★ 彫刻および空間の問題
高山 彫刻って、僕は作らないんですよ。基礎要件として、重力、それからぐるりと回るという点があるでしょ。要は、重力による天地構造が、
約束事として入っているように見えるわけね。だから、これはなれないなと(笑)。天があるのは構わないんだけど、それと拮抗するような塊は、
僕には作れない。というか、マッスが作れないと思ったんです。ヴォリュームは作れるかもしれないけど。
 ギリシャやロダン、西洋の彫刻を見ると、マッスが凄く強い。これは、並大抵のことではないんです。日本には、そういう彫刻はないですから
ね(笑)。仏像やフィギュアなんて、全然マッスでもなんでもない。日本というか東洋では彫刻を作るのは無理なのかな。だから、あえて僕は
作らない。みんな、彫刻を作ってると思い込んでるけど、錯覚してるんだよ。
―― それは、興味がないわけじゃなくて…
高山 いえいえ、凄くありますよ。カロを見ても、やっぱり全然違うもんね。棒一本だけ使ってもマッスなんですよ。我々だとマッスになって
ないんだ。単なる線になるんだよ。これはもう避けようがないというかね。こういう風土で育っちゃったという、何かがあるね。だから、西洋の
人に茶碗を作らせても、やっぱりマッスになっちゃうんだよね。日本のものはマッスじゃないでしょ。
―― その違いが出てくる原因って何でしょうね。
高山 うん、それが何なのかって、常に考えています。すぐには答えられないけど、一番は、マッスを必要とする世界観なんじゃないかな。
マッスというのは、外側に対する力をこう凝縮する力というか、ひとつの塊を作るのに、外側の力を全部そこにギュッと凝縮する。そしてまた、
外に向かってゆける力を感じさせるんだよね。だから、そういう世界観みたいなもの、あるいは風土的なものなのかなぁと思うんだよね。
 日本は島国だから、そういう必要性がなかったのかもしれない。井の中の蛙でいいわけだから。
 日本の近代彫刻でも一所懸命、ブールデルとかロダンの真似をやるんだけど、マッスはないですよね。みんな、ここ(胸の内側)に溜める力に
なっちゃう。佐藤忠良も、こう内側にこうなってるでしょ。空気がここ(同前)に溜まるように出来てるんだよね。仏像彫刻も、痩せた姿で座って、
ここ(同前)に空間ができるように作られてる。こう足や手を組んで、非常にシンボリックにやってるよね。そこに我々がイメージを馳せるわけ
だけど。
―― 虚の空間に象徴性を見出す意味があるんでしょうね。ちなみに、例えば、東大寺の大仏さんの頭はどうでしょう?
高山 あれ、微妙なんだよなぁ。
―― 参道を歩いて、いきなり暗がりからぬぼーっと(笑)。
高山 大きいけど、マッスじゃないよね、マッスっていうのは小さくてもマッスだからね。
―― ええ(笑)。カロがそうですもんね。どんなにパーツが小さく細かろうと、それらを束ねるある自律的な核がある。そこに凝集力が漲って、
きっとマッスを感じさせるんだと思います。例えば、傘を広げると、布と骨が、張力によってパンッと張った均衡状態になる。それって、重力から
自律した構造が自ら力を湛えているわけです。
高山 ボリュームとマッスの違いって、日本人にはなかなか分かりにくいのかもしれない。長崎にある北村西望の平和祈念像。あれだって
ボリュームでしょ。カレーライスの大盛りみたいなものだよね(笑)。だから、マッスというのは、近代に限らず、過去の仏像を見てもほとんど
