S.A.ラングレーへ送る、
碇シンジの恋歌ラブソング




――第三新東京市立第一高等学校


「あ、ヒカリ。おっはよう」
 昇降口、クラスメイト洞木ヒカリの姿を見かけた惣流・アスカ・ラングレーは、朝日を背に浴びながら上機嫌で声をかけた。
 晴れ渡った春の清々しい朝。アスカという少女は、こんな朝がとても好きだった。
「アスカ。おはよう。今日は早いね」
 ヒカリもそのアスカに釣られるように、笑顔で応える。頬に微かに散りばめられたソバカスがチャーミングな少女だ。

 かぱっ
 ドサドサドサ……

「……!」
 一連の動作で、アスカの表情が曇る。迂闊なことに、アスカは自分が毎朝この被害に遭遇し続けてきたことを失念していた。
 ゲタ箱を空けた瞬間、雪崩れ落ちてくる白い紙くずの束。西洋風に言えば、ラブレター。和風にいえば、恋文というやつだ。
 差出人たちに悪意は無いのであろうが、毎朝毎朝大量の手紙の処理を強いられて来たアスカにとっては、もはや嫌がらせでしかない。
 高校生にして既に完成されつつある彼女のその美貌。これに魂を惹かれた男たちの気持ちも分かる。が、アスカは正直、執拗に視線を絡ませてくる世の男たちにウンザリしていた。
「大変ね。アスカも。」
 ヒカリが何といって良いのか、複雑な表情でアスカに声をかける。
 アスカは同性の自分からしても、一緒にいて気分のいい女の子だ。賢いし、確かにとても綺麗でもある。だから、彼女に恋心を抱く男子がいることに意外性はないし、その気持ちも理解できる。
 だが、当の本人はその男子生徒たちの好意を煙たがっている節がある。両者の気持ちを平等に理解できるだけに、ヒカリとしては掛ける言葉にも困るというわけだ。
 洞木ヒカリは、そういう意味でも真面目な少女であった。

「……ったく。いい加減にしてほしいわよ。」
 足元に散らばってしまったラブレターを、腰に手を当てたポーズで見下ろしながら、アスカは溜息混じりに言った。
 本当に疲れた――といった感じが、ヒカリにも伝わってくる。
「しかもあの日以来、妙に凝ったのが多くなってさ」
 アスカは、もう1度溜息を吐きながら、言った。
 あの日――そう、それは数日前の出来事であった。突然、アスカに畳サイズの超巨大ラブレターを送りつけた剛の者が現れたのである。
 勿論、他のものと同じようにそれも無視していれば、何事もなく事は終わったのであろうが……
 よせばいいのに、その熱きチャレンジャー・スピリッツに応えようと、送り主の挑戦を真正面から受けて立ってしまったのである。

 思えば、これが災いの始まりだった。
 つまり、これを切っ掛けに、『単なるラブレターではなく、意匠を凝らした熱きパトスをぶつければ、とりあえずアスカは相手をしてくれる。』という単純な結論に、男子たちは行き付いたのである。
 それから、彼女に送られてくるものは、封筒に入れられた手紙から一斉に路線が変わっていった。
 まず真赤なバラに始まり、サルのぬいぐるみ、バナナ(リボン付き)、送り主のサイン入り色紙、送り主のブロマイド、全長200mの真赤な人造人間(入魂済み)など、様々なものが送られてくるようになった。
 そして、その中でも今1番のナウなのが、『ラブソング』であった。
 作詞・作曲、もちろんオリジナル。歌ももちろん、オリジナル。熱いパッションを込めたオリジナルなラブソングが、ディスクに収められて送られてくるわけである。

「はぁ……ホント、疲れるわ」
 ゲタ箱に満載されたラブ・シリーズを掻き集めると、ガックリうなだれてアスカは呟いた。
「同情するわ、アスカ」
 だが、惣流・アスカ・ラングレーもただの女ではなかった。
 実は彼女、送られてくる手紙以外の物品を、全て質屋に入れて小遣いの足しにしているのである。
 なにせ、たまに金持ちの家のボンクラ息子が、ブランドもののアクセサリーやらなんやらを入れてくるし、テーマ―パークなどのチケットや商品券なども送られてくる。
 これらを全て清算すると、月々数万、いいときだと数十万に達するわけだ。
 ラブソングにしたところで、オリジナルが7割方を占めるが、市販されているプロのミュージシャンの曲をダビングして贈ってくるものも確かにある。
 もちろん、最近流行のラブソングをプレゼントする者も少なくない。
 それはそれでちゃっかり戴いておけば、もうけものというわけだ。
 おかげで最近発売される大体の新譜は、買わずとも殆ど無料で入手しているのが現状だった。
「ま、これはこれで儲かってるからね。恋とお金は別物だけどさ。やっぱ、美しさで苦労する分は、美しさで得して取り返さないとね」
 アスカにすれば、迷惑料くらいのものだろう。
「そうね。」
 良く分からなかったが、ヒカリはとりあえず頷いて見せた。



