★ 美術教育と日本文化 高山 当時から、みんな意識して美術やってたけど、僕はあんまり声高に「美術」とは言ってなかったし。 ―― ご自身ではあまり意識してなかったんですか? 高山 うん。 ―― そうすると何なんでしょう? 高山 学生のとき、現代美術展みたいなものを見に行くでしょ。で、その夜に見る夢のなかで、昼間に見た作品すべてにバッテンしてたもんね。 違う違う違うって(笑)。今でも、あー違う違う違うって(笑)。 ―― すると、逆に「美術とはかくあるべし」というものがあるわけですか? 高山 いや、それもない。違うと思うのは、こういう意味で美術をやってるんだって分かっちゃうからなんです。 ―― 分かるようでは美術ではないと。 高山 とくに今キュレイターが仕組むでしょ。キュレイターが何を考えてるか先に知ってると余計まずいよね。然るべき文脈の中でセットされてしまう。 プロデューサーなり、キュレイターのイメージに囲われちゃうのね、日本の場合。 ―― スポイルされちゃう。 高山 日本の批評家って、詩人崩れの翻訳家でしょ。翻訳文化ですから。だから、世界には通じないのよ。日本の批評って、向こうに翻訳されないのよね。 それで、東野芳明が言い始めたわけ。批評を育てなくちゃいけないって。それが、やがて教育の中の「鑑賞」になったわけね。日本では、図画工作美術を 教えても、見ることの訓練は全然やってない。体系的なものの見方が出来てないものだから、つい解説書みたいなものを読んで、分かった気になる。それで は、何も育たないじゃない。それで鑑賞教育って始まったわけだけど、でも、いまだにもう無惨な有様。 ―― 鑑賞教育を広めた方が美術の人口ってより増えますしね。 高山 しかも、日本の場合、権威で見せようとするからよくないよね。 こないだ、中国から来てる、うちの学生が本を読んでて、そのタイトルが『中国美術精神史』だったのね、日本語にはどう訳すんだろうな。 ―― 「精神史」というのは理論史みたいな意味なんでしょうか? 高山 そう。神仙思想とかが、同時代に応じて、水墨画や南画に反映したり、どう展開されてきたかを研究してる人の本なんです。いっぽう、日本には そういう本はないなと思ってさ。 ―― そうですね、日本固有のとなると。近代でぶつっと切れていきなり始まりますしね。 高山 近代美術だとしても、精神史となるとね。ただ表面的に何があったかということだけだから。 ―― 離合集散した歴史でしかないですもんね。 高山 だから、そういう意味でも、日本は勉強しないとすぐダメになっちゃうな(笑)。 ―― いま、留学生も労働者も一杯入ってきてますからね、中国から。仙台も多いですし。 高山 中国は浅いけどね。裸婦画とデュシャンと一緒に入ってきちゃったからさ。明治維新と戦後美術が一緒に入ってきたようなもんだよ。 ―― 日本より過激な状態。安井曾太郎にあたるような人もいなそうですもんね。 高山 僕らの大学時代の同級生に、いい悪いの問題じゃなくて、幸か不幸か、公募展で非常に生活が豊かになっちゃった人もいるんですよね。でも、 現代美術ってまだ市民権をきちんと持ってないからね。 外国の作品は、何億とか、ものすごい値段で買うでしょ。日本の作家で何億で売れる人なんていないんだから。村上隆が外で売れるぐらいでね。でも、 俺、あんなの全然分かんないもん。しかし、あれしかないというかね。ただ、外国で見ると恥ずかしい感じがするんだよね。向こうのキュレイター なんかと話すと、日本的だって喜ぶ人もいるにはいるけど、芸術以前なんて言う人もいるし、じつは色んな批評があるんですよ。日本からすると、 向こうの現象が凄いことになってるけど、そんなのほんのちょびっとした現象でしかない。 日本ってそうなっちゃうんだよな。逆に、向こうの作家でもいい作家はたくさんいるんだけど、日本ではほとんど紹介されてないでしょ。紹介する人が いないんだよね。 ―― 紹介できたとしても、それを受容する用意がない。 高山 世界には、もっと色んなものがあって、色んな動きがあるのに、日本は、そういうものに対して全然目を向けないからね。新奇なものや流行ばかり 追いかけますよね。今後、その辺が変わるのかどうか。いまの20代の若い作家たちが気がつくかどうかにかかってるんだけどな。 ―― 高山さんは、その渦中の、まさにど真ん中にいらっしゃるわけですが(笑)。 高山 うん。芸大の先端(芸術表現科)にいるわけだけど、でも、やっぱり一人だけですよ。 ―― 何かこう作戦というか、どういうアプローチでこいつらをどうにかしてやろうというのはありますか? 高山 何人かは分かるというか、感じる素質のある人がいるんだけど。ただ、今は何でもありだから… これ見た?(「展覧会『新しい美術の系譜』国立国際美術館の名作」のチラシを見ながら)今やってる県美の展覧会。ロスコの初期のやつとか、 エルンストの有名なフロッタージュとか。色んな図版で見かけるような代物が見られる。 ―― 和田(浩一)さんは「教科書的」なんて自嘲してましたけど、個別の作品はやっぱり面白いですよね。今回来てる作品の中で気になった作品は ありましたか? 高山 僕はやっぱりエルンストね。好きだから。ロスコの若いときの絵も好き。モーリス・ルイスは、もっともう少し大きいとよかったけどね。 セザンヌは、ちょっと中途半端だったね。 ―― ああいうのって和田さんが選ぶというよりは、向こうの美術館が… 高山 たぶん和田君が選ぶんじゃないかな。美術館としては、当然、これは見せてほしいというのはあるんだろうけど。 大阪の国立国際美術館って、常設展がないんですよ。企画の一環では、コレクション展みたいなものはあるんだろうけど、企画展と常設展を並行して ないんだよね。だから、何を所蔵してるのかずっと分からなかったんだ。カタログだけ見てて。だから今回初めて実際に見れたんだよね。でも、意外に 京都近代美術館から来てるものもあったね。 ―― 六本木にできたところというのはコレクションを持たないんですよね。 高山 うん、あそこはコレクションなし。 ―― 東京にある国立美術館で所蔵するところというと、西洋美術館かな。 高山 うん、西洋美術館、それから富士美術館とか。富士美術館はまだ行ったことないけど。 県美の展示で、こっちであんまり見れないのというと、サイ・トゥオンブリーがあったよね。アメリカで見たときは凄くよかったなぁ。トゥオンブリーの コーナーがあって、「えー、こんなにいいのー」ってびっくりしちゃった。日本でも、やっぱりいいものを見てないと、分かんないよなぁ。やっぱ本物を 見ないとなかなか。 ―― ああいうのが常設してあると、いい勉強になるんですけどね。そういえば、中西夏之さんのコンパクトオブジェもありましたね。 高山 そう。昔のね。僕ら学生のとき見たやつ。 僕は、小学校に入る前から、上野に通ってたから、いわゆる読売アンパンから何から、戦後まもなくの展覧会、国立博物館でやったピカソ展、マチス展、 ルオー展、それに、ルーヴル展も見たし、戦後まもなくすぐね。だから、目上の人と話してると、「何でそんなによく知ってるの?」って訊かれるぐらい (笑)。見て知ってるんだよね。本で知ってるのと、見て知ってるのとでは全然違うからね。 ―― 読売アンデパンダン展とか、毎年見に行かれてたんですか? 高山 そう。春秋は必ず上野を歩くことになってたから。公募展の日展や院展から、独立.モダンアート、何でもほとんど見てた。 ―― 全部、連れられてゆくんですか? 高山 そう。高校のときなんか分かるまで見ようとした。セザンヌは、十何回めかでようやく少し見えてきた。セザンヌの絵が見えてきたら、日常の 世界の見え方まで変わってくるんだよな。だから、絵って、見え方の訓練になるね。本で見え方を学ぶのと同じでさ。