テキスト版 骨髄移植ドナーへの道
01.はじめに
02.骨髄移植???
03.登録申請
04.登録・1次検査
05.2次検査への案内
06.連絡のない日々
07.突然の連絡
08.面接
09.3次検査
10.ドナー当選発表
11.最終同意
12.日程調整
13.最終同意の再調印
14.日程決定
15.高脂血症発覚・治療開始
16.1ヶ月後は…
17.移植のための健康診断
18.自己血採血・1回目
19.麻酔医の検診
20.骨髄移植特別休暇
21.自己血採血・2回目
22.入院前日
23.入院当日
24.手術の日
25.手術の翌日
26.退院
27.術後の検診
28.手術を終えて想うこと
29.患者さんからの手紙
30.解説


【はじめに】

何と言っていいのか、骨髄移植のドナーを体験してしまいました。
びっくり、どっきり、そしてドタバタ…
ボクにとってのドナーへの道は、自らぬかるみの中を歩いているようなものでした。
手術を前に、ドナーになられた他の方々の体験談をいくらか読んでみましたが、「へっちゃら」「何ともなかった」などなど、皆さん意志の強い人ばかり。
弱虫で疑い深いボクは、「これ、ウソっぽい…」などと感じたり、「ホントにへっちゃらならいいな」と願ったり…
「これからドナーになるかもしれない…」という連絡を受けた時、そして移植手術の準備が進んでいく中で、ボクがホントに欲しかった情報は、ドナー経験者の本音でした。
これから先は、めっちゃ弱虫のボクが体験した、登録から骨髄提供に至るまでのドキュメント。骨髄移植について、ちょっと考えてみたいな…という全ての方々に捧げます。
(…っていうほど、大げさなものじゃないけどね)



【骨髄移植???】

「赤い疑惑」ってドラマ見たことありますか?ずいぶん前に放映されたこのドラマ、山口百恵が世の中の不幸を一身に背負ったようなお話です。ボクが「骨髄移植」って言葉を聞いたのは、この「赤い疑惑」が初めてでした。ボクのいい加減な記憶では、このドラマ、これでもかというほど主人公に不幸が訪れる悲劇です。主人公が白血病にかかってしまう。その主人公の血液型は、1万人に一人しかいないとされる「Rh−AB型」で治療は困難。その上、彼女を支え続けていた恋人は、実の兄だった。今から考えると、これでもか!と言わんばかりのエグいストーリー展開です。
このドラマの中で白血病にかかった主人公に、実の兄である恋人から骨髄移植を受けるというシーンがあったんですけど、これがボクの「骨髄移植」との初めての出会いでした。
…といっても、そのときボクは「骨髄移植」って骨を切り取って移植する手術だと思ってまして、最初から誤解にまみれたスタートなのでありました。

『脊髄取ったら歩けないじゃん!』

小学生だったボクに骨髄と脊髄の違いがわかるわけがなく、手術の後に普通に生活している(当たり前だけど)友和を見て、ふしぎで不思議でならなかったのであります。
まぁ、どちらにしても「白血病」「骨髄移植」などという言葉は、物語の中だけのリアリティのない単語として、ボクの記憶の隅っこに置かれておりました。



【登録申請】

こんなボクが骨髄移植のドナー登録をしたのは1994年。仕事で骨髄移植の推進運動を取材したのがきっかけでした。
ボクの職業は報道カメラマン。日々のニュースを追いかけたり、ドキュメンタリー番組を作るのが仕事です。「骨髄移植のドナー登録に協力しましょう…」などと言う趣旨の企画に、取材者として関わる中で、自分が登録してないのに登録を呼びかけるなんて、ウソっぽくってイヤだったんで、その気持ちをクリアするために登録しただけなのです。ほんのちょっと血を抜くことで登録できるし…
「登録イコール骨髄採取」なんて図式は全く頭の中にはなく、手術は「遠い世界のお話」だと思っていたのでありました。なんやかやと言いながら、結局偽善だったりする。(笑)
んーでもって、別件の取材で県庁に行ったついでに登録申請のはがきをもらって、軽い気持ちでポストに投函したのでありました。



