男子から見た「リアル」と「デフォルメ」と
「萌え」のボーダーレス
その2

text : 岡野勇

2002/06/15


 前回の続きです。
 よくまあこんなどーでもいい話題をここまで長々書けるものだと、我ながら驚いている今日この頃。

 皆さん読んでくれているのかしら? とか思ったり。

 他に語るべき事があるだろう。『コスモス』の打ち切りとか。んで「アヤノ隊員の写真集は今のウチに買っておくべきか?」とか。
 『シュガー』フィギュア(彩色済み)。あと2個はどうやったら金をかけずにゲットすることが出来るか? とか。
 しかもテキスト中にさしたる笑いも入ってないし。

 オマケに、コレ書くのに資料として最近、常時カバンに『妹!』&『C!!』&ある理由から「エロイラスト」「エロ本」とかいろいろ入っていまして…。
 他にもガチャとかフィギュアとか入ってますケド、このへんはオールタイム持ち歩いているようなものですが。

 ま、交通事故だろうがフーリガンに襲われるだろうが、何が起ころうとも「今だけは外出先で死ぬわけにはいかねえ」って感じですよ。
 いいですね。生きることに前向きになれます。


 あ、その前に前回『C!!』の読後感で書きました…

> もっとも「同人女性」という当事者ではないオレがこれを読むというのは、「女性サイドが『妹!』を読むのと同じ様な物」という、立場による受け取り方の違いはあるのだろうな…と。
> だから女性からよく聞かれる「イタい」って感じまではおこらなかったんですけどね。

 …ですが、訂正します…。
 ちょっとズキズキ来る部分がありました…。(実は「ちょっと」どころではなかった…)

 夜中に、ただでさえ睡眠障害なのに、やっとこさ寝付いたと思ったら夢で思い出してうなされて目が覚めました…。
 おかげで今日はスゲー眠いです…。
 「どのへんが?」というのは武士の情けだと思って聞かないでください…。(T▽T)


 とかまあ、なんか思い当たる男子も思い当たらない男子も、「あれを女子ではなく男子側」に脳内変換すりゃあワリと思い当たるフシがあるヤツは多いのではないかな。
(なんか自分への言い訳くせえな…)




 とりあえず本題に入ります。

 前回書いた経緯で『C!!』を読んだのですが。
 で、面白かったんですけど、読後、オレが「なんとなく座り心地の悪さ」みたいな物を感じたのも事実です。

 ただそれは「描かれている同人女子のリアル感」とか「そのへんがわかんねー」とか、そういうことじゃないです。

 なんかこう…もっと根本的な「『C!!』というマンガそのもの」への「座り心地の悪さ」なんですが…。

 一体コレは何なのだろう?

 とか思いつつ布団に入りまして。
 で、例によって薬物による副作用の睡眠障害で寝れなかったり何だったりして、やっとこさ眠りについたと思った午前7時。

 いきなり「あ!!」と気づいたもんで起きあがって速攻メモとか取り始めたりして。

 大丈夫か? オイ? って感じですね。我ながら。
 寝ろよ。


 で、このマンガの「何に」「どうして」座り心地の悪さを感じたのだろう? と思ったんですが、わりと簡単な答でした。

 「この座り心地の悪さって、他のマンガでも感じたことあるなー…」と思ったんですが、それはナニかというとですね、親バカな方が時々描いてしまう「子育てネタマンガ」とか「自分のペットをネタにしたマンガ」を読んだときの気分だったんですよ。


 いや、別にそれらが悪いってんじゃなくて(ああ、何で今回こんなにいろいろ気を使う文章になっちゃっているんだろう…)、誰でもあると思うんですが…もっと一般的な例えでしますと…

