HOW2
1.プロとアマの業界事情
"THE HOW2" by Hiroki Maki
講師:クリストファ・スティーヴンソン(作家)




▼一般作家とライトノヴェル作家

鬼木: ……と言うわけで、記念すべき『HOW2』の初回は、プロフェッショナルとアマチュアとの業界事情について見ていきたいと思います。今回は出版業界の事情に詳しい、フリー作家のクリストファ・スティーヴンソン氏を講師としてお招き致しました。
 先生は、サンフランシスコで小説家として活動していらっしゃるそうです。相当ウソっぽいですが。
――ともあれスティーヴンソン先生、宜しくお願いします。
Chris: トレビアーン。
鬼木: はい。初っ端から見事に話がかみ合っておりません。
Chris: どうやら、そのようですな。
鬼木: さて、先生。USAと日本とで違いはあるでしょうが、たとえば小説を書く人間を見た場合、やはりその世界ごとに特徴みたいなものが見られるものなのでしょうか。
Chris: 当たり前田のクラッカー。
 一種の文化ですからな。他との相違点や識別点、特徴などが見られないと文化にならんでしょう。同じ物書きたちの世界であっても、プロならプロでの独自の雰囲気や歴史があるし、アマにはアマのそれがあるわけで。
鬼木: おお、最初はどうなるかと思いましたが、なんだか思いがけずマトモな答えが返ってきました。
 では先生、まずプロの世界のことを少し。
Chris: 改めて言うまでもなく、ここで言う「プロ」とは、文章による創作を行いそれを商用の流通にのせるタイプの作家――簡単に言えば本を書き、それを一般人に売りさばくことを目的としている書き手のことです。
 まあ他にも定義のしようはあるでしょうが、この場ではそう定義づけるとしましょう。
 さて、それを前提に話を進めたとき、このプロの作家は大きく二種類に分けることができるように思います。「一般作家」と「ライトノヴェル作家」がそうです。
鬼木: 良く分かりませんね。「売れる作家」と「売れない作家」とかなら分かりますけど。
Chris: そういう分類もできるでしょうが、それはここで敢えて語るほどのことでもないですな。
鬼木: まあ、そうかも知れませんね。それで、その「ライトノヴェル」っていうのは何ですか?
Chris: 一般の民にはあまり馴染みがないかもしれませんが、対象年齢をジュニア――つまり若年層に絞った小説のことですな。日本の出版業界でいうと、角川の「電撃文庫」「スニーカー文庫」、富士見書房の「ファンタジア文庫」、講談社の「X文庫」などが知られているようで。
 読者の大半は、やはり中高生で占められていますな。あと、彼らのハートを掴むための戦略か、本の表紙が実にアニメチックな美少年・美少女の扉絵で飾られているケースが目立つということも言えるでしょう。
鬼木: それが何故に一般の書籍と差別化されるのか。キリキリ説明せよ。……って言うか、民?
Chris: まあ要するに大人向けと子供向けの差ですな。子供向けは当然ながら子供だましが多く、成熟した大人の読者にたえられるものとは限らない。一般論だが、技術の水準が低く内容も薄いとされているようです。
 それから――これは読者には直接関係のないことですが――印税の面でも違いますな。ライトノヴェルでは印税は一律していて、キャリアや売れ筋には関係ないという出版社もあるようです。
 一般の小説の場合だと、印税というのは新人かプロかでも違いますし、やはり売れ筋に大きく左右される要素です。ジュニア業界のように一律ということは、まずあり得ないでしょう。
 ちなみに新人や売れない作家だと、大体印税は6%前後。売れっ子だと10%前後となってきたりするそうです。
鬼木: なるほど、色々と違うみたいですね。
Chris: 「一般作家」と「ライトノヴェル作家」、両者の一番の相違はやはり出版業界の目でしょうかな。
 出版業界、つまり編集者たちは、ライトノヴェルを比較的に程度の低いものだと認識する傾向にある――ということは既に説明した通り。当然ながら、そういうジュニア向けの作品を書く人間に対する目も、一般とは違ってくるわけです。
 具体的に言うと、ライトノヴェル作家は一人前のプロとは見なされないわけですな。彼らが畑を越えて一般の部に進出しても、それは新人として扱われるケースがほとんどであるはずです。ライトノヴェルを何十冊と出していようが、その作家は所詮シロウトに毛が生えた程度。それが業界の目ということになるでしょうか。
鬼木: 実際のところ、ライトノヴェルっていうのはそんなにレヴェル低いんですか?
Chris: ま、そう言われて仕方がないところは多々ありますな。小説の基本的な技術について見ただけでも、問題を抱えている作品が幾つも存在するようですし。
 もちろんながら、一般の小説として出版しても全く遜色のない作品もごく稀ながらあるんですがね。ミズ・オノ(小野不由美)の「十二国記」シリーズなどはその代表的な例となりますかな。……まあ、なんにでも例外はあるということで。



