★ ドローイング ―― 細かい面では、共通する点もあると思いますが、インスタレーションとドローイングではずいぶん違いますよね。ご自身では、 ドローイングをどのように位置づけておいでですか? 高山 枕木のインスタレーションのために、ドローイングを描くことはないですね。描くときは、このフィールドで何ができるかという意識 だけです。単純ですよ。ただ、バァと置いたらそれで終わりとか(笑)。基本的には平面として制作しますが、かといって、平面として完成 させようとはあまり考えていません。ある程度、読み込みながら、平面的な中での空間が自分の中に生まれてくるようなことに繋がればいい なと。ふっと出てきたら終わりという点では、完成させるという感覚があまりないということですかね。 ―― そうすると数量が重要ですね。 高山 数はたくさん作りますよ。100枚作って、うち10枚ぐらいしか使えないというときもあるし。あとの90枚はどうするかというと、 眺めてる内に、切り刻んでみたり、何かを加えたりしながら変容してゆきます。イメージトレーニングみたいな感じなんだね。 ―― 枕木の場合、歴史や記憶の意味が強いですが、いっぽうドローイングではそういう印象は少ないですね。後者の場合、あえて意味を 削ぎ落としてるのでしょうか?平面で展開できるものに集中するために。 高山 そうです。つけ加えると、版画的な要素も作用してます。ものに墨をつけてポンと終わりとか。周りに筆をぐるっと回しただけとか。 絵を描くという気持ちよりも、その辺のもので、作ってますから。それから、水と絵具、材料をどう意識するかも大事なことです。素材は 何でもいいんですけど、普通の藁半紙をピタッとつけて剥がしたら、どんな形、あるいは質感になるのかなとか。これをこう使うと、こんな 調子になるのかとか。そういうのが楽しみでやってます。 三角定規があれば、それをポンと置いてみるとか。お皿があれば、それにこう墨をつけて転がしたらどうなるだろうとか。そこで、何が 出てくるかですよね。それを、改めて読みなおすというか、何か生まれたものに、何かしら補助を加えたりするわけです。補助したつもりが 失敗しちゃうこともあれば、ワァッと出てくることもあります。それが楽しいかな、やっぱり。 ―― 枕木とドローイングでは、同じく物質性が強烈ですが、制作の段取りや意識が全然違うわけですね。 高山 そう。ただ、ドローイングとは違いますけど、枕木に関してもマケットを作るんです。1/10や1/20の棒を使って、ブワッとばら撒い たり、ちゃんと構成的に並べたり。それを、画像に撮って、たくさん溜めておくわけです。もちろん、記憶にも入ってゆくから、いつどこで、 そのイメージが出てくるかは分かりませんけど。 ―― 枕木だと、組んでいってひとつの単位ができて、それを組み合わせてイディオムができる。いっぽうドローイングでは、構築というより、 思いつきを次々と試してみる傾向が強いわけですね。 高山 うん、そうだね。 ―― 大きな違いがあるものの、逆にドローイングで閃いたイメージが、枕木で展開されることはあるんですか? 高山 ありますよ。 ―― (枕木のマケットの画像を見せてもらいながら)ここからドローイングにもゆけそうですね。立体からドローイングに結びつくことは ないんですか? 高山 マケットを使って、ドローイングを作るのは、考えたことはあるんです。でも、俺はそれやっちゃうとダメになるんだよね。やらない ようにしてるんだ(笑)。模写になっちゃうんだよ。平面図として出すなら、それでいいのかもしれないけどね。自作を模倣してるみたいな 感覚に捕われちゃうんです。マケットは、空間構造的なものが働いている、その起きてるプロセスを利用したいだけだからね。 それから、マケットを作る意味には、もう一つあります。俯瞰できることです。だけど、ドローイングでは、それをそのまま横流しするよう な表現にはしたくない。マケットとは違う空間に出会いたいんです。みんなは、マケット的なドローイングを見たいと言うけどね。 ―― 川俣(正)さんなんか、ドローイング的なマケットを商品にしてますものね。 ところで、俯瞰というと、一般的には、平面、つまりドローイングにこそ有利な点です。それが、高山さんの場合は逆に、立体に俯瞰性を 求めながら、ドローイングの方には、手許で起こる触覚的なものを見出しているわけですね。 高山 そうですね。そうそう、こういうマケットを作ったら、売れるんじゃない?って言われますよ。 ―― きっと売れますよ。 高山 でも、なんか盆栽作ってるみたいでさ(笑)。 (手にとりながら)こういうオブジェなら作ってもいいんですよ。全然違うでしょ。これは、今回の県美では全然出さなかった。やりたい ことの一部しか出してなかったんですよね。 あと、1/20の鉄の棒では、オブジェっぽく、石と組み合わせたり。(雲の画像を見せながら)これは、こっちに来て、夕方に撮った写真。 面白い空だったからすぐ撮ったんだ。雲の形が変でしょ。徐々に変わる。朝4時ごろに起きて待ってるんだよ。変化してゆく雲の写真を撮るの 好きでさ。ドローイングと同じだよね。天がやってるドローイング。 ―― なるほど。ドローイングそのものも、平面上に起こる出来事が問題ですものね。人がコントロールしきれない部分を展開するという 意味では、自然現象と同じなわけだ。いっぽう枕木になると、構築性が強くなる… 高山 まさに構築。偶然が出来ない。何しろ色々に読まれてしまうから、それを明解にするのか、どう天地のなかで生まれるようにするか。 そんなことを考えてますね。 ―― 偶然性を展開するドローイングと構築するインスタレーションでは、かなり制作の意識が切り替わるのではないかとお察しします。 偶然広がるイメージと地道な構築作業。ずいぶん性格の違う両者を、同時に手がけられるのは、何か理由があるのでしょうか? 高山 自分でもよく分からないな。あんまり欲がないんだよね。天地と遊ぶのは楽しい。雲の写真を撮るのもそうだし。むかし渦巻き描いてた 時代は知らないかな?渦巻きが好きだったんだ。ダ・ヴィンチの絵に触発されたんじゃないかな、終末論の中での洪水を描くという。 ―― まったくの自然現象としての竜巻なんですか? 高山 そう。それを模式化してるんですけどね。 ―― 例えば、遠藤利克がグルグルって描いたりするじゃないですか。ああいうドローイングではないわけですか。 高山 違うね。そういえば、彼がまだ若い時、学生のときに読んでて…『蝋燭の焔』って誰が書いてたっけ? ―― バシュラール。 高山 そう。バシュラールを読めって言って、学生のとき随分バシュラールにやられたからね。 ―― 大学生のときですか? 高山 そうです。高校の時は、実存主義的なものばかり読まされてた。ハイデガーとかサルトルとか。哲学書なんて分かるわけないのに。 読んだって、哲学用語が分かんないわけよ。勉強してないんだから。でも読まされたよね、先輩に(笑)。大学にも面白い先輩がいてね、 その時フッサール読まないと駄目だって言われたんだ。一応デカンショ(デカルト、カント、ショーペンハウエル)は読めと。 ―― 旧制高校みたいですね(笑)。 高山 文学の影響は大きいですよね。当時は、文学や哲学思想を専門に出す出版社があったからね。今はもう潰れちゃったでしょ、みんな。 『伝統と現代』っていう雑誌があって、全号いまでも持ってるんだけど、ああいうのを読んだり。あと、あの頃は映画。新宿にあった アートシアターで、ベルイマンばっかり見てた。色んな意味で刺戟がありましたよ。それから、東洋的な宇宙論みたいのが、パァと出て くるとか。 そういう意味では、区別なく、かたまるわけでもなく、わけ分からず読んでた。時代なんでしょうね。 ―― 美術以外の表現って、しようとしたことはありました?詩でも小説でも。 高山 詩はときどき書いてた。中学校の時にはリルケが好きで、いつも持ち歩いてたな。その他にも詩はいろいろ読んでたよ。 ―― 自分で作ったりも? 高山 作るというより、出てくる言葉をつらづら書き留めるだけですけどね。