セザンヌなら、セザンヌの空間とは 何かってね。ルドンとどう違うとかね。そういうのが分かってくる。そうすると、セザンヌの見た世界とはこうだったかと、そのとおり現実の世界が見えて くるんですよ。 誰かの本を読んでたときに、奥行きというのは背後だって言葉があったんですよ。奥行きというと、みんな前方ばっかり見るでしょ。デッサンすると、 対象に対する地平線や壁が奥行きだと思ってるでしょ、この点、日本人は全然駄目だよね。でも、人間が見てる奥行きというのは、自分のバックボーン だということが分かった瞬間、突然対象の見え方が変わってくる。 例えば、対象までの距離。これを描く日本人っていないんですよ。ジャコメッティが読まれない理由もそこにあるよね。ジャコメッティは、ここまでの (対象と観者の)距離を作ろうとしたでしょ。彼の言葉に、屋上から人を見ると重力が消えるってあるんだけど、彼はそれを距離として表現する。すると、 あんなふうに細くなってゆくわけだ。量感ではなくなっちゃう。彼もセザニアンだから、若いころセザンヌみたいな絵も描いてたんだよね。下手糞だけど。 そういえば、肖像画を描くときとか、彼は枠を作るでしょ。あれは、新約的にはちょっと別な意味があるらしいよ。 話を戻すと、セザンヌは空にまで距離をつけちゃった。空も距離として、位置として見た。自分から向かって行ってぶつかる。空にぶつかって、戻って くることを距離と言った。自分から繋がっているわけだ。距離というのは、自分のバックボーンだ、後ろに生まれるんだというわけ。そういうのって、 日本人にはなかなか理解しにくいみたいね。 いま若い人がセザンヌの絵を見ても、タッチしか分からないって言うの。様式とか形式しか見ないから。その様式さえ、何故プレパレーションする のかは分からない。だから、見ることの出来る人っていないんじゃないかと思うよね。 あと、アメリカ行った時に、「こんなにセザンヌがあるんだ!」ってビックリした。代表作はみんなアメリカにあるもんな。最後の大水浴図もあるし。 それがまたいいのよ。お金があっただけじゃなくて、見る目があった。アメリカにあれだけのセザンヌがあって、そんなにセザンヌが好きだったら、 セザンヌ風の絵があるかと思うと、それが全然ない。生まないんだよ。日本だったら、セザンヌ風になっちゃうだろ?そうじゃなくて、セザンヌを今度 どういうふうに理解してゆくかという論争が起きるんだけど、セザンヌらしい絵はないんだよ、不思議だよね。 それで、日本の近代の黎明期の有名な絵描きの絵と、お手本になった絵とを並べる展覧会があったんだけどね… ―― いじめみたい(笑)。 高山 いまの現代美術も、日本と外国の作品を並べたら、面白いかもしれない(笑)。 そういえば、むかし西洋人が日本の美術館を訪れて、「どこに芸術があるんだ?」って言ったらしいよね(笑)。自分たちの故郷に行けば、 セザンヌやらゴッホ、フォヴィズムもキュビズムも構成主義も全部あるわけじゃない。それと似たような絵があるだけでしょ。だから、「日本の芸術は どこにあるんだ?」って。物真似を見に来たんじゃないってね。 ―― 先に出た3Dの話じゃないですけど、セザンヌの絵って、奥に引っ込むというよりも、こっちの知覚を直接ぞわぞわさせるようなところがあります よね。例えば、傾きだったり、樹木が盛り上がる感じだったり、こっちの身体に働きかけてくる。身体が動かされる感じがある。 高山 彼は、3D的に描いてるんですよ。 ―― ええ。タッチで視差を作りながら、キャンバス上ではなく、こっちの身体の方で感覚を実現させる。 高山 それを背後と言うんですよ。 ―― あの感覚って、3Dが作りだす、反射みたいな生理的な反応ではないですよね。むしろ、記憶や想像力に関わっていて、もっと深みがある。3Dも セザンヌも同じように身体に働きかけますが、随分異なってる気がします。 高山 だって、彼は無情でやってるからね。じつは平面は平面でしかないということ。それと、伝統的な三次元風の技法。彼はこの狭間に入っちゃった わけ。その狭間で、彼は悩み続ける。三次元を二次元化するだけでなく、伝統的な奥行きをどう解決するか。そこで、背後の問題が生まれたわけだ。 だから、彼は、未完成ということになるわけだけど。 ―― 見たという完結感がないですよね。セザンヌの画面って、常に動いてるから。直接こっちの身体に運動をもよおさせるから、終わらない。だから、 意識的に視線を画面から外さないと、次の絵を見れない。 高山 視点が違うものやずれたものを同時に描こうとしたわけね。これは、ピカソ風に解決する方法もあるでしょ。徹底的に、ガラスの破片みたいにして。 でも、セザンヌは、その手前で、色んな時間なり、対象の見え方の違うものを作り直そうとする。だから、ぐらぐらしちゃう。でも、ぐらぐらしながら、 もっとも古典的なプッサンのようにがっしり描かなくちゃいけない、彼はそう言うわけ。安定しなくちゃいけない。矛盾してるんですよね。 プッサンの絵を見ると、やっぱりある部分はセザンヌそっくりだよ。僕は、セザンヌを知る前から、プッサンの絵が好きだったのよ。それが、 セザンヌを知ると「プッサンに戻れ」って言うもんだから、えーって吃驚してさ。ただ、日本ではプッサンは見ることができないんだよね。だから、 印刷だけで見てた。パリに行ったとき、プッサンを見れて嬉しかったよね。 僕が一番最初に模写してた画集は、ボッシュだった。その当時厚いボッシュの本が出たんでね。あと、色んな外国からの展覧会で、ボッシュの絵が 何点が来たんだよ。そのとき吃驚したんだ。「こんな美しい調子が使えるとは知らなかった」って。 日本でヴァルールが使える作家って、ほとんどいないんじゃないかな。現代美術なんて、ヴァルールがない絵描きばっかりだし、出鱈目ですよね。 とくに当時の日本では、まだヴァルールの意味が分かってる人はいなかったんじゃないかな。いわゆる白黒の諧調のなかでの、調子っていう意味でしか 理解されてなかったと思う。やがて、色価って、新しい訳が出来た。相対的な価値っていう意味でね。だけど、今それも消えちゃって、戻っちゃって るんですよ。 だから、色彩といったところで…例えば、ジェームズ・タレルの仕事だって、色彩原理からすれば、基本的なことなんですよ。表面色、つまり サーフェスカラーとボリュームカラー、それからフィルムカラーの3つがある。色彩学では、バウハウスなんかでも、それは基本概念なんだけどね。 日本では、教える人が誰もいない。教えられる人がいない。表面色には、こうカットしてそのフレームから覗くと位置が消えるという原理があるんです。 タレルはこれを利用した。空の色の位置をなくす。ペタッとくっついたようでもあるし、どこにあるか位置が消えちゃう。だから、画廊の中で、 色だけこっちから出しておくと、入った瞬間、自分がどこにいるのか分からなくなる。色の位置が無くなっちゃう。それだけのお仕事なんですよ。 宇宙を、全部サーフェスカラーとして利用した。ボリュームカラーだと、モネなんか原理を分かってた。フィルムカラーは、透明な色が重なって 見える色ね。 そういう原理的なことは、バウハウスの本に書いてあるんだけど、日本ではどういうわけかやらないんだよね。どちらかというと、光の色彩学の 先生の方が、一応原理としては分かってる。だけど、それが何を表現することになるかは、分かってない。解説書はあるんだけど、美術に繋がってない。 フィルムカラー、サーフェスカラー、ボリュームカラー。これらがどういう原理なのか、絵や美術のなかでどういう役目を果たしてきたか、そういう ことを書く人はいないなぁ。見たことがない。 とくに日本の場合は、顔料が透明水彩ではなく、不透明でしょ。日本画の絵具じたいが、上に乗っけたその色しか出てこないでしょ。