「友人に子供の写真を見せられて、自分の子供がいかに面白いか。可愛いか」を得々と話されるコト

 …ってあるじゃないですか。
 いやまあ、その行為自体はその親御さんの子供への愛情あふれる行動だと思うので、オレは温かい目と耳を持って聞くんですが、でもまあ「なんか座り心地悪いなあ…」という感は拭えませんわね。
 「困っちゃったなあ…」というか。
 そりゃ仕方ないですよね。
 「別に面白くないよ」とか「別に可愛くないじゃん」とか言うわけにもいかないでしょ。
(いや、もちろん中には他者が聞いてもホントに面白い話とかもあるんですが。ああ、ホントにいろいろ気を使って書いているなあ…)


 で、「子育てネタマンガ」とか「自分のペットをネタにしたマンガ」の本質ってそういうことじゃないですか。

 「あ、自分の子供(あるいはペットちゃん)はなんて可愛くて面白いんだろう! これはネタになる!」「ほら、可愛いでしょ?!」みたいな。


(えー。不用意に敵を作りたい性格でもないですし、「人生でこれ以上人に恨まれるのは御免被りたい」と思っているので再三書きますが、別にそれを非難する気も悪いと言う気もないです。そのへんはわかっておいてください。)


 んで『C!!』に感じた「座り心地の悪さ」ってのもそういうことだったんです。

 それは『C!!』が『妹!』のような極度のデフォルメではなく、彼女たち(オタク同人女性)に「リアルさを描いている」と評されているということが、逆に生み出してしまっているんだと思いますが。
(なので『妹!』には感じなかった感覚です。)


 どう言うことか? と言いますとですね、なんか『C!!』って…

「自分たち(オタク同人女子)は、面白い人種ですよう」

 …というのを見せられているような感じがしたんです。

 彼女たちにとって「リアル」であるそれは、男子であり外野であるオレからすると、自分たちのダメな部分も含めて「面白く」「ファンタスティックに」描かれている。
(逆に『妹!』ってのは彼女たちのダメな部分も含めて「面白く」「さらにひどく」デフォルメして描かれているのだと。最も『妹!』は「オタク男子」に対してはもっとヒドイ描き方してますけどね。)

 つまり彼女たちが『C!!』を読んで「イタいけど居心地の良いマンガ」「肯定的な作品」になるのは当然なんじゃないかと思ったんです。



 で、このことをふまえた上でやっとこさ 3)に触れます。

 そもそも「オタク女萌え〜」とか言っている男ってのがオレはわからないんですが…。

 いや、それは「なんでオタク女に萌えるの?」ってことじゃなくてですね、これはもう「反『妹!』」の人たちが言っていることがわからなくもないんですが…

 なんか、幻想持ってるよね。
 幻想を持っているってのも彼女たちに対して語弊があるというか失礼というか、誤解を招きそうな表現なのでもう少し正確に書くと「自分たちのアタマの中で勝手に想い描いた「オタク同人女子」というものに幻想を持っている」んだと思うんですよ。

 それは「彼女たちの悪い部分を見ていない」ってことじゃなくて、「いいところも見ていない」。どちらも見ずに勝手に想い描いちゃっているだけなんじゃないか? と。

 で、「なんでそうなんだろう?」と考えると、コレもわりと簡単な答のような気がするんですが、「オタク女萌え〜」と言っている男子たちって、実際に身近とか友人・知人にオタク同人女性がいないんじゃないか? と思うんです。
 いないからこそ勝手な想像や妄想だけで「僕の考えた超人」じゃないですけど、「僕の考えた萌え同人女」ってのを生み出してしまっていて、それに萌えているんじゃないかと。

 もしくは「俺たち、まともな恋愛勝負したら絶対にモテないけど、オタ女なら自分たちと同じ人種だし大丈夫だろう」と勘違いしているか、「オタ女子ならどうにかなるんじゃねえのか?」というような「彼女たちに対してナメた考え」があるんではないか? と。

 なのであんまりコレ(「オタク女萌え〜」とか言っている男子)については、女性サイドはムキになる必要はない…というかアウト・オブ・眼中にしてりゃいいと思うんですけどね。

