今期のTVはどーだったのよ?(番外編)
『仮面ライダーアギト』ってどうよ?

2001/07/19


 書いていたら、えらく長くなってしまったんで、わざわざ別立て1本にしました。(『R−17』も長い感想だったけど、まあこっちはまだ放送中って事で「番外編」)
 

★『仮面ライダーアギト』

 まだ終わってないけどさ…
 なんかもー、見ていて「前の『クウガ』は面白かったネ」っていう振り返りしか感想が出てこないのはイカガなものか…
 しかも、もう2クール終るんですよ?
 なのに、いまだに敵の正体も目的もわからないまま。
 いや、これはいいよ、まだ。

 突如出現した「アンノウン」と呼称される怪人たちによって行われる連続無差別不可能殺人。
 どうやら彼らが標的としているのは、「いわゆる超能力という力」を持つ人間のようだ。(被害者の家からは「すでに存在していない風景が写った写真」や「ものすごく小さな口しかないのにコインが入った瓶」等々説明の付かない物が発見される)
 標的は、その被害者の家族(血縁者)にまで及ぶ。
 次第に判明してきたのは、どうやら被害者達は皆、かつて日本を騒がせた「あかつき号事件」という船舶事故で生き残った乗客(もしくは関係者)らしいということ。
 さらに、「主人公が記憶喪失」だとか、彼が現在名乗っている名前を持つ別の人物だとか、彼が記憶を失った事と彼が居候している家にいる娘の殺された父も「あかつき号事件」に関わっているようだとか、警察側の主人公が「あかつき号事件」を解決した刑事だとか、いろんな人物やら何やらが出てきて「一体これらは絡み合ったままほぐれるんだろうか?」と不安になるほどのミステリーぶりです。

 こういった展開から、「ミステリー色」を強くしたってのはわかるんですよ。見てても。
 で、このミステリー部分はそれなりに見せ方が上手いし、異論ある方もいるとは思いますがオレは結構マジで評価しています。(あくまでも「ミステリー部分のミステリーとしての見せ方」についてのみですが)
 アンノウンによる連続無差別不可能殺人(人間の能力では不可能な殺され方をする)なんかも「水のない場所で溺死」とか「壁に埋められる」とか、15日放送分では「ビルの屋上にいた人間が全ての床をすり抜けて1階の床に突き落とされる」とか、純粋に面白ぇ!と思うアイデアです。

 しかしとにかく問題なのは2クール経つのに「主人公が闘う理由がいまだに全く描かれていない」ってのはどうなんだろう?ってことですね。
 このことが、この作品の内在する問題点を全て表しているように思えてならないんですが…。

 なんかアンノウン(怪人)が現れて人を殺しています!
 すると主人公がデンパのように「何か」を感じて出動!
 変身!!
 どかーん!(やっつけた)

 なんでオマエは変身して闘っているの?
 そのデンパは何よ?
 2クール終わるのにいまだにそれが提示されないってのはどうなの?

 このへん、『クウガ』はものすごくキチンとしていましたね。
 はじめの数話で、「変身」などという能力を不本意にも持ってしまった主人公が、なぜ何だかよくわからない怪人と闘うのか?どうして彼は闘おうと思ったのか?がちゃんと提示されていました。

 「個人の感情や目的のためではなく、みんな(他人)の笑顔(平和)のために闘うのが仮面ライダーというヒーロー像なんだ」
 というのは、脚本家の市川森一氏が仮面ライダーの第1作目の時に会議で言った言葉だそうです。(正確には違いますが、まあそういう意味の発言だったようです)
 村枝賢一のコミック『仮面ライダースピリッツ』の巻末資料を見る限りでは、市川氏はライダー本編のシナリオは1本(それも共作)しか書いてないんだけど、このコンセプトに原作者だった石森章太郎はえらく感銘を受けて、その後のTVのライダーは全てこれが基本コンセプトなんだそうです。(最近、何かの資料を読んでいたら偶然書いてあったんだよ)

 で、こう書けばわかると思いますが、実は「異色作」と括られている前作『仮面ライダークウガ』ってのは、その基本コンセプトは「仮面ライダーとしての王道」をキッチリ守っていたんですね。
 作り方に「新しい方法論(ストレンジな方法論といってもいいかも知れない)」を用いただけで、コンセプト(魂)はちゃんと仮面ライダーだったわけです。
 だからクウガのメインスタッフにとっては、もしかすると僕らが感じたほど「ストレンジなことをやったとは思っていなかった」んじゃないかなあ?という気もするんです。(もしかしたらこのへん、すでに何かの特撮誌とかでは書かれているのかも知れませんが…。オレ、特撮誌は全然読んでいないんで…)
 クウガにおけるストレンジ部分ってのは、「今、自分たちが見たい仮面ライダーを作ったらああなった」でしかなかったんではないか?って気がするんですよ。
 結果としてストレンジな(異色作と呼ばれる)形になっただけで。

