「今、そこにあるオタクの危機」 第5回の1

不変がもたらした“定義”の変化。

text : 岡野勇

2004/12/25


 前回の続きです。

 ライトオタク層は90年代中盤以降「オタク定義の起点」となった、『オタク学入門』が提示したオタクの定義とは異なるため、僕はこう分けました。
 ただこれは、「僕はオタクの定義をこうである」と考えているものがあるからであり、同時に彼らは「そう思っていない」ことがさらに「全くクロスしない」という状況を生み出しています。
 この根本を考えたとき、“オタクという場”にとって悲劇であり、現状の(オタクの定義を巡る)混乱が生まれ始めてきている最大の理由は

「『オタク学入門』以降、定義が何も変わってこなかった」

 事だと思っています。
 いや。あえて書くと、この10年ほどで定義(「いっぱいグッズを買っているのがオタクである」…など)を提示してきたのは、市場におけるリリースサイドのみです。
 このことに対して受け手、特にライト層の多くが

「市場に対してオタク的視点で挑んでいなかったら、リリースサイドの都合の良いように解釈・定義され、オタク的視点を欠損させているのでそれを鵜呑みで受け取ってしまった」

 とはこれまでに書いたとおり。
 しかし、これはあくまで「市場経済にとってのオタク定義」でしかなく、「オタクにとってのオタク定義」ではありません。

 「定義が変わってきた」から混乱しているのではなく、定義自体は変わってこなかったことに問題がある。
 たびたび書いてきたことだけど、環境も状況もこれだけ変化してきた。
 その市場の中にいる「自称する層」の人口も圧倒的に増加した。
 また、現在のあまりにも多様化・細分化したオタク状況では「全部のオタクジャンルを押さえる」なんてことは不可能。
 80年代には「アニメと特撮がオタクの共通言語・必須科目」のような時期がありましたが、今は違う。
 仮に「この世の中には、全て合わせて20ジャンルのオタクがある」とした場合でも、1人1人が選択して踏み込んでいるジャンルって多分「1人につき3ジャンル」とかそのくらい。
 「濃く深く」がオタクの本質であることを考えたらそんなもんです。
 ものすごくスゴイ人でも、8ジャンルも踏み込むことはムリでしょう。
 早い話「今のオタクについて全部(それも完璧に)わかっている人」ってのは間違いなく“いない”。
 「自分はほぼ全部、しかも濃く押さえてるぜ!」なんて人がいたら、それは「実はオタクじゃない」か妄言か勘違いか、「“浅さ”ということのジャッジできない人」です。

 僕はここ数年、毎年『オタク大賞』というイベントの企画・構成等に携わってますが、毎回必ず終了後に「なんで○○が入っていないのか? あの出演者達はオタクがわかっていない」的な反応を見聞きします。
 こういったことはニュース系サイトを運営管理している人も同様の反応を感じられることがあるかも知れません。
 大量の情報の中から「自分が自分のサイトで取り上げるという判断をした物」を載せている反面、「どうしてもこぼれる情報」「切り捨てる情報」はある。
 それは、その批判をする人がその○○を「選択した3ジャンル」に入れていてわかっているけど、こちら側はそれに興味を持っていない(自分の選択ジャンルに入れていない)というだけのことです。(批判する人の多くがこのことに気づいていないのが困りものなんですが…。)
 「これとこれとこのジャンルを抑えていればオタクですよ」な必須科目なんか、もう存在してないんですよ。
 オタクは選択科目制になったわけです。
 (その意味で、野村総研が出している「5分野」ってのは、相当に意味がないと思ってるんですけどね。あの5つどれも選択してないオタクだっていると思いますが。)


