記事タイトル:早太郎のこと、続き。 |
三河は小藩の集合体です。 例えば、挙母という藩があります。挙母とは今の豊田市のことです。 ここの禄高はわずかに六千石しかなく、飛び地を合わせて何とか万石の 小名になります。このぐらいの藩ですと城に天守閣はなく、陣屋の大手門 が天守閣の代わりをすることになります。で、この大手門がひどく豪華で、 そこに上ると天下が見渡せました。天下の七州が見渡せたのでこの陣屋は七州城 とも呼ばれました。ここに上ると足元の天地の狭さに比べ、天下の広さに愕然 としたりしたんじゃないですか。で、藩校をつくり、教育です。 この教育がはっきりしてます。人材の養成です。人材とは国のためになる 人材という意味です。国とは藩のことです。 これはすごい話ですよ。 天下は広く、国は粟粒のように小さい。その粟粒のように小さい 国に尽くす人材が必要という事は。 ここから、早太郎が出ます。 彼はエリートなんですよ。 彼は東海一の弓取りと呼ばれた豪傑だったんですよ。[2000年1月29日 14時11分47秒]