鉄塊から、モノを作ることの何たるかを感じる
「1/1スコープドッグ改」を見てきました。

text : 岡野勇

2005/05/02


 GWあけて空いてから行こうと思っていましたが、我慢できなくなって『1/1 スコープドッグ改』を見てきました。
 サイト『なんでも作るよ。』のkogoroさんが鉄を叩き、曲げ、溶接して作り上げ、昨年から大きな話題になったアレです。
 ちょうど東京で個展が開かれ、これも展示されるというのでワクワクしていました。

 ワンフェスで腕と頭だけを見たときの印象通り、やっぱ4mってのはかなりデカイですなあ…。

 それはともかくとして、なんというか「モノを作ることに取り憑かれちゃったオタ野郎にとっての御本尊」とでも言いますかね。
 そこから溢れてるオーラというか。生半可な反論なんかは一切通じない圧倒的説得力と存在感というか。
 ありゃもう、「モノ作ってソレを存在させるってことの何たるか」ってレベルの領域というか、ある種の神聖なものすら感じてしまうものです。すでに。


 工業製品を作ったわけでも、ロボット工学的に作ったわけでもない。だからその視点であれを見てしまうと、もう「意味」を完全にはき違えてしまう。
 アレがたぶん一番近いものは、たぶんやはり「ガレージキット」になるんじゃないかと思います。
 80年代末期の、ワンフェス人口が増えたあたりから「GK」というものを根本的に間違えている人が激増したけど、GKってのは何も「少数生産品」ではない。量産されていなくても、極端な話「たった1個、ワンメイク品」でもGKはGKだったわけで。

 同時に受けた印象が「アートに“なってしまった”作品」だということ。
 悪い意味で書いているつもりも、褒めているつもりもないです。純粋な事実としてそうだろうと。
 アートというのは自称しても実は意味がないし、認められない。アートはそれに対してサブテクスト(解釈)を付加価値する存在がいて初めて成立する。(だから、ストリートのお子様がスプレーで壁に書いた落書きは、彼らがいくら「これはアートだ」と言い張ったってアートじゃない。サブテクストが付かない限り、それはただの落書きなわけです。)
 で、この1/1スコタコには、多くのオタクがここの解釈や受け取り方を付加したわけで。(この一文だってその中の1つということになるわけだけど。)
 その時点であれはアートに“なってしまった”と言っていいと思うんですよ。
 文字通り、オタクが価値付けをしてしまったオタクのアートだろうと。
 (アートとか書くとそれだけで拒絶反応起こす人がいるんで書いておきますが、まあ別にアートだなんて思わなくたって、アレの存在のスゴさは変わりませんがね。安心して見に行けます。)



 「スコープドッグの立体物」というのは過去にも名作が幾多もあります。
 そもそも放送当時にタカラから発売された、メーカー製のプラモの出来自体が当時のガンプラと比べたって「次元がすでに違っている」という名作中の名作キットでした。
 『オタク学入門』『20年目のザンボット3』などを出していた太田出版の「オタク本シリーズ」から出版されたボトムズについての書籍『ボトムズ・アライヴ』でも、このタカラ製のキットについては、あさのまさひこ氏が本全体の1/3というスペースを割いて書いています。
 「アニメとしての『ボトムズ』」についての書籍を望んだ人には違和感があったかもしれないボリュームと内容ですが、現実問題として実は放送後にも長きにわたって『ボトムズ』を支持し絶えない状況にしてきたのにはモデラーの存在が大きく(最近でこそ減ってしまったが、ほんの数年前までホビージャパンでは年に1回は『ボトムズ』特集を組んでいたくらいだし)、それを裏付けていたのはこのキットの超絶的な出来の良さだったりしたわけです。
 何しろ、部分的に新規パーツをつけるだけ。基本的には「当時のまま」の金型で、いまでもウェーブからは不定期ながら再リリースが続いているという一品。
 そこで持ち込まれたディテールや解釈(ATってのはこういうもの!! という圧倒的説得力)は、その後に出た『ボトムズ』系立体物全てに影響を残しています。
 それを考えれば、僕などは「『ボトムズ』を語るという上では、必要不可欠な要素として記されている」という印象でした。『ガンダム』で「ガンプラ」を語るのは「そりゃ別の話だろ」だと思いますが、『ボトムズ』に関しては大河原氏というデザイナーが持つモデラー性が作品デザインに強く反映されていることもあり、やはりこの作品を“深く語る”には、立体物は切っても切り離せない関係だろうと。
 別の言い方をすればタカラ製1/24キットの呪縛から逃れ、独自の解釈を打ち立てることが出来たAT立体物はほぼ「無い」と言い切ってもいいくらいだったわけです。