【登録・1次検査】

千里の道も1歩から。やってきました、第1次検査の会場、日赤の血液センターへ。指定された日時は平日ということもあり、会社を休んでの参加です。偶然、この日に会社を休むことができましたが、この程度でわざわざ会社を休まされることについては、なんか、釈然としないんですよね。普通の献血のように土日の受付や、ふらっと行ってふらっと登録できるようなシステムが確立できたら、もっと登録者の数が増えるのになぁ…と思ったりするのです。まだ骨髄液を提供する訳ではないのだし、登録ぐらいで会社を休ませるな…と思ったりもしましたが、まぁ、これは「骨髄移植とはそれほど大変なモノなのだ。覚悟して望んで登録しなさい」という、一種の踏み絵のようなモノかと自分を納得させたのでありました。
さてさて、会議室みたいな所に案内されると、登録希望者がずらっと並んで待ってました。係りの方の説明に続いて「骨髄移植」についての短いビデオを見学。腰に針を刺して骨髄液を抜くシーンの映像や、手術での事故はほとんどないが可能性はゼロではない…などという話にはビビってしまいます。
しかし、この時点で自分に移植の話が舞い降りてこようとはほとんど思ってなかったボクにはノープロブレムでした。
「自分がドナーになると思ってなかった?」「それじゃぁ、何のための登録だ?」などとお思いの方もいらっしゃることでしょう。だって、正直そんな感じでした。登録する人の「数」こそが「パワー」だと思ってましたから。今から考えると、少々おバカです。
さてさて、一通り説明がすんだら採血です。採られる血液はほんのちょっと。会社を休んで…ということを除いて、なにも面倒くさいことはありません。あっという間に終わります。
登録を終えてしばらくすると、プラスチック製の「ドナーカード」が自宅に郵送されてきました。「そうか!ボクは登録したんだ!」などという、ちょっとした偽善者っぽい喜びでいっぱいになって、カードの裏に名前を書き入れました。でもこの「ドナーカード」って、何の役に立つのでしょう?移植の手術にあたって、最後まで財布の中から取り出されることなく、今もスーパーのサービスカードと並んで収まったままなんですけど…



【2次検査への案内】

登録してスグ、広島県骨髄データセンターから1通の手紙がやってきました。2次検査の依頼です。読んでみると… な、なんと!「あなたのHLA型が骨髄移植を必要としている患者さんと適合している可能性があります」と、書いてあるではありませんか。
これは一大事です!(ドコドン・シャッ!)←ASAYAN風に
大変です! もしかしたら、緊急手術?仕事を休んで?

即座に会社の部長に連絡。
  ボク:「ドナー登録してるんですけど、どうやら適合したようなんですけど…」
  部長:「えっ!本当か?手術をするのか?」

この時、僕の気持ちは既にドナーになっています。

  ボク:「よくわかりませんが、完全に一致したら、会社をしばらく休むことになりそうです!」
  部長:「ううむ… その時はその時で考えよう」

現在では1次検査と2次検査は同時に行う場合が多いそうです。ということは「2次検査はみんなが受ける検査である」とも言えます。2次検査の通知を受け取ったボクの心の揺れは何だったんでしょうね?こんなに大騒ぎしてお恥ずかしい限りです。今から考えたら赤面モノですなぁ。



【連絡のない日々】

そして…
その後、何にも連絡はありません。どうやらボクのHLAは適合しなかったようです。「宝くじどころか、お年玉年賀ハガキすらあたらないボクが、ドナーに当たるはずないじゃん!」
言うまでもなく、ボクは「熱しやすくて冷めやすい」という典型的な広島県人です。1年も連絡が来ないと、もう移植の話は他人事。登録をしていたという事実すら忘れがちです。たまに骨髄移植推進財団から広報用の機関誌が送られてくる時に「そういえば登録してたっけ…」と思うだけ。どちらにせよ、「移植はどこかの奇特な人がやってるんだ」という想いが確信へと変わり、「できれば一生はずれ続けたらいいなぁ…」などと思っておりました。
えっ?不謹慎?だって、本心なんだもん。いーじゃん、痛いの怖いし…第一、何年も連絡ないんだもん。
ともかく、ボクと「骨髄移植」の関わりは、年1回登録者全員に送られてくる機関誌だけのお付き合いになってしまいました。



