前期のTVとか・1
2003/07/12


 いろんな事件が起きてますなあ…。
 性格なのか精神構造なのかわかりませんが、基本的に昔から“悪意”という物に過剰反応(人に言わせると「そんなレベルじゃない」そうですが。)する人間なので、こういう時期はニュースを見ているだけでかなりキツかったりします。
 そんな人間がなぜに数年もニュース番組に関わっていたのかが不思議だったりもするんだけど。


 気分転換もかねて前期見ていた番組&前期から始まって現在放送中番組の感想とか。



★『東京ラブシネマ』

 フジの月9枠ドラマでしたが。
 つまんなさ過ぎました。(-_-;;

 主人公(江口)が社長の映画配給会社は、劇中にも出てきた『えびボクサー』を実際に配給しているアルバトロスとか初期のGAGAだったりするわけですけど、なんつーか「なんかチガウ!」と。
 そもそも、あんなゴミ映画「1本単位」で買い付けなんか普通しないし。(他のとまとめていくら…とか、ちょっと目玉のいい映画と抱き合わせで売られたり…なんだけど。)
 いや、そんな部分がリアルかそうでないかはどうでもいいんだ。たぶん。

 なんつーかなあ…いや、根本的に気にくわなかった部分なんだけど、主人公たちは映画配給会社で映画(ミニシアター系)を買い付けたり配給したりしていて、「俺たちは映画が好きだ!」みたいなセリフもやたらあるんだけど……
 見ていて「ドラマの作り手が、映画に愛を持っているように感じられなかった」んですよ。
 そりゃもう「全然」と言ってもイイくらい。
 いや、「勘違い」とか「幻想」は感じられましたけど。

 ものすごい決めつけ的な書き方しちゃうけど、Hanakoとかの映画紹介記事とかさ、ああいうのだけ読んでいて。
 で、そういうので「ミニシアターのほうがオシャレ的」なこと考えている人が作っているようにしか感じなかったのね。
 それでいて、映画ファンの中によくいがちな「ミニシアター系バカ」(ミニシアター系至上主義者)でもないんですよ。

 早い話「ミニシアターの方がオシャレっぽい」レベルの人たちというか。
 その中で「今、バカ映画がオシャレ!」みたいのを鵜呑みにしちゃって、まともにバカ映画なんか知らないくせに「自分はバカ映画が好き」みたいのを自称しているヒトタチって言うか。
 その作品があらかじめ「これはバカ映画です」っていう紹介をされていたり、そういう評価が既についている物しか見たことがないようなヒトタチ。
 もちろん「『メガフォース』を本気で期待して観に行った」とかいうような経験は全くナシ。『シベ超』も「ものすごいバカ映画です」という評価を知ってから観たようなタイプ。

 けど、アルバトロスしかり初期のGAGAしかり、そもそもこのドラマ劇中で主人公たちが扱っているレベルの映画って、Hanakoじゃないわけですよ。
 どちらかといえば『映画秘宝』の世界でしょう。

 なんかね、『映画秘宝』も現在は『HIHO』の名前で雑誌形態になりましたけど、数年前に洋泉社の別冊で『悪趣味洋画劇場』とか『底抜け超大作』とかが出たときって、そういうロクでもない映画を見続けていたヤツにはムチャクチャ嬉しかったんですよ。
 「オレが観てきた映画って、キネ旬に載ってないんだよね…」とか思っていたようなばかりが載っていて。
 まあ、具体名挙げれば『メガフォース』とか『サランドラ』とか『スクワーム』とかロバート・ギンティの出ている映画全部とか。

 いやもうビックリですよ。だって載っている映画の半分以上を観ていたんですもの。
 で、そのどれも、観た後に「なんじゃこりゃ…」と思った物ばかりで…
 しかもしかも、コレは自慢なんですが、オレそういう映画をやたらと「初日の1回目」で観ているんですよ。わざわざ。
 『サランドラ』『バーニング』『食人族』『メガフォース』『バトルトラック』『デビルスピーク』『ハワード・ザ・ダック』…全部初日の1回目。(他にも数え切れないくらい)
 『サランドラ』なんか忘れられませんよ。「ジョギリというものすごい凶器が出てきて、それで人が次々に殺される…とうたっていたのに、本編中にそんな物が全く出てこなかった」という伝説の映画ですが、見終わった後に一緒に行った友人が「こんなの出てこねえじゃねえかよ!!」と買ってあったパンフレットを丸めて床に叩きつけて劇場を出て行ったという。(劇場の外では他の怒った客が看板壊してました。)

