金井 利彦
「おかゆの話」を、ということですが、私は別に、料理はあまりやりませんし、料理研究家でもありませんのでおかゆの味がどうのこうの、という話は出来ないわけです。
子の日の遊び
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満月の夜の行事 お粥の関係からいいますと、青森県の三戸の近所には、十五日に食べる粥を七日から作り出す、ということがどこかに書いてあるんです。七日からお粥をグズグズ煮続けているのかどうかわかりませんが、七日から準備して十五日に食べるというようなことが非常に古い習慣として残っているところもあるわけです。 それで、いろいろ聞いてみますと、昔、もっ上古くは、日本、あるいは中国、東南アジアもそうかもしれませんが、正月は現在の立春のころだったかもしれないし、あるいは冬至のころだったかもしれないし、あるいはもう少し前だったかもしれない、あるいはいろいろ変わったかもしれないが、正月元日─年の明ける日というのは恐らく十五日だったんしゃないか。要するに満月の日が正月のはじめじゃなかったか、と。そういわれてみるとそんな気もします。 と申しますのは、要するに、お月さんが円くなったり細くなったりするのは日を数えるのにも一番都合がいいわけで、一番円くなったのを見るのが一番はっきりわかるわけです。春先、あるいは冬のことですから、日が暮れてしばらくたってから満月が昇る。冬の月というのは、夜半には空の割合高いところにかかります。とにかく一番円くなったときにお祝いしたくなるというのは、人情としてと言うとおかしいが、その方がぴったりするんじゃないか。それがだんだんと天体の観測などが整ってきて、ついたち─つまり新月の日が元日になったんじゃないか。前の日は月のない日で、ツキがコモルからツゴモリで、一年の最後の月がこもる日だから大つごもり″─大晦日(おおみそか)なんでしょうが……。それで、月のない朔の日から日を数えることにいつごろからか決まったのだろうと─そう言う先生方がおられまして、私もその方が感じがわかるような気がします。 そういうことで正月の元日が一日になって、したがって満月の日が十五日になったわけですが、といって、満月の日の行事は非常に深くその土地に滲み込んで現在も残っているものだ、と存じます。 そういうわけで、十五日というと、そういう暦になってからも、立春の前後が一日とすると、二月の半ば前後になって、かなり暖かい日も多く、いろいろと楽しみ、遊ぶといったようなこともあるわけです。正月中は、特に近世の女性は忙しかったこととみえて、十五日ころになれば少しはゆっくりできるということで女正月と。一日の正月を大正月といい、十五日を小正月といった─歴史が始まってからというか、いろいろ書き残されるようになってからそういうような感じになってきたのだろうと思います。 五節供のおこり
それで十五日、あるいは二十日に「骨正月」というのがあり、十五日とか二十日ころまではかっては一日からもういろいろな行事があったわけで、たとえば宮中では、元日の元始祭、七日の七草がゆとか、初子の日とか…。七日にはお粥を食べるだけが宮中の行事ではなくて、「白馬節会」(あおうまのせちえ)と申しまして、白い馬を左右の主馬寮から引き出させて、陛下はじめ群臣がこの馬を見て、それから宴会を開いたということ。また十五日には「踏歌節会」(とうかのせちえ)という、これは足を踏みならす踊りという意味で、十五日に男踏歌、十六日は女踏歌の節会があって、行事があったわけであります。 |