『仮面ライダーアギト』<完全版>
を想像してみる。

2002/02/08


 ビデオデッキが壊れました。
 まあ、10年使っていた機体だったし、使用頻度の多さを考えたらよく働いてくれたでしょう。
 とりあえず新デッキを買いに行きましたが、「S-VHS」「BSチューナー内蔵」「出力2系統装備」の条件で探したら、わずか3機種しかありませんでした。選択肢が無いなあ…
 とりあえず買いましたが。

 今、オレの中で猛烈に(それもハンパでなく)「欲しい指数」がギュインギュインと上がっているのが「DVDレコーダー」です。
 それもHDD内蔵のヤツ。
 レコーダーは現在「DVD-RW」を使う物と「DVD-RAM」を使う物の2種類が発売されていますが(どちらも「R」で焼けば互換性はある)、HDD内蔵は現時点でRAM陣営しか出していません。
 激烈に欲しいです。
 普通の使い方ならそれほど必要性がある物でも無いと思われますが、複数作品を保存録画している現状などを考えると、ある意味ベストマシンです。
 例えば同じ日に「見たいから録画する番組」の後に「保存録画したい作品」が放送だったりすると、これまではちょっと困っていたんですが、HDDだとまとめて録画して、保存したいのだけ後からダビングで焼いてしまえばいいわけで…
 いらない部分だけ消せるのも魅力的。
 メディア単価もこの半年で400円以上下がったし。
 いつ買ってもおかしくねぇって感じです。



 さてさて。そんな前置きはともかくとして、『仮面ライダーアギト』もついに1年間の放送が終了しました。


 評価の高かった『仮面ライダークウガ』の後を受け、期待と不安が入り交じる中でスタートした同番組だったわけですが…
 あちらこちらから耳に入ってくる話を聞いていると、「『クウガ』信者」に言わせると失敗作だそうです。
 オレ感想としては「良いも悪いもいいとこ勝負」って感じですか。
 確かにクウガに比べて劣る部分はかなりありますが、反面、勝っている部分もありましたし。(「クウガ信者」の人たちはこの「勝っていた部分」を認めようとしないわけですが)

 特に3クール目の謎が解けていくサスペンスは上手いと思いました。
 野沢尚先生の『眠れる森』や『氷の世界』のようなクソサスペンスドラマなどより1000倍(オレ脳内比)は上手かったと思いますよ。

 また、1年を通しての「登場人物のバリエーションの多さ」と、そこから生まれる人間関係の多さは確実に『クウガ』よりも豊かでした。(これはオレが『クウガ』で感じた最大の不満だったかもしれません。短いスパンの作品ならともかく、1年間を通して見せるドラマとしては、キャラの立ったメイン人物が少なすぎました。もちろん、多ければいいってワケではないんですが。)

 『クウガ』は確かに良くできていましたし、面白かったです。
 ストレンジな「異色作」のように見えながら、その実は「皆のために戦う仮面ライダー」という、かつて1作目の時に脚本家の市川森一が提唱し、原作者の石森章太郎も感銘を受けたという『仮面ライダー』の基本理念そのままの作品だったことは驚きでもであり、「やはりこれは仮面ライダーなのだ」という作り手のメッセージも感じ取れました。

 しかし『アギト』を1年を見終えたオレ感想としては、いちおう満足はして(合格点はとって)見終えることはできました。
 けれども「傑作になる要素は秘めていたが、開花しきれなかった。」というのが正直な印象です。


 ダメだった部分では、根本的な問題でやはりシリーズ構成そのものに欠陥があったと思います。
 2001/07/19のオカノ通信「『仮面ライダーアギト』ってどうよ?」で書いたとおり、「何が起きているのか」がわかるまでが長すぎました。


 あの2クール終わりまでは、せめて1クール以内でまとめるべきだったと思います。
 3クール目の「謎が解けていく」展開は2クール目で見せるべきでした。
 で、4クール目の展開は3クール目で。


 んじゃ、4クール目は何をやればよかったの? というと、あの4クール目って、ものすごく「足りない」んですよ。いろいろと。

 ここがオレの感じた「傑作になっていたかもしれないのに秘められてしまっていた要素」なんですが、4クール目にあった「氷川の目に異常が出る」とか「北条がアギトはもしかしたら人間の敵になるかも知れないと考える」という展開は、実は本来かなりウェイトが置かれていた部分(もっと膨らますつもりだった部分)なんじゃないかと推測しています。

