しょうゆ屋の勇者
by 槇弘樹



 神聖ヴェイレス王国と呼ばれる国がある。世界最古となる一六○○○年の歴史を誇る文明国であり、大地母神ニーサの教義を基に、極めて平和的に統治される神聖王国である。世界国家首脳会議、通称 <ラウンド・テイブル> において議長国ホストを務めることも多く、その先進的で充実した社会政策や経済システムが各国の手本とされていることでも有名だ。
 ――突然だが、その神聖ヴェイレスの国王、ルッパーンマイナス三世は憤慨していた。
 何故なら、朝清々しく目覚めた彼が眩しい朝日と共にバルコニーからふと隣を見ると、王城アクイリアンエージの隣に、魔王の城――しかも王城よりかなり立派な――が、鎮座していたからである!


☆☆☆☆


「ゆるせ〜〜〜んっ!!」
 王城アクイリアン・エージ、円卓の間に国王の怒号が響き渡る。
「なめちょる!」
「はっ。陛下のおっしゃるとおりで」
 ぷんすかと怒鳴り散らす国王に、円卓の間に集った臣下の者たちは、とりあえず調子を合わせた。彼等は長年に渡る国王との付合いの中で、彼を無用に刺激することは、すなわち事態を悪化させることにしか成り得ないという真理を学習していたのである。
「よりにもよって、このわしの城のにぃ……隣に城を築くとは、魔王めぇ小馬鹿にしちょるっ! これは、わしに対する挑戦に違いない! そう思わんか、お前達〜〜っ!?」
「はっ。陛下のおっしゃるとおりで」
 一国の施政を担う為政者たちは、再び声を揃えて国王の言葉に応えた。
「わしは、この挑戦を断固として受けちゃろうと思っちょる」
 臣下の者たちの心労も知らず、国王は感情の赴くままに更なる絶叫を続けていた。
「どうじゃ、わしゃ渋いと思わんか、お前たちぃ〜っ」
「はっ、陛下のおっしゃるとおりで」
「それにしても……きぃ〜、くやしぃ〜! そう思わんか、お前達ぃ!?」

(やはり、結局は王城より大きな城を立てられたことが気に入らないだけか)
(そのようですな)
 犬猿の仲で知られる政界二大派閥の長、右大臣と左大臣もこの時ばかりは志を同じくするまさに同志である。
「なんか言ったかお前達ぃ〜!?」
「はっ、陛下のおっしゃるとおりで」
 とりあえず、支離滅裂ではあるが、何とか誤魔化す側近たちであった。
「わしは、断固としてあの魔王をぶったおーし! 更にはあの小生意気な城を、ぶっ壊〜す所存である。それでだ。なにか、この正義を貫くべく良いアィ〜ディアはないか、お前達ぃ!?」
「はいっ!」
 びしぃっという素敵な効果音とともに、手が挙がる。
「おおっ、元気良い挙手の左大臣君。発言を許しちゃる!」

「では、僭越ながら」
 不敵な微笑と共に椅子を蹴って立ち上がると、左大臣は円卓に集った為政者たちに視線を巡らせる。
「陛下。ここは一発、少数精鋭による突撃奇襲作戦による作戦遂行しか勝利の道はないと、わたくしは確信いたしまっす!」
「おおっ!」
 パンッと膝を叩きながら、国王は嬉しそうな声を上げた。
「少数精鋭による、突撃奇襲作戦。つまり、いきなりヤサに踏み込んで、有無を言わさず血祭りか?  ええのぉ〜。だが、問題は誰がその突撃を仕掛けるかだ。わしは、痛い役はいやだぞ。誰か代わりにやれぃ!」
 結構ストレートな王様である。

