ワンダーフェスティバル・04冬
冷静に考えてみる編

text : 岡野勇

2004/02/28


★今回のワンフェスって何だったのか?

 今回のワンフェスを冷静に考え直した場合、一言で表すなら僕は
「ワンフェスのものすごい迷走が始まった」
 と感じました。
 それも「トチくるって始めた迷走」じゃなくて「必要だからはじめた迷走」。
 それは00年の「ワンフェスリセット」でも出来なかったし訪れなかった迷走で、ある意味これこそが「海洋堂とワンフェスが直面している本当のリセット」なのかもしれません。
 そういう意味では、『リセヴィネ』という今回のワンフェスを(良くも悪くも)象徴するアイテムが「メインマスコットであるワンダちゃん」ではなく「リセットちゃん」をメインフィーチャーしていたのも、皮肉な符号だと思えてしまいます。
(このへんは全部意図的・計算した…って可能性もあるけど。 ^^)

 昨年夏と今回の2回のワンフェスは「会場限定オフィシャルアイテムが無い場合」と「過剰なまでのブーム真っ只中である大嶋物をオフィシャルで用意した場合」という極端なまでに対照的な舞台設定が行われたわけで、あまりにも極端だったから「壮大な実験が行われたように思えなくもなかった」ってのもあるわけです。
 ドラマだったらまさに前回と今回は連続物で「ああ、話が繋がってるわ」みたいな。
 「でも、このようなアイテムはそもそも前はなかったではないか」ということを思う人もいるかも知れないけど、実はここに別の状況条件が発生していて、それは

 「この4年ほどで本格化した完成品フィギュアブームという状況を背景にしたワンフェスで…」

 という一言を前に付け加えるのが正確だと思われます。
 この状況への本格的な対応が今回の迷走の根本にあったのではないか? と。
 「実験」という言葉を使ったけど、それでいえば(特にこの2回で行われた極端な)実験は、「その両者の場合の会場内温度はどうなのか?」「結局何があって、何が無いのか?」「何が必要で、何がいらないのか?」等々っていうデータは取れるだけ取れたんじゃないかと思うのですよ。
 この結果をどう活かすのか? で、結局今後のワンフェスってのは迷走の末に大きく変わるんではないかと思うのですが、今回はその「前回のと今回の。今後進むならどっち?!」と(主催者、参加者双方に)今後の選択肢が大きく提示されたワンフェスであったのではないか? と。
 それが「本当のリセット」と書いた意味なんだけど、00年の「リセット宣言」は主催者の考え方による一方的なものであったのに対し、今回(そして前回)が提示したリセットって、ピークを越えた時期にさしかかってきた「造形物を巡る市場(あるいは「造形シーン」)全体の変化」「それに接しているファン層の変化」「末期的なくらいの転売屋の台頭」…そしてそれらは「あり方」というハードウェアだけではなく考え方や受け取り方、評価観というソフトウェアの部分も含めてに対して、避けては通れないパラダイムシフトを発生させてしまった結果、「状況や場そのものが求めてきたリセット」ではないかと。
 前回のリセットってのは「それがよく見えない苛立ちの中で行われ、行った後もよく見えなかった」のに対し、今回のは「選択肢は見え始めた」リセット。言い換えればかなりヴィジョンが明確。
 『食玩テキスト』などでも書いてきた「GKやプラモを作っている人と、食玩ブームから造形に接し始めた人の評価の決定的な差」なんかもそのパラダイムシフトが生み出した一つです。
 「でも、この4年間で言うなら、ボトルキャップとかでも人がいっぱい来たじゃないか」と思われる方もいると思うのだけど、ここにも正確には補足の言葉が必要で「その時はまだパラダイムシフトが無かった」んですよ。
 今回が決定的に違うのは「それが発生し、いいかげん目に見える物になってきた」わけです。
 やはり大きな要素は「完成品ブーム」と、「そこでいいかげん無視できないレベルの造形物が生まれてきた」現状にあると思います。