 このようにただでさえ分散化した中。これまでの定義の起点となった『オタク学入門』におけるオタクと、参加・増加してきたライトオタクにはかなりの違い・温度差があるわけで、そりゃ混乱します。
 こういった諸々がここ10年程で急激に変化してきた中、それをカテゴライズする“定義”だけが変わらなかったし、それを考える作業が成されてこなかった。
 それが壊れ、曖昧になったゆえの現状です。
 それゆえさらに「○○が好きだから」とか「萌えがわかっているから」なんてレベルでオタクを自称することを許してしまう隙を与えてきてしまった。
 もし彼らを「オタク」だと定義するなら、反面「従来の(本来の)オタク」は別の呼称にでもしないかぎり、やはり双方が誤解を持ったまま不幸になる。
 永久に、同じナベに入っている水と油です。
 別に「なんとか混ぜたい」というようなことではありません。水は水。油は油。これは変わらない。
 でも、「水が油の中に、油が水の中に入っても、それぞれどうやったってマッチング出来ない以上、面白くもないだろうし楽しくもない。双方が望んでいるものがそこにはないのは明確」だからです。


 となると、それを取り巻く状況や環境が変わってきたなら「新しい定義」を提示しなくてはならないのではないか?
 いや。考えない限り、たぶん袋小路の状況は続いていく。
 クールな考え方をしてしまえば「流れの中で消えゆく場なら、それはそれまで」だと言い切っても良いのかも知れないんですけど、ただ「消え方ってのにも納得がいく物と行かない物がある」わけで…
 自然淘汰ならまだ仕方ないとは思いますけど、少なくとも僕は「一部の能力不足がもたらす危機によって自滅崩壊していく」となると納得が出来ない。
(さらに、間違いなく“その時”。ライト層は「なんでこんなことになったんだ」ってことを誰かになすり付けるのが目に見えてるんで。その「なすり付け」はもう始まっていますし。)


 でも、この「新しい定義」の提示を、例えば岡田氏に代表されるいわゆる「第1世代」と呼ばれる人たちに求めてしまうコトは違うだろうと。
 彼ら第1世代の考える定義は10年も前に提示されている。

 ならライト層は?
 不可能だとは思いませんが、もしこの層が「オタクの定義」を提示しようとしたら、かなり相当の温度や能力が必要になる。
 現状ですでに「●●が好きだから(買っているから)僕もオタクだ」に、オタク層は納得出来ていませんから。
 オタク層を納得させられるかどうか? というより、“それを超える温度”で挑まない限り、ライト層ですらも納得させられません。
 よくある、匿名BBSでの「一行発言」なんか論外中の論外。
 それを考えもせずに「批判だけするヒトタチ」ってのがいますが、そういうのは僕には「権利は主張するが義務は果たそうとしない」ようにしか見えない。
 オタクに限らず、ある種の“場”…しかもそれが「社会的に後ろめたい物であればあるほど」、その場に入ってくる人間にはそこまで含めた覚悟なり義務ってのはおのずと発生している。
 それを負いたくない、そんなの関係ないッてんなら、そういう人は僕にとって

「何にも考えずに、人の家に来てただ遊び散らかしているだけ」

 の存在です。迷惑この上ないだけ。
 市場だけではなく“オタクという場”にとってもお客さんでしかありませんし、僕は仲間意識を持つこともありません。
 少なくとも僕はこのテキストを「意見は異なるかも知れないが、同じ場にいるという意識の元に僕が仲間だと思う人たち」と「その場ってのに興味がある外部の人」に向けて書いています。


■ちょっと補足。
 ライト層批判を書いているので、「でも、今の2900億円市場はそのライト層が支えているのではないか? ライト層がいなければその市場も成立しないのでは?」という疑問があるかと思います。
 一言で答えるなら「その通り」ですね。
 僕が書いている意図を勘違いされる方もいるかと思うので、ここから先に進む前に、今回の僕のスタンスを明確にしておきます。

 ライト層について書いた「優秀な消費者」の“優秀”というのは「市場」と「リリースサイド」にとっての“優秀”という意味です。
 例えば「クソみたいなアニメをソフトパッケージ化して出しているメーカーにとって、優秀なお客さん」ということですね。
 決して「オタクにとって優秀」なわけではありません。