 彼らの悲劇って、現実がイマイチわかってないと思うんですよ。
 何が悲劇って、彼らは「オタク女に萌え」ても、オタク女子はオタ男子に萌えてませんから。
 そのことわかってないよね。
 だからオレは、彼らは実際に身近とか友人・知人にオタク同人女性がいないんじゃないか? と思うんですが。いたら「自分たちが箸にも棒にもかけられていない」ことくらいわかるでしょ。
(ああ…ついに男子にもこんなことを…)


 ただ、ここに問題があって…
 何か? と言うと、『C!!』を読んで思ったんですが、実は彼女たちが忌み嫌う「オタク女萌え〜」男子を生み出しているのは、他ならない彼女たち自身なんじゃないか? と。
 それはもちろん「意図的に」ではなく「結果的に」なんですけど。


 例えば、作品の記号や、パッと見の印象で比較してしまえば、『C!!』と『妹!』の「男子が感じる萌え」比較は

 『C!!』<『妹!』

 だと思います。それはもう圧倒的に。

 しかし実際に両作を読むとですね、これはあくまで「オレの主観」ですが、少なくともオレは『妹!』には萌えなかったんですよ。
 それは前回・前々回にも書いたように。
 萌えるわけがないですわね。

 だけどね、先ほど「オタク女萌え〜とか言っている男ってのがオレはわからない」って書いておきながら矛盾してるかも知れませんが、オレ、『C!!』を読んで、あそこに描かれている女子にはちょっと萌えました。

 たぶんね、実際に両方読むオタ男子が他にもいた場合、「男子が感じる萌え」比較は

 『C!!』>『妹!』

 になるんじゃないかと思うのですよ。

 そう。当事者である彼女たち自身が「リアルだ」「これでも萌えられるか、ゴルァ!」と言っているこっちの方に「萌え」を感じちゃうんです。

 なんででしょう?

 それは考えるに1)・2)に繋がって行くんですが、前述のように少なくとも男子であるオレには『C!!』は「自分たち(オタク同人女子)は、面白い人種ですよう」と言っているように受け取れる。

 彼女たちにとって「リアル」だというそれは、たとえそれが本当にリアルだとしても、「ある種の美化がされている」と思うんです。
 だって「自分たち(オタク同人女子)は、面白い人種ですよう」という表現になってしまっているんですもの。

 それは「こんなにダメな私たちって、なんて面白いの」というような、例えるなら「負のナルシズム」とでも言いましょうか。

(「面白いの」というのは適切な表現ではないかも知れませんが、他に言葉が思いつかなかったもので…。文意をくんでいただけると嬉しいです。)


 それって「ドジっ娘萌え〜」と同列のライン上にヒットしちゃっても仕方ないんじゃないかなあ? とか。
 正確には「ドジっ娘萌え〜」のもうちょっと「先」ですかね。

 「だって同人女の頭の中はヒドイ妄想でいっぱいなのよ!」という意見もあるかも知れませんが、『C!!』の中に「他人の思考を読めるエスパーが、道ですれ違った同人女子の頭の中を見てしまって発狂する」というエピソードがありますけど、これは別に「女子の方がヒドイ妄想している」ってわけじゃなくて。

 『妹!』で描かれていたように「オタ男子は中途半端に純」ですから、妄想をあまり語らないだけで、男子だってけっこうヒドイですよ、アタマの中は。
 中にはそのまま○○病院に放り込んだまま外に出しちゃならねえようなこと考えているヤツだってゴロゴロいるわけですし。(誰だよ?)

 「それはオマエだけだ!」
 …とかいうのだけはカンベンしてください。>他男子。
 オレ以外のみんなだって、同じようなハズだ!!


