このコーナーは、ボノボ氏のプロフイールについてご紹介します。
ボノボ氏は、1933年頃この世に現れたと聞いています。
ボノボ氏の生家は古く、江戸を転々とした家柄だそう
ですが、先祖の墓を訪ねると、上野の寛永寺あり、芝の増上寺ありで、
ボノボ氏に同道すると吃驚します。ボノボ氏の直系の先祖に、
十返舎一九の弟子、五返舎半九がおり、半九の息子が、北斎の弟子、
北嶺がおり、北嶺が後の府川一則初代目に当たり、その二代目が、
大日本帝国の貨幣である「金貨」と「銀貨」の鋳造用の鋳型を彫金した
本人で、その功績で初代東京芸大の学長に推されながら、酒の飲み過ぎで、
岡倉天心にその席を譲ったという大物だったそうです。
ボノボ氏は寺の過去帳から見ると、江戸っ子15代目に当たります。
ボノボ氏の生家は外科医で軍医中佐の医院だそうです。
所は、東京市浅草花川戸。育ちは、浅草馬道。幼稚園は、浅草寺。
小学校は、富士。学童疎開先は、甲府市の親戚の寺、法元寺。
ボノボ氏の伯父と叔父は戦争で亡くしたそうです。
ボノボ氏は、幼少の頃から医学への教育を受けたそうですが、戦争に負けて、
ボノボ氏の周辺の人々が法学へ進むことを薦めたそうです。
戦前、戦中、戦後を生きてこられたボノボ氏は、世界を回ってこられ、
日本人から、アジア人、アジア人から、世界人、世界人から、地球人と
「人間観」が変わったそうです。
そんなボノボさんは言います。「人間死んで何を残す。何も残せやしない。
そうであるなら、
生きてるうちに、若者や、中年に、生きる知恵を残してやりたい」
と言うのです。
また、ボノボ氏は、1960年代後半に、数多くのマスコミに騒がれ、
以来名前を公表するのを嫌うようになったそうです。
これ以上書くと、ボノボさんに怒られますので、この辺で。・・・
お問い合わせに、お応えして、
近く「五返舎半九の作品」と「府川一則の作品集」を、ご紹介します。