続「89年8月9日」

text : 岡野勇

1999/09/23

 今回は、先月「オカノ通信」で書いた「89年8月9日」の続き。
 「また、暗い話題なんスか?!」などと思わずに、ちょこっと付き合ってやって下さい(^^)
 なんで今回、またこのネタかというとですね、メールを頂きました。
 友人からのものだったんですが、ここに書いてあることに真面目な反応が来たのは初めてだったんで、ちょっと取り上げてみようかと思います。
 あ、原文ままだと、このページすっげえ長くなるんで(最近、「長い!」という意見もよく聞くので ^^;;)、本人の了承を得て略してあります。

 以下線内、頂いたメールです。緑の文字にしてある細かいキーワードについては、文末に脚注をつけました。

 キャプテン、今晩わ。
 言い訳ではありませんが、キャプテンの様に考え、憶えている人間がどのくらいいるかと言えば、かなり疑問があると思います。
 というのは、89年8月に名古屋で行われたSF大会に私は参加していたのですが、言ってみれば「オタク」の大集合大会の様なあの大会内においても、あの事件は「ネタ」として「消費」されていたからです。
 「魔女狩り」だとまで感じていた「オタク」そのものがどのくらいいたかには、かなり疑問を感じます。ですから、マスコミ側だけを責めることは出来ないのでは無いか?と思います。
 何事においてもそうだと思うのですが、送り手の責任には当然、受け手の責任も付随するものだと思います。もちろん、マスコミの責任は大きいとは思います。
 「宮崎事件」の報道の時もどこかで「ああ、やっぱり」というような「予感」を既にどこかで持っていたような気がします。
 もちろん、あの時の肩身の狭さ、罪悪感等はそれらとは別に存在しますが…
 奇しくもと言いますか、8月8日に行われたワンダーフェスティバルのガイ ドブック巻頭の「初心にかえれ」という文章を読んだ時にも、この10年というものを考えさせられました。結局この10年「オタク」は何も教訓とせず、「消費」しかしてこなかったのか?と情けない想いを抱きました。だからという訳でも無いのでしょうが、”ワンダーショーケース”プレゼンテーションにおいての、あさのまさひこ氏の「何かしなきゃ・・・」というのは「オタク」としての、この10年間の結果に対しての「焦燥感」なのではないか?と感じました。
 結局、我々は「オタク」としても「日本人」としても「消費」しかしてこなかったのでしょうか?



 …というメールだったんですが、オレ的にも、あれは8月9日中にアップしたかったとかそんな理由もあって、「ちょっとまだ書き足りて無いなあ…」と思ってたんです。
 で、今回、ちょうどオカノが「書き足りていない」と思っていた部分についてのメールが来たこともあり、それについて。

 で、あの『オカノ通信「89年8月9日」』は、かなり偏った内容であることは事実。
 多分、「多くのオタク」が、それほどのコトとは捉えなかったんじゃないか?というのも承知済みなんです。
 アレはあくまでも、オレの主観なんで。(まあ皆、わかっているとは思 うけど)
 だから、人によっては、すごく被害者意識の強い内容に見えるかなあ?とも思ったんですよ。書きながら。
 だけどあの時、オレが「ひょっとして、アニメファン(オタク)はもうダメかも知れない。もう潰されちゃうかも知れないなあ」と感じたことも、あれだけの理不尽な攻撃をされて、それでも何も感じずに「傍観者」「無神経」「無頓着」でいられるアニメファンたちにオレが激しい憤りを感じたこともまた事実なワケです。
 それはひょっとすると、80年の『アニメ新世紀宣言』であるとか、「ガンダム・ブーム」であるとかそういったことを経てきて、教室の中で「あいつアニメファンだぜ」とか後ろ指を指されたりしながらも(^^;;)、「あそこまでやってきた」(岡田斗司夫も何かで書いていた、80年代の「何かスゴイことができるんじゃないか?」とか「アニメのポピュラリティの確立」と言ったようなこと)のに、「こんなコトで終わらされちゃうのかよ?!」っていう危機感だったのかもしれません。

