『ガンダム・センチネル』という「トラウマ」
その3

text : 岡野勇

2002/12/01


★あさのまさひこのテキスト

 で、ここまでが『センチネル』の「模型としての部分」「設定としての部分」「物語としての部分」。

 『センチネル』という企画の全体を考えるなら避けて通れないもう1つの要素があって、それはナニかというと、総指揮をとっていたあさのまさひこ氏による過剰なまでの誌面構成とテキストワークです。

 なんというかな。
 例えば『攻殻機動隊』をはじめとして、士郎正宗のコミックが「周辺情報とそれを解説したサブテキストも合わせた上で、作品そのもの世界観であるとか、作品そのものを成立させている」とするなら、『ガンダム・センチネル』もあさの氏によるサブテキストなどを含めた上で成立していたんではないかと。
 例えばそれは読者ページにおいてもそうだったり。
(なので、別冊ではこの読者ページ部分が再録されていないのがオレはいまだに不満なんですけどね。)


 ここでのあさの氏のテキストワークってのは、彼自身が「80年代サブカルが台頭してきた頃」の(中森明夫とかの)影響を受けたことを自分の中で再構成して出している、ある意味「モロに80年代サブカルテイスト溢れるもの」。
 その文章であるとか、コトバの使い方であるとかは、今でこそ(数年前の『クイックジャパン』の「エヴァ特集」とか読むと)珍しくもなんともない…というか猫も杓子もマネちゃっている状態なんですが、「オタクネタの中でそういうコトバを使う」という源流をたどっていくとこのへんとか大塚英志とかになっちゃうんですな。
 実際、彼のテキストに影響を受けたライターは非常に多いです。

 こういうのに比べちゃうとオレは『エヴァ』ブームの時の『クイックジャパン』とかでよく見かけた、超主観的解釈でエヴァを(オレとか)ダサいオタ野郎は聞いたこともないようなオサレ音楽に例えたりした「エヴァ○○論」とか、ああいうテキストって面白くもナントもなかったんですよ。(実際、この頃の『QJ』を今読み返すと、相当恥ずかしい…)
 そういうのの多くは「堅苦しいだけ・オサレなだけ・自己満足なだけ」の…ものすごく悪意のこもった主観で言うなら「作品や状況(シーン)を語りたい」のではなく、「こんなのを書いてしまうカッコイイ俺」「書き手が作品を語るということを装って自分について書いているだけ」「オタク的なフィールド(市場)へ自分のプレゼンテーションをしているだけ」のサブカルテキスト以上の物に感じられなかったんです。(異論ある人もいるかと思うけど、オレにとって「サブカル君と彼らの書くテキストの多く」ってそういう印象なんですよ。)

 対して、あさの氏のテキストが面白かったのは、関係ないこと(ラーメンの話とか)があっても「全体に盛り込んだ熱量を伝えるのに必要だったから入れている」わけで。(それを受け止めるか出来ないかってのはもう受け手の問題。)
 さらに「読ませる」ツボを色々と取り入れていたところではないかと。それは読む側の知的好奇心を満足させる情報量だったり、適度に笑わせる部分があったりとかね。

 別の書き方すると、前述の「面白くないサブカルテキスト」が「送り手側(主に自分)」の事しか考えていないのに対して、あさの氏のテキストは「送り手がいる以上、受け手がいる」ことをちゃんと意識していた。

 ただ、そのただならぬ過剰さは「出されているものを鵜呑みにして丸飲みしちゃうと毒以外になっていない」というか、「受け取る側にそれを反芻して自分で再解釈なりなんなりする能力が求められている」というのも事実で、こういう部分がオイラが「その1」冒頭に書いた
「20歳代中盤くらいまでだと「ガンプラの中におけるセンチネル」を「知識としては知っている」ことがあっても(で、よしんば当時モデルグラフィック誌を読んでいたとしても)、あの「圧倒的な情報量」とか「意図」をその年齢で当時に「受け止めることが出来た」というコトはほとんどあり得ない」
 ということの理由なんですが。
(なので、それが出来る年齢だった世代の読者は、後述するアンチだった人たちにしてもいろんな観点から楽しめたんですが。)