【突然の連絡】

今日も一日の仕事を終えて、夕刊読みながら缶ビールに手を伸ばします。郵便受けに入っていたダイレクトメールに骨髄移植推進財団からの青い封筒もありました。そういえば、そろそろ機関紙が送られてくる季節です。「何人登録者がいるのか知らないけれど、全員に送るのは大変だなぁ…」などと考えながら開封すると、中にあるのは何枚かの書類。
ビールをゴクッと飲み込んで目をやると、なになに… 「ある患者とHLA型が一致したので3次検査を受けてくれないか?」との事。
「マジっすか!約束が違うじゃんか!(←そんな約束はしていない)」
情けないけど、本心そう思いました。登録してから、すでに6年。半分…というか、ほとんど他人事だと思っていたことが自分の問題となってしまいました。
偶然この前日、会社の後輩に、「俺はドナー登録している、愛の深い男なのだぁ!」などと、バカな話をしたばかりだったので、一瞬、『どっきりカメラ』かと思いましたが。はんこも押されてるし、どうやら本物のようです。今さら言うのも何ですが、ボクって弱虫です。そのうえ、超・恐がりです。プールでも、水の中で目を開けることができません。(関係ないか)

とりあえずコーディネーターさんに直接会って移植に対する詳しい説明を受けることになりました。



【面接】

指定された場所は広島日赤病院の会議室。入ってみると、ひとりの女性が待っていました。コーディネーターのKさんです。Kさんは骨髄移植について、詳しく、くわしーく説明してくれます。質問にはていねいに答えてくれます。調整医師は所用で留守でしたが、医学的な質問には専門医を呼び出して説明してくれました。
ううむ… なんか、スゴイ事になりそうだ… よくわかんないけど…
3次検査でDNAタイピングやHLAの再確認などより詳しく調べて正式に適合が確認された場合、移植への最終同意の確認をすれば、移植手術が行われることになります。この段階で拒否することは可能で、ボクは拒否する権利を持っているそうです。ちなみに、3次検査から最終的にドナーとして選ばれる確率は、ほぼ50%。移植手術では、全身麻酔をして腰の骨に太い針を刺して骨髄液を抜くそうです。
仕事に支障はないのかなぁ…
今なら、まだ拒否できるんだよなぁ…
でも、待ってる人がいるんだよなぁ…
でも、3次検査で不適合だったら、移植はふりだしに戻るんだよなぁ…
他にもHLA型が一致した人がいるのかなぁ?
痛いかなぁ…
いろんな想いが、脳味噌の中をグルグル回っています。やはり僕も人の子です。その上、とっても弱虫です。自分の意志で骨髄バンクに登録したとはいえ、とっても怖いです。いやはや、どうなる事やら。
最良の状態で検査や移植に望めるようにと、移植が終わるか不適合が確認されるまでは献血・海外への渡航・激しい運動などを禁止されてしまいました。これから移植までには、最低でも7回は病院に通い、実際に移植を行う際には4日間ほどの入院をする事になっています。
とりあえず明日は、気持ちよく3次検査に行こうと考えています。結果がでるのは2〜4ヶ月後だそうです。
そういえば、コーディネーターさんの話では、「移植に関してマスコミには公表しないこと」ということでしたけど、ボクの場合、勤務先がマスコミだから、言わないわけにはいかないよね。休みももらわないといけないし…同僚に相談…っつーても、全員マスコミ人だし。
素直にコーディネーターのKさんに聞いてみたら、笑顔がひきつりながら…
「うーん…報道さえしなければ、ご自由にご相談して下さい」とのこと。
そりゃそうだよね。ボクも人の子。その上、超・小心者です。しっかり怖いので、いっぱい、いっぱい、いろんな人に相談しよっと!コーディネーターのKさん。テレビで放送しないから安心してね。
…といいながら、後日ネットで流したりしているのであった。
  (注:手術の日時や場所は公表してはいけないというルールは守っています)



【3次検査】

3次検査に行ってきました。この検査でドナーに選ばれるのかどうかが決定されます。コーディネーターのKさんとは指定された総合病院の玄関口で待ち合わせ。いつもは近所の医院しか縁のないボクにとって、総合病院は迷宮です。ハッキリ言って、どこに行っていいのか迷うくらい。ボクひとりだったら、どこへ行って何をしたらいいのかたぶん迷うところだろうけれど、そこは天下の骨髄移植財団(?)。受付から検査室への案内、看護婦さんへの説明まで、何から何までコーディネータのKさんが、ぜーーんぶ仕切ってくれました。広い広い総合病院で、行き先を考えなくて済むほど心強いものはありません。ほんと、助かったなぁー!
おかげさまでボクは、なーんにも難しいことは考えることなく、先生に引率される転校生のように、Kさんに導かれるまま、病院の廊下をノー天気に、テクテクしていたのでありました。(結局この先、移植手術が終わるまで、コーディネータのKさんが全ての段取りを済ませてくれました)
それでもこれが最終検査となるわけで、検査室の入り口にあるベンチに座ると「どんな検査をするんだろう…」と、内心ドキドキです。
3次検査の担当医師は、調整医師でもあるD医師。この方とは、カメラマンとして取材先で何度か、お会いしたことがあるのですが、会話を交わすのは初めてです。
「いよいよ始まるんだぁ!」
コーディネータのKさんを入り口のベンチに残し、恐怖心と不安感いっぱいのボクは検査室に入ります。
まずは問診です。D医師はチェックリスト片手に現在の健康状態や過去の病歴、家族の健康状態や遺伝の問題など、黙々と問診を続けます。【ちょっと「ムッ!」としたことがありましたが、ここでは書くのを止めときます】
続いて、いよいよ採血です。といっても、小さな試験管に数本分、ほんのちょっと取っただけで、これも終了。次の検査はなんだろう?と思いながら検査室から出てくると、コーディネーターのKさんが、ニコニコしながら言いました。
「お疲れさまです、これで終了です」

