記事タイトル:安藤早太郎のこと 


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最近、新撰組の映画が上映されているようです。評判は
とてもいい。

新人物往来社という出版社からの刊行書では新撰組関係が相当
多いですよね。つまり新撰組はファンが多いんです。
例えば、近藤にしろ、土方にしろ沖田にしろ、スターですもの。
或いは藤堂にしろ、永倉にしろスターですね。
で、スターに敵対する人は悪役になります。
その典型が芹沢鴨です。鴨という奇妙な名前の人は悪の権化みたいに
描かれて、近藤一派に惨殺されることになります。
ところが、悪の権化みたな芹沢にも支持派がいます。
芹沢の支持派ですから、この人たちも悪者になり芹沢鴨と一緒に
惨殺されるか、隊から脱走してしまいます。
何のことはなく、派閥争いが非常に凄惨な殺人という事で決着する
訳です。ただ、話はそれだけで終わりません。
実は芹沢一派だったひとりの人が芹沢暗殺事件の後も新撰組に
残るのですよ。この人、どんな思いで組にいたのか知りませんが、
きっと近藤一派に難癖を付けられたんでしょう。
切腹をしてしまいます。名前は確か野口という人です。
この野口という人の首を切った人が早太郎です。
その日は、師走で屯所の住人は餅つきをしてました。
早太郎は首を切った後にその餅つきに現れて、何かぶつぶつと
愚痴っていたらしいです。
という記述が「新撰組始末記」という本に書かれています。

でも、不思議ではないですか?
その頃の屯所は壬生の郷士だった人の家に間借りしてたんでしょ?
で、その庭先で切腹ですか?
庭先での切腹が不思議ではなく、家の人がそれを知らないで呑気に
餅つきをしていたというのが少し信じられないのですよ。

安藤早太郎という人も翌年の夏には死んでしまいます。

翌年の夏というのは元冶元年の夏です。この夏に池田屋の事件が
起きます。で、この切り込みに参加して死亡です。
いや、そうではなく、それから後に起きる禁門の変に参加して死亡
とも言われてます。禁門の変は京都戦争です。
あっ、別に京都で戦死という訳ではないです。京都戦争は長州と幕府が
戦争したんですけど、ご承知のとおり長州の敗北です。敗亡という事で
敗残兵が出ます。敗残兵は長州まで逃げようとしますから、当然追いかけます。
追いかけたのが新撰組です。新撰組は大阪まで追いかけます。つまり
大阪での掃討戦が始まります。早太郎はその掃討戦で死亡です。
とも言われてます。

近藤勇という人は池田屋の事件の後で、郷里に手紙を書いてます。
非常に細かく書きしるすのですが、郷里にあてた手紙ですから
郷里の人に関係のない人のことは書きません。だから、池田屋で
新撰組の誰が死んだのかは書きません。新撰組はこんなふうに活躍
してますという報告ではなく、郷里の誰々がどう活躍してるかを報告
するんです。
近藤という人は、手柄を立てるのが目的で新撰組を作りましたから、他郷の
人はどうでもいいのです。そのどうでもいい人に早太郎はいました。
記録は残りません。

早太郎は三河の人なんですよ。

別の時にもう少しこの事を書きます。
[2000年1月28日 2時0分48秒]

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