「今、そこにあるオタクの危機」 第4回

“ライトオタク層”についての補足。
加えて“市場におけるライトオタク層”。

text : 岡野勇

2004/12/23


 先週頭にはほぼ全文書き終わっていたんですが、掲載にあたってちょこちょこリライト繰り返していたら、なんか伸びる伸びるよ文章が…
 だんだん脳が疲れてきたんで、キリのよいところで踏ん切らないと…


 道を歩きながらボーっとしていたら、改めて考えると 「フィギュア萌え族」 ってスゲエ言葉だよなあ…とか思ったですよ。
 間違ってるとか何とかってことじゃなく、「××族」ってさ、モロに80年代センスだよなあ…(笑)
 タケノコ族とかひょうきん族とか。
 考えてみりゃ「おたく族」って言い方も、使われていたのは90年頃までじゃないか?
 久々に聞いたよなあ。>族
 ある意味新鮮に感じたのはそういうことだったか。
 内容が正しくないのは別問題だとして、もう少し他にどうにかならなかったんだろうか。
 スゴイですよね。「族」。
 この一文字でイメージがかなり変わる。
 渋谷あたりにいる「ヤマンバ」だって、「ヤマンバ」って言われりゃ若者文化に疎い僕でも

「ああ、渋谷とかにいるあのアダモちゃんみたいな奴らね」

 とわかる。
 けどもしこれが「ヤマンバ族」と名付けられていたら…?

「ああ、未開の地にいるアレね」

 と、そんな感じ。しかも「アレね」と言っておきながらものすごく漠然としたイメージだけが脳内をよぎるって言うか。
 “族”が付くか付かないかで、若者文化の街・渋谷が未開の地になっちゃうんですから…。(少なくともオレ脳内では)
 いやはや…
 どうでもいいね。

 さて、本題。



■勘違いされる前に重要な補足を。

 僕が書いている「ライト層」。
 もしかすると「層」という文字から「若い年齢層のこと」であると勘違いされてしまうかも知れないので、ここで補足をしておきます。

「ライト層」=「若い世代」

 という意味ではありません。
 また、「年配者にか濃い人しかいない」なんてこともありません。
 年輩にだって薄く、伝えることをしないライトな層は多数いますし、彼らは昔からいました。
 「オレは濃くて詳しい。しかし語る気はない。自分で調べろ」みたいなのとか。(数年前、かなり年配者でコレのものすごいヒドイのに会う機会があり、心底呆れましたけど。)
 けど、昨今のアキハバラの変化に代表される、言ってしまえば「オタクブーム」のような中で、さらに薄くてライトな層が「僕もオタクです」と大量流入し、結果的に数が増えてしまったがゆえに大きな層となったのだと思っています。

 この「ライト層」を含め、僕が問題だと感じているのは「世代」の問題ではありませんし、世代で括ることに意味はないと思っています。
 この2年ほど、一部で「オタク世代問題」なるものを耳にしますけど、「世代だからそうである」は、僕の中で相当に懐疑的…というより、かなり否定的です。
 「それは世代の問題だ」ってのは、思考停止した意見であり解答でしかない。
 年輩の世代と呼ばれる人にだってライト層はいます。
 同時に、若い人にだってライトじゃない人は少数だけどいる。


 また、僕は「ライトオタクな視点と楽しみ方」ってのを全否定しているわけではありません。
 そういうスタンスで見たり読んだり買ったりするから楽しめる物ってのは確実にある。
 何に対してもガチンコな「モノホンオタク視点」で挑んじゃったら疲れてしまうし、「実はそこに埋もれていたスゴイもの・面白い物」を見逃してしまうかも知れない。

 ただ、重要なのは「ライトオタクな視点と楽しみ方をしている」と「ライトオタクである」ことってのは異なります。イコールではない。

 前者は本来の意味でのオタク層でも出来る。それをする(興味がある)かしない(興味がない)かの違いです。
 TPOと同じで、その視点や楽しみ方の“使いどころ”だろうと。
 別の考え方をすると、「オタクアビリティにまで行き着いている人なら、ライト視点を踏まえた“オタクとしての価値付け”も出来る」わけです。

 これはライト層にもウケている物である。ライト的な楽しみと魅力がある。
 ↓
 そのライト向けの魅力を成立させている要素を、オタク的に視て評価・語ると文脈はこうである。