ないですよ。運慶の中には時々、マッスを感じるものがあるけどね。
 大きさの問題はまた別ですよ。ただ、ボリュームといっても、小さくてもボリュームを感じるものとマッスを感じるものがある。そのボリューム
とマッスの違いは、我々の文化には区分けする言語があまりないんじゃないかな。
――  そういう意味では、建築物に顕著かもしれませんね。ヨーロッパの教会は、ファサードが凄く凝ってても、表層だけに終始しないで、
マッスがあったりしますから。日本のお寺だと、広がりにはなるんだけど、マッスにならないですよね。充実感がない。
高山 パルテノンなんかだと、柱があって外と空気が出入りできますよね。ところが、三十三間堂では、何だかひとつ内側で見るというか、外は
あまり呼び込んでこない。人は出入りできるけど、外の世界が入り込む気配がない。僕はそんな感じがするね。
 あと、平安時代の建物なんて、屋根はついてるけど、風通しをよくするためか、壁がないでしょ。それで、かりの、簾だとかを上げ下げしてね。
だから、倉庫とか城は別として、一般庶民、農民にとっては、壁というと別な意味が出てくるわけ。
 いまの日本だと、クーラーがあったりするから、自分では本当はいけないことだとは思うんだけど(笑)、壁はみんな様式化されてるからね。
昔は何もなくても、適当に空気調節できたのにさ。当時と現代とでは、空間の意味は大分違うよね。
 それから、こういう質問をよく学生にするんです。スペースって一言でいっても、宇宙と、こういう空間があるわけだけど、同じ意味なのかって。
他にも、林檎をここに置いてるのと、テーブルの上に置いてる林檎、それにサッカー場の真ん中においてある林檎。これらはどう違って見える
かって。まず、この違いを感じてほしいんだけど、大概なんか変なこと言い始めたなって顔をされる(笑)。
 バシュラールに『空間の詩学』という本があったよね。他にも、空間とは何かと問う、西洋の翻訳書がたくさん出たでしょ。でも、みんな
やっぱり西洋の空間論なんだよね。日本の空間論となると、付録みたいにしかない。建築物とか具体的なもの以外は、日本の美というか、
線遠近法のない描き方だとか、そういう空間の捉え方しかないんだよね。とりわけ構造的なものを、否定的に見ることが一時期あったし。ただ、
今は逆なところで見直そうとするけど。やっぱり西洋の空間と我々東洋人がもっている空間とは違うんだろうと思う。特に日本は特殊な気がする。
―― ご自身の制作に際しても、日本の空間って意識されますか?
高山 常々それは考えてるよ。それから、僕が作ってみたい空間というのは、水の底とか。いま人工ダムがあるでしょ。水底で作りたいんだ。
見るのは、上から覗いてもいいし、中にドームを作って、山からそこへ入ると、水中に彫刻があるとかね。下見ると村の跡があったり。水中から
太陽が見えるように、もっと普通に地上が見えるようにしたいな。
―― タレルみたいな二十年越しのプロジェクトを…(笑)
高山 七ヶ宿ダムを作るときに、それがやりたくてね。新宮(晋)さんともお会いして「水ん中で動くもの考えてよ」って言ってたんだけど(笑)。
彼の作品って、風と水で動くでしょ。
―― 完全に水没させるんですか?
高山 そうそう。
―― 今日は見えないねぇなんて(笑)
高山 展示する場所というと、空中に常設する作品はないよね。
―― それも考えてるんですか。枕木で?
