今頃観てるぜ。夏映画。1
2002/09/07


 医者と話をしていたときに、「どこか行きたいところはないのか?」と聞かれ、マッハ即答で「グランドライン!」と答えそうになった管理人です。
 寸止め。
 答えたが最後、別の薬も処方されるんでしょうなあ…。

 だって、スゲー行きたいんだもん。>グランドライン

 で、こういうバカ丸出しな事を言っていたことがキッカケ(とは思わんが)で、東映宣伝部の方に会う機会があり、『ワンピース』のストラップ貰いましたよ。


 さらに、秋葉原に行って帰ってきたら…アラ!
 お財布の中から2万円ほどが消えていました。
 不思議だにゃ〜って感じです。
(なにが「にゃ〜」なんだか…。やっぱ別の薬も処方された方がいいんじゃ…)


 さて、学生の夏休みが終わったので、やっとこさオイラも夏映画を観始めました。
 いやもー、一気に。毎日劇場に行っております。(ヒマなの?)

 以下。つらつらと感想など。

 あ、巨大にネタバレてるんで、これから観る方は読まない方がいいかと。



★『リターナー』

 なんか空いている…
 『ジュブナイル』に続いて興行的には失敗するのかなあ…。
 不満点もけっこうあるんだけど、映像的にもストーリー的にも『ジュブナイル』に続いて相変わらず良くできています。
 ムダがないし、思わずニヤリとさせられてしまうシーンも多々。
 いい意味で観る側を裏切るシーンもいくつかあるし。

 相変わらず日本映画に珍しい「ちゃんとしたSFしている」んだけど、今回チョット残念だったのは「ストーリーの先が読めてしまう」ところ。
 「説明的」過ぎるところが多少感じられたのもちょっと。
 あと、説明していた小道具の設定が上手く使い切れていないところ。例えばソニックムーバーの「使用回数制限がある」ことや、「残弾1」だった未来の銃の設定とかね。

 予告編などから『マトリックス』のイメージなのか? と思ったんですけど、どちらかというと「ジョン・ウー映画」でした。

 で、ジョン・ウー映画などからの影響は大きく感じるし、「そういう映像」のオンパレードであるのはソレはソレでいいんだけど、残念なのが「コレが『リターナー』のオリジナルだ!!」っていうのが(映像的に)無さ過ぎるところかなあ。

 とかマイナス面ばかりを書いてしまっていますが、「つまんないのか?」と言われたら「NO!」ですね。面白かったですよ。
 何というか、オレの場合「気に入り過ぎてしまったので、逆に不満点がよけいに気になってしまった」という感じです。

 キャスティングは非常にヨカッタすな。
 特に岸谷五郎の徹底した悪役は非常にいいです。

 山崎貴監督は『ジュブナイル』もそうだけど、こういった入り組んだ物語のシナリオを自分で書けてしまうところ&自分でVFXも手がけるために「完成した映像が自分の頭の中で明確化している」のが最大の強みでしょう。
 この人に『ゴジラ』撮って欲しいよなあ。

 前述のように既存の映画のパクリ映像が多いという意見もあるかも知れないけど、でも(不満点として書いておきながらも)使いどころが上手いというか、前述の「SF的な部分」もそうだけど、この人は明らかに「センス」があるというのは感じたところです。
 それはだいぶ前にサイトに書いた、ゲーム『エネミーゼロ』の泣けて来るくらいどうしようもないSFセンスの無さと、物語的にはボロボロで評価のしようもないんだけど画面構成やセンスはちゃんと「映画」していた『FF(映画)』の差みたいな物で。
 そのへん汲み取れるかどうか? ってのは受け手のセンスの問題になっちゃうんだけど。
 で、『ジュブナイル』や『リターナー』が面白くないって人はもう、そういう「受け手のセンス」ってのがどこかしら欠如していると思うんですよ。わたしゃ。
 そういう人にはどう逆立ちしたって面白くないだろうなあ…とも思ってしまうんだけど。
 と、書いているとものすごく「閉鎖的」な感じがしますが、そもそもSFってそういう物だと思うんですよ。
 だいぶん昔に「士郎正宗はストーリーが描けない限りSF作家でいられ続ける」という評を読んだことがあるんだけど、それってのもソレに近い。
 ゆえに「山崎の映画はSFだなあ」とオレは思うわけです。

 邦画としての評価って点では、なんつーか、邦画をバカにするヤツってのはよくいるけど、「そういうヤツに限って大して邦画を観てもいねえくせにバカにしている」ってのがオレの経験則なんで、そういう人の意見はドウでもイイです。
 観もしないで勝手にバカにしててください。

 前述したように不満点もあるんですが、オレの中で「山崎は先物買い」というか、こういう人に映画撮り続けて欲しいんで、将来への投資って意味でも観る意味はありましたな。



★『スターウォーズ エピソード2 クローンの攻撃』

 今頃やっと観ましたよ。
 しかもナゼか(あえて)日本語吹き替え版で観てみました。
 キャスティングは雰囲気に合っていて非常にイイかと。
 ナタリー・ポートマンの声は坂本真綾。サイコウ!