 んじゃ、そのあとに放送開始した『アギト』は何でああなんでしょ?
 少なくとも、いまだに「主人公が戦う動機が描かれていない」ってのは、これは上記の「仮面ライダーの基本コンセプト」が存在していないのと同じです。
 毎週毎週、人を殺す悪い怪人をやっつけているから、頭の悪いチビッコは騙されているのかもしれませんが(おい)、それなりに(いい歳をした人間が)真剣に見ていると納得がいきません。(『クウガ』は納得がいったんですが)

 上記のようなことを考えると、この作品中でライダーの基本コンセプト守っている(人のために闘っている)のって、イマイチ役に立っていない警視庁のG3システム(仮面ライダー型の強化装甲服)を使っている氷川だけなんだよね。
 前述のように、主人公のアギトは闘う目的が不明。(闘っている間も主人公は自意識は保ったままなんだけど、何で自分がアンノウンと闘うのかは理解できてない)
 もう一人の仮面ライダーであるギルスはたまたまアンノウンと遭遇したときに、個人的な怒りにまかせて変身してはブチ殺しているだけ。(あ、見てない人のために書いておくと、この作品では主人公アギトの他にG3、ギルスという3人のライダーが出てきます)

 もしかして、アギトって「正義のために闘っている」んじゃないってオチなのかもしれません。(もしくは3クール目あたりでそれが発覚して主人公が葛藤する…とかをやるんではないか?と)
 だって、たまたま今まで「人間を殺しているアンノウンをやっつけている」だけで、彼が「人間を守らなくちゃならないから闘っている」なんてのは見せていないんだし。
 『ハイランダー』みたいに同族が近くにいると巨大な不快感を感じるから殺しているだけ…とか。
(しかしなんだねー…そのへんサッパリ見せてないくせに、バイクとか何だとか、オモチャに繋がる物だけはしっかりパワーアップして新しい物になっているってのはどうなのよ?)


 以前、友人に聞いた話では、見ている側が誰でも感じるこのような『クウガ』と『アギト』の「決定的な違い」を生み出しているのは、ストレートに「プロデューサーの違い」なんだそうです。
 確かにスタッフリストを見てみると…

『仮面ライダークウガ』
 清水祐美(テレビ朝日)
 鈴木武幸(東映)
 高寺成紀(東映)

『仮面ライダーアギト』
 松田佐栄子(テレビ朝日)
 白倉伸一郎
 武部直美
 塚田英明(東映)

 …というように全然かぶってないんですな。
 クウガに出演されていたキャストの方の話でも、「『クウガ』はとにかくプロデューサーが仮面ライダーにものすごく思い入れを持っている人で、その人がいたからアレが作れた」んだとか。
 これらのことを考えると、最大の問題はシナリオではなくプロデューサーにあるようです。
 ぶっちゃけた書き方すれば、あまり作り手の「仮面ライダーへの愛」を感じないんですよ。>アギト。
(この不信感が事実だったりした場合、「意外性のあるオチ」に走る可能性がデカイわけで、前述の「アギトは正義や人々のために闘っているのではない」って展開はかなりあり得るんじゃないかと。)


 『アギト』のメインスタッフ(特にプロデューサー)は『クウガ』が見せた「新しい方法論」が「クウガが受けた最大の要素だった」とでも誤解したのか、ただたんに仮面ライダーという物の基本コンセプトが全く理解できていないだけなのか、前作の「ストレンジの上澄み」だけをすくって作っている…という感じが拭えません。
 「なんか不鮮明な作りだったのにクウガはウケた。だったらもっと不鮮明にすればもっとウケるんじゃないか?」っていうような。
 ミステリー部分も決して「新要素」ではなく、『クウガ』ですでにグロンギ怪人達が「ゲーム」と称して人間を次々となぶり殺す…という形ですでに設けられていたわけで、それをアギトではさらに拡大・前面に押し出してきたのではないか?とも解釈できます。(この彼等が行う殺人ゲームには毎回「彼等が設定したルール」があり、警察側の活躍はこの見えないルールの謎を解き明かしていく部分にあったりしたわけです)
 ビジュアル面では、極端な例かもしれませんが、TV画面上下の「黒部分」がそれを表しているような気がします。
 これは『クウガ』の場合ハイビジョン撮影をしていたので、画面比率が違いますから普通のTVで見る場合どうしても出ちゃったんですね。
 でまあ、ハイビジョン撮影そのものがかなり大変だったらしいんで(オリンピック期間中、撮影に使えるカメラが日本に1台しかなかったとか、編集できる設備がある場所が限られるとか)、そのせいかどうかはわかりませんが『アギト』ではハイビジョンは使ってないんですよ。普通のカメラです。もちろんこの場合、画面比率はノーマルです。
 だけど上下に黒入れてるんですね。
 本来、入れる必要はないんです。
 「前作に合わせた」ってより「ムリに前作で使っていたハイビジョンのパチモンを演出している」ようにしか思えないのはウガりすぎてるでしょうか?(^^;;)