 79年の『ガンダム』であるとか『カリオストロ』とかに始まって、80年代に入ってからアニメファンは「実はアニメはスゴイんだよ!」というコトをみんなに理解して貰うべく(^^)、声を高め始めたわけです。
 さらに、時代の空気というか、「ガンダム以降」の制作者たちの意識変化とかもあって、アニメのレベルは内容的にも技術的にもどんどん上がっていった。
 こういったことが生み出した「勘違い」も多少あって(^^;;)、「ひょっとしてアニメとか、俺らが好きだったけど、後ろ指刺されていたモノが、ポピュラリティを得られるかも知れない!」と、多くのアニメファンが思っちゃったのも事実だと思います。
 このへんはオレ、岡田氏が小説『ガンダム』第2巻(角川書店版)の解説で書いているコトと同意見。
 で、多くのファンがかなり屁理屈ばった理論武装とかもして、どうにかなるんじゃないか?と思っていたわけですが…
 だけど、オレにはあの時の「ヒステリックになった社会からの攻撃」ってのは「理論武装を解除して、出てきなさい!」って言っているように聞こえたんですよ。
 それが「どこに出てこい」と言っているのかと言えば、当時彼らがバカの一つ覚えのように言っていた、彼らの考える「現実社会」ってヤツなんだけど。
 だから余計に、オレは「無頓着」とか「傍観者」でいられたり、笑って見ていられる奴らに腹が立ったわけ。
 オレは「現実社会にいない」つもりは全くなかったし、百万歩譲ってそうだとしても、それなら彼らの言っている現実社会というのは思想統一され、異端を排除することで成り立っている「洗脳社会」だとしか思えなかったから。
(余談だけど、オレは数年前のオウム騒動の時の報道でも同じコトを感じたわけ。あのオカノ通信「89年8月9日」のシメに「その頃から変わっていると思うか?と言えば、やはりマスコミは変わっていないような気がするなあ…」と書いているのはそういうコトなんです。オレからすると、さんざん異端を排除して「洗脳社会」に安心し、それを作ってきた連中が「洗脳集団」を非難していることはお笑い以外何ものでもなかった。当然コレは、「宮崎事件」について書いたのと同じく、オウムのやった許されない犯罪や、その危険性とは全くの別問題)

 で、こう考えたのが単なる被害者意識にしろ何にしろ、その後「どうにもならなかった」のも、この時僕らが考えていたことが「所詮、アタマの中で漠然と作られていた「何かスゴイこと」という幻想でしかなかった」のは、今を見ればわかるとおり。
 TVアニメが週に60本も放送されているとか、OVA(オリジナル・ビデオ・アニメ)が当たり前のようにリリースされている現在は、あの当時からすると「理想的」な状況であるにもかかわらず、だけど少なくとも僕らがあの時アタマの中で思い描いていたのは、「今」のような状況とは違うはずです。
 まあ、この辺はまた別の話なんだけど。