透明水彩って、 イギリスとかそういうところから入ってきたわけで、下の色が重なって見える構造は、日本の顔料ではできない。 でも、それを逆に、ある色は裏から描いて、その上に表から色をつけると、紙を通して出てくる色を効果的に使うことが出来る。それをやってるのが、 棟方志功。彼は、凄いモダニストね。ゲシュタルトをちゃんと分かってる。吃驚した。これは、世界が見てすぐ分かるよ。何を描いてるか以前に、 原理的な絵画構造がある。日本画ではできない世界。裏から色を出したり、表につけるのと、中間につける色と、三層でつくる。 油絵具でも、普通に絵を描くと、透明にはならなくて、ただ直に塗り重なるだけ。透明性を使い分けられるのって、向こう行った人じゃないと分からな かったわけ。日本では、油絵具って、下の絵を消せるという意味だったんだから(笑)。下地が一番大事で、それに層を重ねてゆくことで絵ができる。 そんな原理的なことも習ってないわけだから。明治以降に日本が輸入したのは、印象派からでしょ。絵具を直接ベタベタ塗るわけ。フランドル技法も ヴェネチアン技法も分からないよね。それから、陰影法といっても、実際、陰と影を見極められる人ってなかなかいないですよ。例えば、江戸時代に、 出島をとおして『解体新書』が入ってくるでしょ。それを日本人が模写してるわけ。そうすると、陰影が全部消えてるの。線だけになってる。見てる のに描けない。たぶん脳の問題なんですよ。今だって、見て描きなさいと言ったって、あっちの人は太陽を黄色く描くけど、日本人は赤く描いちゃう。 これって、あなたが言う「実在」になる? ―― まぁ、蒸し返すつもりはないのであまり言いませんが(笑)、赤でも黄色でも、人や文化によって見え方に違いをもたらすものこそが実在なわけ です。 高山 昼間の太陽が赤いだなんて誰が言った?そういうもんなんだよ。今までの歴史がずっとそうやって作られてきてるからね。その方が管理しやす かったんでしょ。ゴッホの絵を見て吃驚する人でも、その絵に描いてある太陽が赤くないのに、ちっとも不思議に思わないのがまた不思議だよね。 宮城教育大学(以下:宮教)で、シュタイナー教育をやってるドイツの先生を呼んだら、普通に観察して描く写生を認めないんですよ。写生は理科の 勉強でしかない。はたして、日本人がそこまで飛躍できるかどうかはかなり難しい。で、何をするかというと、透明画法っていうものを実践するの。 紙に水絵具で描いて、水で洗うの、それにまた水で色をかける。で、また洗う。そうすると、層が重なって、色んな模様めいたものが浮かんでくる でしょ。そこに何かを読みとって形にしてゆく。簡単に言うと、シュタイナーって、クレーやカンディンスキー、モンドリアンの元祖みたいな人なん だよね。 僕にとっては、シュタイナーって面白い人だったからよかったんだけど、やっぱ日本人には難しいと思った。すぐには理解できない。僕らが全然 考えたことのない世界でしょ。色は霊を表すって書いてあるしね(笑)。翻訳がまずいんだとは思うんだけどさ。シュタイナーの色彩論ってあるでしょ。 ゲーテを読んでから、それを読むと繋がりが分かるけど、日本はその辺全然ダメね。どっちかというと心理学に行っちゃうんだよな。統計とり始め ちゃうからね。数値でグラフ化された世界で、ものを見るから。 そうそう、それ以前にも、オイリュトミーは随分見てたんだ。下半身がなくて上半身だけで踊るおどりだから、あまり認めてなかったけどね。でも、 シュタイナーを知って、随分色んなこと考えさせられた。 シュタイナーでなくても、宗教も含めて、世界観みたいなものって、日本人は相当馬鹿だと思う。空間にならない。色んな庭を見ても、いまいち だもんね。浄土庭園の方はちょっと興味があって見てるけど。いっぽう韓国や中国の方が、え!?っていうのがあるよ。 僕が小さいとき、よく哲学堂で遊んだんだ。キリストがいなくて、孔子、ソクラテス、釈迦、カントが祀られてる。幽霊の門を入ると、空間が 広がっていて、いわゆる死後の世界として、庭が作られている。塔があって、三途の川もあって、川を渡ると梅の花や林があって、なかなか面白い ですよ。いわゆる宇宙図を大きな公園として作ってるわけ。そこをずっと徘徊して遊んでましたね。だから、それは今の造形の世界と繋がってると思う。 世界観の公園というのかな。発想がいいよね。そういう経験を、日本人はほとんどしてないはずですよ。それに、日本の神話も知らないし。 『古事記』や『日本書紀』すら読んでないんだから。学生なんて、ろくすっぽ話にならない。漫画しか経験してない。それが彼らの実体験と言われれば、 あ、そうってそれ以上は突っ込まない。だって、どう仕様もないもん。ちっちゃな情報の中で生きてるんだよな。情報を疑うこともしないし、 ちょっと耳に入っただけで知ったつもりになる。学生と話してても、酷い情報で生きてるからね。美術だって、ちょっとした情報だけで生きちゃってる から、もう情けない。流行とか、テレビ映ったとか、その程度だからね。中身分かってるかどうかなんて関係ない。宿命なのかなぁ、日本の… 仙台の風景も変わってきたよなぁ。周辺の山の形が変形してきてる。砂利を採ったり、新しい家を作るために壊しちゃったりね。仙台の人は怒らない からなぁ。原風景が壊れてるのに、誰も一言も物申さないというのは、何かね。 ―― 気づかなかった。 高山 やっぱり慣れちゃうからね、人間の眼って。いま学生と話してても、日本の国自体が異文化だもんね。日本という国が全然見えなくなっちゃった から。 ―― 彼らはどこに住んでるんでしょう? 高山 やっぱりディズニーに育ってさ(笑) ―― 夢の国に住んでるんですね(笑)。 高山 王子さまかお姫さまに、冠だったりさ。ヨーロッパやアメリカのブランドに憧れて、たまに浴衣を着て日本人だと思ってるくらいだからさ。 ―― それでも、優秀な方が集まる先端ですからね。論文書いて入るんでしょうし。 高山 最悪ですよ。ドクターで辛うじてまだ少しマシなのがいるけど。だから、入った人が可哀想よ。コンプレックスばっかり持っちゃうから。 腕がない、技がない。 ―― 専門の拠り所がないから、本当に勉強しないと駄目ですものね。しかも、自分で勉強するにもやり方が決まってるわけじゃないから… 高山 いまの院生で、青野君が大学院で書いたレポートぐらいのものを書けるのなんていないよ。みんな、インターネットで調べて書いちゃうんだよね。 嘘が多いのにさ。調べてもいいんだけど、検証しないのね。検証するという方法も知らないし。絵を見ても何でもそうなんだけど、検証するということ、 まず疑う作業をしない。だから、読んでると面白いよ。論理がだんだん矛盾だらけになってくるの。でも、それに気づかない。平気で写してるからさ。 口頭で質問すると答えられないんだよね。最後にはそう書いてあったと言うんだよ。 よその文化を自分の言語に置き換えて、自分のことばで再構成するというのは、江戸時代の方がまだ優れてたと思うよ。鎖国という原理があったから、 逆に外国のことについてきちんと調べてるよね。幕末に、ドイツが日本と交渉しに来たとき、そこに立ち会った日本人が、ドイツ語で喋ってたそうだ。 オランダ語も含め、ドイツ語も喋ってたというのさ。幕府内では、きちんと向こうの分析をやってたんだよね。しかも、向こうから来た人の三代前までは 分かってたそうだよ。どんな家柄で、どういう系図の中で、どういうお爺さんがいてどういう親戚がいるかということを全部分かって話してた。だから、 向こうが吃驚してたって(笑)。情報というのは、こっちに意図がない限り、調べたことにはなんないんだよね。何かこうペラペラ調べてたって 仕様がない。 ところで、あなた(青野)のとこで教えてる高校生でも、美術方面に興味のある人っているの? ―― いくらかは。