前期のアニメ、2本だけ感想
2003/11/17


 あー…こっちの更新は実に久々です。

 前期のドラマやアニメとかの感想を書こう書こうと思っていたんだけど、気がつけばすでに今期も半ばです。
 なんか「今更だよなー」と。(^^;;)

 まあ、ちょっと諸々ドタバタしてましてね。

 その中、この2つだけは書いておきたいかなあ…というものだけをとりあえず。



★『宇宙のステルヴィア』

 冷静に考えるとコレの感想なんかオレはホントに書きたいのか? と思うんですけど…
 別に書きたくなかったか。

 話は良くできていたと思うんだけど、どーにも基本ベースが『中学生日記』みたいな雰囲気&描写なので淡白感はぬぐえなかったし、致命的に「盛り上がり」に欠けました。

 また、とにかくカンに障ったのが「出てくる人物が皆“いい人”ばかり」ってところ。
 悪人が一人もいない。
 あそこまで徹底していると意図的なんだろうし、「見ていて安心」ではあるんだけど、なんかその段階でオレは「嘘くささ」しか感じられなくて、作品中でどんなことが起こっても全然感情移入できませんでした。

 中盤、町田先輩が「才能への嫉妬」から、かつての同級生を大ケガさせたことが判明し、そして主人公であるしーぽんをも殺しにかかってきていずれも未遂ですんでますけど、これもすぐに反省していい人になっちゃうし。

 テーマ的には『ナデシコ』や『学園戦記ムリョウ』と同じく、佐藤竜雄監督お馴染みの「地球人の開星期」。
 けどこれも悪くとらえてしまうと

「ここ数年でさんざん同監督がやってきたことと同じことを見せられている」

 あるいは

「それらやってきたことの“まとめ”的な物」

 …としか思えず、早い話「佐藤作品を見続けてきた人」にとっては目新しさがない。

 キャラクターデザインもなあ…
 よく言えば今風の萌え系バリバリストームですけどね。
 なんつーか、個人的にはあそこまでやられるとコレも萎えたなあ…



★『おねがい*ツインズ』

 今回の更新。時期が逸したのはわかっていても「とにかくこれだけは書いておきてえ」とか思ったんで。


 結局何がやりたかったのか? なんか、ヌルい三角関係物のまま終わり…
 スタート時に期待した物は何もなかったです。

 1人の男の子。2人の女の子。
 女の子のどちらかが肉親であるかも知れず、どちらかが他人かも知れない…というシチュエーション設定は実に面白いと思いました。
 いやもー、マジでオレ的には「すばらしい設定だ!!」と。

 「肉親と他人」という存在の合間で発生する恋愛感情をどう進めていくのか? という物語になるのではないかと思っていたし、ある意味、最近やたらとある『シスタープリンセス』のような「いきなり12人妹が出来て…」みたいな「妹物」へのカウンターだとも思っていました。

 ちょこっと書いておくと、これら「妹物」は(それがエロ作品でもそうでなくても)基本前提として「でも血は繋がってません」という条件があります。

 「血が繋がってちゃマズイでしょ」は
・法律的な問題
・一般モラル(医学的理由含む)の問題
 の2点が大きな理由になる。

 これがゲーム作品の場合はさらに
・「ソフ倫」の問題
 が加わる。(血が繋がっているとソフ倫通らないんで。)

(『ツインズ』の場合はゲームではないので3番目は関係ないですが。)

 ストレートに言えば物語におけるこの「実は血が繋がっていません」は「逃げ道」です。
 それはモラルとか物語とか視聴者へのね。

 でも、物語(それも「恋愛物」)として考えたときに、オイラの中で以前から明確な答えが見えなかったのがこの部分で

「法律とモラルのことはわかった。んじゃ、なんで肉親と恋愛関係になってはいけないのか?」

 …に対する、恋愛感情そのもの…「感情の問題に対する制限」が全くわからない。

 いや、カンチガイされそうだけど、オイラ自身は別に肉親に対してそういう気持ちは1%たりとも存在していないんですけど。

 「そんな常識的なことにオマエは何を言ってるんだ」と思う人もいるかも知れないけど、その「常識的な括り」は前述のような理由から作られた物です。
 別の考え方すると「常識的な理由」以外に「制約している理由」はたぶん無い。
 「当事者(本人たち)の感情の外の問題と理由」です。
 で、そういう人がいるとして、その人と相手双方が、