 多くのディーラーにとっては「完成品は個人単位で作れない」から、いまだ“別物”という認識になるのは仕方ないし、古くからワンフェスに来ているような「GKのイベント」という認識の人にとってもやはり「以前の通り、まあ流行りだからここに置かれている」とか「大手メーカーが、今手がけている物を置いている」的な受け取り方だったのだけど、でも現状はすでに「それを造形物として無視することは出来ない」わけです。
 でも、これがまだ明確に融合していない。
 状況は確実に変わってきているのだけど、その変化がまだ受け入れられていないし、認められていない。
 古い評価観と新しい評価観(こちらはまだかなり曖昧だけど)がぶつかり合って矛盾してしまっていたり、仕方ないのでお互いを「別物」とすることで無難にしようとしてきた。
 そしてこのパラダイムシフト後の世界観では「本来のワンフェスとは?!」という従来の理念では通用しなくなっている部分が多々出てきた。
 せめて00年のリセットで何らかしらの明確な結果が出ていた…とか、そういうこともあればまた違ったのかも知れないけど、あれから4年が経ち「それが上手く機能したかどうか?」を見定める前に完成品ブームという(皮肉なことに主催である海洋堂が市場のメインストリームにしてしまった)黒船みたいなブームが来て、へたすりゃ今のワンフェスに来ている(転売屋とかああいうの以外の)参加者の何割かは「すでにリセット事件なんか知らない(知っていても情報としてのみ)」という人たちが確実にいるわけです。
 それら諸々が完全にコンフリクトしてしまって、上手く混ざらずに亀裂だけ見えてしまったのが今回。
 でも、その亀裂の中で「今後どういう方向に行くのか?」のいくつかの選択肢に「どのような選択肢があるのか?」だけはそれなりに見えたのではないか? と。

 この選択肢の先ってのはいくつかが考えられます。

1)「今までみたいにヌルいことに文句を言い続けながら、そういう層に優しくない、わかりやすい転売向け限定品なんか出さず、ソリッドな方向を進み続けるのか?」
 言ってしまえば「原点回帰する」ってこと。
 確実にその方が心地良い層(「本来のワンフェス」というものに縛られている層)ってのはいると思うのだけど、でもGKを作ろうという人の数が致命的に少なくなっている現状では、ものすごい規模の縮小と、そもそもイベントとして成立するかどうかすら怪しい物になる。
 また、これは完成品ブームで外部に向けて開いた扉をまた閉じると言うことでもあります。

2)はたまた、「ゾンビのように群がってきた転売屋共も含めて、ああいう徹底的にヌルい層を受け入れ、さらに大きな本格的な総合造形物イベントにしていくのか?」
 これは早い話「ワンフェス及び海洋堂の本格的なメジャー化」を目指すのか? です。
 でも、これをやるならそれは「海洋堂の都合」であって、ワンフェスや僕ら参加者の都合とは関係がないんですが。(でもまあ、実際にこういう方向に進んだ別のイベントってのはいくらでもあるわけで、可能性の一つとして。)


 極端な2つの選択肢例を書きましたが、この2つって絶対に噛み合わないし妥協点がない。
 前者に関してはコレまでの海洋堂のスタンスの原点でもありますし、ここまでにもチョコチョコ書いてきているようなことふまえていただければわかるかと思いますが。
 後者の「メジャー化」というのは、それはワンフェスだとか造形物だとかそういうのに限らず僕のやっているテレビ番組製作なんかもそうなんだけど、不特定多数をターゲットにして、そこでメジャー化することを目指した時に、ディープな部分や思想性みたいな物ってのは削って行かざるを得ない。
 「コアな層に満足できる物をリリースすること」と「マスプロダクツとしてメジャー化を狙う」ってのは実は致命的に相反するんですね。
 ものすごーくわかりやすい例えをすると、時々フジテレビなどが深夜枠で人気のあった番組をゴールデンタイムに格上げしますよね。
 でもその時に、深夜枠時代を見ていた層から「なんかゴールデンになってからつまらなくなった」と言われてしまうのもここに理由があるわけです。
 ディープな、ものすごくターゲットがピンポイントであった深夜枠番組でなら成立することでも、全国の広い層をターゲットに変えた時に同じディープなことは出来なくなる。
 「メジャーヒットを狙う」ってのはそういうことだから。
 もちろんこの狙い方は、フィールドを根本的にカンチガイしたら機能しません。
 「深夜番組やCSが好きな人」というのは、ゴールデンなどにはないディープさが好きなわけで、このグラウンドで「メジャーを狙った一般的で無難なこと」をやったらソッポを向かれます。
 で、深夜枠テレビを例えに出したけれど、それでもわかるように「広いメジャー化」を目指した時に一番足枷(あしかせ)になるのが「深夜枠時代のファン層」です。
 その層のおかげでゴールデンに進出はしているのだけど、その層がいる限り「全国メジャーを狙った、本質的なリセットは出来ない」んですね。
 相反している存在なのに、彼らを意識しなければならない。
 だからもし海洋堂とワンフェスが「今後もっとメジャーなポジションを目指したい」と考えているなら、たぶん今、一番足枷になっている存在は転売屋でもヌルい層でもなく、悲しいかな「古くからのワンフェスが好きな層」になる。