 こういった「一見サブカルっぽく見える」ことがハナにつくわかりづらいテキストであるとか、そういうのもあって(^^;;)、あさのまさひこ氏に対して(特に最近の「ワンダーショーケース」のプロデュースなどにおける彼に対して)、否定的(というか「批判的」というべきか)な人も多いんですが、でも実際に彼がやった「提示」ってのは凄かったわけです。


 オレが「あさのまさひこを全面肯定できるか?」と聞かれたら、それはNo。
 個人的には「狙いがあるとしても、意図的にわかりにくくするテキスト」ってのが好きじゃないから。

※ と、以前アップしたときに書いたんだけど、追記します。
 「その狙いが“相手に考えさせること”」にある場合は、この規定外だということに最近気づきました。
 でも同時に「やはりあのセンチネルを全部諸手を挙げて全肯定してしまってはいけない」というのも結論だったり。
 全肯定しちゃったら、もうその先はないので。
(『SEED』を見ても何を見ても「でもファーストに比べて…」っていう連中ってのがまさにこれだしな。)


 だけど「彼に対して否定的(もしくは批判的)なヤツらの意見」に納得できる物をいまだに全く感じたことがない…というのもオレの受け止め方です。
 それは、それらの否定意見が彼の提示した物を何一つ本気で否定できる技量も理屈も実行力も持ち合わせていないから…なんですが。
 悪い言い方すれば「自分では何も生み出せない人間が、口先だけで出てきた物を叩いているだけ」としか見えない…というかな。そんな感じ。
 実際、ネットとかで彼のことを批判しているものを読むと、あまりの「レベルの低さ」にウンザリさせられます。
 「それが何か」を考える前に「自分にわからなかった→だからコレはダメだ」という、もう語るべき言葉もないくらい低いレベルから始まり、「自分脳内の推測を、何も裏付けもせずに“事実”だと断定している」救いようのない低いレベル。
 「アレはダメだね」とか言いつつ、「んじゃ、お前の考えはどうなのか? という部分が全部スッ飛ばされている」思考が存在していない低いレベルとか。

 すでにモデラー時代の彼を知らない世代が「モデラーとしては突出しなかったヘタれ」的なカンチガイを、さも「知った風に」語ったりしているのを見ると腹が立つというかね。
 まぁ、実際は腹が立つ前に呆れ果てるので腹が立たないんですけど。
 「頼むからお前の人生で二度と金輪際語ってくれるな」とは思いますけどね。

 作例のライター時代に、彼はMG誌に「グロス(ピカピカの光沢)塗りしたマラサイ」ってのを載せていますが、この時期、ガンプラの塗装で「グロス塗り」ってあり得なかったんですよ。誰もやらなかった。
 だけど彼がそれを作って載せたとたん、全国の模型店のショーウィンドウには同じ塗装をしたマラサイがズラッと並んでしまったとかね。そういう「影響力」というかな。彼が見る側に必ず何かしらのインパクトを与える部分ってのを持ち合わせたのは事実であって、「ヘタれ」と知った風に言っているヒトタチにそれだけのインパクトがあるのか? つったら、まあ100人中99人はそんなモン持っちゃいないわけです。

 『Z』ムックの表紙になった1/20 Z plusバストアップモデルにしても、最近HJ誌が「ストライクガンダム」のバストアップモデルを表紙にしましたが、比べちゃうとお話にならないのね。その模型が持っている情報量も造形力も。(いやほんとに。なんでコレが表紙なのかと思った。>HJのストライク)

 マラサイにしても、同時代のフィギュアモデラーの中で(それは受け手として見てきた事実の評価として書くけど)他者より明らかにぬきんでていた「キレイな肌色の出し方と塗装」にしても。
 そして『センチネル』や、その後の「F1模型ブーム」にしても、現在(2002年)の感覚では「スタンダード」になっている方法論や技術ってのを、まだそれらが確立されていなかった時期に提示してきたってのはスゲエと思うわけですよ。

 で、そういうしょーもない否定をしている奴らにかぎって「自分はもっと深いことが書ける」的なこと平気で言うのね。たいがいにおいて。
 だったら書いてみりゃいいじゃん。