時間とか空間とかについてね。 あとは、アメリカの現代小説や、アレキサンドリア・カルテット、それからノーマン・メイラー…カポーティで終わっちゃったのかな。 『冷血』を読んで、あー終わりだなって(笑)。『物質的恍惚』のル・クレジオも読みましたね。今でも書いてるけど。彼は、日本にも 来てるんだよね。新聞にもちらちら書いてた。 そういえば、展覧会のカタログに書いてもらった、宇野邦一さんにも、70年代に会ってるんだよね。 ―― あ、そうなんですか。それはどこでお会いされたんですか? 高山 友だち、70年代の友だちを通してですよね。(田中)泯さんとか、木幡(和枝)さんとか。 ―― 彼が留学する前になりますか? 高山 うん。そうそう、土方(巽)に言われたんだ。仏文に面白いのがいるから会ってくれって。それで知ったんだ。 土方の仕事も手伝えって云われたんだけど、断ったんだよね。装置を作れって云われたんだけど。 ―― どうして? 高山 土方の作品は好きなんですよ。でも、絶対あいつの色がついちゃうと思って、止めた(笑)。泯さんとやる、恋愛舞踏の装置を頼み たいって言ってきたんだけど、後輩を紹介したんだ。 ―― 残念。 高山 あの人独特の世界というのは、やっぱり簡単に切り崩せるものじゃないからね。泯さんは問題ないんだけど、土方が入ると…あいつ、 また絵に詳しいからね。美術にね。ま、彼流にだよ。 ―― そのころ宇野さんとお話しされたことって覚えてますか? 高山 忘れちゃったよねぇ(笑)。今回のカタログ見ても分かるけど、彼、リアス・アーク美術館に作品(「遊殺 2004」)を見に来てくれ たんだ。そこで、見た瞬間パッと「死体置場だ」って言うんですよ。今までつき合ってきた美術評論家とは、やっぱり視点が全然違う。で、 すぐそばの地面に、蟻地獄がたくさんあるわけよ。死体置場に蟻地獄(笑)。 ―― 出来過ぎですね(笑)。彼が専門にしてるのはアントナン・アルトーなわけですが… 高山 アルトーは大学のときに読んで、やっぱりショックでしたよ。普通に通じる人ではないなって。 あと、ゴッホを読んだよね。牢獄で書いたやつね。ポール・ニザンもよく読んだな、いわゆる裏切るとは何かという。 ―― 青野さんから伺ったんですが、宇野さんのカタログの文章がとても… 高山 いいと思った。今までの批評家が書くようなのとは違う文章だった。 そうそう、今回の展覧会に合わせたシンポジウムで、椹木(野衣)も、もう一回見直すみたいなこと言ってたな。通念的な見方とは全然 違うものを感じたって。一緒に連れてきた仙台出身の彼は、逆にジャーナリスティックな… ―― 高島さんって仙台出身だったんですか? 高山 うん、もともと『読書新聞』にいた人だけどね。仙台三高にいた人。 ―― 宇野さんの文章で、面白かった点というのはどの辺りですか? 高山 あちこちに僕が書き散らしたものを、自由自在に引用してある方向へもってゆくでしょ。なかなか凄腕だなと思いましたよ。彼の 講演会を聞いても、やっぱりものを考えながら言ってるわけよね。自分で考えて、行ったり来たりしながら、ある答えを出すというよりも、 その歩み方が、独特で面白いというか。 ―― 椹木さんのお名前も出ましたが、『美術手帖』(2010年5月号)に展評も書かれてましたね。 高山 それのずっと前に、彼の著書『日本・現代・美術』の中で、僕のことに触れてるんですね。ただ、そのときの彼は、僕の作品をほとんど 実見してないわけですよ。世代的に、見られないですからね。そこで、記録から辿っていって、彼独特の史観のなかに、僕を位置づけて論じて いました。それが、今回の展示を見るなり、思い描いていたような、固定観念的なものとは違うものを見たと。終わってからも、面白かったと 言ってましたよ。 それから、今回の展覧会を担当してくれた和田(浩一)君のこだわりに、構成の問題があったよね。今までは、僕の作品に関して、構成を 問題にした文章ってあまりなかった。僕が、ことあるごとに枕木の歴史を云々するせいか、作品の解釈がみんなそこへ集約されちゃうんだよね。 