「その恋愛によって生じたり降りかかったりする全ての責任や問題を、全部背負う覚悟があるなら別にいいじゃん」

 …とか思ってしまうわけですよ。

 『同級生2』や『シスプリ』をはじめ、この手の設定のゲームや物語においてオイラがこれまでとにかく一番気にくわなかったのがこの部分で、この部分に踏み込んだ物が全くなかったこと。
 「実は血が繋がってませんでした」「お兄ちゃんとか呼ばれているだけ」というのは、(キャラクターたちに対して)都合の良い設定でしかなく、それ以上ではありません。

 「実は血が繋がってませんでした」。

 だから恋人になってもOK?
 なら、その登場人物たちは、そういう「実は…」が存在しなかった場合どうするのか? と。
 そこで諦めちゃうのか?
 いや、「それで諦められちゃう」程度なのか?

 で、オイラは『ツインズ』が設けた「もしかしたら肉親かも知れない」という設定は、まさにここへのカウンターであるとばかり思っていたわけです。
 そこを突き抜けた先に別の「やはりダメな理由」は発生するのかも知れないけど、とにかくまずは突き抜けようとするんじゃねえのか? と。
 あの設定ならさ。

 『ツインズ』はここまで踏み込むはじめての作品になるんじゃないか? と期待したんですが。

 スタート前の番組告知におけるナレーション内容や、「一見そうに見えながら、実はただのよくあるキャラ萌え系作品ではなかった」前作『おねがいティーチャー』で描いたことを考えたら、この「設定」と「スタッフ(特にシナリオの黒田洋介)」ならそれをやると信じていたわけです。

 また『おねてぃ』がOP主題歌に多大にテーマを内包させていたことに対し、今回の『ツインズ』でもそれらしい仕掛けが主題歌にもされていました。
 『おねてぃ』の主題歌は「桂の側から語られている詩」であり、一件ただのエロコメに見えた「ビデオ版のみにある第13話」を見れば明確になる「広い宇宙でたった2人が出会い、その2人だけの場を得る」という物語テーマの完結に向けたことがすべて語られて(含まれて)いました。
 いや、うまい主題歌だと思いましたよ。ホントに。
(このテーマゆえに、みずほ先生というヒロインは「宇宙人」なわけです。記号ですな。)

 それを今回は、ボーカルを1人から2人にし「宮藤深衣奈と小野寺樺恋が主人公」であることを示唆し(詩の内容もそうだし)、前述したような「そこまで突き進みそうな気配」を感じさせるに十分な詩になっていたわけです。

 「肉親だったら恋をしちゃいけないのか?」
 「それはナゼか?」
 「それを超えるのにはどうしたらいいのか?」
 「そもそも諦めるべき事なのか?」
 「どれくらいの覚悟を背負わなくちゃいけないのか?」
 「その先に何があるのか?」
 「やはりダメなのか。それとも成立し得るのか?」

 この「もしかしたら肉親かも知れない」は、前作の「停滞」よりも高いハードルを見せるのではないか? と。

 なかなか語られなかった樺恋の過去や「なんでここに来たのか? 育てられていた家で、何を捨ててきたのか? 何があったのか?」は、てっきり、前作で言えば「苺が実は停滞の持ち主だった」に相当するキーなのではないかと思ったし。
 そこで証されたことが、さらにハードルとして3人の間に存在してしまうような。
 「過去じゃなくて、今を見なくちゃいけない」という第1話での麻郁のセリフは、こういう事も含めた「絶対的に逃げられない過去」から「現状」にどう向き合っていくか? になるキーワードになるのだとばかり思っていたし。

 前作の脇役・跨が「妹である晴子にぞっこん」という無茶な設定で再登場し、それがコミカルに描かれているのも、後々の3人に降りかかる問題の「アンチであり、安易な記号の存在」だと思ったわけです。
(でなければあのコメディリリーフはあまりにも無意味です。)


 でも、結局繰り広げられたのは、前作以上に裸とか出てくるだけの、“ただのキャラクター萌え”に依存したかのような、稚拙な三角関係の物語以上の物ではありませんでした。
 そこまで全然辿り着いてもいなければ、向かった気配すら希薄。
 思わせぶりな設定でスタートし、問題点は全てあっさり解決。
 なかなか(いかにも意味があるかのように)語られなかった樺恋の過去は「マラソンをしていたのに、足を怪我して走れなくなった」というもので、その後にあっさり立ち直るし、他の2人への物語的な関わりも発生せず。
 3人の恋愛感情物語の解決も実に安易。