「はいっ!」
 ズバビシィっと、凄い効果音と共に再び手が挙がる。
「おおっ、天を突き刺すかのような元気いい挙手の右大臣君。お前が、1人でいってくれるのか。やる気まんまんよの!」
「あ、いえ。わたしも痛いのは嫌ですから」
 一瞬、顔色を蒼白に変えると右大臣は補足するように、慌てて口を開いた。
「もとい、これに関しまして、ぴったり適任、もうそのために生まれて来たとしか言い様のない人材に心当たりがありまくります!」
「おおっ、そうか。ありまくるか! やるな、右大臣君!」
「はっ。お褒めに預かりまして、恐悦至極に存知まする」
「して、その者とは?」
「はっ。実は私、最近アナグラムに凝っておりまして。あるとんでもない事実に気付いたのであります」
「ほぅ」
 国王ルッパーン−三世は、ありもしない顎鬚を撫でながら唸る。

「それがズバリ、勇者の存在であります!」
「おおっ! 勇者か、それはいい。勇者で一発当てればギャルにモテモテ、一躍世界のナンバーワン・ヒーローだしな。よし、決めた。わしが、勇者になるっ!」
 何やら邪な理由で、自ら勇者に立候補する国王。神聖ヴェイレス王国が、今までいかに平和であったか窺えるというものである。
「しかし、陛下。勇者は怪我したり、場合によっては死んでしまうこともありますぞ」
「そうです。しかも、毒に犯されてもMPが勿体無いとか言われて、死ぬ直前まで我慢させられたり――漸く死を迎えて修羅場から開放されたと思った瞬間、教会で祈り一発何度も蘇させられた挙げ句  、前衛に立たされて後衛の盾にされたりと、結構死ぬより辛いですぞ」
「……やっぱ、やめる」
 声を揃えて諭しにかかる官僚達の話に、国王は速攻で前言を撤回した。
「しかし、じゃあ誰が勇者なんぞやるんだ?」
「ご安心を」国王の素朴な疑問に、右大臣が不敵な笑いを浮かべる。
「ここに私が最近、無意味に凝っておりますアナグラムが、その本領を発揮するのです」
「アナグラムっちゅうと、あの文字を並び替えて別の言葉を造るとかいうアレか。ヒマだな、右大臣君!」

「――はっ、恐れ入ります」
 毎日、仕事もせず惰眠を貪りまくっている国王に暇人扱いされ、右大臣は心に癒えない傷を負うも、それを微塵も感じさせない偽善の笑顔で話を続ける。
「さて、ここに大地母神ニーサの信託がございます。その言葉は、『あなたは勇者よ』。まず、この『あなたは勇者よ』を、全てヒラガナになおしてみましょう。

 →『あなたはゆうしゃよ』

 ここから『あなたは』以下、すなわち『ゆうしゃよ』のアナグラム――つまり、文字の並び替えを行います。
 原形=あなたは『ゆうしゃよ』
 最初に、『し』を先頭に→『しゆうゃよ』
 次に、『よ』を二番目に→『しよゆうゃ』
 更に、『う』と『ゆ』を入れ替え→『しようゆゃ』
 最後に、『よ』と『や』の大小を入れ替えると……女神の信託は、次のように解釈できるようになります。
『あなたはしょうゆや』

「おおッ、まさか……!?」
 国王は膝をパシリと叩くと、腰を半分浮かせて叫んだ。
「そうっ。『あなたはしょうゆや』→『あなたは、醤油屋』。つまり、醤油屋こそが勇者であったのです。実は!!」

がびーーーん。

 宮廷に衝撃が走る。それは走るだろう、普通。

「しょ、醤油屋……が、勇者!?」
「しかし、あの醤油屋のオヤジは確かもう、五〇近いぞ。あんな中年に勇者が務まるか?」
 国王、ルッパーン−三世の懸念も尤もだ。古今東西、中年の勇者が活躍する話など聞いたことが無い。だが、それは杞憂として流されることとなる。何故なら――
「いえ、問題ございません」だが、自信満々の表情で右大臣は言い放った。
「幸いなことに、醤油屋のオヤジには『せがれ』が一人おります!」