 だけど書かないんですよ。
 いや。「書けない」んですよ。
 ホントは書けないことを自分自身が知りたくないから「書かない」んだけど。

 なんかね、「模型を作る」「テキストを書く」の違いはあるけど、
「本気を出せば俺だってこれくらいは出来る」みたいなことは言うけど実際は手を動かさない人が多い。で、実際にそういう人が手を動かしたときにその考えている「本気」レベルの物が作れるか? というと、絶対に作れない
 …っていうようなことが『センチネル』連載の終わりに書かれていたけど、まさにそういうことであって。


 ヘンクツかもしれないけど「あさのまさひこを全肯定はしないけど、批判しているヤツらを肯定する事は根本的な部分でもっと出来ない」という感じかなあ。

 で、オレ自身「彼の方法論を否定できるほどの物を何も持ち得ていない」のも事実で、その時点で「何を言おうが、仮に否定をしようが、オレの負け」なんですよ。



 ちょっと話は逸れますが、この『センチネル』のサブテキスト部分って物をさらに突き詰めて作ってしまったのが、最近彼が出した『海洋堂クロニクル』(太田出版)だとも言えます。
 『センチネル』が表面上は『ガンダム』という物に括られているとしても、その企画の「核」たる部分は何だったのか? というと、おそらくはそういう造形やテキストに代表される「圧倒的な表現」と「それを伝える過剰な方法」であり、そういう意味では『海洋堂クロニクル』はまさに「『海洋堂』というもので括った、あさのまさひこの1人『センチネル』状態」の書籍だと言えるんじゃないかと。
 『センチネル』のムック本がオレにとっていまだに年に何回も読み返す物であるのと同じく、おそらくはこの本もオレはこれから何度も読み返すんだろうなあ。
(で、前述したような「レベル低い批判しかできないヒトタチ」ってのは、この本についても…というか、あさのがこういう物を書いたこと自体を「あさのまさひこは海洋堂の宣伝屋だから」で終わらせちゃうんですよ。
 決めつけで書くけど、たぶん実際には読んでもいないでしょう。)



★当時の反応。

 で、こういう様々な要素で成立、雑誌企画としては人気を博した『ガンダム・センチネル』ですが、これを「全肯定的に皆が絶賛して受け入れたのか?」というとそういうわけでもなく、カトキ氏の独特のプロポーションや工業的然としたデザインや、前述したようなあさのまさひこ氏の(明らかに確信犯として行っている)挑発的なカウンターの数々の提示、80年代のサブカルテイスト溢れる(^^)テキストに拒絶感を抱いた人たちも多数いたわけで、絶大な支持をする輩がいる一方で、絶大なアンチもいる…という状況。
(最近では「全肯定的に受け入れられた大人気企画だった」という評価をされつつあるけど…こういう評価って時間が経つと勝手に改竄されていっちゃうのだよな。『ガンダム』は初OA時から大人気だったとか、『踊る大捜査線』も初OA時から高視聴率だった…とか。)

 ただ、現在のスタイルの「アンチ」とは異なり、「ダサイ! キライ!」で片づけてしまうのではなく、アンチはアンチで(むしろ肯定派よりもキチンと)『センチネル』に目を通していたんですね。
 前述した「否定するヒトタチ」ってのにももちろんレベルの上下はあるわけで、そういう意味では上である「まともな否定」に接することが出来たのは連載時だけのような気もします。

 中でも有名なのは
「リアルなガンダム」を描くと言っておきながら、なぜロボットなのか?
宇宙戦闘機にすべきだったのではないか? その時点でリアルじゃない!
 …というような批判と、それに対する
カツ丼を食べながら「鰻丼じゃないじゃないか!」と怒るようなもの。
 という製作側の反論ですね。

 あくまで送り手にとっては「ガンダムというロボットがある世界観が『ガンダム』なわけで、それを外してしまったらそれはガンダムではない。」というのが核であり、「MSというものをリアルに描けるか」がキモだったわけです。


 オイラ個人は「支持しかない企画」というものにツマラなさを感じてしまう人間なので、この「支持・否定」の塩梅は、ある意味「企画物」としては絶妙の受け取られ方をした物だと思っていますが。