でも、美術と漫画なんかを混同してますけど。夜間学校にも行ってるんですが、こちらの方が、美術方面に興味のある人は、率的には 多いかもしれません。 高山 いま昼間だと、進学校か。 ―― 僕が行ってるのは実業高校ですからね。工業高校だから、ある意味でいうと、反対の世界ですね。 高山 宮城野の芸術高校は? ―― ないんですよね。 高山 青野みたいの、非常勤で呼びたくないかなぁ。呼べばいいのにな。 ―― 友人が毎年転勤希望を宮城野で出してるらしいんですけど、今年辺り、彼でも行けばね。僕も行けるかもしれない(笑)。 高山 僕が見に行ったときは、受験校化してたな。 ―― 美術では、宮城野のウェイトが高くなっちゃってますよね。本当はもっとちゃんとやらないといけないのに、行政側が、ああいう学校を作ったん だから一応考えてるんだぞという言い訳になっちゃってる。 高山 行政側というか、校長レベルの美術感覚というかね。美術といったところで、河北展だから。 ―― 卒業展とかやってますよね、宮城野の。 高山 前はちらちらと見たけど。 ―― 専門学校みたいなんですよね。デザイン系のプレゼンテーションばっかり教えてるような。高校でああいうのをやって、でも、別にみんなすぐ 就職するわけでもなく、美術をやる人は美大を受ける。 高山 宮城野のレベルでも、普通科の方はまだマシなんだよ。専門になると、いわゆる狭いところの専門性で、頭が悪いとなると余計タチが悪いんだよね。 ―― 自由にさせてるから、その分、生徒はその気になって勘違いしてしまう。 高山 宮教時代、美術やりたい子がいるって、先生がときどき相談に来たんだ。でも、例えば、何とか私学に入ったとしても、悩むらしいんだよ。 子どもがノイローゼになったりして、親がもうパニックになっちゃて。作品を見たときは面白い子だなと思ったんだけど、親が子どもとの距離を保てなく なってるんだよ。親がおたおたしちゃう。うちの学校でもそう。いま大学でも父兄相談するんだよ。親が来ると、あぁ駄目だって分かるもんね。親にして この子ありでさ。芸大に入ったって駄目ですよって(笑)。学生も、経済的に安いから来るっていうのは分からないわけではないんだけど… 東北というか、仙台の人って、秋田青森山形岩手が分からないよね。仙台の人は駄目だよ、そういうところ。東京は斜に見るし、東北は馬鹿にしちゃう。 仙台は薄っぺらい。だから、宮教にいるとき、俺、東北旅行に変えてやったんだよ。こっちは、街の人、東北自体が自分たちの文化を大事にしないから、 もう朽ち果ててるんですよ。価値が分からないわけ。がっくりしたね。自分たちの文化を見る力がない。 だから、岡本太郎と同じよ。彼がフランスから帰ってきて、日本文化について話してもらったら、縄文だって言うからみんなガクッとしたわけよ。 それまで縄文なんて、美術館にはなかったんだから。博物館の隅っこで埃を冠ってたんだから。日本の人たちは、洋行帰りの彼なら、やっぱり京都奈良の 文化を素晴らしいと言ってくれると思ってたから、え?縄文って何ですか?みたいになっちゃった(笑)。それでも、文化財にしても、やっぱり京都奈良 中心で、東北なんか全然相手にしない。最近は少し見るようになってきたかな。でも、扱いは酷いもんですけどね。 ―― 縄文は見るようになったけど、その後は蝦夷の発掘に予算が下りない。発掘できないから何も出てこないのか、それとも本当にないのか、よく分から ないという感じらしいですよね(笑)。 高山 それは仕様がない。だけど、仙台って、色んなもの見ても全部江戸の物真似みたいなものしか残ってないでしょ。酷い文化よね。瓦ひとつとっても 何を見ても。でも、政宗がお城を作ったから、東北大が出来たんだよね。 こっち来てすぐかな。オシラサマ、ちょっと面白かったから歩いて見たね。来てすぐ調べてさ。非常に不思議な世界。黒人彫刻を思わせるようなさ。 調べるために、初めて多賀城の歴史博物館に行ったんだ。それから江戸時代の絵師を調べるのに、仙台にある福島美術館に行って。でも、美術の先生に 聞いたら、知らないんだもんな。それも吃驚しちゃた。この街はどうなってるんだってさ(笑)。なんていうのかな、地元とそういうものがちゃんと繋 がってないでしょ。東北大で美術史をやった人は、東北の美術をどのくらい知ってるか知らないけどさ。 僕が聞いた話にこんなのがあるんだ。朝鮮戦争中に、仙台に来たアメリカ兵が、古道具屋である仏像を見つけた。そこで、東北大の先生に、それが どんなものなのか聞きにいったわけ。そしたら、大したもんじゃないと言われた。でも、彼は、素人ながら自分が好きなものだからって買って帰ったん だよ。そしたら、それが今や、メトロポリタンの日本館の目玉ですよ(笑)。まぁ、それはね、推測でしかないけど、買わせないために「大したことない よ」って言ったのか、本当に分からなかったのかは分からないよ。ただ、そもそも仏像に価値をつけたのは、やっぱり外国人だしね。フェノロサがいな けりゃ、日本人自身には何の価値があるんだか分かんなかったわけだよ。浮世絵だってそう。今の週刊誌みたいなもので、梱包材に使ってたわけだからね。 それを広げてみて、吃驚されたんだから。浮世絵の版木だって、みんなアメリカ兵が持ってっちゃったし。全然残ってないんだから。版木で、みんな釜を 焚いてたわけだから。自分たちで自分たちの価値が分からない。だから西洋しか価値がない。向こうのことを少しでも知ってたら、偉くなってるつもり だから。だけど、それの逆を考えてみると面白いのよ。明治時代って、大学を出っ放しの若い連中が、日本を改革しようっていうんでしょ。いま大学卒業 したくらいの連中が外へ出ていって何かできる? ―― 明治維新で、文化関係に行った人たちってみんな負けた人たちなんですよねぇ、芸大も含め(笑)。 高山 でも、どうしてこうなっちゃったんだろうね。今の若い人たちはこれからどうすんの? ―― 就職ができない世代が10年ぐらい続いちゃいましたからね、可哀想といえば可哀想。 高山 うちの学生もそうだよ。就職したいとは言うけど、呑気だよね。なんで勉強しないのかなぁ。人にはない自分を作らないもんね。これは負けないぞ とか、どこで闘っても自分であるものはあるとか、そういう気概がない。ドングリの背比べみたいに、あの人よりは私マシかなぐらいの感覚でいるん だよね。そういう何ともいいようのない、自己満足の仕方。情けないと思う。まず根本的に何がないのかを、自分に問いかけないというのは凄いね。 自分に何がないのか。自分が生きるために何をしたらいいのか。これをやりたいのであれば何をするべきか。そういう問いが一切ない。 アメリカの若い学生なんかは、就職して面白くなければ辞めて、もう一回学校に入り直したりするんだよ。いつでも勉強し直すのは平気だからね。 銀行の窓口をやってたやつが、絵を見てるうちに、キュレイターをやってみたいと思って美術の学校に入り直したりね。そこで、徹夜で本を読んできたり。 そういうのが当り前。エネルギーが凄い。日本は大学に入るのが精一杯でしょ。大学に入ったら遊ぶことばっかり。まぁ、日本は駄目だね。それは、 フランスへ行ってもそうだし、韓国へ行ってもそう。 山内(宏泰)は、ああいうのが育つのは珍しいよ。あなた(青野)とか健ちゃん(佐々木)とか、面白いの何人かいたんだけどね。いま残ってるのは、 そういうちょっと変った人だもんな。変ったというか、なんか分かんないながらも、屯ってた人たちが、今でもそれなりによくやってるもんな。 山内は回転が早いからね。それに手足がよく動く。何に対しても、今回もボタニカルの展覧会をやってたんだよね。植物画でも集め方が面白かった。 装飾ボタニカルになるのや、いわゆる理系用のボタニカル、それから本当にだらしなく装飾の装飾になっちゃうの。