ががびぃ〜〜〜ん。

 円卓の間に再び衝撃が走る。

「……って、おい。よりにもよって、あの醤油屋のせがれに勇者やらせるつもりか? あやつ、この前も酒場に忍び込んで、黒ビールを自分の店の醤油と全部スリ変え、危うく死者を出しかねん事態を起こした奴だぞ!?」
 ――とんでもないボウズである。
「確かに、人格・素行の面で超スペシャル多大な問題がありまくるかとは思いますが、これはなにより我らが守護神ニーサの信託でありますし、それに、昔から勇者とは『えっ、マジ? こんなヘッポコボウズがよりにもよって勇者だったのかよ。こりゃおじさん、一本とられた。まいった、まいった。降参っ』ってな感じの、如何にも勇者じゃなさそうな小僧と相場は決まっております。」
「ふ〜む、確かにそうだったかもしれん」
「故に、これは定めだったのです。宿命です。運命なのです。デスティニーですっ!」
 ここぞとばかりに力説する右大臣。
 ところで、右大臣と左大臣。一体何を司っている役人なのであろうか。謎である。

「う、運命か。ええのぉ〜。それはまったりとしていながらも、しつこくない、まさに芳情の香り」
 言葉の意味は良く分からないが、国王は結構ロマンチストだった。
「よしっ、決めたっ! かなり怪しいが、とにかく勇者は醤油屋のせがれに決てぇ〜っ! 違うか、お前達ぃっ!?」
「はっ。陛下のおっしゃるとおりで」
 取り敢えず、何でも良いからこの無意味な会合を終えたい一心で、官僚達は同意を示した。
「では、さっそく有無を言わさずしょっぴ〜ぃて来いっ!」


☆☆☆☆



 神聖ヴェイレス王国と呼ばれる国がある。世界最古となる千六百年の歴史を誇る文明国であり、大地母神ニーサの教義を基に、極めて平和的に統治される神聖王国である。世界国家首脳会議、通称『ラウンド・テイブル』において議長国ホストを務めることも多く、その先進的で充実した社会政策や経済システムが各国の手本とされていることでも有名だ。
 ――突然だが、その王都メリクリウスに、一軒の醤油屋しょうゆやがあった。無論、醤油屋というなの宿屋でも酒場でもない。醤油を小売販売している、正真証明、名実共に一部の隙も無く完璧な醤油屋そのものである。
 白銀に輝く鎧に身を包んだ騎士風の男が今、その醤油屋の軒を潜る。青地に幻獣ユニコーンの紋章の入ったマントは、ヴェイレス王家直属親衛隊の騎士の証。一般に『聖騎士』として王と民の期待と信頼を一身に集める、騎士団の中でもエリート中のエリートとされる部隊の一員である。

「――失礼する」
 その聖騎士でも、やはり醤油は日常生活には欠かせないのか、兎に角、彼は店内に足を踏み入れると、薄い唇を微かに綻ばせてカウンター越しのマスターに一声かけた。
「いらっしゃいませぇぇぇぇぇぇぇぇぁぁぁぁあっ!」
 そのマスターはと言えば、聖騎士の顔を見た瞬間、くわっと目を見開き魂を削るように叫んだ。真実を明かせば、この聖騎士は実に四ヶ月ぶりの客であったのだ。そうなれば、マスター……というより『おやじ』の表現が良く似合うこの店主の気合いの入り方も、自ずと尋常のものでは無くなってくるのも無理はない。
「う……うむ」
 入店した瞬間、店内の空気を振動させるかのような気合いの入った挨拶を受けたのだ。さしもの聖騎士も流石に鼻白む。店中の寂れた様子から、騎士もここにきて漸くこの醤油屋が致命的な経営の危機を迎えているらしいことに気が付いた。
 それもそのはず。神聖ヴェイレス王国の名からも薄々感じられるように、この物語の舞台は、思いっきり中世ヨーロッパをモデルとした剣と魔法、即ちソード&ソーサリー。ファンタジーの世界なのだ。
 考えてもみて欲しい。騎士達が、邪悪なドラゴンにさらわれた美しき姫君を救出するため、勇気をもって戦うような西洋風の世界に、何を考えているのか定かではないが、「醤油屋」をおっ建てたのだ。
 客が来る筈も無い。