 ――まあそんなわけで、昼休み屋上でお弁当を食べながら、贈られてきたラブ・ソングを視聴するのがアスカとヒカリの日課となった。
 捨てるべきオリジナル作品と、貰っとくプロの作品を選り分けるのが当然ながらの目的である。
 そして今日も、ある意味『お楽しみ』であるその時間が訪れる。
 晴れた午後の校舎屋上にやってきた彼女たちは、シートを広げその上に小型のプレイヤーと、お弁当&水筒をスタンバイすると、昼食の時間に入った。
「じゃ、ヒカリ。早速本日の第1曲目、いくわよ。……ポチっとな♪」
 アスカは謎の掛け声と共に、プレイヤーの再生ボタンを押した。
 と、同時にスピーカーから威勢の良いポップミュージックが流れ出す。

チャッチャッチャチャラッチャッチャ♪

「――あ、これ、私知ってるよ」
 ヒカリは暫く耳を傾けた後、弁当を突付きながら言った。
「お母さんがファンなんだ。……ヒロミゴー
「誰、それ?」
 聞き覚えのない歌手の名前に、アスカは小首を捻って訊いた。
「旧世紀の歌手だよ。この歌は、確かゴールド・フィンガー99とかいったかな。知らない? 今でも結構耳にするよ。有線とかで。ア〜ち〜ち〜とかいうの。」
 ヒカリが口ずさむと何やらとっても可愛らしかったが、実際そんな可愛いものではなかった。

「とにかく、これはプロの作品なのね?」
 アスカは停止ボタンに手を伸ばしながら言った。
「うん。この声は間違いないよ。歌い方も、記憶と同じだし」
 だが、そこにトラップはあった。
あァ〜スゥ〜カァ〜 ス〜カ〜!
 どうしたんだろうか?
 あ〜す〜か〜 す〜か〜
 恋したんだろうか?


 突如、声がプロのそれと入れ替わり、明らかにシロウトが吹き込んだものと思われる怪しげなシャウトへと変わったのである。  どうやら、サビの部分だけオリジナルらしい。
「どっせい!」
 アスカは、ディスクを取り出すと剛拳を迷わず振り落とし、呪いのラブソングを破壊した。
「次!」

「エントリー・ナンバー38番! 3年B組、青葉シゲル! 『残酷な天使のテーゼ(アスカ・エディション)』歌います!」

 じゃじゃ〜ん!!

 ざ〜んこ〜くな、シゲルのべーゼ(フランス語で、チュウ。キッスのこと)
 窓辺から、アスカにせまる〜

 ほとばしる熱いパトスで、
 アスカちゃんよOKくれ
 惣流さんを抱いてかがやく
 シ〜ゲるんよ神話になれ!
 OH YEAH!! さんっっっっっきゅう!!


 ぷるぷるぷる……
「あ、アスカ、大丈夫……?」
 歌が終わった瞬間、俯いて震え出したアスカに、ヒカリが心配そうに声をかける。
「ヒカリ……」
「ん、なに?アスカ」
 俯いたまま低く囁くようなアスカに、ヒカリは怪訝な表情で言う。
「こ」
「こ?」
「こ!」
「??」
「こいつ、コロスわ!絶対!!」
 当然、今度ばかりはヒカリも止めるつもりは無かった。


 そしてもちろん、今日も元気にアスカのそんな様子をじっと観察している人間がいた。
 アスカとヒカリから距離にして20mの貯水タンクの影。
 挙動不審すぎる男子生徒が、彼女たちのランチタイム定番のやりとりをじっと見つめている。
 ――彼の名を碇シンジ。
 ガッツあふれる、ストーカー予備軍であった。

 ――ああ、アスカ。また困ってるよ。
   可愛そうに。
   大体なんなんだよ、あの歌は。まるでなってない。
   やる気まったくナッシングだよ!
   あれじゃ、アスカの超合金より難い心ガードは打ち崩せない。
   当然の結末だよ!
   第一、『ア〜ス〜カ〜 ス〜カ〜』のスカってなにさ?
   まったく……。
   折角ぼくが渾身のラブレターで癒したアスカの乙女心が、またもや再びブロウクンじゃないか。
   酷いよ。
   なぜ、そっとしておいてあげられないんだ、みんなは!
   やはりここは何時も如く、僕自らが乙女心の修復に乗り出さなくてはならないよね?
   もはや、これは幼馴染としての僕の義務。
   否、使命なんだよね? そうだよね?
   ……そうさ。その通りだ、シンジ。良くぞ気付いてくれた。
   ここは一発、碇シンジ作詞・作曲・歌による
  パトス&パッションを込めたラブなソングを送るしかないのだ。
   そして彼女のハートに、消えないの火を灯すんだよ。きっとそうだ。
   それが唯一正しい、社会の構図なんだ。僕はそう確信する!


