「89年8月9日」

text : 岡野勇

1999/08/09


 今回から「オカノ通信」各ページにタイトルを入れてみることにしました。
 んで、今回はちょっと自己批判も含めたマジメな話し。

 タイトルの「89年8月9日」。あなたは何をしていただろうか?
 僕は22歳。
 前回書いたとおり、過労が原因でぶっ倒れて、家から一歩も出れない状態になっていた時だ。
 この日は多分、僕をはじめとして、すでにオタク歴15年選手以上の人たちや、「80年代までオタクだった」人にとっては、忘れられないという人も多いのではないかと思う。
 あの連続幼女誘拐殺害犯・宮崎勤が、犯行を自供、逮捕された日だ。

 あの犯罪そのものについては、今更語る気はない。
 僕らにとっての問題。そして今なお、心のどこかで引っかかっているのは、あの事件の報道が、僕らの間に巻き起こし、一つの時代を終わらせたと言うコトだ。

 まあ、一言で言っちゃえば「過熱報道」だったんだけどさ。それもハンパでないくらいに。
 当時の「過熱報道」ぶりについては、9月に入ったあたりから、各報道機関でも自粛がされるようになったのだが、それはあくまで狂気の被害者となった子供たち、そしてその残された家族たちへの配慮によるもので、それまで無神経とも言えるほどにオープンにされていた被害者たちの写真の掲載などの減少という点においてであった。
 この点においては、マスコミサイドは多少の自己反省をしたんだろう。多分。
 でも、個人的な記憶で書けば、やっぱそれ以外の部分では、自らの過剰ぶりに対する反省は見られなかった。
 特に「オタク・バッシング」。
 コレが今回の「核」だ。

 オタクの側から言わせて貰えば、あれはもう「バッシング」なんてモノじゃなくて、「魔女狩り」に近かった。

 宮崎容疑者の部屋から、大量のビデオだとか何やらが出てきました。
                    ↓
 ビデオには、アニメとか特撮とかが録画されている。
                    ↓
 いい歳をしている大人が、こんな子供のモノを、こんなに集めているなんて、自分たちには理解できない!(当時の感覚はそんなものだった。今ほど理解があったわけではないのだ)

 ・・・で、自分らの頭で理解できないことに対して、彼らは不安で不安で、「理由が欲しかった」ワケだ。
 ナゼ、あんな異常な犯罪者が生まれるのか?という理由が。
 確かに彼らの感じた「不安」も、わからないわけではない。特に、自分にも子供がいる人なら、なおさら「理由」が欲しかったことと思う。
 そこで「理由」にされてしまったのが、大量のビデオに収められていたアニメや特撮。そしてそこから出てきたのが…
「(いい歳をして)アニメや特撮に熱をあげている連中は、現実社会に適応できていない、マズい連中だ!」
                                …という論法である。
 永井豪による傑作コミック『デビルマン』における「不動明と暮らしていたから、牧村家の人間も悪魔だ!」とノリは何も変わらない。(ん?するとオタクってのは、現代におけるデーモン一族なのか? ^^)
 そこで大塚英志が作った(と本人が称している)「オタク族」という言葉が世間に大々的に紹介されることとなったわけだ。
 ちなみに彼らが「オタク」という言葉を使い始めたのは、まさか毎回毎回「いい歳をしてアニメや特撮に熱をあげている連中」と長ったらしく抽象的に言うわけにもいかないので「呼称」が欲しかったのだろう。
 なんか怪獣映画の、怪獣に名前が付けられるシークエンスに似ているな(^^)
(あくまで「世間に」。本人たちはとっくに知っていたわけだから)

 この論法は、当時から批判的な識者や専門家も多かった。
 確たる精神分析や、そこから裏付けが導き出された結果でも何でもないし、ほとんどパニック性ヒステリーが生み出した感情論に近い。
 この論法で考えれば、(極論だけど)「殺人犯がジャイアンツファンだったら、ジャイアンツファンは全て殺人を犯す潜在的な危険性をはらんでいる」ということになる。
 果たして過去に殺人を犯した人間で、アニメファンだったヤツと、ジャイアンツファンのヤツ。どっちが多いのだろう?
 マイノリティだから、ここまで注目されたのだろうか?
 でも、「盆栽ファンの詐欺師」の方がマイノリティだと思うしなあ…