 が、たぶんおそらくこの鉄塊は、20数年目にして「新しいATの立体物」としての説得力を提示したんじゃないかと。

 工業品でもないワンメイクで、しかも鉄から作り出すという方法論ゆえに「ここってもっとディテールあってもいいんじゃない?」とか、それを単なる「1/1の模型」で考えてしまうなら、そういう箇所は幾多もあるんですけど。
 しかし前述のように「そんな生半可な理屈なんか通じないモノ」ってのをアレはまとっているわけです。
 同時に見ていて感じたのが、製作者のオタク性って言うかな。上記のような「個人が鉄でワンメイク」ゆえに細かい表現は出来ないわけですが、一方で「でもコレ(AT)が存在したら、ここってこうなってるんじゃない?」という独自解釈の持ち込み方というかな。それがとても上手くて、単なる鉄で出来た巨大なオブジェではない「キャラクターを立体化した説得力」ってのが随所にちりばめられている。
 いくつかの例を挙げれば、足の関節周りを覆っている防塵用布カバー。1/24サイズのプラモであるとか、そういうものではこれまで「4mのロボットならこうだろう」と、間接部が剥き出しであることに疑問を感じてこなかったけど、実際に1/1として見てしまうと「ああ、(本物だったら)コレって付くかもね」と。
 他にも、腿部のボルトオン。腿からはパネルラインとかそういうものが一切廃されているんですが、このボルトオンによって「ああ、なるほど。(本物は)このボルトを外して腿部の整備をするのね」とか。
 銃なんかもそうで、さりげにディテールされている排莢口のサイズと、銃口サイズの解釈。あの銃の設定上の口径がいくつか忘れちゃったけど、少しなりとも機銃関連の知識がある人が見たら、あの口径サイズには相当の説得力を感じると思います。

 同時に、僕が好きな「理詰めでオレ設定・オレ解釈を持ち込む」が随所に見えて、思わずニヤニヤしちまいましたよ。
 blogでの製作経過を見ていたときは、「なんでガトリングを左腕に持ってきたのか?」と疑問だったんですが、ゲンブツと、前に置かれていたショートバレルマシンガンを見て納得。
 早い話アレって、ウドのバトリングかなんかで「近距離銃撃戦“のみ”」を考えてカスタマイズされたATなんですな。
 おまけに、理屈的にマシンガンのマガジン交換がほぼ出来ないはずなので、「1マガジン以内に決着をつけられる技量を持ったヤツが乗っている」のだ…と。


 なんつーか「『ボトムズ』の…それも出てくるロボットを説明しろ」と言われたときに、「コレです!!(どーん!!)」とアレを見せりゃ、後はもう何も(それこそ言葉一片たりとも)いらないだろ…と。
 ATってのはアレですよ。うん。


 アレを作り上げてしまった熱意とか情熱とか突き動かされるものとか。そしてそれの結果としてのあの存在。
 あのATには、間違いなく「モノを作ることの何たるか」というのが溢れています。
 その意味では「ワンフェスやらGKやらプラモやら。はてはアニメでも映画でも。訳知り顔のわかった風に“モノを作ること”を語っている奴らは、全員コレ見て考えろ」みたいな。(相変わらず書き方が挑発的ですかね。)
 つか、コレ見てそこまで感じないなら、以降「モノ作り」については何も語らなくてヨシ!! みたいな。
 とにかく見れるヤツは全員見にいっとけ!! といいますかね。
 「鉄塊から、モノを作ることの何たるかを感じる」というか。なんかもうそういう禅寺でも訪れたかのような気分で会場を後にしてきました。


 会場で書籍版も買いましたよ。
 オレ的には、『ガンダムセンチネル』別冊以来の、「モノを作る人間にとっての(技術的な…ということではなく、魂部分の)バイブル」です。(^^)


【了】


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