『ハンニバル』を観ました。
2001/04/20


 話題の映画『ハンニバル』観てきました。

 以下、ネタバレも含まれますので、まだ未見で、観るつもりの方は読まない方がよいでしょう。
 「劇場ロビー」(BBS)に感想を書かれる方も、まだ未見の人へのネタバレは留意してくださいね。





















 う〜ん…一言で書けば…「面白くなかった」です。
 原作は途中で紛失したため(爆)最後まで読んでいないし、そもそも小説と映画を比較して論じようなんて気は毛頭ないけど、根本的なストーリーが、面白いようでいて実はツマラナイなあ…と思いました。

 例えば前作『羊たちの沈黙』の基本的な設定が面白いのは、やっぱ(オーソドックスな手法ではあるけれど)「タイムリミット」があったことだと思うのだよね。

●女の子がさらわれました。しかも犯人は最近ブイブイ言っている有名連続殺人鬼のようです。
 どうやって助けましょう?
 ×時間くらいで助けないと殺されちゃいます。
●担当に任命されたのは、情熱はあれど経験が決定的に足りない新人女性捜査官です。
 足りない経験をどうしましょう?
●そうだ!天才的な基地外が一人いる。彼なら犯人の動機とか何かわかるかもよ?

 ところが今回の『ハンニバル』って、基本的にレクターの動きも仕事ホされているクラリスの動きも、全〜部メイスン・ヴィージャーの行動に振り回され、「結果的に」動いているだけ。
 そもそもヴィージャーが動かなかったら彼らもあそこまで動くことはあまりありそうにない設定です。
 これだけでもオレは物語を描く上で(そしてそこで人物達を動かしていく上で)「失敗している」もしくは「面白くない」と思うんだけど、さらにこの作品を「失敗」させているのがタイトルでもあるハンニバル・レクター博士への必要以上の「感情移入」だと思うんです。

 そもそもタイトルにまでしちゃっているのだから彼が主人公なのだろうけど、でもオレは『羊たち〜』の中でレクターが突出して魅力的だったのは、ある意味「突き放した描き方」していたことだと思うのだよね。
 『羊たち〜』の「行動」の基本軸は、前述のように「さらわれた女の子を助ける」ことなわけです。
 レクターとクラリスの心理的な「触れ合い」はその課程で生まれた二次的な物であることが貫かれていた。
 あの作品が、この「ある種の恋愛感情にも似た触れ合い」を行動の基本軸にしてしまっていたら、たぶん大して面白くなかったでしょう。面白くなかったというか、あそこまであの2人の関係性が光った物にはならなかったと思います。
 スパイスは隠し味だから効いてくるのであって、メインの食材ではないのだから。
 だからこそこのスパイスは効きすぎるほどに効いて、例えばレクターの指が鉄格子越しに一瞬クラリスの指と触れ合うシーンなんかは、オレには「どんなファックシーンですらも到達し得ない、最高にエロティックで官能的な描写」だと受け止められたんです。

 レクターはあくまでも「主人公に行動を促す存在」。いわば「トリックスター」みたいなものであったわけです。
 心理学者の河合隼雄の著作に『影の現象学』ってのがあるけど、これで言えばレクターはクラリスの「影」なんだよね。
 トリックスターはトリックスターとしてのポジションにあるから「トリックスター」たりえていたんだけど、ところが『ハンニバル』では彼がトリックスターではないポジションに来てしまっている。
 クラリスに連絡を取ってくる所なんかはまだ「トリックスター」だと思うんだけど、おそらく、彼が「アメリカに帰ってきた」あたりから。そして彼女に会いに行ってしまうあたりからこの関係性は壊れていると思います。(で、結果的にトリックスターでなくなった彼の存在は、もはや「影」ではなく、彼女を闇へと誘う「ハメルンの笛吹」のような存在へと変化しています)
 このおかげで「存在意味の分からない、それゆえに不気味であったトリックスター」の正体は(「あの世界の中で」ではなく「ドラマツルギーの上で」)白日の下にさらけだされてしまい、闇に包まれている故に恐怖を感じていた部分は全て見えてしまったわけです。
 当然ですが、こういうものは「見えて」しまったら怖くも何ともありません。柳は暗闇で見たときに幽霊に思えるのであって、白昼に見たらそれは柳でしかないわけですから。
 さらに(タイトルにまでしてしまったトマス・ハリスがそうだったんだろうけど)作り手はこの本来「闇に置いておくべきキャラクター」にとことん感情移入した作り方をしています。
 このことが作品そのもの(『羊たち〜』でレクターが魅力的であった部分)のバランスを壊しちゃっているようにしか思えませんでした。

