「月岡芳年翁之碑」
年代 1897年 高さ 212センチ 幅 102センチ

碑面の読み下し

裏面の文面・読み

題字 「月岡芳年<つさおかよしとし>翁之碑」
 絵画は写生を以て本旨とすれど、写意ならざるべからず。その意を得ざるときは精神乏しく、見るに足らざるなり。
 倭絵<やまとえ>の写意は、はやく巨勢<こせ>家二、三代間に新機軸を出して、当時に賞せられき。近き世も、称誉せらるる諸流の達者少なしとせざるが中に、芳年ぬしは、天保十年江戸新橋丸屋町に生まれ、通称を米次郎とよぴ、父を吉岡兵部という。のちに故ありて、ぬし月岡氏を襲<つ>ぐ。はじめて十一歳一勇齋園芳の門に入り、十八歳はじめて錦絵の筆を揮う。斯道の先輩、その筆の凡ならざるを称せりと。明治初年のころ感ずる所ありて暫くその版本を謝絶す。この間、困苦ほとほというべからざるに至るも、心敢えて関<とざ>さず、ただ古を師として昔の名匠の筆意及び写生法を専らに鑑<かんが>みて怠らず。如かくの如くするもの両三年、ようやくにして、かの 「井伊閣考遭難の図」を作りて出版す。ここに於て画風一変大いに世人の眼を驚かし、ほしいままにその名を博す。されば、ぬしの揮毫を得んと欲する者多く、各新聞数属、挿絵の如き、ぬしの筆を加うるものを以て栄としきたり。これ、いわゆる写意を得たるものといわん。ぬし、居常門生に謂<い>えらく、「余やなお壮なり。古名家の遺蹟を見るごとに余が未熟を責む。今十数年を経過せば世に残すべきものもあらん」と。なお座右<ざゆう>その粉本<ふんぽん>を供し、寝<いね>ても枕辺にこれを具しておこたらず。実に斯道に精神を尽す、そもそも力<つと>めたりというべし。惜しいかな、天ぬしに年を仮さず、明治二十五年六月五日不帰の客となる。時に年五十四。
 ぬし別号多し。はじめ玉櫻といい、また一魁斉。後年重病に罹りてその命旦夕に迫りしも、幸いに全治す。故に改めて大蘇<だいそ>とよぶ。最晩年にいたり、咀華亭また子英とも号せり。世間に行なわるる出版物枚挙に遑<いとま>あらざれど、そのいちじるきものは『百撰想』『日本名将鑑』『日本略史図絵』『新撰東錦絵』『芳年漫画』『芳年略画』『芳年武者无類三十二相』『三十六怪撰』『月百姿』などの類とす。
 ことし、ぬしのために在世の概略をかかげ、石に勤<ろく>して後代に示さんとすることかくの如し。(以下省略)

(省略)

解 説

○巨勢家=絵師巨勢金岡<こせのかなおか>(平安朝、仁和寛平ころの人)の家系で、専門絵師として、絵所の中心勢力をなしていたと思われる。絵は唐絵<からえ>風であるが、藤原末葉になって大和絵の派も栄えてきている。
○天保十年=一八三九年。
○粉本=画の下がき。後日の参考に供するため模写されたもの。手本。
○剞@<きけつ>師=彫刻師。
〇月岡芳年=(一八三九〜一八九二)浮世絵師。月岡雪齋の養子。歌川國芳の門弟。しかし画風には北齋の影響を多分に受けている。好んで奇矯な態を写したがその筆は写実的で、明治時代の浮世絵にいわゆる芳年風という一種の様式をもたらした。明治中期の版画家として、版画界の最後を飾った人といってよかろう。門弟はすこぶる多く、その影響はかなり大きい。明治十五年絵入自由新聞社に入り、のちやまと新聞社に転ず。
〇一勇齋國芳=歌川國芳 (一七九七〜一八六一)浮世絵師。初代豊國門下の高弟。彼の画風は豊國、春英らの影響も大きいが、これに洋画の風を折衷した清新な一画風を有し、その態度は、写実的である。これにより風景画、特に武者絵が彼の声価を高めた。なお「一勇齋歌川先生墓表」の碑が、三囲神社(向島一丁目)境内にある。
〇二條基弘=(一八五九〜一九二八)神職。九條尚忠の八男。明治四年二條家を嗣ぐ。(二條家は五摂家の一で、近衛、九條、一條、鷹司と交々摂政関白の栄職に上り朝政に参画す)
○小杉椙邨=(一八三四〜一九一○)明治時代の国史、国文学者。文学博士。天保五年徳島に生まる。明治七年教部省に出で、のち文部省で『古事類苑』の編集に従事、十年内務省に出仕して社寺考証に当る。東京大学講師、帝室博物館(国立博物館)鑑査係、古社寺保存委員、美術学校(東京芸術大学)教授、御歌所参候。古文書、古記録蒐集の必要を認めて『微古雑抄』を編集。(以上二項、平凡社『日本人名大事典』)
○岡倉覺三=岡倉天心(一八六二〜一九一三)横浜の人。東京美術学校長。日本美術院を創設。米国ボストン美術館東洋部長。著(英文)『東洋の理想』『日本の目覚め』『茶の本』など。我国の美術及び美術教育の恩人にして、日本美術を海外に紹介した先覚者。
○永井素岳=(一八四九〜一九一五)松花堂流の書家。また勘亭流の書及び画をよくした。多芸にして長唄、清元に通じ、杵屋、清元両家の顧問を嘱され、音楽学校邦楽調査委員を兼ねた。大正四年五月十四日歿、年六十七。(平凡社『日本人名大事典』)
○鎬木清方=(当園No12碑解説参照) 清方の師水野年方は、芳年の門人である。

規格外漢字
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姿
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けつ