 彼、河野君っていうんですけどね。
 いいヤツでしたよ。
 『ジャンクマン』というH・B・ハリキーという重症(なんて物じゃないくらい末期の)のカーキチが作った「ただひたすら何百台という車(全部ハリキーの私物)が壊れるだけ」という何と言っていいのかわからない映画を観に行ったときも(もちろん初日の1回目)、途中で飽きちゃって劇場の暗闇でチンコ出してましたからね。>河野君

 でまあ、こういう映画ばかり取り上げていたこの一連の本から「バカ映画の楽しみ方」がかなり一般的に広がっちゃって、結果「よくわかっていないし、過去のクダラナイ映画なんかろくすっぽ観たこともないけど、バカ映画を楽しむのがオシャレ」みたいな風潮が生まれ、それをHanakoとかが取り上げるようになっちゃったワケじゃないですか。
 なんか「ほら、これはバカだから面白いですよー」みたいな感じで。
 けど、そういうのって真性バカ映画ファンからすると「すでにバカ映画」じゃないんすな。
 本物のバカ映画ってのは「バカそうだから観に行った」んじゃなくて、「予告を観たら凄そうなんで、マジで期待して観に言ったら完全にバカだった」ってやつなんですよ。『食人族』とか。
 なので今や有名になってしまった『シベリア超特急』だって、真性バカ映画ファンが「こりゃすげえ!」と思ったのって「1作目だけ」なんすな。
 だって、『1』って水野さん大マジメじゃないですか。あれ、本気で本人は「凄いオチだ!」と思って撮っているでしょ。
 けど『2』とか『3』って、もう始めから「そういうウケ方を狙っている」んですよ。
 その時点でね、もう「バカ映画」じゃないのね。
 あの2とか3で「バカ映画を観た」とか思わないで欲しいと思うくらいチガウ。


 で、話が激しく脇道にそれましたけど、この『東京ラブシネマ』もそういう部分への「勘違い」とか「わかって無さ」がものすごく感じられたというかなあ。

 ドラマ本筋も、恋愛要素なんかいらないですよ。
 入れていてもいいけど、あそこまで過剰に入れると、ウザッたすぎ。
 そっちばかりで話が進行しているので、映画配給ウンヌンなんてどーでもいい設定になっちゃっているし。
 しかもどーでもいいっていうか、やっている恋愛ドラマが「80年代末のドラマレベル」だし。

 あんなベタな恋愛ドラマなんかにしないで、福田靖氏などのシナリオで「弱小映画配給会社を舞台にした、直球の奮闘ドラマ」とかにしてくれた方がオレは嬉しかったなあ…(っていうかそういうのを見たかったし期待していたので見始めたんですがね。)


 あの、一般認識としては「恋愛ドラマだから大人向けだ」なのかもしれないけど、『仮面ライダー龍騎』とか見ちゃっていると、正直ドラマ部分が「幼稚すぎる」んですよ。
 「恋愛要素入れときゃいいだろ」みたいなのしか感じられなくて。



★『ぼくの魔法使い』

 日テレ土曜9時枠。
 注目の宮藤官九郎シナリオによるドラマでした。

 あえて何も語らず……



★『笑顔の法則』

 TBS日曜9時枠のドラマ。
 メイン脚本が寺田敏雄氏(『R−17』を書いた人)なので見ていました。
(途中数話、寺田氏以外の人も書いていましたが。)

 ある意味「あの放送枠」らしいストレートなドラマでした。
 可もなく不可もなく面白かったです。
 へんにベタベタした話に持って行かなかったのも好みでしたし。
 のんびり見るには良かったですね。



★『ブラックジャックによろしく』

 TBSの金曜10時枠ドラマでした。

 いきなり結論書いちゃうけど、前期のドラマではオレん中では「ダントツでブッちぎりのNo1」でした。
 つか、これのせいで他の前期ドラマはもうホントにどうでもよくなっちゃったんですけど。

 これまでに何度も書いてきたけど、基本的にオイラは原作とそれの映像化作品を比べて評価って嫌いだし意味を感じないんですが、このドラマに関しては珍しく(?)そういう部分で