 で、今回は僕、とにかく「オタクにとって」という立ち位置で書いてます。「市場にとって」ってのはほとんど外している。
 「なんでか?」というと、逆に僕は疑問なんですが

「市場が成立してなきゃ、あなたはオタクとして存在できないの?」

 ってことです。

 「今の2900億円市場が無くなっちゃうなんて! ならもう僕はオタクとしてやってけない!」

 それってオタクなんでしょうか?
 なんで市場が無くなったら、「自分がオタクである」ということも消えるの?
 なら今、アニメDVDもフィギュアも同人誌も買ってない人は、どんなに濃くて凄くてもオタクではない?

 この「(現在の、ある種過剰な)市場の存続」「オタクというのは何か」「ライト層を否定したら市場が維持できなくなるのでは?」を一緒くたに考えると完全にコンフリクトします。絶対に相容れません。
 「オタクであることと、市場の一員であること」って、繋がっているように思えて、実は繋がってないんですよ。
(以前書いた『食玩テキスト』で言えば、「市場の一員である自称:フィギュアファン」が、必ずしも「コアなフィギュアファンではない」ことと同じです。)

 それは「そう思わせた方が売りやすい人たちが、そういう風潮を作った」のと「そういうのがオタクであると勘違いした人たちが最近やけに多い」ってだけのことです。

 今回書いているのは、そんなことよりも「もっと根本的な自分たちの足下」についてです。
 市場という花畑に、金銭的貢献と引き替えにライト層が「種」を蒔いてるなら僕は構わない。何もこんな長いテキスト書きません。メンドクサイだけですから。(趣味で気楽に書こうって分量じゃないしね。)
 でも今、彼らがその花畑に蒔いてるのは「過度の除草剤」です。
 「今はキレイで潤っているように見える」。けど、しばらくしたらペンペン草も生えない。

 それに僕は「優れた物をリリースし、さらなる先を目指している、受け手を良い意味で挑発するリリースサイド」へは賛辞も応援も支持も評価も惜しみませんが、ソレ以外に対しては「市場から消えてよし」だと考えてる人間です。(脊髄反射されると困るんで書きますが、「市場はなくなって良し」ではありません。)
 『食玩』で市場の話にまで少し触れたのは「こんなにブームの中で、ファンを自称していながら(自分が好きだと言っている「フィギュア」の)根本に目を向ける人があまりにもいなかった」ことへの苛立ち。
 また、僕があそこで「無くなられると困る」としているのは「優れた物がある市場」のことで、「ゴミみたいな物が主流になるような市場に、何が何でも残って欲しい」ではありません。
 “優れた物を出している、そこへの挑戦を試み続けているメーカー”以外に対しては批判的スタンスで書いたつもりです。
 立ち位置を少し変えているので異なって見える方もいるかも知れませんが、今回も僕の中では『食玩』で書いていたことと意識的には全く同じです。
 今回使った言葉で書けば「非生産的消費者」、あのテキストで使った言葉で書けば「ブームの中で全く視点レベルが上がってこなかった受け手」が多数を占めたままだった結果、食玩・完成品市場におけるフィギュアのクオリティなんかどんどん下がってる。
 「まだ上り調子。ブームまっただ中」だと思ってる人は、それこそ視点が上がっていない。ピークはとっくに終わってます。
 僕はあのテキストをあの時に「そうなってしまうのがイヤだったから書いた」に他なりません。
 この数年で起きている「食玩・完成品ブーム」って、今のオタクを巡る状況の見事なまでのミニモデルですよ。
 だから、今回僕が書いていることは「オタクブームの中、クソみたいな物で利益のおこぼれを得ているメーカー」にとっては、完全に許容しがたいことでしょう。


 ああ、この回でまとめていたことは別だったんだけど、補足を大量に加えたら全体の分量が変わっちゃったよ…。



【了】


>>第5回の2へ。

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