高山 うん、重力だと思ってるものが、思いのほか視覚的に感じさせない世界になるような。むかし『美術手帖』(1972年10月号)で、
誌上展ってあったんだよ。そのときに、飛行機の歴史の洋書を、古本屋から買ってきて、図版に枕木を書き込んで載せたことがあるんですよ。
飛行機と枕木を組み合わせたのね。
―― あー、あれはそれを構想してたんですか。謎がひとつ解けました(笑)。



         



★ 戸塚スペース
―― 先にも述べたとおり、臭いなどの枕木の質料性は、記憶や歴史を喚起します。そして、それは、歴史上の特定の事項ではなく、人称性を
欠いた一般的な歴史でした。ただ、人称性に縛られないとはいえ、それが顕在化するのは各個体においてでしかありません。そこで、あえて高山
さんご本人に定位させるとすると、戸塚スペースの記憶が相当強いのではないかとお察しします。
 手ずから土に触れ、整地し、肩に枕木を担ぐ。さらに、不意に地中から礎石が迫り出すなど、偶然の出会いもあった。質料の渦中にどっぷり
身を浸していたわけです。
 やがて、70年以降あちこちでインスタレーションをなさいますが、そのつど帰られている場所というのは、この絶対的な過去としての戸塚なの
ではないかと思うんです。意識するにせよ無意識にせよ。
高山 枕木を最初に作った場所があそこだからね。あそこからみんな出てきたというか。あそこで作ったものを画廊や美術館へ持って行ったりして
たんです。
 当時は、ああいう場所でやろうと考える人は誰もいなかった。日比谷とか、野外展というのはありましたよ。台座を用意して、そこに彫刻を置く
だけだけどね。
 戸塚は、ある限られた庭でしょ。塀があって、むかし誰かが住んでて。おのずと、その場所がどんな意味を持ってるかが問題になるわけ。
それから、整地しながらやってゆくと、色んな痕跡が出てきたり。意図したわけではないですよ。あの場所との出会いが、そういうことを生み
出したんです。すると、自分たちの日常性にもハテナがつき始める。
 仙台だって、市電が走ってたでしょ。石は除去したけど、レールは残ったまま埋めてるところがあるよね。ちょっと削れば、レールが出て
くるんですよ。だから、我々の足許って、掘れば何か、時間が出てくる。時間がスライスされてくるわけね。
 ペンキの塗り替えしてる人たちも、鑢で擦ると、何重にも層が見えてきて、あの時代こんな色がよかったのかなぁとか思うわけだよ。個人的な
趣味が垣間見えたり、当時の流行の色が分かったり。そういうことに、興味があるんです。特段に意識してというのではなく、そうやって何気なく
覗いてみると、記憶という断層が視覚化できる。
―― 今回の県美の展覧会や、あるいは他の場所でも構いませんが、枕木を組むときに、戸塚のことを思い出すというのは全くありませんか?
高山 僕は、すぐ忘れますから。昨日のこともすぐ忘れる(笑)。だって、それは言わなくたって、どこかに入ってるんだから。逆に意識すると
駄目。意識しちゃうと、頭がかじかんじゃうよね。その前にまず、その場所で生きてみることだよね。生きてみるというのは、生活するという
意味だけではなく、そこに立って見て聞いて触って歩くこと。時間をかけて通って、二年とか三年かかりながら、自分の中に上ってくるものが
何だろうという。
 ただ、すぐそれに取り組んだり、解決したりはしないですよ。その時の問題は問題として、たくさん残るわけです。すぐには解決できないけど、
別の新しい場所で、思い出すのとは違って、同じ問題に出会い直すかもしれない。そういうものだと思うんです。
―― そういう問題というのは、埃を払い除けたその下に、単に隠れているものとはちょっと違う気がします。むしろ、露呈しても、なお潜在する
もの。潜在することによって、効果を発揮するものだと思います。それこそが、露呈した痕跡やそれを認識する仕方を、条件づけているわけです。
そして、見て触れて歩く、そうした行為のなかでこそ立ち上がってくる。
高山 作るというのは、プロセスにしかないわけ。僕の場合、完成とか終わりというのは、宿題や問題が残ってても終わりなんです。そこに立った
とき、その中でおのずと終わりが生まれてくる。
 だけど、これはいけないんじゃないかとか、こういう問題が出てきちゃったけど、どうしようかとか、いろいろ疑り始めるとまた零に戻っちゃう。
 だから、止めるか、来年に回す。それは宿題にして、作るプロセスのなかで、分かった範囲だけで止めとく。謎の部分は、宿題にするんです。