 「優れた脚色ってのはこういうコトだ」

 ってなくらいシナリオに感動しました。

 後藤法子さんという作家の方が書かれていますが、うん、脚色上手いです、ホント。
 「上手いです」とかアッサリ書きましたけど、実際の印象としては『あずまんが大王』的表現をするなら
 「上手いなんてもんじゃねえ。これは…なんというかモノスゲー上手ぇッ!!!」

 っていうか。
 そんくらい上手かったというか、完全に脱帽。

 以下、オイラの感想としてはイレギュラーかもしれませんが、原作との比較的感想です。(「脚色」を評価したので、どうしてもそうなってしまう。)
 あ、すいません。「原作を読んでいる」ことが前提になっちゃってます。


 原作では主人公の斉藤が研修で様々な医療現場を見ていくワケですが、作品そのもののテーマと平行して、それぞれの科で描かれるテーマってのがあるわけで。
 その部分を「原作者が描こうとしていた部分はズラすことはせずに、なおかつさらにそれ(原作がそのシチュエーションで伝えたかったこと)をさらに明確に浮き彫りにするオリジナルのシチュエーションを設けている」ってのはね、見事です。

 第1話を見たときに看護士(赤城)を「バイト先の病院の看護士」って設定に変更してあるのはどういうコトか? と思ったんだけど、これが結構上手い展開を見せました。
 これは原作にもあるシークエンスですが、斉藤がバイト先の救急病院で「自分で患者を診ることが出来ずに逃げ出してしまう」というシーンがあります。
 原作ではここで斉藤は「結局技術も何もない彼は目の前の患者から逃げ出すことしかできない非力さ」を描いています。
 原作ではここで、電話で呼び出された院長がやってきて患者は事なきを得るわけですが、このドラマでは「現場に残されてしまった看護士」にスポットを当てました。
 で、結果「追いつめられた彼女(赤城)が、看護士が法律上やってはいけない医療行為をしてしまう」という決断をしてしまうんですな。
 法で禁じられていても、彼女は「少しでも患者が助かる道」を選んだわけです。
 ドラマオリジナルのシークエンスなんですけど、これは上手いと思いました。
 追いつめられ感がものすごく出ていましたし、さらに「斉藤のアイデンティティを追いつめる」ことにも成功しています。
 もうこの段階でドラマ版は完全に引き込まれてしまいました。

 んで、「それでナントカ助かりました」ではよくありがちな都合のいいドラマになってしまうんですけど、さらに関心したのがこの後で。

 患者は助かったんだけど、違法行為をしたことによって赤城は病院を辞めざるを得なくなるし、患者も「一命は取り留めたけど、身体の一部に麻痺が残ってしまった」

 というあたりがまた…。
 なんというか「オリジナルで入れた部分も、決して主人公達を甘やかしていない」というのが上手いなあと。
 正確に書くと「甘やかしていないから上手い」のではなく、「甘やかさないことによって、さらに物語のテーマをえぐり出しているのが上手い」なあと。
 結局「それができるのは医者だけだ」というのを強烈に見せるシークエンスとして成立させていました。

 原作では脇役で速攻で物語から消えた(笑)出久根の使い方も上手かったですな。
 特にクライマックスの小児科編。

 出久根の存在によって、小児科医の安富に「実は僕、子供は好きじゃない」ということを語らせ、で、そのことによって小児科を巡る“あの状況”の中でも安富は「一見冷たいジャッジのようでありながら、患者を殺してしまうような過剰な思い入れや判断をしない医師」であることを明確化しているし。
 で、このことが原作のセリフでもあり、ドラマ中でも安富が斉藤に言う「そうしなければ、いつか君は患者を殺す」に繋がったり、それを強い物にしている…と。

 原作の小児科編では、最後に斉藤は「受け入れ拒否をするという判断」を(それは彼自身の本心が望むと望まざるとに関係なく)“学ぶ”わけですけど、このドラマだとその判断を最後までしない。
 「ありゃ?」と思ったら、直後にその「判断が出来なかった」せいで急患の子供を殺しかけてしまう。

 これによって「いつか君は患者を殺す」と言われたセリフの意味(それが決して「メリットがないから」などの理由ではないこと)を明確に見せ、かつ技術的には「まだ連載中の原作はいずれ見せる描写なのかも知れないけど、1クールで終わってしまうドラマではどこかで入れなければならない。それでいて原作の流れを壊さない部分で入れること」にも成功しています。
 で、連続ドラマのシナリオとして上手いなあと思ったのが、前述のように「原作の流れを壊さずに、それでいてニュアンスを強化」しつつ、さらにドラマ全体を通したときに「強いアイロニー」をも構築しているんですね。