 みたいな。
 「ライト的視点」ってのは「オタクを楽しむための一つの方法」なのかもしれません。

 しかしライト層が「オタク」と同じ視点や価値観を行うことは不可能です。
 決定的に勉強不足ですし能力不足です。それゆえにライト層なわけですから。
 「オタクにはウケている物をライト的に視て評価・語る」ことに至っては、その具体例が第2回で書いた「多くの村上隆への脊髄批判」だと考えれば、可能かどうか以前に、説得力も意味も提示してこれなかったことがわかります。
 「村上批判が悪い」のではなく、批判は構わないと思うけど「無知な思いこみのままでの批判には意味がない」「それしか提示出来ないのであれば価値がない」。
 同時に裏を返せば、無知なままでの脊髄反射による「好意的な評価」ってのもオタク的な意味・価値はないわけです。

 こう書くと「じゃあ、ライト層はオタクより格下なのか?!」という反応があるかも知れませんが、簡潔に書けば「その通り」です。(ミもフタも無さ過ぎですかね。)
 格下という言葉が適切かどうかはわかりません。前回も書いたとおり視点が全くクロスしていませんし、「分けちゃった方が双方幸せ」だと書いたように「ある意味別物」だと思っていますから。
 でも、“能力”的に下であることは確かです。
 「新しい能力」「昔のオタクと別の能力」ではないんですよ。
 明らかに「ライト層はオタクよりも能力的に劣っている」。


 以前サイトに掲載した『食玩という「パンドラの箱」』

完成品フィギュアブームでフィギュアに接し始めた人の中のライト層から、「ガレージキットフィギュアをやっている奴らが自分たちのことを下に見ているかのような発言に腹が立つ」的な反応を見せることがある。が、そういうこと何も考えていない、考えていない発言しかできない奴らを「考えてきた層」がバカにするのは当たり前の結果でしかない。

 ということを書きました。
 それと同じで、いくらライト層が脊髄反射批判したところで、「考えてきた層」が彼らを下に見るのは当たり前の結果です。


 「ならオマエ(岡野)自身はどうなのか?」。

 自分をかえりみたとき、僕は「濃い」のか? ライト層ではなく“オタク”なのか?
 それは僕自身ではわからない。あるいはわかりづらい。(周囲にスゴ過ぎる人が多いんで余計にわからないんですけど。)
 そもそも「自分はオタク的に濃い」と自己申告するあたりで僕は信用できないんですけどね。
 「オタクとしての濃さ」って主観でわかるものではないでしょ。
 自分はいくら濃いと自称したって、他者から見て薄けりゃそれまで。ただの恥さらしです。
 オタク濃度なんて他者からの客観評価しかないんですよ。
 客観視されたときに、もしかしたら僕自身ライト層の一人なのかも知れない。反面、違うかも知れない。
 前述のように「ライト層であることとイコールではない」ので、ライト的視点・楽しみ方はケース・バイ・ケースでしますし、好きですし。
 でも、少なくとも僕はライト層ではありたくないと思っているし、同じ“場”で楽しむならオタクであった方が楽しいと思っている。
 だから、もし僕がライト層だとしても、僕は「そこに居続けたいとは思っていない」です。




 少し前に発表され今年のオタク界ではちょっと話題になったニュースですが、野村総合研究所によると、「アニメとコミック、ゲーム、アイドルの4分野を支える“オタク”人口が約280万人に達し、彼らが購入する年間の市場規模は約2900億円に達する」そうです。
http://www.nri.co.jp/news/2004/040824.html

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0408/24/news054.html

※注)
 このニュースは当初「アニメ、コミック、ゲーム、アイドルの4分野」「人口が約280万人」「市場規模2600億円」という発表もされていたので、現在も「2600億円」で取り上げているサイトもありますが、現在では野村総研のサイトでも「5分野・2900億円」になっているため、そちらに合わせました。


 さらに続きとして、最近こんな発表も。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0412/21/news017.html


 野村総研なんてところが「オタクの市場経済試算」なんてものをしたあたりにも驚かされましたが、結果にはもっとビックリです。
 こういうのを見て「よし。オレもいっちょオタク市場とやらで一山当てるか」みたいなのがドカドカ入ってくるんでしょうなあ…
 実際すでに、食玩・ライトフィギュアブームで参入してきた多くの新規メーカーは多少なりともそういう印象ですし、最近のアキハバラにもワケワカで場違いな店が増えてきています。
 まあ現実にはこの数字。「ヒットした物、コケた物全部ひっくるめて」の数字であり、その意味では「市場としての数字はそうかも知れないけど、多様化したジャンルそれぞれごとではその内訳にえらく差が出る」のは大方の人が想像付くと思います。
 市場狙いで入ってきても、過去例で考えればその多くは撤退するハメになるんではないかと。