 で、ここまでは「アギトの作り手って、クウガがウケた理由を勘違いしてるよね」の場合なんですけど、でももし『クウガ』が見せた方法が「偶然ストレンジに見える物になっていた」んじゃなくて、「やっぱりストレンジな方法論を狙っていたのだった」場合、これはこれで違う問題が降りかかってきます。
 それはナニか?つーと簡単なことなんですけど、そういう方法ってシリーズ物の中では「1回キリの捨て身の必殺技」に近いんだよね。

 「シリーズの中でストレンジなラインを続ける」ってのは、そう遠くない先に必ずと言っていいほど限界とか破綻があるんですよ。
 他の作品を例にしても、『機動武闘伝Gガンダム』という超ストレンジな物を出してしまった後の「パラレルワールドガンダム物」は、わずか2年後の『ガンダムX』でストレンジの限界に直面しました。(オレ、元々『G』は大ッキライなんですけど、この意味でもあの作品は「悪」だと思ってます)
 『戦闘メカ ザブングル』がそれまでのロボットアニメへのカウンターとして見せた数々のストレンジな「掟破り」も、その後、オモチャ会社を喜ばせるだけの「常套手段」になってしまいましたし。
 昔のシリーズ映画ってのも、途中で「異色作」扱いの作品が出ると、だいたいその先は短いんだよね。
 『007』だって『ムーンレイカー』をやっちゃった後、元の雰囲気の作品に戻すのには大変だったわけだし。
 個人的には友人に教えられて立ち読みした『ヒーロービジョン』誌で小林靖子さんが自作の『タイムレンジャー』について「二度とやってはいけない戦隊物」と語っていたのは、こういう意味なんではないか?と思ってるんですが。(あれもストレンジといえばストレンジなことやっていたから)


 こう考えると、『アギト』ってのは(送り手が)相当ツライ闘いをしているってのもあるんだとは思うわけです。

 現在のものが「送り手が前作のストレンジの上澄みをすくっただけのもの」であった場合、意外性を求めるあまり仮面ライダーとしては成立してない。
 これは現在の送り手の問題なので、彼らが気づけばどうにかなるのかもしれませんが、作品を見ている限りではなかなかに難しそうです。

 反対に「前作が本当にストレンジだったからアギトはオカシク見えるだけであって、アギトという作品そのものには実はあまり(「全く」とまで言う気はない)問題はない」んであれば、これはどーしょーもないですな。解決策がないです。


 ああ、あとこういうコンセプト的な問題以外にも「アクションが前作より明らかに大したことない」ってのもありますね。
 これは「仮面ライダーの基本コンセプト」とは全く関係のない、もろにビジュアル的な問題なので、明らかにアギトの問題です。
 つかまあ、冷静に考えれば「アギトのアクションが普通」なのかもしれませんけどね。
 『クウガ』が超絶過ぎただけで。
 バイクアクションなんか、日本の映像史でベスト3には間違いなく入るであろう出来でしたし。(正直オイラは、『MI2』のクライマックスよりも『クウガ』の海岸でのバイクアクションの回の方が遙かに凄かったと思ってます。『MI2』は「カット割」の見せ方でカヴァーしてましたが、『クウガ』は実際に乗っている人間の技術を使ってホンモノの力技で見せましたから)


 あ、最近のエピソードでは、「アンノウンの犯行に見せかけて殺人をおかした刑事の犯罪を北條が見抜く」って話は好きでしたけどね。
 普段イヤミで、どちらかというと仇役の北條が、実は警官としてはそれなりに正しい信念をもって犯罪に立ち向かっている…ってのをさりげに見せていたし。ただイヤなヤツじゃなかったのだな…というか。(^^)
 北條というキャラクターが実に上手く描けていたと思います。


 あと2クールだと思うんですが、一体どうなるんでしょ?
 前述のように意図的に「ミステリー色」を強くしてソッチ方向に持っていきたいんであれば、それならそれでオイラは絶対にやって欲しくないことがあって、それは最後に誰かが事件の真相を「全部説明してくれる」パターンだけはやって欲しく無いなあ…と。(『火曜サスペンス』とかで良くあるパターン)
 それやったら「ミステリーとしてもダメだったね…」だと思うんですけどね。


 つらつら色々書きましたが、「だから面白くない」「これやったらダメでしょう」も含めて、問題や制約が多すぎるため、作り手が非常に作りづらいのもなんとなくわかるような気もするんだけど、まあそれは(ドライな意見だけど)見る側には関係ないことだし、まだまだ「作り手が甘えている」という感じが作品から感じられてしまうのも事実だったり…
 で、その「甘えた部分」を突き抜けない限り、前述のどのような問題が実際にあるのだとしても解決はしないと思いますが。
 こういう意味では、まだクライマックスに向けて「面白くなる」可能性は残ってはいると思うんですけどね。

 予告編の最後に「目覚めろ、その魂!」というカッチョいいキメのナレーションが毎回入っていますが、いいかげんそろそろ目覚めてもいいんじゃないですかね?(^^)
 「寝る子は育つ」にも程があると思いますよ。


【了】

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