 89年の連載終了時には、『センチネル』はガンプラを作るモデラーにとって、肯定にしろアンチにしろ「絶対的な物として存在する」企画になってしまっていたわけです。
 模型誌(送り手)と読者(受け手)が非常に面白いスタンスで向き合っていた時代だったとも言えます。
(実際オイラはこの時期のMG誌がものすごく好きだったんですが。)


 ちなみに同時期(87年)にホビージャパン誌でも『センチネル』に対抗して(としか思えなかったが)『タイラント・ソード』というオリジナルガンダム物のフォトストーリーを連載していましたが、こちらは今ではサパーリ皆の記憶から消えています。
(オレもさっきまで忘れてた。)



★『センチネル』の扱いと、12年目のリリースラッシュ。

 で、なんでこの『ガンダム・センチネル』のオモチャが出たことがオレ(というか『センチネル』リアルタイマー達)の中で巨大なのか? というと、理由はいくつかあるんですが、根本的な部分として「実は数年前まで、『センチネル』って黙殺同然のガンダムだったから」なんです。

 どーゆーことか? というとですね、これはMG誌でも書かれていたことですけど、『センチネル』という企画そのものの成り立ちにあるんですが。
 元々、前述したように、『センチネル』が連載され始めた時期ってのは「ガンプラ」という商品にとってTVシリーズの『ZZ』も終わってしまい、新たな商品展開が無くなってしまった時期。
 そんな時にバンダイサイドからMG誌にあったのが「模型雑誌における新しいガンダム物の企画」だったわけです。
 で、企画が動き始めたんですが、そのとき『逆襲のシャア』がスタートしてしまいます。
 一転。バンダイは(当然と言えば当然だが)『逆襲のシャア』の模型展開を行うことにシフト。
 同時期に別のガンダムのプラモ展開をするわけにもいかず、『センチネル』の企画からは撤退します。
 が、すでに動き始めてしまっていたMG誌は、バンダイに許可を得た上で『センチネル』の連載をスタート。

 と、こんな感じで「バンダイの手を放れたところで展開された『ガンダム』模型企画」という、実に希有な企画としてスタートするわけです。

 んで、手を離してしまったコト。また「アニメならともかく、MG誌というある種のマイナー企画」ということもあったんでしょうが、プラモ化は夢のまた夢…みたいな企画に。(^^;)

 ところが、少し人気が出たあたり(というか『逆シャア』の模型展開が終わって出す物なくなっちゃったあたり)で、88年に主役の「S」「Ex−S」「ブースター型」「Zプラス」に関してはプラモ化が決定。
 この段階で誰もが驚いたんですがね。

 しかしプラモ化はされても、この『センチネル』ってのはその頃まだまだオフィシャルの中に入れてもらえてなかったんですよ。
 前述のように「バンダイの手を放れたところで展開された『ガンダム』模型企画」、そして「雑誌企画という非オフィシャル性」ゆえの、まあ今で言う「俺ガンダム」な扱いにしかなっていなかったというか。
 他の例え方すれば『宇宙世紀シリーズのガンダム』に対する『Wガンダム』みたいな感じ…とか、『W』じゃなければ『プラモ狂四郎のパーフェクトガンダム』みたいなもんか。
 「公式じゃないけど、こんなのもプラモでは出てるよ」というか「アマチュアの考えた俺ガンダムが、ちょっと人気出たんでプラモ化してみました」とかそんな感じ。
(このへんが、あさの氏とかが時々書いていた「『センチネル』の鬼子あつかい」なんですが。)

 プラモ化されても、MG誌で掲載されていた物とは各部の形状やバランスの解釈が著しく変えられていたり、モールドが甘いなど、バンダイによる「間違った解釈」は待ち望んでいたユーザーにとっては「イヤガラセ」以上の物になっていなかったり。
(それでも「プラモ化された」ことだけで喜べた時代だったんですけど。)