ところで、我々の仕事をヨーロッパやアメリカへ持ってゆくと、ジャパンを見たがるわけですよね。エキゾチックなものが好まれる。僕は それが厭でね。具体の美術なんて、スペインの新聞に「神風」って書かれてるんだよ(笑)。あと、大和魂とか。それから、ドイツとか外国で、 日本の現代美術を紹介しようとすると、今だによく桂離宮と並べられたりするし。形状やスタイルが似てるって。そういう日本理解は嫌だなぁ。 気持ち分からないでもないけど。 逆に、僕がアメリカにいたとき、一番面白かったのは玩具だね。玩具の中にポップ・アートの素が全部あるんだって発見したんです。一般の 人たちの記憶が、玩具や民具に形として詰まってるんですよ。それを、ポップ・アートの人たちが鋭く見抜いたんだと思うんだ。 日本にいると、作品そのものよりもテキストから始まっちゃうことが多いでしょ。作品を見ても、文化的背景や色々な背景がほとんど見えず、 思想とか哲学的背景を読もうとしちゃう。そうではなくて、目の前に広がる世界をどう見るかというのは、重要だと思うんだ。でも、翻訳文化 だからね、日本は。翻訳文化の欠点ってあるよね。それは、近代だけでなく、ずっと以前からそうだけど。 例えば、雪舟が中国から帰ってきて、その弟子が中国へ渡ったときには、もう目当ての国がなかったり。しかも、そいつが帰国するともう 流行から遅れてるわけですよ。だから、雪舟の弟子って、どうしようもない。絵を見ると酷すぎる。流行が変わるというのも、日本の場合、 変わるのに理由が無いからね。アメリカが風邪ひくとこっちも風邪ひくって程度で(笑)。 そういう文化に対する怒りというか、反発に目覚めるのは、安保闘争なんかで挫折した時代からだと思う。日本の近代化ってヨーロッパから 吸収する一方だったけど、70年代から変わったんだよね。ま、そういう意味で、ヨーロッパ人が具体に触れて、それまでになかった世界を ちらっと見たわけでしょ。大和魂だか、神風だか知らないけども。あるいは、アニミズムみたいなものを。でも、日本人じしんがアニミズムを 意識してやってたわけではないんだよね。 そういえば、今のフィギュアの世界ってアニミズムでしょ。幼いうちからアニミズムに浸ってる。怪獣もロボットも、みんなアニミズム。 ヨーロッパ人から見れば、コンピュータに、神棚おいてお参りしている日本の文化って奇妙ですよ。なんでコンピュータにお祓いしてるの かって(笑)。日本人じしんが、当たり前にやってるから、気がつかないけど。何やってるの?って聞かれたら、何とも答えられない。 日本って結構3Dの技術が進んでるらしいね。『アバター』は詰まらなかったけど、3Dが、これからどう人間生活と関わってくるかは興味 深いよね。 ―― 3D固有の表現となると、まだまだ難しいでしょうね。 高山 まだ何ができるか分からない。立体的に見えるだけなら、僕ら小さいときからあったしね。立体映画や写真集もあった。ただ、立体的 というだけでは、あまり面白味はなかったかな。疲れるだけ。筋肉運動を使うから。 従来の映画と3D映像では何が違うか。例えば、感情移入を取りあげると、平面の映像の方ができる。3D映像だと没入感は生じるけど、 感情移入はできない。蠅や飛行機がそばを飛ぶとか、その空間の中に飛び込んだような没入感は生まれるけど、感情移入は難しいかな。 ―― 没入というか、反射や知覚に訴えるには有効なんでしょうね。感情移入も含めて、精神的なものになると心許ない。 高山 臨場感や感じるということと、生理や知覚的なものとの関係性を組み立て直さないと、その辺は分かんないんだろうね。 ★ 宮城県美術館の回顧展 ―― 大規模な個展を終えられていかがでしょうか。何かご感想をお聞かせ願えたらと思うんですが。 高山 なくなってからもまた見てみたけど、あそこで何をやったんだろうって。空見てさ、空間見てさ、もうけろっと忘れてるね(笑)。 ―― 感想じたい忘れちゃいました?(笑) 高山 自分からすると、面白かったよ。