そこで頭がぐちゃぐちゃになるまでやろうとはしない。多分、そうしてたら成立しないと思う(笑)。折り合いだから。世界との折り合いみたいな
ものだよね。
―― 例えば、土を掘ってるうちに偶然、礎石が出てきたわけですが、それによって、かつての住人の面影が忍ばれはしますけど、彼ら自身の
精密な生活実態が問題だというよりも…
高山 ではないですよね。分かったところで、それを見せるためにやってるわけじゃないから…
―― むしろ、それを枕木と組み合わせたときに出てくる、構造に注意しなければいけない。
高山 県美の展示で、映像を投射してた一番奥、あそこに扉が置いてあったでしょ。あれは、本吉の廃校になった中学校の防火壁なんですよ。
芯は木造で、ブリキが覆ってる。何教室にもわたって廊下に設置されてたものです。それを8枚ぐらい持ってます。いずれ何か作品に使おうと
思って、貰ってきたんですよ。
 あの辺で拾ったものとか、たくさんありますよ。ピアノもそうだし、別に今回の展示のために用意したわけではないんです。要らないピアノを
貰ったんだよね、
―― それは、ご自身で何か思い出があるわけではない…
高山 ない。捨てようが、焼こうが、勝手にしていいよっていうやつだから。
―― なるほど、それはいいですね、
高山 他にも机や、漁師が使ってる道具も転がってたんですけど。
―― ある意味、リサイクルというか、実際の過去とはとりあえず切れてるわけですね。
高山 そうです。拾ってくるわけですよ。貰ってくるというか。U字工の蓋や、大きな本管の作るための芯。あれは、放置してあったのを、
これ頂戴って言ったら、勝手に持ってけってなってね。見てるうちに、瞬間的に何かイメージが出来るんです。僕の中にひょっと生まれてくる。
でも、いつやろうか、いつまでやるか、それは分かんないんだけど。
 土管を使ったりするのは、基本的には、下水、ちょっと地面より低いところにあるからだね。
―― 拾ってきたものを使うというのは、実際に展示場所を見たとき思い出したものを引っ張り出してくるんですか?
高山 いやいや、それは全然関係ない。場所とは関係なくて、こっちの中で別の場所を作っちゃってるから(笑)
―― 拾ってきたものが先にあって、そのイメージに合う場所が出てきて初めて使う。
高山 うん。それから、戸塚スペースみたいに、掘ると色んなものが出てきて、その場所と完全に密着しながら作るというのは、今なかなか
出来ないですよね。
 画廊でした展示で、場所と密着したのは、床に穴を開けたことがあったね。掘り起こして、砂利やら土を掻い出して、そこに枕木を埋め込んで
立ててね。さらに、蒸気を流したんだ。そういうのは、もう出来ないよね。
 あと、青城画廊でもやったな。壁に穴を開けたんです(笑)。青城が移るときに、壊すというから、それなら、その前にやらせろって。壁に穴を
開けて、そこから枕木がひょっと出てくるようにしました。
 今は、日本の場合、具体的に場所を触ってゆける場所ってないんですよ。ただ、外国では十分あるんですよ。かえって、現状ではそういう作品の
方が多くなってる。わざわざホワイトキューブではなく、古い建物や遺物みたいなところで、色んな人がやり始めたでしょ。これは日本でも
流行してるけど、外国では、そういうところで永久コレクションにしちゃうんです。場所そのものと作品を、一緒に保存するということが向こう
では起きてる。日本ではそれが出来ないんだよな。まぁ、直島みたいなやり方はまた別としてね。
―― さっきの水中のは、そうしないといけませんね。
高山 だから、なかなか難しいんですよね、あれは。
―― ガラスを使って、その上に水が張ってあって、凄い金額になりそうですね。
高山 やれないことはないよ。それに近いことをやってる人もいるよ。
 博物館でやってる展示方法も使えると思うし。床を掘って、そらに土器の破片を散らばして、そこにガラスかアクリルの蓋をするんです。
地面の下に、発掘したものを見せるわけね。
 面白そうなのは、仙台にある地底の森ミュージアム。あんなところに作品を置いたら全然違ったものになっちゃうんだけど、ああいうものとも
拮抗してみたいね。
 それから、富山の発電所美術館。今はヤノベケンジがやってますよね。天井からピューと静電気が走る装置を作って、そこに5tくらいの
水瓶からダァーと落とす。終末的な洪水のイメージ。むかし、70年代に僕も水を溜めて、道路へ流そうとしたことがありましたけどね。
小規模になっちゃったけど。
―― 『美術手帖』(1973年10月号)の表紙になってた…
高山 うん。


(つづく)