 もちろん、こういうキャラクターを作品のバランスまで壊して思い入れたっぷりに感情移入して主人公として作ることは不可能じゃありません。不可能ではないどころか、この方法自体は珍しくもないです。
 わかりやすい例で言えばティム・バートンの『バットマン』もそうだったし、ブライアン・デ・パルマの『ファントム・オブ・パラダイス』なんかもそう。
 だけどこの方法を用いるには、レクターは己をさらけだすことが無さ過ぎ、さらに前述のように『ハンニバル』におけるレクターは、その行動があまりにも受動的すぎるんです。(作品中では一見アクティブに見えますが、よーく考えたら彼の行動は全部ヴィージャーの策略が原因で生み出されています。つまり彼自身にはクライマックスに向かう一連の行動を本来する気は全くないわけです)
 しかもレクターがあまりにもスーパーマンキャラで、何でも出来ちゃうんだよね。オレなんかは観ていて「この人、ランボーよりも人殺しが上手いんじゃないか?」とすら思いました。
 アンソニー・ホプキンスは上手いと思ったんです。だけど、なんかねー…。
 アッサリ言えば、この『ハンニバル』におけるレクターって全然魅力的じゃありませんでした。オレは。

 「クラリスとレクターの恋愛物語」として考えた場合も中途半端な感じが否めなかったです。
 相変わらず博士はああいう人ですから(^^)、自分を余りさらけ出しませんし、物語上の基本行動が「全て外的原因で行われるもの」ですから。
 で、クラリスはクラリスで、物語設定がああ(博士は外国にいる)だから仕方ないんだけど、ずーっと室内にいるだけ。
 10年前の事件以降「お互いをある種の感情において求めて止まない」でいるのは見ていてもわかるんだけど、「その感情のために起こされる行動」があまりにも無さ過ぎるので(「ヴィージャーが何かしたから起こされる行動」はいっぱいありますが)、その感情の「行き場」みたいなものがものすごく見えづらかったというか…。(ちょっと自分の中でも上手くまとまっていないんですけど)
 これだったら「ドキドキの緊張感の中でお互いを探り合っていく」過程がキッチリ描かれていた『羊たち〜』の方が、オレの中では遙かに「恋愛映画」だったんだよね。(それも、かなり「美しい恋愛映画」に位置づけられちゃっているんですけど。>『羊たち〜』。病んでるのかな。 ^^;;)
 例えるなら『羊たち〜』が「恋愛映画」でも「初恋物語」みたいな物だとした場合(つーか、オレはそう思ってるんだけど)、この作品は「恋心を意識した2人が、今度はそれを恋愛として歩み寄っていく(恋愛にしていく)」過程が描かれるべきだと思うんです。
 「それは何なの?どういうことなの?」と言われるとちょっと明確ではないのだけど、でも、少なくとも『ハンニバル』で描かれていたことではないよなあ…と。
 で、それを描こうとした場合、あの映画ってあまりにも「いらない部分」が多すぎるんだよね。全体の7割以上がいらない部分になると思います。
 ヴィージャーからの追っ手とか、フィレンツェの刑事の話とか、あんなにボリュームは全然いらない。刑事の話なんか全部いらない。
 ヴィージャーという追撃者の設定はあってもいいと思うけど、あそこまで中心に置く必要は全くない。あくまでクラリスとレクターの2人がアクティブになるためだけの「原因」としてさえ存在すればいい。
 あの2人が「外的原因」ではなく「己の意志」で行動していく様がもっともっと描かれていてこそ「恋愛物語」として成立し得たのではないかなあ?と思うんです。
 その結果、2人が(特にクラリスが)行きつく先が闇の中だろうと何であろうとね。

 あとね、これはストーリーそのものの在り方が違うのだから言っても仕方ないことなのかもしれないけど、『羊たち〜』がオレ的に面白かった理由の1つに、連続殺人犯であったバッファロー・ビルの存在があるんです。
 レクターのインパクトの前に、ほとんどこの犯人については話されないけど、殺人鬼関連の書籍とかよく読む人ならわかると思うんだけど、アレってものすごく「リアル」だったじゃないですか。
 今と違って、当時はまだその手の本って日本ではあまり出ていなかったけど、知っている一部マニアからすると「ああ、こういうのアメリカの基地外にはよくいるねえ」みたいな。(ちなみにオイラがこの手の物に興味を持ち始めたのは中学の頃に『アメリカン・バイオレンス』を観た頃からっすな。「アメリカってスゲえッ!!こんなヤツがいっぱいいるんだ!!」とか思った。 ^^;;)
 こういう外枠がガッチリ出来ているところが、あの作品を面白くしていた理由の1つだと思うんです。
 だけど、『ハンニバル』って外枠の部分でこういう「らしさ」みたいなものが無いんだよねえ…。
 全編ウソっぽいというか「作り話」的で。(いやまあ、作り話なんですが)

 さらに気になったのが全編漂う「格調高さ」。
 だってさあ、殺人鬼の話ですよ?
 しかもストーリーは冷静に考えれば(いや、冷静に考えなくても)B級・C級テイストのストーリーですよ。
 それをさあ…あそこまで格調高い雰囲気にする必要あったのかね?
 「レクターという人間がそもそも教養レベルの高いハイソな人だから」ってのが理由なんだろうけど、それと作品そのものの雰囲気を格調高くしちゃうコトって別だと思うんですけど…。
 なんかさあ『エリザベス』とか(^^)みたいに格調高いんだよ。全編。
 観ていて「アホか」と言う気にすらなりました。
 これについてはたぶん監督であるリドリー・スコットの責任だと思う。