 かくして、「理由」は集団心理の中の不安を少しでも取り除くべく作られたわけだ。
 そして、「(自分たちが設定した)理由」を手にして、狩猟者らの「魔女狩り」はさらに過熱していった。

 このことによって、『ヤマト』『ガンダム』以降、爆発的に増え、そして80年代中盤に盛り上がっていたアニメ・特撮ファンらは、自分たちの「これから」への選択を余儀なくされた。
 事実、周囲の目に耐えきれず、ファンダムを離れていった人はかなり多い。

 僕はこの時、89年に一度、オタクは解体したのだと思っている。
 コミケなどで「警察がチェックを入れている」という話が、やたらとそこかしこでまことしやかに、そして神経質的にささやかれるようになるようになったのもこの頃からではなかったか?

 時折、友人・知人らと話している時に、「若いアニメファンと話が合わない」とか、逆に若い人から「80年代のオタクシーンがアツかったと聞くが、それがどういうものであったのか全くわからない」という話を聞くことがある。
 この「80年代ファン」と「90年代ファン」の間のギャップは、年齢的なモノだけではなく、上記の「オタク解体」も原因としてあると思う。
 そこの時期に溝が生まれてしまっているのではないのか?

 もちろん、これ以降。90年代に入ってからアニメファン、特撮ファンになった人も多数いる。
 コミケの参加者数が、その後も増え続けて来ているのがそれを証明しているし、アニメ映画をやっている映画館でも、20歳前後の若いアニメファンがほとんどだし、95年には社会現象とまで言われた「エヴァ・ブーム」だってあった。

 皮肉なことに、「彼ら」が設定した「理由」からメジャーとなった「オタク」と言う言葉は、このことによって一般認知を得てしまった。
 一頃は「私は車オタクです」とか「スキーオタクです」とか、勘違いした言葉の使われ方もしていたし。
 正直、個人的な感情論で言えば、「そんな、やっていることに関して、社会的な後ろめたさのないようなコトで「オタク」だなどとは名乗らないで欲しい」。
 オタクの中でも、いまだ「オタク」という言葉を「侮蔑的」「非難的」と捉えている人がいるけれど、僕は今では、「後ろめたさを感じつつも、今に至るまで状況を盛り上げ続け、そして前述の差別的な時期を乗り越えてきた」趣味人たちが誇るべき「称号」だと思っている。

 でも、僕らの世代のオタクには、いまだ根深い「マスコミ不信」を感じている人間が多いのも事実。
 仕方ないだろ、信じてもらえなくても。自分たちがやったコト考えれば。
 まあ、不信を持っている側にも不勉強が生む非難をするヤツが多いけどさ。
 例えば、「ニュース」と「ワイドショー」の区別が付いていないヤツとか。(昔、ニフティでも書いたことなんだけど、ニュースとワイドショーは、作っているセクションが違うのよ。同じ部署が作っていると思っている人って意外と多いけど)

 それから10年。
 ナゼか僕は今、当時自分たちの「敵」であったはずのマスコミの中にいる。
 んで、中にいて、その頃から変わっていると思うか?と言えば、やはりマスコミは変わっていないような気がするなあ…
 今でも、不必要に過剰な報道がされているのではないかなあ?と思う事件とかあるし、それを「過剰か否か?」をあまり考えていないような気もするし。
 それこそ、「過剰な報道で理不尽に非難され、迷惑を被った側の人間」がもっと増えれば変わるかも知れないけどさ。

 まあ、ある世代以上のオタクにとっては「今更」な感のある今回の内容ですが、批判的な意見の人もいると思う。
 でも僕はあの時期に起こったことをそう捉えたし、今に至るもそんなに語られてこなかったような気もするので、あえて書きました。

【了】


もどる