それらがどこで嘘になってゆくかのか とか。日本の教育の中で、ボタニカルがどういうふうに変化してきたのかとか。色んな視点を、こう複合的にやるというのはなかなかだよね。よくこんな 資料を集めたよな。あるとき何気なくそれを見てて、いつか使えると思って取っておいてるんだろうね。能力あるよ、あいつ。逆に、東京辺りで ボタニカル展をやっても、ファンを喜ばせるだけだもの。あれだけちゃんと色んな視点を複合的に指摘しながら展示するのは凄いよ。あの美術館には 勿体ないくらい。人は来ないらしいし。だから、見てくれる人がいない、分かる人がいないって、残念がってた。 同じような絵を見ても、ただ見るだけで終わっちゃう人もいるだろうし、ボタニカルで自分の好きな絵柄を探すだけで終わっちゃう人もいる。だけど、 それをどう組み合わせるか、それによって何が見えてくるかが肝心なんだよね。だから、学生にも、美術館へ行ったら、その美術館は何をやろうとしてる のか、この展覧会はどう演出されてるのか、キュレイターは何を並べようとしてるのか、全部読んでこいと言うんだけど、読めるやつはいないよね。 読もうとしないから、読めないだけの話なんだけど。面倒臭いんだろうね。結局、自分の気に入ったものだけを見てくる。あれが好きだった、これが 好みだったって。まぁ、それもいいんだけど、その専門家になりたいの?って。 どのくらいの現場の先生が、どの程度のことやってるか知らないけど、いま講師が多くなってるんでしょ? ―― 美術は半分以上講師で、しかも中学校はみんな講師枠になってきてますね。東北学院も、選択になったので、なくなったんですよ。 高山 この間も、教育委員長の前でこんな話をしてきたんだよ。西洋では、科学と芸術というのは、人間を考えるときの二本柱なんだけど、ところが、 日本ではどういうわけか、科学というか効率科学はあっても、基礎化学や基礎物理はどんどん無くなってゆくし、美術だって隅っこに追いやられて、 好きな人だけやってればいいという風潮になってる。これでは、日本はただ滅びるだけですよ。滅びるように仕向けてるのは教育委員会ですよって(笑)。 さらに、それを周りが怒らないのは、日本人自身が自分たちで滅びてもいいと認めてるということでしょ。そこに希望があるんですか?って。 ―― 返事はどうでした? 高山 黙ってた。だって、自分さえよければいいんだもん、黙るしかないでしょ。日本全体が沈んでゆくなか、自分だけが助かっていたい。そのための エネルギーしかないんだから。他人が沈むのは構わない、自分だけがそれよりも浮いていたいわけよ。人間性なんて、もはやないと思っていいでしょうね、 例えば、ちょっとでも変なことをすると、矢継早に叩くでしょ。ヒステリックな社会現象。あんなの放っとけばいいんですよ。普通に処罰しておけば いいのに、新聞や週刊誌、マスコミが叩いて、テレビがワイワイ騒いでさ。自分だけが少しでも善人であるかのように思いなすというか、自分は正しいん だという。卑劣な社会ですよね。でも、社会そのものが卑劣になってることに気づかない。 だけど、僕らが知ってる限りでは、日本なんて国は、何の責任も持たない国家だからさ。誰が死のうがそんなの関係ないんだよ。終戦末期になると 兵隊が先に逃げちゃうんだから。自分たちだけ帰国して、子どもはみんな中国に残してきたわけでしょ。それなのに、孤児たちが日本に戻れるかも しれないとなると、当の親は、知らないふりをする。日本のなかでどれだけの親が、知らないふりをしてることか。東北には多いんですよ。向こうに 残してきたなんて、兄弟にも誰にも言えないわけよ。そうして、残留孤児にも拘らず、戻って来れない人がたくさんいる。自分たちが逃げるときには、 食わせられないからとか病気になるからって置いてきといて、その孤児がいざ身寄りを訪ねてきたら、今度は知らんぷり。いま来られても、親たちに とっては面倒臭いわけだよ。自分の生活を壊されちゃう。誰も責任をとろうとしない。でも、最近少しずつ打ち明けられ始めてるよな、人肉を食った 話とか。なかには、70歳までは喋らないと決めてたのが、生きちゃったものだから、やっぱり言わざるをえなくなってしまった人もいるらしい。 僕の知人にも、自分のやってきたことで、今さら人に語れないからって、毎日うなされてる人もいるのよ。日本人って責任とる人がいないんだ。 政府もそうだし、庶民もそう。 美術もそう。作る側の責任もあるけど、見る責任ってのもあるのが分からない人が多い。批評がないというのはそういうことですよ。見る責任がない から、単なる解説になっちゃう。それは、責任ではないよね。好き嫌いでもいいんだけど、ちゃんと責任を持って好きなら好きと言えばいいんだよ。 嫌いならなぜ嫌いかを言えばいい。そうして、好きな人と嫌いな人とどう違うか。その違いが、ずれてもいいからちゃんと見えるようになればいいん だけど、そういうことも起きない。ヨーロッパであれば、ある展覧会があると、展覧会そのものを批判すべく、同じ作家を使って、別な人が別の 展覧会を企画するからね。自分はこう見てる。だから、組み立て方を変えた展覧会をやる。ちゃんと批評するわけ。あるいは、自分は、ある時代の 作家の批評はするけど、他の時代についてはしないっていう人もいる。ある問題についてなら責任を取れるけど、他の問題については取れないから しないと。というのも、面白い部分があるからこそ書くわけで、もし、その作家に関してそれ以上の魅力が感じられなければ、必要以上に書くべき ではない。他の部分については別の批評家に譲る。そういうのが、普通のコミュニケーションなんだけど、日本では成立しないんですよね。だから、 勉強しても、それが生きたものになってゆかないんだよな。 そういう意味では、僕の中学校の英語の先生が、印度哲学をやってた人で、結構いい影響をもらったな。 むかし、芸大にも教養課程があったけど、今はなくなったでしょ。日本の大学って、専門学校化しちゃってるから、人間の教育はどこもやらない。 人間とは何かということがない。 今でも、そうかは分からないけど、僕が知ってるころのアメリカでは、教養の先生が一番ステータスが高いんだよね。教養のない人に専門を教えても、 創造力にはならないという考え方なの。専門馬鹿を作っても仕様がない。教養があって初めて専門をやる。まず、教養が、創造力の源になって、 いろんな疑問をたくさん感じる力を育む。専門性はその後のテクニック。そういうのは、日本にはもう成立しなくなっちゃった。だから、人間の歴史を 教えられる人が日本にはいないでしょ。いろんな意味で、人間とは何かというところから始めるさ。近代に入って、日本も物真似で大学を作ってみたけど、 その中で哲学なんかもやってみたけど、結局は何にも身に付かなかった。効率や近代化に役立つものだけが、進んだ。日本のなかで、哲学を命題化する ことは出来ないんですよね。日本の生活のなかで哲学って役立つと思う? ―― 逆ですよね。生活に支障を来しますよ、哲学をやってたら(笑)。 高山 哲学をやることが、日本のなかで役に立つのかどうか。応用科学と違って難しいところだよね。 僕は高校時代から水戸学派がずっと好きでね。高校のときから右翼で通ってるから(笑)。京都学派も好きで、やっぱりあっちの方が自由で面白い よね。東京の方はみんな官吏になっちゃうわけだし。宮教で一緒になった、東大出身の先生たちとつき合ってみてがっくりさせられたもん。 それにしても、こんなに先生をやるなんて思いもしなかったよ。21か22歳から予備校で教えてたから、来年で67歳だとすると、46年か。何年やって るんだか(笑)。これは、まずいよね。どこかで罪滅ぼしをしなきゃなぁ(笑)。本当に、美術の塾でも作りたいね。