 まああと、これはたぶん無いだろうし、起こられたら本気でイヤだけど
3)「さらに最悪な方向に行く」選択肢もありますわね。
 それは今回一部から揶揄された「転売屋用イベント」ってことだけど。

 でもこの3つってドライに言ってしまうと「どれも先はない」。
 1)は「おたっしゃクラブ」化なので新しい広がりが望めないし、2)は他社がやっている同コンセプトイベントが大きすぎますから、よっぽどの物にしない限り「客にとって行く意味が難しい」。
 というか「プラモで言えばタミヤ的考え方の海洋堂が、バンダイになれるわけないだろ」と思うんだけど…。(^^;;)
 3)は「完成品・食玩ブームにまるまる依存」なので、ブームの終演と同時に終わりです。


★「価値観のリセット」と「足枷」

 とかいくつかの選択肢の可能性をとりあえず書いてますけど、実は僕が今回もっとも強く感じた印象で、「結局今回のワンフェスってのはどういう物だと思ったの?」とクールダウン後に聞かれた今に答えるであろうもう1つ考えられる選択肢というのがあって、それがおそらくは僕の中での現在の「今回のワンフェス」の答でもあるのだけど…

4)「新しい評価観をベースにした造形イベントへのリセット」

 という選択肢があります。
 これは前述の1)、2)にも少しだけリンクしていて、現状とそれら双方の選択肢それぞれのファクターから「結局何があって、何が無いのか?」「何が必要で、何がいらないのか?」を考え直していくもの。

 実際、僕自身この4)のリセットは必要なんじゃないかと思います。
 それは「ワンフェス」だけじゃなく、僕が以前『食玩テキスト』で書いた「完成品ブームならではの視点を築く」とかそういうのもそれに近いのだけど。
 「本来のワンフェス」に固執する層の中で最も多い「認識不足」であり、多くが目を背けているのがここまでに何回か書いてきた

「GKの方が上という評価観そのものが壊れている」

 という“現状”の捉え方です。
 もちろんこれは『食玩テキスト』で書いた「そういうことを考えてきたGK時代のファンが、考えていない層を下だと思ってバカにするのは当たり前」というのとは違います。
 僕がバカにしているのはあくまで「そういうこととかを全く考えていない完成品ブーム以降の自称:フィギュアファン」であって、完成品のことじゃないから。
 しかし、「塗装済み完成品? あんなのGKより下だよ」的な考え方に固執している層ってのは確実にまだいるわけで、完成品ブーム以降にフィギュアとかに接し始めた人がメインストリームになってしまっている現状では「GKの方がスゴイ」なんて評価観はもうとっくに壊れているし、オールドタイプの価値観でしかない。
 僕も古くからGKファンだったから精神的にはそれはわかるのだけどさ…。
 その中「GKの方が精度高いじゃん」と思いつつも、認めざるを得ない現状なんですよ。
 また実際「塗装済み完成品ならでは、ここが見所」みたいなものも出てきたわけだし。
(もっともそれがあるからこそ、古い層だと自認しつつも、僕は食玩とかガチャとかのフィギュアにも惹かれてきたわけですが。)


 そういうものまで「完成品だから、GKより下」的なバカなこと言うのは、ただ単に「昔はヨカッタ症候群」でしかない。
 GKが「原型を型から抜いた状態で100点かどうか?」。そして「それに自分が色を塗ってプラス何点に出来るのか?」を基準にするケースが多いのに対し、塗装済み完成品は「型から抜いた段階の精度は(同じ原型を使った)GKに比べて30点にも満たない」のだけど、その後に「塗装して、量産化する」というGKには無い作業があり、さらに遡ると「その結果出来上がる物を逆算して原型に反映させておく」という作業も必要になる。