ただ、展示中に、僕が空間について考えたことが、みんなに伝わったわけではないからね。どこまで みんな見られたかなぁと思うよね。 見る訓練って、日本の場合は自然任せでしょ。あるいは、心で見なさいってなっちゃう(笑)。でも、西洋だと逆に、見るということを 科学的にしようとしたわけじゃない。ただ見るといったって、どう見るか。その歴史の厚みがあるわけ。その文化の違いって大きいと思うんだ。 もちろん、どっちも悪いわけではないんですよ。 いずれにしろ、みんながどう見るかなって見てると面白かったですよ。子どもがどう動いてるか、大人はどう動いてるか、空間にはどう 入ってきたか。それ見てて、あ、この人いま見てる、いま感じてるとかさ。あと、非常に細かいところまで見て、「枕木が全部違う。一本一本 読み込んでやってますね」なんて言う人もいたしね。「角の当て方も、ものすごく計算してるんだね」とか。見てる人は見てる。ちょっとした 色の違いを見て「どれでもいいわけではないんですね」とか。それから、廻廊のように柱が並んでたでしょ。その柱の中で見たり、柱の外から 見たり、中へ入って見たり、回遊して見たり、矩形のなかの軸を見たり、中心にちょっとした鉄板、鉄でできた枕木ではないものがじつは 中心にあって、そういうことをみんなどう見るのかなって。 ―― なるほど。作品を見る観客じしんが、じつは高山さんに見られてたわけですね(笑)。 高山 そりゃそうですよ。歌手や演劇の人だって観客が何を見てるか読んでるわけでしょ。 ―― 今回は、美術館の敷地をフルにお使いになり、おのおのの空間でその空間固有の表現を手がけられていたと思います。空間に応じた 表現の異同というのは、おのずと異なってきたものなんでしょうか?それとも最初に完成イメージがあって、それを外向き用と内向き用に 仕分けたのでしょうか? 高山 それは意図的に決めました。一番奥の倉庫では、原型のようなもの。真ん中のやつは、枕木を吊るのと床を掘る作品。一時期やってた 吊る仕事と、初期の床から出す仕事を合わせたんです。床に穴を開けたかったんだけど、掘れないから、台を作ってそれらしく仕上げました。 そして、外の中庭でやったやつは、フレームを意識した作品。中庭を囲む壁が作る天のフレーム。あそこは、一番俯瞰できる場所だから、 本当は上から見せたかったんだけどね。それと、ここの風景というか、いつも自分が通っている道から見える山の形だとか、そういうものを みんな取り込みながら、何とか空間を作れないかなと思ってやったんです。こういう形があったでしょ、白い木材で。あれ、ここから見える 山の形なんですよ。 ―― あれは、最初からあの大きさだったんですか?それとも、もっと大きくなる可能性があったんですか? 高山 いや、長さは枕木サイズだし。 ―― ああいうアーチの形って象徴的ですよね。かつて白州やPS1で作られたときは、上へ上へという形象が多かったと思います。それと 比べると、今回のは低かったですね。 高山 天に四角いフレームがあったでしょ。あれ以上出しちゃうと、柱の位置とか色々なかねあいが悪くなるからね。 ―― あの空間だからこそあの高さになったわけですね。 高山 そう、あそこから下を潜ると飛び出すアイディアもあったんだけど、それはちょっと構造的に難しい問題があって出来なかった。 というのは、あそこの床って、傾いてるでしょ。 ―― 水はけのため… 高山 うん、だから真っ直ぐにはならないんだよね。下になにか履かせればいいんだろうけど。ただ積むだけでは、美術館が不安がるのよね。 倒れないけど、地震が起これば崩れるって。そうすると、全部ボルトを締めしなきゃいけない。鎹じゃ利かないからね。ニューヨークでやった ときは全部ボルト締めだったんだよね。ニューヨークは、周りのビルが相当高いからさ。それでも、作品の高さとしては7mだったかな。 ―― 高いなぁ(笑)。県美の話に戻しますが、屋内の展示室の、あの照明の落とし方というのは… 高山 あれは天井のフレームを出したくなかった。