 つまり「ヒドイ妄想をしている」レベルは「それが外で語られているかどうか?」という差異はありますが、わりと同等だと。
 つまり「チャラ」なんです。プラマイゼロ。

 で、それらをふまえて、さらに言えば、男子から見て「オタク女子」って楽しそうに見える部分があるんですよ。
 なんなんでしょうね。
 少なくとも「同人」というものに限って言えば、明らかに女子の方が楽しんでやっているように見えます。
 それ自体が「幻想」だと言われてしまうと困るんですが。


 だけど、そういうことを考えていくと、そこに彼女たちに対するある種の「面白さ」や「魅力」や「憧れ」や「幻想」を感じてしまう男性が出現するのは、これはもう致し方ないんじゃないですか? と思うのですよ。


 皮肉なことに女子側は「リアルな自分たちは、オタ男子の理想像としての「オタク女子」ではない」と考えている人が多いのですが、この2作品を比べて、この2作品だけで論じるなら、少なくともオレは『C!!』の女性達の方が魅力的だし面白いと思いますよ。うん。

 そこに「境界線」はあるんだけど、それは果てしなく「存在するけど存在しない」(もしくはその逆)という非常に曖昧で、中途半端な「境界線」なのだなあ…とか感じた次第です。



 いい加減ムダに長いんで、そろそろまとめに入りたいと思いますけど、つまり「この状況」でオレが何を思ったのか? と言うと、「反『妹!』・肯定『C!!』」とか「オタ男子はわかっていない」とか言っている人たちって、「自分たちを理解されたくない」。「自分たちを不可侵領域にしておきたい」だけなんじゃないかなあ? と思ってしまったんです。
 もちろん全員が全員そうだとは思いませんが。


 でも、「理解されないことで、アイデンティティを維持し続けている」というか、「理解されないことをやっている自分が好き」というか。
 あえてヒドイ書き方すれば「マイノリティであることに喜びを感じている」というか。
 そして「外部に対して理解を求める言動をする気がない人たち」。
 「理解されない」んじゃなくて「理解されたくない」人たち。
 そういう人がいるような気がしたんです。


 これは何も彼女たちに限ったことではなくて、他にもいますね。
 「一部のバイク乗り」とか「一部の押井信者」とか「一部のミュージシャン信者」とか「一部のアートシアター系映画バカ」とか。

 表向きは「理解されたい」「理解されないから…」的な発言はしているんだけど、だけど実際は「理解されようとしていない人たち」。


 なんかね。以前BBSに書いた「私と押井守」でオレは

> オシイスト強行派にしてみれば「記号論的解釈が理解できない者は押井映画をわかっていない」という考え方なのではあるまいか?
> そしてその「理解されていない(自分たちだけが理解している)監督(作品)を盲信」する事で「自らのマイノリティ的立場に酔っている」フシさえ感じられる。
> そう。マイノリティであることに存在意義がある彼らにとって「多数の他者に理解されてしまうことは存在基盤が無くなる」わけだ。だから彼らは「自分たちが盲信している物が何で、どう素晴らしいのか?」を伝えようとはしないし、その方法や言葉を模索しない。

 と書きましたが、なんかそれに似ちゃっているんじゃないかなあ…と。

 で、それを「伝える」人が女子内部からなかなか出現しないのが彼女たちの悲劇でもあるのかも知れ無いなあ…とか『妹!』&『C!!』を読みつつ、男子のオレは思ってしまったわけです。



 ………ハァ…
 今回のテキスト。いったい何人の敵を作ってしまったことやら…。
 まあ、「男子」であるオレは、このようなことを思ってしまったわけです。
 男子の中にも「そうはおもわん!」って人もいると思うから、男子側の総論だとか言う気はないですが。


 長々書いた後の今の気分としては、『トーク・レディオ』というオリバー・ストーンの映画があって、「心の中で泣きながら自分の愛するアメリカに罵詈雑言・ツバを吐き続けるラジオDJ」の話なんですが、そんな気分です。
 ちなみにこの映画の主人公は最後に殺されちゃいます。(^^;;)
 実話らしいけどね。

【了】

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