 第1話で「患者から逃げたことによって患者を殺しかけた」(言い方は悪いですが、やはり「殺しかけた」という言葉が一番適切かと。)斉藤が、今度は「患者から逃げなかったことによって患者を殺しかけてしまう」。

 んで最終回だけは「連続ドラマとしての最終回」として、原作にはないオリジナルエピソードが設けられたんですけど、このことが描かれるわけです。
 第1話の「患者から逃げた」ことに再び繋がっていくんですね。
 それと再び向かい合うことに戻っていく。

 なんというか、上手すぎ。(-_-;;
 もうね、完全に引き込まれてしまっていたんで、話で泣きつつもタメ息でした。


 いやもー、マジで全話録画していなかったことを後悔しましたよ。
 下半期のドラマがどうなるかわからないけど、たぶんこの作品が今年のオレベストになるんじゃないかなあ。


 あえて不満点を言うと…心臓外科医・北三郎はマンガを読んだときに「ゼッテーに北島三郎だろ!」と思っていたのに、原田芳雄だったことくらいか。(^^



★『仮面ライダー555(ファイズ)』

 放送始まってすでにだいぶ経っていますが、これまで書いていなかったので。

 第1話を見たときに、なんかノリきれなかったんですよ。
 で、録画だけしてあったんだけど全然見て無くて。
 しかしいい加減ため過ぎちゃったんで一気に20話まで見たんですが、見たらハマりました。(^^;;

 メイン脚本は『仮面ライダーアギト』の井上敏樹氏。(メインって書いたけど、今のところ彼一人で書いていますが。)
 何もわからず「人間を殺すことを義務づけられた怪人(オルフェノク)」になってしまった側のドラマを盛り込んでいるのは興味深いですな。
 んで「どうしても僕は人間を殺せない。オルフェノクの力で人間を守る側になる」だとか「人間として恋もして生きる」ことを選択する彼らは実に人間らしく描かれているのに対して、肝心の仮面ライダーである主人公には生きていく目的も夢も何もない上に「人付き合いもままならない性格」だったり、もう一人のライダー(カイザ)も「性格がムチャクチャ悪くて信用できない男」だったり、まあ「どっちと友達になりたい?」と言われたら迷うことなくオルフェノクだったり。
 そういう人物設定や配置という点では歴代『仮面ライダー』の中でも異色です。

 いやあ、夜中に見ていて彼らの側の物語で、ちょっと泣いちゃったんですよ。(^^;;
 実際ドラマの描き方や、そこで描いていることは上手いなあとか思わされる部分も多々あるわけで、それゆえ「同じ時期にこういう作品を知っちゃっている」からこそ、『東京ラブシネマ』とかの「幼稚さ」がオレは我慢ならなかったりするわけです。


 ただ、ハマったはいいんですけど、20話過ぎまで見てきてそこはかとない不満とか不安も芽生えていて……

 すでにフロシキ広げまくっているわけですよ。
 で、いい加減中盤のそろそろで、(今後さらに新たなフロシキを広げるにしても)現在出ているそれらのいくつかは少し畳んでおかないと「“また”『アギト』の時みたいに収集付かなくなる…あるいは消化不良になっちゃうんじゃないの?」と。


 んで、さらに「一歩引いて冷静に考えてみる」と
・“新人類”あるいは“超人類”的な存在が怪人側。
・主人公が闘うのは成り行き。闘う理由という物が反映されるべきバックボーンが存在しない。(『555』の場合は「主人公には夢もなにもない」。『アギト』の時は「主人公に記憶がない」。実はこれらは動機付けをする上では「果てしなく近い」んですけど。)
・主人公のそばにいるヒロインの過去がそれらの事件の根本に絡んでいる(ようだ)。

 …というように『アギト』と類似しているなーと思わされる部分ってのが結構あったりして、まあ脚本が同じ人だというのを考えると「もしかしてコレって、井上氏による『アギト』のリターンマッチ?」とかとも思えてしまったり。

 まあ、様子見ですな。

 余談だけど、今回「怪人に殺された人間」が灰になって死んじゃうっていう描写されているけど、コレって子供的には相当怖いだろうなあ…



 残りは次回。


【了】

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