「待っててね、アスカ。僕の魂のシャウトで、君の熟しきって腐りきった乙女心をクリーンアップしてみせるさ。構いませんね、司令!?
ばびゅん
 彼は謎の司令の返事も聞かず、風のように走り去った。
 幼馴染のアスカを放ってはおけないシンジ少年。
 やはり、彼はそれなりに優しい男の子であった。多分。
 とりあえず――碇シンジ。12時04分、今日も早退。



 ――その夜。コンフォート17 惣流・アスカの自室

「はぁ〜。今日はロクでもない日だった」
 今日の業を成し終えて、今、アスカは眠りに就かんとしていた。
 薄い赤色をしたパジャマに身を包むと、ベッドに身を滑りこませる。
「あのシゲルってのも、パールハーバーに沈めてきたし。ホント、疲れた。明日こそは変態から歌が届かないといいけど」
 ベッドスタンドのライトを消すと、アスカは1日の疲れを癒すため、ゆっくりと眠りに落ちていった。
 ――その、瞬間である。

ぼろろん……
 妙な音が聞こえた。
 最近、意図せずして聞きなれてしまった、そう――アコースティック・ギターの音色だ。
「ヤダ、幻聴?」
 毎日送られてくる嫌がらせのようなラブソングは、知らぬ間に自分の心に深いダメージを与えていたのか?
 ちょっと戦慄するアスカ。だが、それは幻聴などという生易しい存在で無かったことを、彼女はこれから痛感することとなる。

セリフ)
 おっかさん、お元気ですか?
 私は今、冬の日本海にいます。


 突如、窓の外から聞こえてくる演歌調の台詞。
「ええっ!?」
 アスカは、一瞬我を疑った。
 何故なら、ここはマンションの5階だ。窓の外からこんなにクリアに、意味不明なセリフが聞こえてくる理由はない。
 だが、混乱するアスカを余所に、セリフは淡々と続く。

単車と書いて、マシンと読む。


 なぬ――っ!?
 ガバっと身を起こして、カーテンの閉まった窓の向こう側を凝視するアスカ。
 その声には……認めたくない。認めたくないが、なにやら聞き覚えがあった。

 だけど、涙がでちゃう。
 ……だって、マイケルだもん。


 ――ってゆーか、マイケルって誰!?
 次の瞬間、その解答は、最悪の形でアスカの前に示された。

カシャアッ!!

 どういう仕掛けか、勢い良く開くカーテン。
 突如、怒涛の勢いで始まる激しい旋律。
 遮断するものを失い、外界と視覚的に接続されるアスカの寝室。
 窓の向こう側で、眩しいほどのスポットライトが、四方八方から夜闇を切り裂いているのが分かる。
 そして、そのスポットライトに浮かび上がるように――
「アァゥ!!」
 黒墨でも塗ったのか、偽モノの黒い肌に、テカテカ光るタイトな怪しい服。
 そして、ちょっと表現に苦しむ、アフロっぽい黒髪。
 マイケル……
 ――そう。
マイケル・ジャクソンと化したシンジがいた。
 宙吊りの。

「イッツ ショータイム!!」
 なにやら、怪しい英語を操りながら、カクンカクンと人間ばなれした動きで踊り出すシンジ。
 ムーンウォークは本物の切れ味があった。
 たしかに、涙が出た。
 遂にここまで……と。


 そうりゅ〜 あすかは〜
 良いアスカ〜
 おお、アスカよ〜
 フォーエヴァー・ソー・ファイ〜ン♪


 ブランブランと、振り子のように揺れながらシンジは心を込めて歌う。
 腰には、上の階のベランダに縛り付けたのであろう――
 今日、盗まれたことが発覚してちょっとした騒ぎになった、学校所有の綱引き用のロープがまかれていた。
「素敵な歌をありがとう、マイケル」
 ニッコリ微笑んでそう言うと、アスカは漫画『北斗の拳』を読んでラオウ様からラーニングした腰の入った渾身の剛拳を偽マイケルに叩きこんだ。
 ――もちろん、シンジは、1番星になった。



漢もとい、完