 こう考えただけで、実はこの両者は「立体造形物・フィギュア」という共通点はあれど、評価されるべき部分ってのはかなり違っている。もしかしたら、実は比較すること自体が間違っているのかも知れない。
 これを本格的に突き詰め、「新しい(実際に優れている完成品というものも認めた)評価観の提示と、それによる造形イベントへのリセット」ってのは必要なんではないか? というより、考える時期に来ちゃったんじゃないの? と。

 冷静に考え直してみると今回のワンフェスで「前述したような諸々への腹正しさ」とは別に感じられたもう一つの強い印象であり、
「もしかしたら今回のワンフェスがテーマにし、やろうとしたのはコレではなかったのか?」
 とすら感じられたのがこれだったんですが。
 それは『リセヴィネ』という騒動の象徴も含めて。
 アレは結果的に状況が「なんだかんだ言っても完成品の方がこれだけ騒がれるし需要がある」ことを否が応でも見せつけたわけです。
 「彼ら」を認めるのではなく、「今の評価観の現実」をオールドタイプに目を背けられないくらいに見せつけるための仕掛けだった…と考えれば少し納得は行きます。
(もっとも、「転売用のアイテムとしか思えず、ここまでのバカみたいな状況を生み出す物はもうやってほしかねえ!」ってのは前述したとおりで、その僕の気分ってのは変わらないのだけど。)

 そしてもう一つがワンダーショウケース(WSC)の「03年夏のワンフェスでWSCプラスに選ばれた、かわにしけんの『アスカ&綾波』をPVC完成品で出します」告知。
 これは、「GKには見向きもしないけど完成品なら買う層」に「こうすりゃ買うんだろ?!」。
 また「GKの方がまだ上だというすでに崩壊している評価観を持っている層」に対して、「んじゃ、オマエらは中国工場のオバちゃんらがフィニッシュしたコレ以上のものに仕上げられるのかよ?!」という「WSCならではの毒であり一つの提示」だと思ったし。
 同時に両者に対して「GKだとああいうものが完成品ではこうなる」という、造形物のあり方としての「違うところと同じ所」の具体例として。
 「ものすげー葛藤の末にギリギリの妥協で決めた“完成品ブーム以降の層に対して喚起を促すための階段”」だとも思って面白かったんだけど。
 アレが「WSCまでヌルい層に妥協するようになった」とは思いたくないです。

 つまり「場の空気」というものをリセットしたかったのだけど上手くいかなかった00年のリセット事件と異なり、「場そのもののあり方」というハードと「参加者そのものの価値観」というソフトの両方をリセットしようとしているのではないか? と。
(そしてそれは前述したように「状況と場そのものが求めてきた」ことでもあるわけですが。)

 ただこの場合、このリセットには非常に高い山があります。
 1)の場合の「ヌルい層」と2)の「本来の層」双方が足枷になる。
 また、「本来のワンフェスが好きな層」「完成品以降の新しい層」双方に対して機能させていくことをしなければならない。

 僕は「ひなあられ」とかは不参加だったんだけど、ここ2回を体験した感想だけで言っても
「結局そんな転売屋とかが群がるような限定品はあってもなくても本会場の、本来のワンフェスを(あるいはGKを)好きでいる人たちの温度は変わらない」
 わけです。しかし…
「それは良い意味ではもちろんなのだけど、困ったことに悪い意味でも」
 という一言は、やはり付けざるを得ないのではないか? というのも思ってしまう。
 そして、自戒を込めて書くならば、その「悪い意味」を成立させてしまうファクターには僕のような「本来のワンフェス」参加者の存在というのも確実に入ってしまう。
 それはそういう層が「リセットを機能させたくても、“本来のワンフェスとは!”という古い価値観を引きずって、現在の状況をホントに理解し認識しておらず、その完成品フィギュアの存在を心のどこかで“別物”的に思っており、結果として再起動を阻害している面が確実にあると思われるから」。
 このように、「本来のワンフェスが好き」「GKの方が上」というような古い考え方の層が「リセットの足枷」になっちゃっているのではないだろうか? と。
 彼ら(僕ら)に現状をいい加減認識させないとムリ。
 「おじいちゃん、もう戦争は終わったのよ!」みたいな。