現代美術はあまり興味ないから、 何か考えることをするための塾ね。専門学校みたいのがみんな無くなっちゃったでしょ。TSAとかさ。美学校はまだ続いてるのかな。Bゼミもなく なったし。 有名にならなきゃいけないって言う人がいるよな。発言力を持てって。でも、それって、ジャーナリスティックな意味なわけで、要は、マスコミの なかで目立たないと発言力はないんだって言ってるだけ。それは、エコノミー社会のもつ本質であるとは思うけど。一般の大衆って、新聞に乗った、 テレビに映ったということで評価するわけだよ。だから、「まだ、あそこまで行かないですね」なんて言われたりするしね。仙台だと、美術をやって ますと言うと、「じゃ、お忙しいんじゃないですか?」って、「河北展近いですもんね」とか言われるんだよ。「いや、僕は河北展には出さないんです」 というと、「あ、そうですか。失礼しました」ってね(笑)。まだまだひよっこだと思われたりなんかしてさ。そんな感じですからね。 ―― 孤独ですねぇ(笑)。 高山 孤独って大事なことですよ。孤独じゃないと作品を作ることが出来ないもん。相談して作るわけじゃないからさ。 孤独と私って、直接に繋がるわけじゃないけど、僕は日本のなかでは「私」というのを認めない。「私」というのは成立しないんですよ。そういう 意味で、まだ近代化してない。近代市民なんてのも存在しない。文化というのも、公が持ってるもので、自分個人で背負おうというのがない。家制度が 消えちゃった途端に、文化が無くなっちゃった。うちに家訓ってある?家の文化の柱だったのにね。 そうそう、日本で不思議なことがあってね。トイレに、よくゴッホの絵とか飾ってあるじゃない?うちも、かみさんが飾ってるけど(笑)。何故こう いうのを置くんだ!?という(笑)。カレンダーの付録みたいなやつさ。それは、悪い意味だけじゃなく、面白いと思うよね。あれ、世界中のどこに 行ってもないよ。宗教的なものがあるところはあるんですけどね。日本でトイレに神棚がある家は、ただ狭いからでしかないけど。田舎に行けば、 普通の家屋にも、仏壇と神棚があるでしょ。でも、だんだん、普通の生活から、仏壇の間や神の間は消えつつありますよね。 床の間がなくなったのは勿体ないよね。日本の優れた部分って、あそこだけなのに。日常のなかに、非日常的な芸術空間を作ったわけでしょ。 あれがどう変わってきたかというと、掛け軸を外して、盆栽を外して、花瓶を外して、そこにテレビを置いたり、ステレオを置いたりしちゃった。 あの奥の半畳ぐらいの空間に、非日常的な空間を作ったというのは、凄い知恵なんだよ。ところが、それが消えてしまった。これは、日本人自身の 責任だと思う。 それから、今の学生と話しようと思っても、みんな本を読んでないから話ができないんだよね。日本の文学も読んでないし、「チェホフって何ですか?」 なんてね。10代の子と話すと、時代も随分変ったと思うよ。だって、入学式の時に、おさげしてさ、「わたし女です」って来るんだよ。 男なんだけど(笑)。「わたしを男の子と思わないでつき合って下さい。よろしくー」って。なんか漫画の世界みたいになってきた(笑)。本当に 漫画の一コマ一コマみたいだもん。解離性人格障害みたいなのがたくさん入ってきますよ。 ―― サナトリウムみたいなもんですね。 高山 ただ、時々キラッとしたものもあるにはあるんですよね。そこで、みんな、それに期待するわけだけど、でも、僕自身は、あまり天才主義とかには 興味ないし、普通に勉強すればいいんじゃないのって思っちゃうんだよね。普通っていうのは、いろんなことに疑問を持つということだよ。始めから、 自分が変り者だという生き方には、あまり興味を持てない。それは、本人にお任せするしかないわけ。こっちが口を出す必要はない。自分から、いろんな ことに興味を持って、疑問に感じて、そこから、自分の疑問をどう作り替えて、見直してゆくか。それが大事だし、それだけでいいと思ってるんです。 でも、ほかの先生たちは、ちょっと違う考えみたい。あとで大変なんだけどね。病院へ行きなさいとか、病院行ってますとかさ。 それから、別に何を描いてもいいんだけど、観察力というか、見る力がなさ過ぎるんだよ。みんな、ただ覚えればいいと思ってる。見方も覚えればいい。 覚えたものを答えれば、一応マルを貰えるようになってるからさ。見て経験して、組み立ててゆく。それは、やっぱり小さいときから養われないと駄目 なんだと思う。大学から習うのでは、遅いんだよね。それで慌てて、ディベートとか色んなことやらせるけど、それをちゃんと体験した先生がいないじゃ ない。だから、実験校の授業を見て、マニュアルどおりやってるだけ。マニュアルどおりやるということは、金太郎飴を作ることだっていうことも分かって ないんだよね。だから、金太郎飴の作り方だけは世界一品だよね。 そういうデータを取る研究があったんですよ。でも、その研究も、日本では潰されちゃったもんね。どういう研究かというと、四歳児、小学校、中学校、 高校、大学生くらい、それから40代、60代の被験者に同じ問題を出すんですよ。遠近感というものをどう感じて、図としてどう表わすか、それの アンケートを取るわけ。そしたら、見事に、画一的な結果になったんですよ。フランスで調べたら、何%かは常にいろんな空間性というか、いろんな 図が出てきた。あそこは、移民が多いしね。つまり、日本だと、教育で何をやったかが直接に現われるんだよね。幼児期にはまだ色んな空間感を示すん だけど、中学ぐらいになるとみんな似たようになる。ひとつの図の方法しか覚えない。 遠近法で、立方体を描きなさいというと、刷り込まれたように、斜め上から見たやつを描くわけですよ。立方体というのは、三方向が見えるものだと 思い込んでる。だから、そこで、今度は建物を、その遠近法で描いてご覧なさいというと、それと同じに描くわけだよ。屋根が見えないのに、屋上は 見えないのに、描こうとする。だから、上の部分が空いたままなんですよ。そういうことが起きる。地面の方は、遠近法で描いてるから、こう縮まって るんだけど、上は見えないから描けないんです。そう脳に刷り込まれてる。これは、遠近法に関してだけじゃないよね。日本というのは、物事を構造的 には教わらない。何故、そういう線遠近法が生まれたのか、その歴史も分かんないわけ。ただ、これが遠近法だというだけ。だから、水平線、地平線の 意味も分かんない。見える地平線と図の地平線というのは違う。何故それが近似値かということも分かんない。基本的なことは誰も教えてくれない。 先生たちもたぶん知らない。現場へ行って、遠近法で描くと、こう天井を見て遠近法で描くんですよ。まず、僕らは、地平線や水平線だと思うところに 垂直に立てる。そこから遠近法が出発するということを知ってるからいいんだけど、それが何故かというのが分からない。分からない先生って、みんな こうやって描けばいいんだと思ってるんだよね。 まぁ、無知というか、大学を出てもほとんど馬鹿に近いよね。だから、数学を習った、理科を習ったと言っても、それを総合しなくちゃいけないのに、 分科したまんま。 もう一回再構成する力がなくなっちゃって、ばらんばらん。人間もばらんばらんになっちゃったんだけど(笑)。分科するという意味も、日本人には 分かってないですよ。日本というのは本来は分科できない国だったんだよ。一神教だしね。一神というのは、自然と分離できない、多神教でありながら、 ひとつなんですよね。全部に等しく神様がいる。そういうことが何を表してるかなんて、言ってる本人すらまるで分かってない。いまは学校も信用でき ないですよね。校長だって、自分がクビにならないようにしてるだけだからさ。学生が安全であればいいとかその程度でしかない。教育的理念なんて ないし、学問的理念もない。