最近、四肢に経験のない奇妙な現象が出てきたので、少し首をひねっていた。
左右どちらか片方というのではなく、対称的――つまり両方に症状が出る。
手足共に血の巡りが悪いのか、全体的に色が生白く、非常に痺れやすい。
冬場の寒い時にかじかんだ感じ、とでもいうのだろうか。ときどきチリチリと痛んだり、ぞわりとした寒気のようなものが先端部に走ったりもする。
痺れている時は指がシモヤケのような状態なので、キーボードを打つのにも違和感以上のものを感じる有様であった。
一番症状が顕著なのが足の裏だった。
両足で立った時、足の裏全体が充血したように赤くなり、痛みを感じる。
足の裏の肉が、古く固くなった座布団のようにクッション性を失い、床の感覚が皮一枚を隔てて骨で直接感じられるようなイメージであった。
糖尿病の合併症に似た症例があるため、私はまずこれを疑った。
とはいえ、私はどちらかというとやせ形に属する。
身長は175センチと少しあるが、体重は65キロを超えたことがない。体脂肪率は15%前後。
あまり暴食には向かない体質で、たくさん食べようにもすぐに胃袋がいっぱいになってしまう。
確かに昼食は麺類が中心で、炭水化物を多く取る傾向にあるが――
しかし、どう考えても糖尿病になるほどではないはずであった。
では、どういうことか。
確かに糖尿病は暴飲暴食が招く、メタボリックシンドローム人間の自業自得病といったイメージが強い。
しかし、1型などは本人の生活習慣とは関係なく、場合によっては生まれた瞬間から患っていることもある病気であるし、2型にしても遺伝や体質といった本人にはまったく責任のない要因で発症してしまうことがあるのだった。
要するに、他に特別な理由もなく、単に遺伝的体質というだけで糖尿病になることはある、ということだ。
ならば、私はその例なのか。だが、近い親族に糖尿病と診断を受けた人間がいた記憶はない。
などと考えていたところ、駅前で献血をやっているのをタイミング良く発見した。
三十分くらいなら時間を取れそうであったため、400ミリで登録。
二十分ほどで採血を完了させた。
あとは二週間ほど待てばいい。献血すると赤十字が無料で採った血液を検査し、その結果を郵送してくれる。
で、今回は八日後にそれが届いた。
届くまでの間、私はもし自分が糖尿病であったら、ということを意図して考えた。
こういう時でないと、健康体のありがたみや病気の怖さなどをリアルには感じられない。
また、こういう時こそ、病気になった人間が味わうであろう恐怖や不安の片鱗に触れることができる。
これは確実に執筆のプラスとなるのだ。
たとえばエイズ検査を受けた時、誰しもが「もし陽性とでたら」「万が一、本当にエイズだったら」という想像をしてみるだろう。脳天気な人間は一瞬考えて「ないない」と笑い飛ばすだろうが……
だが、その「もし」を真剣に考えて、ちょっと血の気の引くような想像をしてみる。
そうすることで、仮に自分がエイズでなかったとしても、エイズ患者と出会った時、ふれあい方や向き合い方が違ってくるはずなのである。これはおそらく無意味なことではない。
結果として、私の「グリコアルブミン検査」の値は13.1%。
標準値は11~16%の間であるため、正常値の範囲内であった。
ちなみにこの「グリコアルプミン」の値は、ここ二週間の血糖値を、アルブミンというタンパク質との結びつきから総合的に算出したもの。
食前・食後でころころと変化を見せる瞬間的な血糖値の測定より、医学的にも信頼のおける検査だとされている。
保険証を持って病院に行き、三千円払って血液検査する必要もなく、二十分で無料検診できるのだからありがたい話であった。
ともあれ、とりあえず私の四肢に出ている現象が「長期的な高血糖状態が生む、末梢神経系の合併症」である可能性はかなり低くなった。
症状はまだ治まっていないが、脳関係の次くらいに悲惨な糖尿病の恐れを消せただけでも、まあ収穫とは言える。
それに、糖尿病について改めて考察するきっかけ、自分の健康状態に関心を持つきっかけ、生活習慣を振り返るきっかけともなった。
特に、糖尿病というのはその字面から「尿が甘くなる程度の生活習慣病」くらいの認識をもたれやすい。
だがその実、手足の切断、高額な医療費が必要となる腎臓透析、失明など、極めて恐ろしい合併症へ確実に近づいていくという危険な大病なのである。
次回の記事では(忘れなければ)、日本人の十人に一人が発症するという糖尿病にスポットを当てて語りたい。