▼シロウト物書きの「一次」と「二次」

鬼木: では、プロに続いてアマチュア――「シロウト物書き」の世界について、お願いします。
Chris: アマチュアの物書きには、二種類が存在します。「プロの作家を目指す者」と、「執筆を単なる趣味とする者」ですな。
鬼木: それは私にも想像がつきます。
Chris: これとは全く違った方法での分類もできるが、その前に彼らの活躍の場について少し見ておいたほうが良いかもしれませんな。
 プロにはプロの世界があるように、アマチュアにはアマチュアなりの世界というものがあって然り。ただシロウト物書きにはプロと違って出版社という強力なバックが存在しないから、活動の場がある程度限られてきます。普通に考えていくと、ノートなり原稿用紙に自分なりの物語や詩を書き連ねるのみで完結するタイプがまず挙げられるでしょうな。
鬼木: はあ。……まあ、日記の延長線上にあるようなものですね。書くだけで満足して、他人に見せることは最初から全く考えていない――。
Chris: 逆に、人に見せることを前提として書く連中もいますな。作品を友人・知人の間に回す個人レヴェルのタイプから、自費で冊子や本にまとめそれを売りに出す人間もいますかね。
鬼木: いわゆる同人誌や自費出版ですね。売れるんですか?
Chris: まあ、売れんでしょうな。
鬼木: ……でしょうね。
Chris: それとは別に、近年非常に増えてきたのがコンピュータ・ネットワーク上で活躍する素人作家の存在です。特にインターネットの発展は、シロウト物書きにとって大きな恩恵をもたらしたようですな。
 インターネットが普及した昨今、ひとたびネット上に自作を公開してしまえば、不特定多数の読者を獲得できる。ネットワークに接続できる環境下にある人間なら、誰もが読者になり得ることになるわけですからな。
鬼木: 作品が電子化されて、インターネットという巨大な図書館に収められるのと同じ感覚ですね。上手く宣伝すれば、かつては考えられなかった規模の読者を獲得できる。
Chris: 結果的に批評や批判の声が数多く集まるようになったわけだから、物書きの技量は伸びるわけです。色んな意見を吸収して、読者の要望に応えたり自分の問題点を改善したりすることができますからな。
 もっとも、ネットの普及で読者を得やすくなったことにより、シロウト物書きを志す人間の数がドッと増えたから、底辺が拡大された分、書き手の平均的な質は落ちたと見ることも可能かもしれません。ま、なにごとも功罪半ばするもんですな。
鬼木: で、シロウト物書きの世界には、プロの時みたいな独特の線引きみたいなものはないんですか?
Chris: それがあるんですな。「一次創作」と「二次創作」に二分されると考えた方がいいでしょう。言い換えると「一般作家」と「二次創作家」になりますかな。
鬼木: 司会進行として、私はこういう展開を待っていました。
Chris: 一次創作というのは私が今ここで考えた便宜的な表現で、これはつまり、シロウト物書きが自分で考えたオリジナルの世界観とキャラクターを以って描いた、完全オリジナル作品のことですな。そしてそれを手がける物書きを、一般作家と呼ぶことにしましょう。シロウトを作家呼ばわりするのは問題かもしれませんが。
鬼木: 本誌記者としては、読者に分かりやすければ何でもいいっス。
Chris: この完全オリジナルである「一次創作」に対し、シロウト物書き界には「二次創作」というものが存在するわけですな。我が母国USAではファンフィクション(FF)などと呼ばれたりするわけですが。日本だと、サイドストーリィ(SS)と表現されるとも聞きます。
鬼木: 呼び方が三つもあると混乱するので、ここは「二次創作」にしておきましょう。
……で、この二次創作っていうのは具体的に何なんですか? 聞いたことないですけど。
Chris: まあ、一種のノヴェライズ(ノヴェライゼーション)ですな。ノヴェライズというのは、映画やドラマなどを小説化した作品のことを言うわけですが、これに近しいのではないでしょうか。良くハリウッド映画なんかであるでしょう。売れた作品が、小説になって売りに出されるパターン。
 たとえば映画『スターゲイト』はD・デルウィンが小説化して、これは翻訳されて日本でも出版されましたな。『シックスセンス』はジム・デフェリスが、『アルマゲドン』はM・C・ボーリンがノヴェライズして、いずれも翻訳版が竹書房文庫から出版されてます。
 マニアックなところでいくと、『アビス』という映画はSF界で有名な作家オースン・スコット・カードが小説化して話題になりましたな。これも翻訳されて、角川書店から出版されていたはず。
鬼木: つまりノヴェライズというのは、映画や人気TVドラマなどの映像作品を原作として、これを小説化したものであるわけですね。