いま多い例が、美術が好きだからって、非常勤の先生を雇わないで、校長が美術を教えてるんだよ。なんでこうなっちゃった かというのは、だいたい想像つくと思うけど。 ところで、あなたも美術を見るでしょ? ―― たまにですけど… 高山 その時に、何が最初に引っかかる?何が自分に飛び込んでくる? ―― 難しいですね。作品ごとに違いますから。 高山 絵という概念があるのか。現代美術とか、言葉で入った知識なのか。表現とは何かという問題なのか。人間が描いたものを、これはロバが描いた ものではないなぁとか。どこから始まる? ―― もともと美術とは縁もゆかりもないところで育ってきたので、おそらく美術としては見てないですね。まず得体の知れないものを見てるという ところから入って、だんだん平面状のもので、色が置いてあって、線が引かれてて、初めてそこでこれは絵画だって認識になりますね。そこから美術史が 入ってきます。最初は、物体として見始めて、それが単なる物体ではないある表現に生成する瞬間が面白いのかもしれません。 高山 絵画って言葉はどこで入ってくる? ―― 最後です。 高山 絵というふうには入らなかった? ―― いや、まず物体です。なんかあるなと。 高山 額縁がある絵… ―― なんか仕切ってはあるなと。そこで、壁とは違うものだと。もちろん言語化はしてないですよ。ただ、思い出してみるとそうなりますね。 高山 写真の中で見る絵と展覧会場で見る絵だったら、どう違う? ―― 全然違いますよね。写真の中で見ると、いわゆる絵画としてしか見えない。逆に展示場で見ると、得体の知れない物体になるんですよ。写真で 見るのと全く印象が違うから、そのギャップは面白いですよね。 高山 彫刻でも、背景が写ってる写真もあれば、白抜きになってて、シルエットだけが残ってる写真もあるでしょ。撮り方によって大きさが分かったり、 全部切り抜いちゃって大きさが分からないのもある。ピラミッドを切り抜いちゃうと何にも分からないし、小さな仏像も切りぬいちゃうと大きさが 分からなくなる。我々が体験する感覚とは違う。 ―― 絵を描いてらっしゃる方、あるいは作家の方だと、絵のなかにどういう感じで入ってゆくんでしょうか?やっぱり絵というイメージから入って いくんですか? 高山 いや、僕は材質ですね。中国で発見されたミイラの報道があったでしょ。それが入った容れ物の写真が新聞に載ってたんだけど、それを見てすぐ 油性だって分かったよ。材料が何であるか、写真を見ただけですぐ分かる。あとで記事を読んでみたら、当初は漆だと思われてたのが油性であることが 判明したって。 僕ら写真で見ても、作品の構造を見ようとするからね。仏像を見ても、これは乾漆性なのかどうかなって。そういうのはすぐ推理能力が働く。経験数が 違うからかもしれないけど、油絵でも水彩でも、どんな絵具で、下地がどうで、紙がどうって、そういうのには敏感だよね。本物を見なくても写真で 分かる。反射率が違うからね。 そういう洞察力を培うには、色んなものを見せることと、もっといろんな経験をさせることが必要だよね。音楽だったら、出ても本当に微量にしか 出ない音で教育する方法がある。どういうことかというと、微量の音で、どのくらいパワーを持ってるか、音色とか、音階とか、色んなものが変化する のを聞き分ける力を養うんです。ガンガン鳴らす音だけを聞いてると、レベルが低下する。誤差を微量でも感じる力をつけさせるんです。 ―― 教育というか訓練の力ですね。 高山 美術でもそうで、幼児期にたくさんの色を与えておくんですよ。赤なら赤で100種類与える。日本だと6色くらいから始まるのかな。成長するに 従って12色になったり24色になったりして、それで、みんな偉くなったって錯覚が起きるんだけど。フランスだと、クレヨンの色も吃驚するくらい あるんですよ。色見本を見ても分からないくらい。描いてみてもほとんど分かんないくらい。僕らにも分からない色ってあるじゃない。化粧品売り場に 行くと、口紅の色とかどれだけあるのか。フランスでは、小さいときから訓練してるんだよね。 日本で赤というと、林檎の赤も、トマトの赤も、ポストの赤も、太陽の赤も、チューリップの赤もみんな同じ。だから、太陽に赤を使うというのも、 観念的にそうなっちゃう。赤に関しては、日本では特に幅が狭いよなぁ。朱と赤。朱じゃないんだけど、チャイニーズレッドというのとフレンチ バーミリオンとか、色々あるけど、鳥居の赤は赤なのか。朱というと、ハンコの朱と同じ赤なのか。今は鉛を焼いて、朱を作ってるけど、水銀の朱と 鉛の朱とあって、それがどう違うのか。 それから、着物、染色の色は物凄い微妙な色。これは、西洋人が分かりにくい色の幅だよね。グレーのトーンなんですよ。 ―― あの辺は全部断絶してますよね。 高山 銀鼠とか鉄色とか。いろんな和名のついた色。これが凄く大事なんだけどな。色のつくり方も面白いんだよ。同じ顔料でも水簸の仕方で色が いろいろ変るんですよ。粒子の細かさによって色が変わる。日本も独特の文化を持ってるんだけどね。今じゃ、専門家しか分からなくなっちゃった。 ―― クルマの色も、日本人の好みは、なんか冴えない色が好きですよね(笑)。 高山 ギラギラしてないよね。銀の中にちょっと色味が差してる感じ。あれは江戸時代とそう変らないような色の感覚なんですよ。だから、西洋化されて るといっても、身体や脳の中は何にも変わってない。そのチグハグさは興味あるところですけどね。 ―― 看板は派手なんだけど。 高山 だけど、いまフランス辺りでは、コカコーラもマクドナルドも、全部黒だよ。色を使えないんだから。環境色彩として規制をかけるの。 ―― あのマークって、必ず観光地にあって風景を台無しにしてますからね。 高山 コカコーラは真っ赤でしょ。真っ黒だからね。 ―― 丁度カメラアングルのところに入れたいらしいんですよ、企業側としては。 高山 でも、日本は自ら規制はできないわけよ。植民地だから言えない。フランスは植民地ではないから、自分たちから、景観を壊すものに対して ノーと言える。アメリカ人だって自国では、結構厳しいんですよ。景観委員会というのがあって、道路標識が、都会よりも自然のなかでは小さくしてある。 自然風景がグリーンになるように、景観を壊さない範囲に縮めてるんですよ。 ―― 日本でも、京都でしたっけ?景観に合うように、色が違うんですよね。 高山 日本だと、条例でやるしかないんだろうけど、本来はもっと上の方で景観法を作らなきゃいけないんだけどね。なにも何色にするという具体的な 色が問題なんじゃなくて、文化を個人と行政のレベルでどう守ってゆくかが問題であるわけですよ。京都は、あそこに変なものが建ったら、大変なことに なる。普通の生活空間だと、日本では道交法でしかやれない。景観法というのがちゃんと頭にないからさ。でも、諸外国の景観委員会というのは権威が ある。いろんな角度から見て、この建物とこの建物が被さって見えて、それが今までの歴史的空間を壊すなんて主張するんですよ。フランスを見れば 分かるでしょ。ある通りから見ると、歴史が全部見えるようになってる。 ―― ものじゃなくて、視界そのもの。 高山 うん、そのなかで、歴史が全部見えるようになってる。でも、日本は遅れてる。かといって、フランスの田舎へ行けば、砂利道だけど。 ―― 古いものを残しておいて、新しいものを別なところに作りますよね。 高山 うん、だから混在しない。外国人が、日本に来て面白い写真を撮ろうとすると、お寺と高層ビルを組み合わせたりするわけね。古いものと新しい ものがぐちゃぐちゃに混在してるところ。混在の仕方が面白い。まぁ、計画がないからそうなるんだけどね。でも、そういう見方をされるのって、建物 だけじゃないよね。