 このオヤジは、
「へっへっへ。まさか純度一〇〇パーセントのファンタジー世界で、醤油を売ろうなんて考える奴などいまい。これでボロ儲けは確実だぜ、ぃやっほ〜う☆」
 ……などと考えていたのだろうが、その前に醤油を買う人間もいない。いや、醤油の存在自体、知っている人間がいないのだ。
 それに、醤油を使うような料理はこの世界にはない。エール酒とパン、それに肉を焼いた簡単な料理が一般の食卓の主なメニューなのだ。そこに醤油が入り込む隙は、一ヘクトパスカルたりともなかった。
 しかもこのオヤジ、なにを考えたのか神聖大地母神の聖地でもある、この王都に店舗を構えたのだ。周りには思いっきりファンタジー世界に馴染んだ宿屋(一階は酒場になっている)や、武器屋、アイテム屋などがあるというのに、だ。はっきり言って、雰囲気ぶち壊しのこの醤油屋は、王都全体から見ても思いっきり浮いていた。
 近所のマダムたちも、子供たちに「……あの醤油屋には近付いちゃ駄目よ」と厳しく言い聞かせる。
 ――魔境だった。
 とにもかくも、このベンチャー・ビジネス『醤油・カンパニー』は、まさしく冒険。
 しかもこのオヤジは、それ一本に人生を賭けた、この世界では現実の職として存在する冒険者の中でも1番勇気ある、命知らずの冒険野郎だったわけである。

「いや、私は客ではなく、今日はだな……」
 何やら店主を誤解させてしまったらしいことに気付いた騎士が、そう釈明しようとした瞬間である。背後で何やら重いものが落ちる音がした。
 振り返ってみると、なんと、先程まで入り口のドアがあった場所に分厚い鋼鉄の板が降りていた。
「い、入り口が!?」冷や汗を流す騎士。
「ふっふっふっ……お客さぁ〜ん」
 気付けば、オヤジが気味の悪い微笑みを浮かべている。
「な、なんなんだこれは」
「逃がしませんよ〜」
 客が一向に寄りつかないこの現状が、醤油屋のオヤジを危険な男へと変貌させていた。
(キャラクターとして、素で既に危険という噂もあったが、それはまた別の話である)
「お客さ〜ん、醤油買ってくださいよ〜」
「いや、今日は客としてでなく……」
「買ってくれないと、私、燃えます」
 いきなりガソリンらしきものをかぶり出すオヤジ。手には既にマッチがスタンバイされている。殆ど脅迫だった。

「ちょ、ちょっと待て。私は王命を受け、お前のせがれに会いに来たのだ」
「えっ?」慌てた騎士の意外な言葉に、何とか平静を取り戻すオヤジ。
「せがれって……家の馬鹿クレスがまた何かやらかしたんで?」
 どうやらこのオヤジの口振りからして、そのせがれのクレスとやらは、トム・ソーヤ真っ青の悪戯小僧 らしい。
「いや。それで、せがれは何処にいる?」
「そこの階段から上がれる二階で、恐らく惰眠を貪ってる筈です」
「そうか。では、失礼する。」
 そう言うと、騎士は危ないオヤジの命懸け商法から逃れるべく、早々に階段へ足を掛けた。
「お前のせがれの返答しだいでは、帰りに醤油を一本、買ってやってもいい」
 階段を半ばまで登ったところで騎士はそう言った。情け深いその言葉を聞いて、オヤジが魂のガッツポーズをとったことは言うまでもない。
 なんのかんのと言っても、神聖ヴェイレス王国は、今日も平和なのである。