  いや、確かにきれいな映像だとは思ったんです。だけどそれと「格調高くしちゃうこと」は別でしょ。
 個人的にリドリー・スコットって『エイリアン』『ブレード・ランナー』以降は全部失敗だと思っていたんです。
 中でも『テルマ&ルイーズ』に至っては公開年の「オレ的ワースト1」どころか「論外」作品だった。(実はあの作品のヒドサについては、今でも思い出すだけで腹が立つのだけど)
 それが去年の『グラディエーター』で「おおう?!リドリー!久々に傑作だよ、これは!!」と思ったんですよ。
 リドリー復活かあ!と。(復活なのか、久々に当てただけなのかはわからないけど)
 で、これも期待してただけに「ああ、やっぱ去年のは久々に山を当てただけだったのね…」という気に…。
 画の撮り方なんかは的確だと思うんですよ。悪くないのではないかなあと思うんです。だけど…あのバカげたまでの格調高さは…。文芸作品じゃないんだからさ。(いや、文芸作品のつもりだったのかな?)

 『ハンニバル』って、撮影開始前からジョディー・フォスターの降板とかが騒がれていたけど、観て思いました。
 「ジョディーってやっぱ、アタマ良いな」と。
 「作品がグロテスクだからジョディーは降板した」とかいろいろな理由がささやかれたけど、たぶん(これは完全にオレ推測ですけど)ジョディーはこの作品が「実は中身がスッカラカン」であることを見抜いていたんじゃないかと思います。
 見た目はものすごく重そうな鉄アレイなんだけど、実は発砲スチロールでできているような。
 「鉄アレイでの重量挙げならチャレンジするけど、発砲スチロール持ち上げて何になるのよ?そんなの記録にならないでしょ?」というかね。「そんなスッカラカンの作品に、わざわざ出る必要を感じなかった」んじゃないかなあ、と。
 実際、ジョディー・フォスターファン歴20数年(TV版『ペーパームーン』以来メロメロなので)のオレからしても、とりわけ「この映画を再びジョディーのキャスティングで観たかったなあ…」とか思いませんでしたもん。(つーか「中身スッカラカン」にも通じることなんだけど、この作品におけるクラリスって全然魅力を感じませんでしたよ。わたしゃ)

 あと細かいことだけどさあ、イタリアのシーンでセリフが英語ってのは、やっぱ変だよね。「アメリカ映画だから仕方ない」と言ってもさ。
 「ボンジョルノ」と挨拶はイタリア語なのに、その後のセリフが英語なんだ。(^^)
 これじゃあ「ボンジュール 大神さん!」だった『サクラ大戦3』と同じだよ。(爆)

★その他に思った(どーでもいい)こと。
 ●最後の食事シーンのレイ・リオッタはジム・キャリーにしか見えなかった。(^^;;)
 ●でも、レクター博士が作った料理は美味しそうでした。(おい)
 ●変な日本語が随所に出てくるあたり「ああ、やっぱリドリーは復活?」という気に…。
  だけど『ブレラン』の「誰か何か変な物落とさなかったか?」「2つで充分ですよ!わかってくださいよ!」を超える名セリフは現れず。
 ●クラリスの乗っているムスタングがカッチョよかった。
 ●『羊たち〜』では標準的な官給品であるリボルバーを使っていたクラリスがオートマチックピストルになっていたのは「場慣れしてきた」という表現か?(意識してのことかは不明だけど、こういう演出は好きです)
 ●レクターを追いかけていったクラリスの後ろ髪に、一瞬レクターの指先が触れるシーンは好きでした。興奮しましたよ。
 ●博士はなんで帽子を被るときに必ず「斜めにかぶる」のか?
  博士の「美食信念」ではなく「オシャレ学」にも興味があります。


 んで、これはオマケだけど、この映画、大作だけに字幕に「あの人」がしゃしゃり出てきてるんですよ。
 そう。戸田奈津子です。
 相変わらず「〜かもだ」が字幕に入ります。
 数えていたら3回もありました。
 中でも、レクターのモノローグでクラリスに宛てた手紙の内容が読まれるシーンで「〜かもだ」と字幕が出たときには驚きましたよ。
 だってさあ、ホプキンスの声が流れてはいるけど、それは手紙の文章なんでしょう?
 しかもレクターは教養レベルの高い人なわけじゃないですか。
 そんな人物が書簡の中で「〜かもだ」なんて書き方しますか?(オレは前後のセリフを読んでいて「それはナイだろう!」と思いました)
 いい加減にして欲しいです。>戸田字幕

 そんなわけで、オレは『ハンニバル』がつまんなかったです。


【了】

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