「えっ?もう終わりなの?」という感じでした。1時間ほど待って、10分足らずで検査は終了。まさに総合病院!です。
結局、調整医師のD先生とは、この3次検査と最終同意の時の2回しか顔を合わせることはありませんでした。コーディネータのKさんによると、僕自身の検査はこれでお終いだそうで、これから2〜4ヶ月をかけて血液のDNAなどを科学的に詳しく詳しーく調べるそうです。それで、ドナーに選ばれる可能性はおよそ50%の人はだそうですから、選ばれなかった場合は、このまま終わりだそうです。
移植不適合の場合でも、一応結果についての連絡は入るそうで、これから数ヶ月、ボクはコーディネーターさんからの連絡を待つことになります。結局、忘れた頃に連絡を受けて、またドキドキすることになるんだろうなぁ…



【ドナー当選発表】

さて、とうとう…というか、こんなに早く…というか、骨髄移植推進財団から速達が届きました。
『あなたは先日の検査により最終的なドナーに選ばれました』とのことです。

「決まったかぁ…」

「決まってホッとした。まぁ、とりあえずは良かった…」という思いと「とうとう決まってしまった…トホホ…逃げちゃおうか?」というふたつの思いが、心の中をアッチ行ったりコッチへ来たりしています。この段階でもボクにはまだ、移植を拒否する権利というものがあるそうです。




【最終同意】

会場に指定された会議室には「コーディネーター」「調整医師」「ボク」「ボクの家族代表」「立会人となる弁護士」の5人が集まりました。

とうとう来ちゃったよ…
今逃げたらカッコ悪いなぁ…
判子押すまでは逃げられるんだよなぁ…

移植に関して一通りの説明を受けて、いよいよ調印です。この判子を押しちゃうと、ボクは正式にドナーとなります。自分の前に出された紙切れ一枚。判子を押したら命の書類へと変わります。(言い過ぎか?) マンション購入の契約をするときに判子を押した時より、緊張しながら判に朱肉をつけて、ぎゅぎゅぎゅっと押しました。最終同意の書類にはボクの判と署名が記載されたわけです。とうとう決まってしまいました。もう逃げられません! (別に逃げないけど…)




【日程調整】

いよいよ、これから日程の調整に入ることになりました。といっても、これはコーディネーターさんのお仕事で、ボクはただ待つだけです。
広島の放送局で働いているボクとしては、8月6日の原爆の日までは忙しいので、8月中旬以降の手術にして欲しいと思ってはいるのですが…
どちらにしても、相手の状態が急なのか余裕があるのかが、まったくわからない、というか、教えてもらえないので、ボクは、ただひたすら待つだけです。まぁ、コーディネーターに日程の調整は任せようと思っています。
さて6月末から7月アタマにかけて、1週間ほど東京へ出張してたのですが、この時に広島では豪雨による大きな災害が起こってしまいました。当然、会社では緊急取材体制をとり、報道にあたっていたようですが、東京にいるボクは、テレビを見ながらイライラするばかり。みんなに申し訳ないコトしたなぁ…などという思いを持ちながら会社に帰ってきたら、なぜか、みんなが僕のお尻を「じぃーー」っと見ています。
「尻に何かついてるか?」「僕はそんなシュミはないぞ!」と、ちょっとだけ思いましたが、どうやらそうではないようです。 しばらくして、ひとりがポツリ…

『痛かったですか?』

そうか!どうやら、豪雨災害の時にボクが会社にいなかったのは、骨髄提供手術をしていたからだ…と誤解されていたようなのです。あーあ…困ったもんだ。どうしよう?いちいち説明するのは面倒くさいし…
どうしよう… えっ?そんなこと知らない? つ、つめたい… (T_T)

ところで、ボクの移植っていつになるんでしょうね?