☆☆☆☆





「いやだッ!」
 事情を打ち明けた瞬間、断固とした拒絶の声が返った。
 丸太を加工もせずにそのまま積み上げました、と主張するような作りの醤油屋ニ階。そのこじんまりとした狭苦しい空間に、騎士と寝癖頭の青年が向き合っている。
「いやだね。第一、なんでオレなんだよ」
 醤油屋のせがれにして、王国屈指の問題児クレスは、開口一番そう言った。
「何でと言われても、これは女神の神託なのだ。仕方ない」
「冗談じゃねぇ。シロウトのオレじゃ死んじまうぞ」
「やっては貰えぬか?」騎士は懇願口調で迫る。
「私としても勇者になれる可能性を秘めとるのは、お前しかいないと考えているのだが」
「なんでさ。あんたみたいな訓練を受けた兵士がやればいいだろう?」
「いや、だからこれはニーサ様の神聖なる神託なのだ」
「オレは、やらねえ」勇者候補、醤油屋のせがれクレスは、きっぱりと言った。
 ただでさえ面倒が嫌いな性格なのだ。何が哀しくて命の保証もない勇者なんぞになるものか。彼の頑なな態度と拒絶の姿勢は、そう如実に語っていた。

「……そうか。残念だ。国王も哀しまれよう」
 暫くの沈黙の後、騎士は頭を垂れると唸るように言った。
「いや、悪かった。そうだな。突然勇者になれなどと言われても、普通は困惑するというものだ」
 お前には責任はない、とでも言うように騎士は何度か頭を振りながら呟く。
「まぁ、そういうことで。ほんじゃ、ご苦労さん」
 突如理解のある態度を示し始めた騎士に些かの疑惑を抱くも、これでお帰りいただけるのならクレスとしては文句は無い。
「うむ。突然失礼した。それでは、御免」
 そう言うと、騎士はマントを翻らせて踵を返す。そしてゆっくりと下りの階段へ歩いていった。
 だが、ここで終わるほどこの物語は甘くない。

ポロッ

 騎士の懐から何かが落ちた。だが騎士はそれに気付かないらしく、歩調を緩める様子はない。
「おい、おっさん。なんか落としたよ?」
 問題児のくせに、妙なお人好しを発揮してクレスが言う。
「むっ? 面妖なことを。私は何も落としてはおらんぞ」騎士は振返って言った。
「え、いや。ほら、その手帳みたいなの。確かにあんたが落としたの、オレはみたんだけど?」
「おお、これか」
 そう言って、床に落ちた手帳のようなものを騎士は無造作に拾い上げた。

がびぃ〜〜〜ん!

 そして突如、何故か実にナチュラルに衝撃を受けだす騎士。
「ど、どうしたんだ、おっさん」
 いきなり驚愕の表情を浮かべ出した彼に、クレスは思わず訊かずにはいられなかった。
「これは……あの、伝説の……勇者手帳ではないかっ!」

ばば〜ん

「な、なぬぅ!?」
 聞いたこともない伝説に、クレスは素っ頓狂な声を出す。
「やはりそうか!」何か悟りを開いたような顔つきで言う騎士。
「醤油屋のせがれクレスよ。お前がやはり勇者だッ! もぉ〜う言い逃れは出来〜ん。この伝説の『勇者手帳』が何よりの証ッ!」
「ちょっ、ちょっと待った。そりゃあんたが落としたんだろう? 大体、その『伝説の勇者手帳』ってなんだよ!? ホントにそんなもんがあるのか? 聞いたことねーぞ!」
「いーや、そんなことはない。ほれ、見ろ。ここの表紙のところに、お前の名前がでかでかと書かれている。しかも黒の極太マジックで自己主張タップリにだ」
 クイクイと指差す騎士につられて見てみると、確かに

『これはオレの。オレって誰かって言うと、オレだよオレ。マイネームイズク・レ・ス。無断で読んじゃいやよ。嫌よ嫌よも……ってオイ、読むな言うとるじゃろが。ええ加減にしとかんと、耳から手ぇ突っ込んで奥歯ガタガタ言わすぞ、コラ』