 「三角関係物」という部分だけで受け止めても、アニメでオイラが「三角関係物」の傑作だと思っている作品に、劇場版作品だった『きまぐれオレンジロード 〜あの日にかえりたい〜』がありますが、あそこまで見ていて精神的にキツイわけでもなく。
(話がずれるので短く書きますが、原作やTVでやってきた「ぬるい三角形」を全て精算しようとするオリジナルストーリーで、その内容から原作者・まつもと泉の怒りを買いました。
 「原作ファン」「TVシリーズファン」からは忌み嫌われましたが、原作のあのぬるま湯が大嫌いだった層からは高い評価をされました。)



 もしかすると「企画時はそこまで考えていたのかも知れない」という気もします。
 そう考えないと「いくつかのことが物語初期に、あまりにも思わせぶりにされていたこと」が納得できないんですよ。オレは。

 それが(初期エピソードの製作がスタートした後に)どこだかの時点でスタッフだかソフト会社だかに

「そんなんじゃダメ。暗い話なんかいいよ! もっとキャラクターの“萌え”を全面に出した、キャラクター商売が出来る物に!!」


 …とか言い出した バ カ (それも企画を左右できる権限を持っている立場の)がいたんじゃないか? そのせいではないか? という気すらしてしまう。

 前作があそこまで稼いだんだから、そうすればもっと! という安易な(なんで前作が「ただのキャラ萌え作品」以上の評価や支持をされたのかを考えることも出来ないバカによって)判断が出されてしまったのかも知れない…と。

 実際、苺を「今ではよくありがちな『ナデシコ』のルリ系キャラ」(「シニカルな不思議ちゃん系ロリキャラ」)にまで落としてしまい、それ以上の役割も描写もドラマも描かなかったのも、

「前作で苺タン萌え〜! な人が続出だったから、そういう人に望まれる物に!」

 …というニュアンスしか感じられなかったです。
 いや、マジで苺のあのあまりにもよくありがちなキャラ設定には本気で萎えました。
 あの苺に心を動かされるのは、ホントに(中身まで考えない)「ただのキャラ萌えバカ」くらいだと思います。
 少なくともオレはあの『ツインズ』の苺には全く何にも感じる物が無かったです。


 物語もキャラクター描写も、それくらい前作が描いたレベルに及んでいなかった。
 テーマも…「テーマ? あれにそんなのあったの?」っていう感じだし。

 こうした「ただのヌルい物語」「状況を全く活かせていない」作品にしてしまった段階で、オレ的には「なんで『おねがいティーチャー』と同じ世界にしたのか?」も、全く理由が見えませんでした。
 テーマも物語も踏み込め切れていない…いや構築すら出来ているかどうかに疑問を感じたし、なんでこれが同じ『おねがい』の冠が付いた作品なのかわからない。
 「同じキャラ出して、また人気を再燃」を狙った以上の物は全く感じられませんでした。
 実際あの物語では「同じ世界」である理由は全くありません。
 『おねてぃ』の続編的ポジションである理由すらない。

 そもそも「続編的な位置づけでの評価」をすることがもしかすると間違いなのかも知れないんだけど、でも、これらの「オレが感じた不満とか描き切れていなさ」ってのは、そのほとんどが「続編という解釈ではなく、単品作品で考えたとしても問題」なことであるには違いなく…。

 「完全に別の作品」であれば、もう少し評価も違ったかも知れないとも思ったんですが、冷静に考えてみると「その場合、たぶんただのつまらない作品」という評価で終わっていたとしか思えないし。


 『おねがいティーチャー』のポテンシャル(物語レベル、作劇等々…)が仮に100点の作品だったとして、んじゃ『ツインズ』はどうだったか? というとオレの中では30点

 これが「ただの30点」なら、オレ、別にかまわないんですよ。
 「なんだ、つまんなかったよ!!」で終わらせられる。

 しかし許せないのは、それが「ただの30点」ではなく、設定から何から(黒田洋介という“能力”も含めて)

「その気になれば、恋愛物の新しい100点の作品にできる要素は揃っていた」

 のに30点だということ。
 傑作になる要素がテンコ盛りだった失敗作。
 (あえて「失敗作」と言います。オレは。)

 そんな感じです。


 まあ、前作がオレの中で「過度に傑作になっている」っちゃそうなので、過剰に期待しすぎたオレの勝手な失望でもあるんだけどさ。
(その意味では制作者にとっては迷惑だろうけど。)


【了】



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