買ってないッスよ。(^^)
 まあ、このへんは「一点突破的な、部分突出した才能が好き」か、「オールラウンドにこなせる(それでいてまんべんなく高得点)の才能が好き」か? で人によって意見が分かれるところだと思いますが。


 とかまあ。今回は『わたおに』からこういうことを考えてしまったと。


 どーでもいいんだけど、第3号のシチュエーションテーマになっている「給食」。
 オレ、とにッかく学校給食ってダメだったんだよなあ……(-_-;;)
(今でも外食がダメなんだけど、振り返るとこの頃からダメだったようだ。)
 しかも今みたいに「残していい」って教育でも学校でもなかったんで、とにかく「食べ終わるまでは残される」んですよ。
 もうね、毎日のように放課後まで残されていたというイヤな思い出しかない…。>給食
 ちなみに、まだ給食メニューに「クジラ肉」が出てた時代ですよ。(^^;;



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