 この調査ではオタクを「特定の趣味分野に生活の時間や所得の多くをかける人たち」と定義しているそうですが、それはあくまで「市場というものにとってのオタク」でしかありません。
 それって確かに「市場のとらえ方・市場調査の括り方」とか経済学的な観点ではわかりやすいのかもしれないし正しいかも知れない。
 でも「オタクの“場”にとってのオタクの定義」も同じか? で言えば全然違う。
 「特定の趣味分野に生活の時間や所得だけではなく、“知的欲求と探求と技術”の多くをかける人たち」「さらにその部分で、なんかもう魂に殉じちゃってる」という、本質の部分がゴッソリ抜け落ちています。
 けど、この重要な要素を欠落させた定義が、すでに「場の中の人たち」にとってもアベレージな認識になってきて、「オタクとは消費者のこと」にされつつある。
 市場におけるリリースサイドの考え方に振り回されているというか、以前書いた言い方すれば
「市場に対してオタク的視点で挑んでいなかったら、リリースサイドの都合の良いように解釈・定義され、オタク的視点を欠損させているのでそれを鵜呑みで受け取ってしまった」
 という印象すらあります。

 それゆえ、とてもオタクじゃないような人まで「自分もオタク」になってしまい、そのライトオタク層が数の論理で薄い視点を「オタクの視点」にすり替えつつある。
 なので、すごく皮肉めいたことを書くと、僕は最近の自称・オタク達が「オタクを勘違いして取り上げているマスコミ」をバッシングしているってのは

「本当はオタクじゃない人たちが、外の人が勝手に思いこんだオタク像に対して、それは違う! と言っている状況」

 にも見える。
 叩いているマスコミ側がオタクじゃないのはもちろんですが、それを批判している側もオタクではないんですよ。
 けど、一般社会的にも、“場”の中の感覚でも「彼らは(も)オタク」だというのが風潮です。

 この野村総研の視点は「消費者として…」ですが、前回のテキストでも「ライト層は市場にとっては優秀な消費者かも知れないけど、でもオタクではない。」と書きました。
 「消費者としての〜」を語ることに意味があるのかはわかりませんが、あえてその部分で書くと、ライト層はとにかく人間の幅が広く、僕はこの広い中には同じ消費者としてのライト層でも「生産的消費者」と「非生産的消費者」の2種がいると思っています。

 「生産的消費者」ってのは語義矛盾に思えますが、早い話、いろいろ見る・買うだけではなくそこに本質を見据えた価値付けをする(あるいは「そうしたいから勉強もする」)、「考える」をすることで“場”を活性化させたり、“場”にプラス成長をもたらす消費者です。
 まだオタクって程ではないけど、場に対して少なからずでも考える人。
 そういう幾ばくかのわずかな人が、将来的には本来の意味での「オタクという人種」にステップアップしてゆくのだと思います。ステップアップちゅーか、バージョンアップ?
 「語る・伝える」といった能力的にも(これもオタクよりは劣っているとはいえ)率先して行うことをしている人もいるため、厳密にわけるとライトオタクとはまた少し違う人種なのかも知れません。
 視点や考え方、知識への欲求など、オタクとライトオタクの中間って感じでしょうか。
 わかりやすく書けば、ネットでも「濃い意見などに比べたら物足りない甘さを感じるのだけど、でも諸々考えている姿勢などがあり、その視点や意見は幾ばくかの参考になる・興味を惹かれる」ようなサイトってのがありますね。ああいうの。
 ただ、例えば「アニメの話題を扱っているサイトってのは山のようにある中で、そういうサイトすら探すのが困難である」のと同様、場におけるこのタイプの人数もあまりに少ないですが。


 で、そういう人は構わないんですが、もう一方の「非生産的消費者」
 ライト層にはこのタイプが多いと感じており、僕がこのテキストで書いている「ライトオタク層」。「批判的なニュアンスにおけるライトオタク」としているのはこのタイプのことです。
 いろいろ買ってそれで満足で終わりだとか、買った物の本質まで理解できていないとか、そもそもの購入動機や知識がおそろしくヌルいとか。周辺への興味や知識も湧かない。
 「脊髄反射的な文句だけは山ほど言うんだけど、“どうしたいのか?”が無い」という傾向もあります。
 「オタク」や「生産的消費者」のように何か考えるのもメンドクサイとか、脊髄反射的に批判する方が楽だとか、あるいは「批判する方が賢い」とかホンキで思っているようなのとか。
 悪い言い方すると完全に「受け手意識」しかない。
 こういった人たちは市場にとって完全にお客さん・完全に受け手以上のものではないわけで、出されたものをホイホイと消費していくしかありません。(なので「非生産的消費者」なんですが。)


 んで、まだつづく。
 なんとか年内には終わらせたい所存…。

【了】


>>第5回へ。

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