名所図絵より
西暦 元号 百花園史 関係史 1868
明治元年
○多賀霊神祠(名主高木氏)
四、江戸城明け渡し
七、東京府がおかれる1872
明治五年
・森鴎外上京小梅村に住まう
1874
明治七年
四、墨堤の花見茶屋が許可される
1876
明治九年
・茶筅塚(おりたらん・・)?m二五
1877
明治十年
○「百花園観秋草記」柳北
五、隅田川で鮭の放流が行われる
1878
明治十一年
七、隅田川の流燈会はじまる
七、柳北須崎村に松菊荘をつくる1880
明治十三年
・初代河竹新七「しのぶつか」
・大倉喜八郎寺島に別荘を建てる
1882
明治十五年
・「墨水二四景記」
一0、柳北、大倉等墨堤に桜植樹
1885
明治十八年
・雪中庵梅年句碑(黄昏や・・)
・螺舎秀民句碑(芦の芽や・・)四、魚類保護のため隅田川での太布網漁禁止
1886
明治十九年
・「墨水三十景詩」
1888
明治二一年
・武揚朝鮮の鶴を寄せる
・井上和紫「紫の」の句碑1889
明治二二年
三、東京市がおかれる
三、東京市区改正委員会が向島公園設計構想を復申1890
明治二三年
三、浩養園が一般に公開される
・浅草凌雲閣(十二階)完成1891
明治二四年
・宝屋月彦句碑(うつくしきものは・・)
・草木二神碑発掘1892
明治二五年
・「茶筅塚」(柘植黙翁「おりたらん」の句碑)
1893
明治二六年
・鷺流狂言師矢田薫哉翁碑(花くれぬ・・)
○この頃より乃木将軍しばしば来園五、吾妻橋に神谷酒精工場建設
・幸田露伴京橋より寺島村に移転1894
明治二七年
・「園のいしぶみ」刊行
・河竹黙阿弥「きょうげん塚」1897
明治三十年
・互住連句碑<現在不明>
・「月岡芳年翁の碑」
○徳川慶喜書「日本橋欄干」1898
明治三一年
・杉谷雪樵画「芦雁の絵碑」
・「新東京名所図会」及び「風俗画報」特集「隅田堤」に紹介1899
明治三二年
・「歌沢芝金の碑」
・井上和柴句碑(柴のゆかりや・・)
・穂積永機句碑(おぼろ夜や・・)
・傘型灯篭1900
明治三三年
・「飯島光峨翁顕彰碑」
・最中堂句碑(限奈幾・・)1901
明治三四年
・七十二峰庵十湖句碑(何事も・・)
四、第一回日本労働者懇親会が白鬚神社前広場で開催
1902
明治三五年
・鶴久子歌碑(空蝉の・・)
1905
明治三八年
九、日露講和条約調印