今期のドラマはどーだった?2
2000/07/08


 てなことで2000年第2半期のドラマ感想第2回です。

★『アナザヘヴン』
 なんかもう、途中からは本上まなみが出ているから惰性で見ていたって感じです。
 最終回もなあ…懐かしの「これはあなたの望んだもう一つの世界なのよ」みてーな感じで…。いいのか?アレで?
 飯田氏の作品のキーワードには必ず「悪意」というものが入ってますけど、『沙粧妙子 最後の事件』の時はこの「悪意」の描き方がかなり好きだったんですが、このTVシリーズと映画では扱い方・描き方共にかなりレベルが下がってしまったように思います。
 「え?こんな程度で悪意なの?」というか…。
 まあ、それはもしかしたらここ10年ほどで現実社会の方が遙かに「悪意」の噴出が進んできてしまった故の「受け手の感覚の弱体化」「マヒ」なのかも知れませんけれども。(だとしたら怖いね。飯田脚本の質が下がったのであって欲しい)

 下山天氏によるエンドクレジットの映像は良かったですけどね。
 あと見ている間、トツヤマ(字忘れた)を演じている人のオデコに落書きをしたくて仕方なかったです。(なんじゃ、そら…。 ^^;;)

★『池袋ウェストゲートパーク』
 池袋の住民からクレームが来たとかナントカ、まあ、それなりに問題もあったようですが…。(^^)
 放送開始時にちょうど劇場版が公開されていた『ケイゾク』の堤幸彦氏が演出って事がドラマファンには注目されていましたが、フタを開けてみると堤演出や基本ストーリーよりも、宮藤官九郎氏のシナリオとキャスティングに支えられたドラマであったというのが印象です。
 個人的には最後までストーリーはイヤーンな感じだったんですけど、中盤あたりからテンポも良くなり、また各キャラクターがえらく「立って」きたために、中盤からラストまでは退屈せずに見れました。
 また、会話のやりとりも結構面白く、ツボを抑えていたりと、シナリオの宮藤官九郎氏は今後要チェックかなあ?と思います。(最終回のエンドクレジットバックで侍の格好をしていたのが宮藤氏。けっこう若い人のようです)
 描き方として面白いなあと思ったのは、長瀬演じる主人公・マコトは「池袋最強の男」と一目置かれている存在であるにもかかわらず、学生時代の回想以外では彼が実際に腕力で事態を解決したり、闘うシーンは最後まで全然無かったこと。最後の闘いの所でもあえて「殴られるだけ」という選択をしたりね。
 また、本人は全く望んでいないのに他人のトラブルにどんどん巻き込まれたり、勝手にトラブルがやってきたり…という中で「自分がそんな問題を解決できるような男ではない」ってのが自覚できているからこそ、回を追うごとに精神的に徐々に追いつめられて行く様がキチンと描かれていたことも好感が持てました。
 変な言い方ですが、「自分がバカであることをわかっていて、さらに、腕力と人望があるからと言って自意識過剰になっていない主人公」というのがちゃんと描かれていたために、好感を感じなくともイヤミも感じない主人公が描かれていたと思います。

 一見単純な作りのキャラクターに見えつつ、実は複雑でナイーブなキャラ(^^)なんですが、思いのほか長瀬智也がこれをちゃんと演じていたように思います。
 あと、キャスティングではなんつってもキング役の窪塚洋介ッスね。
 いやもう…ラリパッパな感じだけでもスゲエなあと思ったんだけど、ラスト2話のシメた感情の差の出し方も見事でちょっと驚かされました。怪優になる素質十分だと思います。(^^)

★『QUIZ』
 いや…見ていて面白いことは面白かったです。
 ラスト1話前の主人公・桐子のトラップの仕掛け方、二転三転する展開は見事だと思いましたし、犯人が実は…ってのも嫌いじゃなかったです。
 放送開始時に、『ケイゾク』をロコツに意識したけど、全然空振りしていた「お遊び部分」も、さすがに作り手も途中からその三振ぶりに気づいたのか無くなりましたし。(はじめから気づけよ)

んが!!