 「氷川の目に異常が出る」というのは、オレ推測としては「氷川がアギト化」もしくは「アギト化(純粋な人間ではなくなる)するんではないか?と恐怖に襲われる」とか、そういう風にするつもりだったんではないかなあ…と。(本編中ではアッサリ「治りました」で終わってしまっていて、そもそも何のために設けられたシークエンスなのかが全く不明でしたが。)
 主人公3人の中で「自らの意志で、望んで闘っていた」のは純粋に人間であり、刑事である氷川だけであって、他の2人はアギト化してしまったことによって闘いに身を投じざるを得ない立場だったわけです。(「もっとも「個々が闘う理由」は物語の中で見つけていったわけですが)
 その氷川が人間ではない者(アギト)になってしまったときに、これまで同様の「理由」を維持できるのか?
 もしくは「人間ではなくなるかも知れない恐怖」にどう立ち向かうのか? とか、そういうことをやるつもりだったんじゃないのかなあ? と。(結果的に「氷川がアギト化」する必要はありません。その課程・その中でのドラマを描くつもりだったんではないか? ということですので、「アギト化は起こらなかった」というオチでもいいわけです。)

 で、同時に北條が考えてしまった「アギトは人間の敵になるかも知れない」が展開していくと。
 これはセリフとわずかなシークエンスのみで見せて終わらせてしまっていましたが、たぶん本来かなり大きな部分にしたかったんじゃないのかな? と思いました。
 「思いました」っていうか、そうでないとそれまでの展開や、見せてきていたこと(特に「翔一の姉の死」と「本物の津上翔一」と「真魚の父の死」)に対して、オレは納得できないんですが。

 作品中に登場したアギト。翔一と涼は「たまたま」悪人ではありませんでした。
 3人目のアギトである木野も、本質は悪人ではありません。
 結果、彼らは、アギトとしてアンノウンと闘いましたが、だけどあの「アギト(人の秘められた進化の可能性)」という不確定未知数であるものを考えると、いずれ出現する他のアギトが「悪人ではない」可能性や保証は何処にもないわけです。
 あの場に現れた3人のアギトが「悪人ではなかった」のは、本当に「たまたま」でしかないわけです。

 むしろ、「悪意のある人間がアギト化する」可能性は非常に高いのかも知れない。
 北條が推理や調査の末に行き着き感じたこの不安は、「アギト」などというチカラを持っているわけではない、ただの人間の彼にしてみればある意味当然であり、「仮面ライダーはヒーローだ」というTVの前の視聴者感覚ではなく、「あのドラマの中の世界の人間」のほとんどが持つであろう反応の代弁であると言えます。
(だって、オレらのいる世界にあんな能力持っているのがイキナリ現れたら、オレらがそれを簡単に受け入れられるわけ無いじゃないですか。)
 また、G3システム装着員の選定や、V1プロジェクトの中で、知能面では明らかに優れてはいるものの、彼がどうしても氷川に勝てなかった「強さ」の欠如(人間的な弱さ)を露骨に見せていたことも、こういった「人間の弱い部分が生み出す不安」を代弁させる人物として、明確な役割を与えるつもりだったからではないかと思っています。

 対する氷川や小沢の反論は、悲しいかな、オレには全く根拠や説得力が感じられない物でした。(誤解がないように書いておくと、これは「作り手がバカだから説得力が感じられない描写しかできなかった」のではなく、作劇の中で明らかに計算して描いた「説得力の欠如」です。)
 彼らにとっては「これまでのアギト(翔一、涼)が善人だったから」ということだけが反論のよりどころなわけです。
 これは「説得力が感じられない」のは当たり前で、もちろん作り手もそれはわかっていたはずです。(ハズですって言うか、「説得力がない、少年マンガにおける正義のヒーロー的倫理観」でしかないわけですから。)


 じゃあ、その反論のよりどころが根本から壊れていく事態が起きたら?
 考えられる描き方としては、前述の「氷川がアギト化するかも知れない」という事態が起きるとか、実際に「第4のアギト」が出現。ただしそれは「悪意持つ人間がアギト化したもの」だとかね。