あそこの天井って、蛍光灯用のルーバーがダァーッと全部入ってるでしょ。前にやったとき (アートみやぎ 2003)も消したくて消したくて。 ―― なるほど。 高山 照明を入れると、あのルーバーが見えちゃう。そうすると、升目が出て、視覚的に凄く強いんですよ。それを避けたかったんです。もう ひとつは映像を入れるために… ―― 何ヶ所かスポットを当ててましたよね。ピアノとか。あれは当てたかったんですか?それとも当てざるをえなかったんでしょうか? 高山 当てようとしてたよね。照明については、何回か全部やり直したんだけど、そもそも器具が美術館にそれほどないんですよ、いいものが。 いま照明器具って色んなのが出てるでしょ。それと比べると凄く幼稚なものしかなくてね。どうしても設備上の制限があったわけです。 ―― ピアノやベッドなど、枕木以外のものが組み合わされると、それだけで結構インパクトがあります。そこにスポットが当てられてたので、 視線が否応なく集中していたように思います。果たしてそれがいいのかどうか。じつは僕の周りで小さな論争があったんです(笑)。 高山 慣れちゃうとそれほどでもないと思うんだけどね。しばらく中にいると見えすぎるぐらい見えちゃうから。外から飛び込んでくると、 そう見えちゃうのかもしれないけど。あと、暗いから枕木に躓いたりしてね。それに、闇って非常にシンボリックだしね。 ―― 県美ぐらいでしょうか?あれほど暗くしたケースというのは。アートみやぎのときもそうでしたよね。他の展示場所で暗くすることって ありました? 高山 あんまりないね。アートみやぎのときは、鏡にしたいという意向もあったからね。ガラスケースを全部入れて鏡の役目をさせて、下にも ガラスを入れて。あと、やっぱり、ルーバーを見せたくない。 それから、壁の色が嫌いなんです。一回めのとき(第1回「みやぎの五人」展 1983)は、明るくやったんです。でも、あの壁の色は、 何ともいえない。焼けちゃってさ。ライトにもよるんだけど、なんか紫色の、わけ分かんない中途半端な色でね。写真に撮るとまた嫌な色なん だよね(笑)。 じつは、床についても、いったん剥がして、コンクリート剥き出しにしようかどうか考えたんですよ。ところが、小林正人の展覧会のときに、 剥がしてるんだよね。その後に、強い糊をしちゃったらしいんだ。だから、剥がしたところで、糊の跡がぐにゃぐにゃ模様になっててさ。 これは使えないと思って止めたんです。 そういえば、正人また今度芸大に来るよ。油絵の先生。 ―― いろいろ謎が解けました(笑)。 高山 照明器具ももっといいのがあればね。ピンスポもろくなのないし、広がるやつもない。映像についても、本当は、映写機の光量だけで フロア全体が見られるぐらいにしたかったんですよ。あの映写機では光量が圧倒的に足りなかった。 ―― それは勿体なかったですね。 高山 映像だけでね、その光の余力で… ―― それを見たかったです。 高山 凄く小さいやつで、もっと近づけて投射すると、映像が伸びないからって、あそこまで引っ張ったわけじゃない。すると光量が弱く なって… ―― そうか、いろいろご苦労があったわけですね。 高山 あるよ(笑)。美術館と喧嘩してても始まらないからさ。昔だったらもっとガンガン喧嘩してたんだろうけども。 予算ないんだもん。ライトでも、こういうふうに絵があるとしたら、そこにしか当らない精密なものがあるのね。しかも、ちゃんと四角に なってる。煽りが利くように絞りまで、コンピュータ制御ができるんですよ。いまやデパートでもどこでも使ってるぐらいなんだけど。でも、 美術館は古い。もっと酷いのは、彼らの仕事環境なんだよ。コンピュータも容量が少ないし、働いてる人たちの条件もかなり厳しい。自分の パソコンを持ち込んでも、ネットに繋ぐために、あらためて登録しなくちゃいけない。確かに、セキュリティの問題なんかもあるんだろう けどさ。 (つづく) |
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