Chris: そのとーり。日本ではこのノヴェライズは活発で、ハリウッド映画、ドラマはもちろん、TVアニメーションやゲームソフトなどにまで広がっているわけですな。
 USAでの私の超人気ぶりを彷彿とさせるくらい日本で有名な作家、ミズ・ミヤベ(宮部みゆき)なんかは無類のゲーム好きとして知られているらしいが、彼女は一般公開している日記において以下のように発言している。
 ――タイトルは『ICO』。「イコ」と読みます。ごくごく大ざっぱに区切るならば、『ゼルダ』系のアクションゲームと言えると思うのですが…(中略)レビューを見ると、物語も良いらしい。体験版でも、それは判る。ああ、ノベライゼイションしてぇ!! (大極宮第36号 2001・11・23より)
鬼木: ノヴェライゼーション(novelization)。辞書によれば、映画やテレビの脚本を小説に仕立てて刊行すること……となってますね。つまりゲームが気に入ったので、小説という形式にして世界に放ちたい、と。
Chris: 日本ではマーケティングの観点からも、小説化の話はよく持ち上がるようですな。
鬼木: 話を二次創作に戻しましょう。
Chris: つまり二次創作とは、プロが映像作品やTVゲームを小説化するように、お気に入りの作品を自分なりに料理して小説形式にしてしまうことですな。
 全く馴染みのない人は、だからシロウトが勝手にやるノヴェライゼーションだと思えばよろしい。厳密には少々違ってくる部分もあるかもしれないが、イメージとしては大筋で間違っていない。
鬼木: 二次創作では、何を小説化するんですか?
Chris: 私の祖国USAでは、やはり人気のあるドラマシリーズの二次創作が盛んだろうか。日本でも放映されている"FRIENDS"のファンフィクション(二次創作)を私は偶然見かけたことがある。ああ、"X-FILE"のも見たことありますな。
鬼木: 原作のファンたちが、そのファン活動の延長線上として原作の世界観やキャラクターを用いてオリジナルの小説を書くわけですね。それがファンフィクション――二次創作であると。
Chris: では、プロの手がけたノヴェライズと、シロウトの書く二次創作とではどこが違うか。これは金が絡む商業的なものであるか否かという要素を除けば、要するに原作者や版元に「依頼されて」書かれた物であるか、そういう存在の意思とは無関係のところでファンが「勝手に」書いた物であるかの相違でしかないわけですな。ま、著作権その他の権利上のことを考えると、ある意味大きな問題でもあるが。
 ただ、企業や著作者によっては、シロウトのファンによる二次創作活動を許可しているものもある。これは二次創作でのアピールを、一種の宣伝のように捉えるむきがあるからですな。名前を売ってくれるなら、それが下手くその二次創作でも構わない、と。
 逆にディズニーのように、頑なにファン活動を抑制しようという企業もあるから、まあこの世界も色々だったりするわけでして。もっとも、ディズニーはパブリック・ドメインを欠片すら解さぬ単なる守銭奴ですからな、あれと一緒にしては他に気の毒かもしれないですが。
鬼木: なるほど。
Chris: ところで、ノヴェライゼーションや二次創作には、大きく二つの方向性があったりして面白いんですな。
鬼木: 具体的には?
Chris: 原作に準拠するか否か、ということです。原作のシナリオや設定をそのまま忠実に再現するか、それともそれをダイナミックに解釈してオリジナルの要素を多分に加えてみるか。同じノヴェライゼーション、二次創作といっても両者にはかなり性質的な違いが出てきますからな。
 これは私のような超一流の凄腕プロでも悩むことだったりしますな。全く変更を加えないままだと、どうやったって活字は映像+音声で成り立つ原作にはかなわない。無論、文字ならではの味――とくに心理描写の面で特徴を出せるという部分もあるが、それにも限界がある。なにより、原作そのままを本にしたとろで捻りもなにもないじゃないか、ということになる。
 かと言って大胆に設定やキャラクターを変えてしまうと、「原作とは違う!」「これは○×なんかじゃない」とファンの不興を買うことにもなり得ない。
鬼木: まあ、誰が超一流の凄腕プロかは別として、難しいところですよね。
Chris: そう。実にその辺りのサジ加減が難しい。ノヴェライズでは、オリジナルとは全く違った技術が必要となる――と、ノヴェライゼーションを手がけたあらゆるプロが口を揃えるのは、つまりその問題が大きく根底に横たわっているからなんですな。
 KSSノベルズで、とあるゲームソフトのノヴェライゼーションに挑戦しているミスター・カミシロ(神代創)は、その後書きにてまさにその部分に言及している。