 「ネタ」にすることによって「自分なりの反論」を見せていた人だっていたわけだし、オレはそういうことをネタにしたり「笑い」にするコト自体は構わないと思っているけど、それを受け手が汲み取らないで「ネタ」で終わらせてしまったら、彼らのやり方は「無」になってしまうし、受け手が自らを「傍観者」にしてしまっているコトなんじゃないか?と思う。
 で、個人的には「傍観する」というのは今も昔も「違うでしょ」って気がする。
 乱暴な意見だけど、それを「傍観で済ませちゃう」人こそ、彼らの言う「現実社会にアクセスしていない人間」だと思っているし。(そーいや『ベルリン 天使の詩』はそういうヤツが主人公の映画だったね)
 そもそも「ハマッている」「アツくなる」「自己主張する」「自分の意見を言う」ってコトが「かっこ悪く」、冷静に冷めていることが「カッコイイ」という現代の風潮が、オレはヘドが出そうなほど嫌いなんで。
 それは「冷静」でも「クール」でも何でもなくて、場合によってはただの「無責任」と同じだし、オレは全然「カッコイイ」と思わないから。(例えば、選挙に行かないコトを「オレはノンポリ」だとか言ったり、「そういうことに関わることが格好悪い」とか「めんどくさい」とか考えているのがいるけど、ほとんどの場合それは「ノンポリ」じゃなくて「考えたことがない」だけだし、国民の義務を放棄するという無責任以外の何ものでもないでしょ)
 で、こういったコトを踏まえた上で書くと、あの時に単なる傍観者として、何の危機感も、危機感以外のことも感じなかったオタクのほとんどが、その後「消費」しかしてこなかったことは、ある意味「当たり前」。
 まあ、この場合の「消費」はあさのまさひこら送り手が感じている「消費」とは多少違うんだけど。(あさのらが感じているのは、「送り手としての方法論が消費され続けて来た」ってコトだと思います。特に彼が焦燥感を感じるのはある意味当たり前で、例えば『センチネル』以降、ガンプラは何も次の方法論を作ってきていないんだし)
 果てしなく「精神論」(オレの嫌いな ^^)に近いことなんだけど、オタクでもそうでなくても、オレはそういう人間が「送り手」として、「何かを起こすこと」 なんて、出来るわけがないと思うから。
 受け手サイドの問題にしても、受け手は結局「消費すること」しか出来ないわけだけど、オレは、モノを考えている人間は「生産的な消費」(自分で「価値」を与えた消費)が出来ると思っているし、モノを考えないヤツは「破滅的な消費」(ただ出されたモノを食いつぶすのみ)しか出来ないと思っているから。
 だから、「モノを考えていないヤツは「本当のオタク」になれるわけがない」と思うんです。


 ・・・・・・・長いなあ…(^^;;)
 最後まで読んでくれたみなさん、ありがとうございます。
 次回は軽いネタでいけたらいいなあ…(でも、次回更新の時期を考えると…? ^^;;)

【了】

脚注
SF大会・・・年に一度、日本のどこかで行われるSFファンの集まりの大イベント。今年は長野で行われた。

ワンダーフェスティバル
・・・年に2回(冬と夏)開かれる、ガレージキットと呼ばれる模型(メーカー品ではない模型)の即売会。模型のコミケみたいなもの。

ワンダーショーケース・・・上記のワンダーフェスティバルが、この夏の大会からスタートさせた新プロジェクト。参加者であるアマチュアモデラーの中から「これは!」と思える技量を持った人の作品を、ワンダーフェスティバル実行委員会が半年間プロデュースするというもの。新たな試みだが、成功するかしないか?模型ファンの間で注目を集めている。

あさのまさひこ・・・ワンダーショーケースの仕掛け人。雑誌編集者。音楽雑誌などでもインタビュアーをしているらしいが、模型雑誌『モデルグラフィックス』にて89年爆発的ヒットをしたオリジナルガンダム模型企画『ガンダム・センチネル』の総合プロデュースもしていた。
 『ガンダム・センチネル』は、模型雑誌で行われる模型企画連載としてはかなり特殊な作りで、記事を読んでも、あまりにもレベルが高く、読者はマネしたものを作ることが出来なかった。(「プロが作るというのはこういうコトだ!」という挑戦だった)
 その方法論に対しては、連載当時から賛否は両論であったが、カラーリングセンスなどは10年を経た現在においてもガンプラ青年に影響を与え続けている。
 別の言い方をすると、この10年間、模型雑誌は『センチネル』を越えるインパクトのガンダムプラモの作り方を提示できなかったのだ。

『アニメ新世紀宣言』・・・80年の映画『機動戦士ガンダム』公開時に新宿駅前の広場で行われたイベント。2万人以上のアニメファンが集まった。

『ガンダム』・・・いわずもがな。79年に放送された大ヒットアニメ『機動戦士ガンダム』のこと。

『カリオストロ』・・・79年に公開された宮崎駿監督の『ルパン三世 カリオストロの城』のこと。今ではちょいとそのへんの人でも知っている名作だけど、実は公開時の興行成績は良くなかった。オレの記憶にある限りでは、日本で「カルトムービー」という言葉が使われるようになったのは、この映画が初めてのはず。
 ちなみにオカノは、映画館で30回以上観ました(^^;;)昔はアタマから最後まで、セリフを全部言えたんだよなあ…


もどる