 ――とマジックで書いてあった。
 露骨にこの手帳がクレス所有のものであることを主張している。

「……あ、ホントだ」
「なぁ、そうだろう。もはやお前が勇者であることはこれで決定された。一ドルの狂いも無く!」
「って、おいおい。ちょっと待て。そもそもこれはオメーが落としたんだろうが! 勝手に人の筆跡真似て、妙な手帳を偽造するんじゃねぇ」
「そうか、やはりお前は勇者だったのか!」
 人の話を聞いちゃいない騎士。どうやら、何がなんでもクレスを勇者に仕立て上げるつもりのようだ。
「だから、ちが……」
「なにっ! そうか、『血が騒ぐ』か! さすが神託の勇者ッ。早くもやる気満々よのッ」
 都合のいい様に解釈しだす騎士。もう誰にも彼は止められない。
「誰が『血が騒ぐ』か! そうじゃなくて、オレは『ちがう』って言おうとしたんだよ!」
「まあ、そう照れるな『勇者』よ」
 肘でクレスの胸を突つく騎士。既にキャラクターが変わっている。
「だから、既にオレを『勇者』って呼ぶんじゃねぇ!」
 クレスの必死の叫びも、もはやこの騎士には通用しない。
「そうか。そうだよな。ゆくゆくは醤油屋の跡を継ごうというボウズが、実は勇者でした……なんて恥ずかしいものな。気持ちは、痛いほどよぉく分かるぞ、勇者よ!」
「分かってない。あんたは何にも分かっちゃいねぇ」
「シッ。もう何も言うな勇者よ。お前が醤油屋だったことは秘密だ。私に任せろ」
 既に、騎士はクレスが勇者決定であることを前提に話を進め始めていた。
「だから、オレは――」
「いいんだ、もう良いんだ勇者よ。もう何も気にすることは無い。全て私が上手く取り計らってやる」
 しかも、勝手に葛藤まででっち上げて、ひとりで陶酔しだす始末。

「だから、勇者なんて無理だって。もともとオレって結構躰が反応しやすいんだよ。魔王なんて、名前聞いただけで躰が震えちまって使い物になら……」
「なにっ、躰がか!? そうか、さすが『勇者』ッ! 戦いを前に武者震いを押さえ切れんとは、豪気よのうっ!」
「だから、なんでそうなるんだよっ!」叫んでからクレスは、痛む眉間をつまんだ。
「大体、オレひとりで魔王と配下の怪物たちを倒してこいっていうこと自体無茶なんだよ」
「おおっ、そうか!」ぽんっと手を打ちながら騎士は言った。
「やはり『勇者』といえど、ひとりでは心細いか。だが、心配するな。そのためにパーチー(注:パーティー)があるというもの。さあ、早速酒場に繰り出して、レッツ・スカウティング!」
「はぁ? 何言ってんだ、おっさん」いい加減、クレスは疲れを感じ始めていた。
「まぁまあ、そう言わんと。不慣れなことは、この私がみっちりコーチしてやる。さあ、同じ戦士同士、腹を割って話そうではないか! ヘイ、カマ〜ン!『勇者』よッ!」
 さも『さぁ、この胸に飛び込んでこいっ』といった感じで、騎士は両手を広げ懐を開放する。
「はぁ〜〜」もはやクレスからは溜め息しか出ない。

「なぁ、勇者よ。そろそろ本音でいこうではないか。ホントは勇者なんだろう? そうなんだな? 勇者だよな? そろそろ吐いて楽になれ」
「だ〜か〜ら〜、ちが……」
「オオッ、そうか! やはり迫る魔王戦を控えて、『血が騒いで煮えたちそう』かっ! さすがは勇者!血気盛んな火の玉ボーイよのうっ!」
「またか……またそこに戻るのか……」
 クレスはガックリと項垂れた。
「さっ、では話しも纏まったところで、王城へ赴き、みっちりミーティングを重ねようではないか!」
 そう言うと、騎士はクレスの首根っこを引っ掴んで、引きずり出した。
「ちょっと待て、これのどこが話が纏まったんだ!? おい、こら、放しやがれ。引きずるんじゃねぇ。聞いてんのか! くそぉ〜、政府の横暴だ! 軍部の陰謀だッ! 誘拐だ、拉致監禁だッ!」


「オレは勇者じゃねぇ〜〜〜っ」



醤油屋から、王城へ無理矢理ご案内された
勇者(らしい)クレス・シグルドリーヴァくん、十七歳。
その後、このクレス青年がどうなったのか、
記録には、残っていない……





しょうゆ屋の勇者
「完」



でぐち→