 まあ、数年前からやっとこさ公式の中にも入りましたけど。
 これは「いいかげん無視できなくなってきた」という側面の方が大きいような気もします。

※ただ、補足しておくと、「『センチネル』の〜」としてではなく「ガンプラとして〜」評価した場合、バンダイサイドにしてみれば「子供のプラモ離れがメーカーにとって深刻な問題となりつつあった」時期。また「SD世代をどうやって上のプラモの購買層にシフトさせていくか?」の模索時期だったわけです。
 その中である意味「俺ガン」のセンチネルアイテムというのは「SD的な独自のカッコイイオモチャ」であり、コレをリリースするにあたってパーツをある程度色分けした「色プラ」構造にしたり、水性デカールではなく「シール」の導入など、当時のバンダイの「プラモ」と言う商品への考え方の変貌であるとか、「いかに初心者を取り込むか?」の苦労や工夫が随所に見えるキットではあります。
 最近、新規金型でリリースされたHGUC1/144『Sガンダム』などは、この旧版の難点であった「バランス」「プロポーション」なども改善され、また10数年間の技術の進歩によるさらに進んだ色プラ技術で、もっと良い物になってます。


 なんつーか、バンダイ的にも厄介な扱いのものだったようです。
 なにがどう厄介か? というのは、昨年ガンプラでHGUC1/144『Sガンダム』などがリリースされたときに噴出したわけですが、その時のMG誌の記事によれば、結局「バンダイの手を放れた(というか、バンダイの都合で企画立ち上げ途中でバンダイが手を引いた)所で作られた『センチネル』」に関しては、当時のバンダイとの約束で「MG誌にも商品化に関する権利(いくばくかの商品化権のようなもの)」があるらしいんですね。
 ところが同記事内でプラモを扱うホビー事業部の川口氏が語っていますが、内部にこれを知らない世代が出てきているとか、オモチャ関連の部署は知らない…とか。「ガンダムの権利はウチが持っているんだから」と思っている。
 すでに10年以上を経た中でこういう「誤解」すら生み出してしまったことが厄介…というか扱いが実はビミョーというか。
 なので、GFFというオモチャ商品を、もともとMG誌がほとんど取り上げていなかったことを考えても、「自誌(MG)から生まれたEx−Sのトイ化に関する記事がほとんど載っていない」ってのはある意味「不自然」だとすら思えちゃうんですが。

 こんなふうに厄介なんだけど、いまだにトラウマとして人気はある。

 この矛盾にも似たことから、いいかげん無視の出来ない『センチネル』は、マスターグレードシリーズのリリースラッシュの中で再び脚光を浴びます。
 実際、今年のガンプラ市場におけるマスターグレード及びHGUCシリーズの展開の中での「『センチネル』率」の高さは、ある種の驚きというか意味合いをもう一度考えたいくらいに集中したと言えるでしょう。

 例えば1/144のHGUCでは昨年から『S』『Ex−S』に続いて、ついに『ザク・アイン』がリリース。
 マスターグレードでは『FAZZ』『Z plus』に続いてついに『S』が完全変形可能モデル(!)でリリース。
 マスターグレードの特徴として「金型(というか正確には設計CADデータ)流用が簡単な物はリリースする」というラインがあるので、『Ex−S』が発売されるのも時間の問題でしょう。
(これをはじめに書いた数ヶ月後にリリースされました。)

 さらに『GM改』と『ザクF2』。
 これらはOVA『0083』からのキット化ですけど、実はこの『0083』。ホントーは(企画時は)『センチネル』のアニメ化というハズだったんですな。(マジで。だからスタッフリストに『センチネル』関係者がやたら名を連ねているんですね。)

 それがまあ流れてああなっちゃったんですけど、これに登場した「GM改」と「ザクF2」って、『センチネル』を連載で読んでいた人は知っていると思いますが、連載の最終回に登場したんですよ。
 連載のラスト2回は「これまで読んでくれた読者ちゃんへのスペシャルプレゼント」みたいなネタで、『センチネル』的模型造形による「ソロモン攻略戦」が載ったんです。
(これはムック本発売後に「オマケ」として掲載されたため、ムックには未収録。)

 で、ここでカトキハジメによりリデザインされた「GM」と「ザク」がアレ。
 (他にリデザインされた「ボール」と「ビグザム」。そして「ガンダム」も登場。このガンダムが現在いわゆる「ver,Ka(カトキ版)」と呼ばれている物です。)
 そういう意味ではこのGMとザクも「『センチネル』からのキット化」と言えなくもない。
 さらに12月にはついに「カトキ版 RX−78」もマスターグレードで出るので、ますますもって…という感じです。


 長いけど、この項、あと1回続きます。

【つづく】

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