 ――設定を変えた部分、変えなかった部分、両方のバランスをどうするかがノベライズのポイントになると思いますが、1巻目は変えなかった部分が多く、そこを不満に思われた方も多いでしょう。実際、それは予想していました。
 さて、その反動というわけでもないのですが、2巻目は1巻目で変えた部分が影響してかなり変わってしまいました。そこを皆さんがどう評価してくださるのか不安と同時に楽しみでもあります。

(KSSノベルズ 神代創著「この世の果てで恋を唄う少女YU-NO II.神奈」より引用)
鬼木: 二次創作の特徴のようなものは、大体掴めたと思います。
 それで、本題である「一次創作」と「二次創作」との線引きはどのようにして生まれたのでしょうか。アマチュアの世界で両者が強く区別されるのって、何か歴史的に理由でも?
Chris: 歴史的にどうは分かりませんが、出版業界において「一般作家」と比較したとき「ライトノヴェル作家」が低く見られがちであるのと同じように、アマチュアの世界では、「一次創作家」より「二次創作家」が軽視されやすい――ということは言えると思いますな。
 何故かと言えば、完全オリジナルで勝負している一次創作家たちの目には、世界観やキャラクターを他から借りてこないと物語も作れない連中……というように見えるわけなんです。二次創作をやる連中は。
 これは書き手だけに限らず、読み手の間にも見られる傾向だったりするのです。日本ではアニメやゲームといった、いわゆる日陰のオタク文化とされるようなものが好んで二次創作の対象となるので、そんな連中と一緒にされたくないという心理も働くわけでしょう。
 結果的に、オリジナルに関わる書き手読み手いずれからも、二次創作は激しく嫌われ、疎まれる傾向にありますな。同じ玉石混淆、二次の世界にもセミプロ級の腕を持つ人間はいるわけなんですが、そういう技術水準の問題とは違ったところで区別されるという点では、少しプロの世界の分け方とは違いが見られるかもしれません。
鬼木: 二次創作を手がけるシロウトさんたちは、そういう目に対してどういう対応をとってるんでしょうか。
Chris: 対応うんぬん以前に、彼らは閉鎖された小さな世界に引き篭もっているので、一次創作に携わる人間たちから蔑視や軽視の目を向けられていること自体、認識していないケースがほとんどですな。二次創作の世界、自分が帰属している世界を見渡すような広い視野というのは、一部の例外を除いて誰も持っていないのが現状ではないですかな。
 その狭い視野や閉鎖性が、また一次創作関連の人間たちの嘲笑を買う。そういう悪循環はあるでしょう。
鬼木: 一次と二次、二束のワラジを履くような人はいないんですか?
Chris: たまにいますな。そういう人間は、一次の畑からみた二次、二時の畑からみた一次と、双方向的な見方ができるので、そのぶん色々と見えることもあるのではないでしょうかね。
 まあ、これからどちらかの世界に足を踏み入れようと思っている人は、その辺りのことを頭の片隅にでも置いておくと、また創作に幅が出てきたりするかもしれませんな。


収録:2003/06/20 21:09:58


 
○講師紹介

Christopher Stevenson(クリストファ・スティーヴンソン)

 一九四九年、ヴァーモンド州ベサニィに生まれる。マサチューセッツ工科大学卒業。一九七七年、処女作『蒼月の女神』で請談社ファンタジー大賞の俺的新人賞を受賞。主な著書に『小針群中を落下する鉄製小球の法則(パチンコ必勝本)』『バリーポッター 〜健ちゃんの石〜』『人をおちょくる100の方法』など。