 シナリオ…というか基本設定のコンセンサスが3人のシナリオライターの間で取れていなかったのか、途中から作り手の中で「スッ飛んだ」のかわかりませんが、「メチャクチャ」「消化不良」「わからねえ」部分があまりにも多すぎたのも事実です。
 コレの最たる物が「竜雷太は一体何だったのか?」「桐子の人の心を読めるという超能力の設定が最後まで活かされなかった」の2点ではないでしょうか。
 いや〜……ワカラン!!ワカランっすよ!!
 何だったんでしょ、一体。
 う〜ん…。あ、考えて見りゃ事件の経過がダダ漏れになっていて、しかも管理者が転々としていたらしきインターネットサイトについても明確に解決していなかったよーな…?

 まあ、キャスティングはいいなあと思いましたけど。
 実は個人的には財前直見ってこれまで好きじゃなかったんだけど、結構迫力があっていいなあと思いましたし、生瀬勝久も良かったですね。


 んで、最後は前回書かなかった…
★『永遠の仔』
 わたしゃ天童荒太の原作は読んでいないんですが、いやもう何というか、中島丈博氏によるベテランならではの脚本にただただ圧倒されました。
 現在主流の「エンターテンメントドラマ」ではなく、あくまでも「人間ドラマ」としてのドラマ。
 幼児期に親からの虐待を受け続けた子供達が、10数年を経て再会。大人になった彼らは、その幼児期の体験から(本編中では使われなかった言葉だけど)アダルトチルドレンになってしまっていて、「自分を責め続けている」。
 一応、子供時代にヒロインに対して性的虐待を繰り返していた父親を殺したのは誰なのか?とか、連続して起きた女性殺害事件の犯人は誰なのか?というようなミステリー要素のような物も入ってはいましたが、それらの要素も「彼らの心を描く」ためのシチュエーションであったと思います。
 「児童虐待」と「アダルトチルドレン」という、なんというかえらくヘヴィな内容を、逃げることも、ショッキング性をウリにすることもなく正面切って描いていました。(これが一頃の野島伸司&伊藤一尋コンビのドラマだったら、ただのショッキング性だけの物になっていたんではないかなあ?とか思いながら見ていましたが。 ^^;;)
 あまりにもキツイ描写が多いため、見ることを拒絶してしまった人も多かったようですが、ただ、上記のようなウリとしてのショッキング性のための描写ではなく、その描写がなければあの物語は描けなかった「必然性」として、そして、それを真っ正面から逃げることなく描いたことは称賛に値すると思います。
 あ、あと「エンタテインメントドラマの方が好きだ」っていう人も、ダメだと思います、この作品は。

 「ああ、巧いよなあ…」と思わされたのは、実はこの子供達に虐待を行っていた親たちも、幼児期に虐待を受けて育っているんですね。これを作中ではすごくサラッと描いたこと。
 実際に虐待を「している」大人などの話を聞くと、その人自身が幼児期に「虐待を受けていた」というケースは珍しくない…というか非常に多いケースです。

 たまたま僕は以前、この「児童虐待」と「アダルトチルドレン」を、仕事の絡みと個人的な関心から取材をしたり勉強したりしたことがあります。
 別に僕自身は虐待を受けたわけではないんだけど、なんかすごく引っかかる物を感じ続けているんですね。「それが何でなのか?」は自分でもわからないのだけど、今ほど「児童虐待」がクローズアップされるだいぶ前から、個人的にも色々調べていました。
 「アダルトチルドレン(以下AC)」は、数年前に仕事で取材に行きました。幾人かの精神医学の先生や、実際のACの人達に会って話を聞くことが出来ました。
 ACをいまだに(たぶん、言葉の直訳などからの誤解が原因かも知れませんが)「幼児性を捨てきれない大人」であるとかそういう風に勘違いしている人を多く見かけるんですけど、本来ACは、アメリカで「アルコール依存症の親に(虐待などを受けながら)育てられた子供が、大人になって自分も同じ大人になってしまった」事などに使われるようなった精神医学の言葉ですが、現在では「アルコール依存症」でないケースにも使われているようです。(アメリカではケースごとに正確な呼び方が違ったと思います)
 このように「自分は否定しつつも、親と同じ事になってしまっている」人、そしてそのことで苦しんでいる人ってのは意外と多いんですね。(だから近年、この言葉はクローズアップされたのかも知れませんが、「正確な認識が持たれないまま、言葉だけが間違って使われている」とは当時取材した先生の言です)
 虐待にしても、まあ、もちろん虐待という行為そのものは決して許されるべき事ではないのだけど、自分で「やっちゃイケナイ」と思っているのに手が出てしまう人というのは少なくなかったです。