日本人そのものもそう見られてるよね。一方で西洋の真似をして、それと日本の情緒や昔からのものがぐちゃぐちゃになってる。 そして、日本人自身がそのことをちゃんと意識してない。新渡戸稲造なんか読んだことあるでしょ?武士道だってあの時代に意識してるじゃないですか。 ―― そうですね。保守派の方たちなんかは、常に自覚を持ってらっしゃるかもしれませんね。 高山 いやいや、保守っていう意味じゃなくて、日本に保守派もないんですよ。 ―― まぁ、革新もないですよね。 高山 むしろ、保守しかない。 ―― 総保守派(笑)。無意識の保守というか。 高山 自分たちが見えないんだよね。 いっぽうアメリカの内部に行くと、何でこんな田舎なんだろうって思うよ。あんな新しい国なのにさ。都会なのは、ニューヨークだけで、あとは何にも ない。保守王国だもん。信じられないけど、レーガンみたいのが現われて、ブッシュが出たでしょ。スタインベックを読んだか知らないけど、綿摘みって 分かる?黒人が何列にもなって、歌をうたいながら、綿を摘んでゆくという。奴隷の時代の話ね。黒人が何列にも並んで、歌いながら機械的に、こう やって取り残したのを次の人が摘み直し、それでも取り残したのをまた次の人が摘み直す。これを5〜6回やると終わる。今でもそうですからね。それを 読んで、感動したな。変な感動だけど。 あと居留地ね。アメリカに行ったら必ず訪ねてほしいと思う。居留地へ行ってインディアンと話してほしい。彼ら、かなり厳しい生活をしてるよね。 無能化されてゆくからさ。それは日本だってそうなんだよね。植民地化というのは無能化するということですから。アメリカは、日本を無能化してゆく 政策をとったわけだよね。抵抗しないようにさ。彼らは、忠臣蔵を知ってたから、敵討ちを一番恐れてたのね。刀狩りして、敵討ちという精神をどう やって殺すか。 その点、芸大は、何でも文科省の言うとおり。文科省の反応に敏感だから。中央大学の方は、まだ抵抗するのにさ。芸大は考える人がいないんだ。 僕がいるときからそうだったよ。今やってるセンター試験ってあるでしょ。前は能力開発テスト。それが、今のセンター試験の実験段階の実験段階 だったの。その実験段階を、芸大がやることになったんですよ。僕が学生の時だったから、反対運動やったわけ。「芸大でやって日本のレベル 測れるか!?馬鹿野郎!馬鹿を測ってどうすんの?何が分かるっていうんだ!?」って(笑)。 ―― 何で芸大だったんですかね? 高山 他の大学は、みんな反対してるからさ。芸大だけイエスと言ったんだよ。「何を測りたいんだ?」って。絵を描いたり、石を叩いたり、木を 削ってる奴らに学問も糞もないんだから。「能力開発テストって、そういう能力開発テストなんですかって。違うんでしょ?僕らにそんなことやった ところで何も測れませんよ」と怒ってやったんだ。ところが、そのとき当局にいた人が、宮城県美術館の初代館長になったの。吃驚してさ。だから、 顔を合わせた時に、「僕、あのとき反対したんです」って(笑)。 そういうこともあって、センター試験になるまで、結構時間がかかってるんですよね。でも、今となっては一辺倒でしょ。私学まで含めて、画一化 する原点になってる。一時は、私学が反対して、自分たちで問題を作るとか言ってたけど、そうすると文科省がお金を出さなくなるんだよ。交付金ね。 それで絞めてゆくわけね。汚ねぇんだよ、やり方が。人間がやるんだから、汚さはどこも同じ。ヤクザも政府も、やってることは何も変わらない。 芸大だってそうだよ。向こうの言ったとおりにしないと、歯向かうと、お金が減るだけだもん。その方が分かりやすいでしょ。京大は一時抵抗したんだ けどね。東大なんか、お役人の世界だから、可哀想だよ。みんな官僚に入っちゃってるんだから。東大は、構造そのものが官僚だから。 東北大はちょっと違うよね。東北大は東大の先生を入れたがらないでしょ。それは、東京を斜で見る感覚があるんだよね。でも、それって、仙台全体に ある感覚。だから、東京から来た人をなかなか受け入れない。だけど、どこかでは見てなきゃいけない。だから斜で見る。もちろん、東北大にも優れた 部分はあるよ。ただ、文科系の方では、凄く偏りがあるけど。特に美術史の先生。だって、実技を教えるのが、新現会の先生で盥回ししてるんだよ。 むかしは、東北大の美術部って面白かったのに、つまらなくなっちゃったよね。写真部も。展覧会を見に行っても全然つまらない。医学部だとかに、 美術好きがたくさんいたのにさ。東北大の医学部出身で面白い人がたくさんいるんですよ。でも、ある時期から育たなくなっちゃった。内輪だけで やってて、変なことになっちゃったんだよなぁ。あそこの学長もいろいろ変わるからね。 宮教大も、東北大の教育学部が分離して出来たでしょ。だから、東北大の先生ばっかりだった。そうすると、外部から入った先生と、こうなるわけだ (指をバッテンにしながら)。それに、東大から来た先生と東北大から来た先生が、こうなるでしょ(指をバッテンにしながら)。結構、構造は簡単なの。 100年の歴史があるものを壊すにはその3倍はかかる。300年続いた江戸を、明治になって壊したけど、それが本当に変わるのは、実は900年かかる。 日本の官僚は江戸時代と変んないでしょ。 哲学は何のために勉強しなきゃいけないって先生は言ってた? ―― そんなことは言いませんよ。 高山 それは先生ではないんじゃない? ―― いや、それは自分でやれっていうことですよ。 高山 責任逃れだよな、それって。 ―― いや、聞きたくないですよ、そういうことは(笑)。 高山 じゃ、先生は何のためにやってるかって聞かないの? ―― 何のために? 高山 哲学って、日本の歴史にないものを、何でやってるんですかって、疑問に感じないわけ? ―― 感じないわけじゃないですよ。でも、聞いたところでどうなるというものでもないだろうと。 高山 それは何なんだろう?人の意見を聞かないっていうのは。 ―― もちろんテクニカルなことは聞きますよ。でも、哲学を何故やるかという動機の問題になると、それはもう各自の問題でしかないと思うんですよ。 高山 始めから、自己消滅型?自己整理型と言ったらいいのかな(笑)。世界に役立つか役立たないかというのはないの? ―― 役立つなんて思ったことはないですよ。一度も(笑)。美術は役に立つという発想はありました? 高山 僕なんか世界のためにやってるんだからね。客観的にはどうかは知りませんよ。でも、やるからには、何かを感じると言っても、無責任に感じる ということではなく、考えたことはやっぱり伝えなくちゃいけないと思う。別に、それを正しいと言ってるわけじゃないんですよ。それが、次に考えて 動くチャンスになればいい。やっぱり、石は投げたいというのはあるよね。何も、いい作品を作ったから認めてくれと言ってるわけじゃない。何に対して 投げてるのかを分かってくれるかどうか。伝われば、次に何か起こるだろうと。でも、美術をそう見る人は普通はいないからね。「何が投げられている のか分からない」って言われるからね。ただ、「分かります」と言ったところで、絵を理解したとかそういうことを言ってるわけじゃない。投げた石を 見て、何故この人は投げてるんだろう?とそのことを分かってくれることが大事なんだよね。それを引き継ぐかどうか。また、社会に対して投げてみたい という人がいるよね。単に趣味的な問題でなく、そういう気が起きることを望むなぁ。いまは、それがどんどん狭くなってるからさ。半分諦めてるのか、 捨てちゃったのか。世界とか社会とか、あるレベルで拮抗してゆくというか、気概が見えてこない。摩擦がないと恐いなぁ。青野くんなんかは、静かに してるけど、摩擦を持ってるよね。 ―― 摩擦だらけですよね(笑)。 (終) |
||