 相変わらず「全体が見えない」というか、そんな感じが強いんだけど、個人的には『EP1』よりは遙かに満足。
 後のEP4〜6に通じる部分がかなり描かれていたからかも。
 前作でとにかく納得のいかなかったメカデザインもEP4以降の物に繋がるデザインラインが導入されていて満足。
 また、ベーダーの右腕がなぜ機械だったのかも判明。
 EP4に出てきたオーウェン叔父さんについても判明したし。
 ドラマ部分もアナキンがフォースの暗黒面に捕らわれていく様がいい感じで描かれていたか。

 演出的にも気に入った部分は多々ありました。
 母を助けに行くところで、アナキンのシルエットがEP1のポスターのように「なんとなくベーダーっぽく見える」ようになっていたり(彼のローブの色が「黒」なのもそういうことなのだろうね。きっと)、ラストのクローン兵&戦艦が出撃するシーンで「帝国軍のマーチ」が使われ、後の歴史を示唆していたり。
 またラストのアナキンとパドメの結婚シーンが、本来「祝福されるべきこと」であるにも関わらず、それを見届けているのが物語全てにわたって絡んでいくC−3POとR2−D2という「ロボットだけ」というのも皮肉っぽくていいすな。

 クライマックスの戦闘シーンは圧巻でした。
 ジェダイ騎士団の総力戦が見られただけで満足。
 ヨーダのアクションシーンなんか興奮物。カッチョよかったす。

 不満としてはEP1同様「なんであの事態が起きたのか?」が相変わらずわからないこと。
 複雑すぎるんじゃないかなあ…。
 あと、「アナキンの母親の死」のシーンが「アナキンに憎悪を与えるためだけに設定されているだけ」なのが……もうちょっとどうにかならなかったのか?
 イキナリ助けに行くことになって、再会したとたんガクリ…って…都合良すぎ。(悪すぎ?)
 これがドラマ部分というかシナリオレベルで一番気にくわなかったところかな。

 根本的な部分で残る最大のナゾは、EP2ではクローン兵は共和国側の兵であるわけであって、あれが今後、どのようなことが起きて「帝国軍」となるのか? か。
 これがEP3で明かされるのだろうけど。

 つまるところEP1〜3というのは、おそらくハッピーエンドという物はあり得ないわけであって、このシリーズは「アナキンとパドメという2人の主人公達だけでなく、銀河全体が破滅に向かっていく課程を描く物語」になるわけだ。
 ………もしかしてこの2人が激ラヴにならなければ後の歴史はああはならかったんじゃないのか? (-_-?)


 とか思いつつ観ておったわけでしたが、どーでもいいこともつらつら考えてしまい…。
 EP1公開時に、取材でインタビューした田中真紀子さんすらも「可愛くて最高!」と言わしめたショタっ子アナキンがあんなイケスカナイやつに育ってしまうとはジェダイ騎士団の情操教育には疑問を禁じ得ないなァ…とか。

 お腹出しルックのナタリー・ポートマン最高!とか。(^^)
 いや、マジで興奮したよ。ハァハァ…
 んで、この「全身白タイツ」のポートマンのコスチュームですが、なんかオレには「胸ポチ」が見えたような気がして…
 「!!!」とか思っていたんですけど、友人に話したら「君の妄想に乾杯!!」と会話終了されてしまいました。
 オレのフォースでは見えたんだよ!!
 やはり妄想? 幻覚?

 ところが!! 最近「DLPで観ると胸ポチが見える」という噂を聞きまして。
 やっぱ幻覚じゃなかったんじゃないかなあ…

 ああ、あとジャンゴが己のレプリカクローンであるボバをお稚児さんにしちゃったら「近親相姦」と「ショタ少年姦」と「ホモ」と「ナルシズム」がいっぺんに出来るのだろうなぁ…とか。

 見終わってから無性にジャンゴ・フェットのフィギュアが欲しくなり、夜、バイクかっ飛ばしてアキバのホビットに行って購入。(^^;;)



★『ボディ・スナッチャーズ』(94)

 全然、劇場作品じゃない上に古いんですけど、前2本からの「SF映画繋がり」って事で。
 WOWOWで『ボディ・スナッチャーズ』(94)をやっていたんで観たんですが…。
 「ビデオ借りようかなぁ…」と思い続けていた作品だったんで。
 原作はジャック・フィニィの名作SF小説で、過去に2回映画化されていますな。
 でも、そのドン・シーゲル版、フィリップ・カウフマン版に比べるとかなり劣りました。(かなりなんてモンじゃないか。)

 赤狩り旋風の中、「隣人がもしかしたらスパイかも知れない」という社会不安をベースにしたドン・シーゲル版。『ボディ・スナッチャー/恐怖の街』(56)
 「70年代末期から80年代初頭の、壊れゆくアメリカの家族というものへの不安」をベースにしたフィリップ・カウフマン版。『SFボディ・スナッチャー』(78)
(あの「人面犬」が出てくるヤツね。同じテーマを描いた『普通の人々』同様、両作ともドナルド・サザーランドが出ているのは偶然か? ^^)

 共にその「時代背景」が巧みに作品に含まされ、そこはかとない哀しみとかかもし出す傑作だったと思うんですが、この94年版にはそういう物がまるでないです。
 「思春期の少女を主人公に据え、彼女が周囲に不安を感じ始める」というアイデアはいいと思ったのだけど、それが活かされていない。描写が決定的にヘタ。

 別の考え方をすると「90年代が、いかにそういうもの(象徴されるような社会不安とか)がない空虚な時代であったか。カルチャーもカウンターも何もない時代だったか」(それは「全く面白くない時代だったか」「全部終わってしまった後の時代だったか」と言い換えてもいいかも知れない)を表してしまっているようにも思えました。

 「クソつまらない90年代に10代(青春期)送るハメにならなくてよかった」とは常々思っていることなんですが、やはりそう思わされた映画でした。

 ああ、余談だけど、例の「サヤエンドウ」から出てくる宇宙人が発する「あ”〜ッ!!」という鳴き声もなんか気にくわなかったなあ。
 78年版の叫び方は結構好きで、時々宴会芸でやるんだけど誰もわかってくれないのが哀しいですな。



【了】

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