 で、取材した時に、彼らの考えってのが「なんか自分と似ているなあ」と感じたんですが、別に僕の親はアル中でもなければ、前述のように虐待をしていたわけでもない。
 でもなんか似ている。で、取材の中でいろいろと僕の話もしたりしていたんですが、調べていたら「虐待を受けたわけではない」というケースも少なからずいたのを憶えています。
 なんなのかなあ?と思うんですが、「しつけが厳しかった」とか「親の期待とか要求に対して強いプレッシャーや息苦しさを感じていた」とかのケースも多かったように思います。
 実際にそのことがどう影響をもたらすのか?までは僕にはわかりませんが、これなら自分についても納得行くんですけどね。ああ、そうだったな、と。
 んで、その場で仲間に認定されたの憶えてます。(^^;;)
 医者の先生も一緒にいたんですが「うーん…そりゃちょっと…そうだねえ」みたいな。そうなんですか。ま、これは余談ですが。(^^;;)
 あと虐待に関しても日本では「親は教育・躾のつもりで行っている虐待(つまり親には虐待という意識が全くない)」のケースがその頃は多かったですね。(これは今でも多い)

 で、「虐待された」「されない」という差異はあるんですが、結果的にACとして育っちゃった人って、このドラマの主人公達のように「自分を責める」んですね。
 自分を責めたり、「自分はいい子にならなくちゃイケナイ。親や人の望む存在にならなくちゃイケナイ」とかね、「自分の魂の罪を償わなければいけない」とか。だからそのために他人に必要以上に尽くしてしまったり。
 『永遠の仔』の主人公3人は、3人ともこれに捕らわれています。それぞれの職業は看護婦、刑事、弁護士。中でも中谷美紀が演じていたヒロインはこの最たる物でした。
 たぶん、その虐待とかプレッシャーを与えた存在を憎むことが出来れば、まだ楽なのかも知れませんが、それも早々簡単に出来る事じゃないですしね。
 別に「いい子でなる」とか「他人に尽くす」ってのは悪いことじゃないじゃないかって意見や考え方もあるかも知れないけれど、それが虐待であるとか、本人も意識していない外因的な物であるとか、育った環境であるとか、そういう物によって生まれてしまったんであれば「やっぱ違うんじゃないかなあ。いい・悪いの前に考えなければならないことがあるんでないかなあ」と僕は思います。
 「したいからそうする」の前に「義務」のようなものでそれを行ってしまう。その先に本当に幸せがあるのか?と言ったら、違うでしょう。
 なんか運命に翻弄されているというか、それを享受しちゃっているというか、釈迦の掌で踊っているみたいな感じがしちゃって…。それは正しいことではないように思います。(だからそこから「抜け出したい」と思って苦しむのでしょうが、でも、抜け出すには避けて通れない必要な苦しみなんですよね。僕についても)
 で、このドラマの主人公達は、この「いい・悪いの前に考えなければならないこと」を、連続して起きた殺人事件とか、家族の死であるとか、恋人に対してもどうしても心を開くことが出来ない自分であるとか、そして友人の死などを通して考え、やっと自分の心の道・心の生き方を見つけることができるという。
 このことが最終回まですごくキチンと描かれていたなあ、と。
 第1話の冒頭で、山に登った子供達がブロッケン現象を見て「神に出会った」と思いこむんだけど、これなんかかなり皮肉な描写だなあと思いました。
 ソレが偽りの神である以上、彼らはすでに神に見捨てられている。
 だけど祈りを捧げたソレは「自分自身の影」なんですね。
 結局「自分自身を救えるのは他人でも神でもなく、自分自身なんだ」という事をね、すでに冒頭で示唆しているんですよね。
 彼らがそれに気づくのはあまりにも遅かったんだけど。

 てなことで、僕の中で今期のドラマのナンバー1は文句無く『永遠の仔』でした。
 今期というか、今年はもうこれ以上のドラマは出ないのではないかなあ?とすら思ってます。


 とか書いていたら、早くも新シーズンのドラマが始まっちゃってますねえ。マイッタ。(^^)

【了】

※「AC」についての正確な知識が知りたければ、斎藤学医師の本をお薦めします。ナントカっていう(名前忘れた)有名な女性の本もあるんだけど、これはかなり歪曲して解釈されているからお薦めできないです。


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