 この北條が考え、本当はもっと具体的に行動したであろう「自分たち以上の存在への恐怖と、それの排他行動」というものは、例えば古い物では『七瀬ふたたび』『デビルマン』などなどにも見られるSF作品などでは不変的とも言えるテーマの一つです。

 時期的には、翔一や涼は「普通の人間のような暮らし」という一時の安息を得ていた頃であって、それまで出会ったことがない「自分にとっての新しい人」とそれぞれが出会っていた時期です。
 「最後まで自分のためにしか戦うことが出来なかった木野の死」を経て、彼らの中でも新しい感情や「それまで以上の、戦う理由」が生まれる下地は用意されていたわけであって、その中で『仮面ライダー』というものの基本理念でもある「皆のために戦うヒーロー」という意識が生まれていく。
 しかしその時に、守るべき人間側がアギトの敵として立ちはだかってくる。
 人間側が「反アギト」の行動に出たときに、翔一や涼は、どういう部分に「自分が戦う理由」を見いだすのか。アギトである自分とどう向き合うのか? という展開になり、その中でクライマックスに流れていく………

 ……「はず」だったんじゃねえのかなー…というのが、オレが「足りない」と感じた部分を勝手に推測した『アギト』<完全版>なんですが。(^^;;)


 で、ホントーにコレをやられていたら、オレの中では大傑作だったんですよ。(他の人にはどうかワカランが。あくまでもオレの中では。)
 でも「推測」とはいえ、部分的には「そうするつもりだった」としか思えない描写が随所にあったので「開花し損ねた」と思えてしまうわけです。


 で、どうして「ああいうことになっちゃったのか?」「どの辺に問題があったのか?」を推測していくと(これはホントーにオレの推測でしかありませんが)、一つはやはりシナリオの井上敏樹氏の問題でしょう。
 それは技量の問題なのか、はたまた「他者(スポンサーなどのしがらみ)による横やり」のせいなのかまではわかりませんが。
 親子2代にわたって『ライダー』のシナリオに携われたにもかかわらず、開花しきれなかった悔しさやいかに…とも思いますが。

 んで、もう一つは「『クウガ』とはプロデューサーが代わった」ことも大きかったのではないかと。
 これは推測ではなく、実際に関係者から聞いた話ですが、『クウガ』が「あの路線」「あのスタイル」を完遂できたのは、企画を立ち上げたプロデューサー氏の「こういう『仮面ライダー』をやりたいんだ!! オレは『仮面ライダー』を作りたいから東映に入ったんだ!!」という情熱・執念の賜だったそうです。(もっとも、ちょっと情熱が凄すぎて、予算とかも凄いことになっちゃったそうですが。 ^^;;)
 でもまあ、なんだかんだあって(このへんは噂レベルでしか聞いていないので割愛します)、『アギト』から(実質的には『クウガ』中盤から)チーフプロデューサー氏が代わったそうですが、そういうことが、まだ企画立案者の情熱の残り火があった『クウガ』ならいざしらず、一からのスタートである新企画『アギト』では「船頭の考え方・商品に対するスタンス・情熱の違い」がモロに出る結果となってしまったのではないか? と。

 「オレが見たかった」ものをプロデューサーを含めスポンサーなどは「そんなんは『仮面ライダー』でやるこっちゃない!」と思ったために削ってしまったのかも知れません。(まあ、このへんは、オレも一応「腐ってもTV屋」なので、「そういうこともある」ってのはわかりますがね。もちろん「わかる」=「納得できる」ではありませんが。)


 でも、開花しきれなかったから「ダメか?」つったら、やっぱダメだったとは思っていないんです。
 もちろん点数は低くなるわけですが、それでも作劇であるとか見せ方であるとかいろいろな部分で「なんか今、月曜の9時頃からやっておる若者向けドラマ」のシナリオなんかよりも1万倍くらいは遙かにレベルが高かったですし。(1万は月9評価高すぎたね。3万倍くらいは違うか。)

 つかね、『アギト』とか、この前の『おジャ魔女』の「かよこちゃん編」とかと比べてしまうと、ホンットーに今の一般TVドラマ(特に若者向けの作品)にあまりにも幼稚だったりレベルが圧倒的に低い作品が多いことに驚かされるんですが。
(作品そのものの対象年齢の高低とかの問題ではなくて、作品に向けられている技術とか話題の幅とか情熱部分の問題が。)


【了】

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