 同時に、圧倒的にヌルい考え方が多い新しい層の、とにかくヌルい考え方が足枷になる。
 そこに「ヌルくない評価観の提示」というのもしなければならない。
 それは『いちご100%』を読んで「素晴らしいリアルな恋愛ドラマだ!」と本気で思っているような連中に、「いや、『自虐の詩』の方が恋愛ドラマとして上ですよ」と教えなきゃならん…みたいな。
 特にこの層は厄介で、(「食玩テキスト」でも書いたように)ほとんどがここまでそういう視点も評価観も築いてきていないし気にもしていないため、ヘタすりゃ「そんなこと考えもしないし、気づきもしない」わけです。「なんでそんなのが必要なの?」という人もいるかも知れない。
 「『わたおに』、エロくてロリくて最高じゃないですか!」とかさ、それを「評価」だとか「視点」だとか混同していたりするレベルなわけで…
 んで、そういうことに対し「何をいいと思うかは人それぞれ」という完結をしてしまうヤツが多いのも、この層の「とにかくヌルいありかた」なわけで「もっと上の視野を持ちたい」と思っている同層の中のいくばくかの人にとっても障害になる部分です。

 ぶっちゃけ、前者は「全員ブン殴れば100人中54人くらいは目が覚める」ような気がしますが、後者は「100人にそれを促そうとして、1人残ればいい方」(しかも殴ったりしたら着いてこない)くらいのことになるような気がします。



 と、まあ今回のワンフェスでこういうことを感じたんですが、最後になんでこんなこと(またもや長々と)書いてんのか? というと、「フィギュアブーム」だの「食玩ブーム」だの言われているけど、造形全般の現状ってのはそれくらい今、脆弱なんですよ。
(そういう意味では、今回のテキストは以前書いた『食玩テキスト』から繋がっていると考えていただいても。)

 言ってしまえばこんなブームはバブル経済みたいな物で、いつまでその土地神話みたいな幻想を拝んでんだよ?! と。ブームの一歩先は崖にしかなっていない。
 今回ドカドカ大挙した転売屋なんか数年後のワンフェスには多分もう来ていない。
 食玩ブームだって数年後には終わってる可能性が大。
 でも、その時にも「古い層」「新しい層」を合わせた内の何割かはまだあの場に残っている。
 僕が書いた「今回の印象」は、結局「僕の感じた印象であり、受け止め方」でしかないし、もし本当にそういうリセットがあった時に「これが正解」だとも思わないし、そもそも「それでも僕は残る」なんて言い切れる根拠は何もない。だって、それくらいの価値観変化を起こさないとムリなんだもの。
 で、今回のワンフェスはそれに向けた迷走だったのではないかなあ? と。

 85年にワンフェスがスタートして20年近くが経っているわけで、その中で価値観の起点が変化するのは当たり前だと思うし、同時に「今後20年、あの場を楽しみたい」こと考えたら、「前のリセットの時に考えなかったヤツらも、いい加減考える時でしょ?!」だと。
 「食玩もフィギュアも興味がない」人がどれだけ読んでくれたかわかりませんが(^^;;)、この半年で「食玩テキスト」だの「わたおに」だの、こういうことについてドカドカこのサイトでも書いてきているのだけど、まあ今回のも「そういうブームの中で、こういう状況が起きているのも事実だよ」と思っていただけると。

 んで、コレって最近サイトでたびたび書いている「オタクのライト化」と「層だけは拡大していく状況」ってのも似たような側面があるわけで、「んじゃ、今オタクってのは何よ?」とか、かつて第1世代が「知的エリート層」としたオタクと「現在のライト層」をどう分けるのか・分けないのか? あるいは新しいオタク指標みたいのが必要なのか? とかにも通じる物はあると思ったんですけどね。
 その意味では「ワンフェスの迷走」って、「オタク界の見えざる迷走」に似ているよなあ…と、僕は思ってしまうわけです。


【了】



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