【最終同意の再調印】

最終同意の調印から、まもなく半年が過ぎようとしています。コーディネーターのKさんによると、ボクの患者さんは慢性の病気らしく、手術の緊急性はないそうです。
半年が過ぎると、前回の最終同意の調印は失効してしまうそうで、再調印のための用紙が郵送されてきました。再調印は1回目ほどの物々しさはなく、自宅でささっと署名して、バス停近くのポストにポンと投げこんだのでありました。



【日程決定】

日程が決まりました!
手術は◎月◎日で※※病院です。
       ↓
  (公表してはいけないそうです)



【高脂血症発覚・治療開始】

会社の健康診断で「高脂血症」と診断され、薬で治療を受ける必要が出てしまいました。(泣)
つまり、コレステロールと中性脂肪が異常に高いぞ!ということです。前々から数値は高かったのではありますが、薬を飲むまでとは…
診断を受けて、まず考えたことは「移植は大丈夫だろうか?」という事。ボクも一人前のドナーにとしての心構えが出来始めているようです。
えっ?それなら、しっかり健康管理して高脂血症なんかになるな?
それは…
その通りです。ゴメンナサイ。
ともかく、コーディネーターさんに連絡。健康診断の結果を記録したモノを早速送りました。お医者さんの話では、とりあえず移植手術には差し支えない範囲だとのこと。一安心です。



【1ヶ月後は…】

移植手術が近づいてきました。移植コーディネーターからは「何があっても絶対に風邪はひかないように!」と強く念を押されています。ボクひとりの体でないという意味でしょうけど、最近なんか、この体は「自分の物ではなくて人のモノ?」という疑念というか、変な感じがしています。(笑) まぁ、この変な感覚ともあと1ヶ月あまりでサヨナラです。怖いような、面倒くさいような…そんなような複雑な想いで、今年もまもなく終わります。まぁ、こんな情緒不安定なボクですが、春になればいつものボクに戻ることでしょう。



【移植のための健康診断】

移植に備えての、最終健康診断に行ってきました。いよいよ本番間近です。場所は、いつものように、いつもの総合病院。コーディネーターのKさんに案内されて、検査に向かいます。毎度毎度のことですが「案内付き」というのは、ホント助かります。普通、病気で総合病院で診察を受けたりすると、「◎◎番へ行って下さい」なんて言われたりするけど、ボクにしたら「それってどこなの?ここでいいの?」って感じですモンね。
さて、まず案内された場所で、最初の検査が「検尿」。しかも出されたコップが、プラスチック製のビーカーでした。信じられますか?ビーカーですよ、ビーカー!「いくら膀胱のでかい(?)ボクでも、こんなにシッコは出ないぞぉ!」家を出る前にトイレを済ませていた事もあって、案の定、尿はビーカーの底を潤す程度でした。トイレから出てくると、400ccの水の一気飲みが待っていました。この尿検査は普通の尿検査ではなく、PCP検査(だっけ?)というそうで、水を飲んだ後、赤い薬の注射が打たれました。それから30分ほど待って、その後15分おきに、また検尿するそうです。腎臓の機能を検査するのが目的だそうですが、詳しいことはわかりません。聞いたのかもしれないけど、忘れました。(^^ゞ
再採尿までの、この30分の待ち時間を利用して、他の検査を行います。
肺機能検査、心電図検査、レントゲン、採血…まるで会社の健康診断みたいです。耳に針を刺して止血時間の検査をしたぐらいがちょと違う所かな?
ひととおり検査を終えて帰ってくると、いよいよ検尿です。検査用のトイレにはいると、そこにはやっぱりビーカーが…
しかし、いざ採尿してみるとその理由がわかりました。出るわ出るわ、オシッコが… あまりに出過ぎるんで、ビーカーからあふれるんじゃないかと思ったくらい。400ccの水を飲んでるわけだから、それがそのまま出てきてるんだろうね。「うんうん…人は飲むと飲んだ分だけオシッコで流しちゃううんだナァ…」などと、妙な関心をしながら、2度目の便器に向かうのでありました。
以上で検査も無事終了。コーディネーターのKさんから入院についての説明を受けながら、検査の結果が出てくるのを待ちます。ところが、そこは総合病院。患者さんが多い日だったこともあり、なかなか結果は出てきません。結局、予定より1時間ほど余計に待つことになりました。Kさんは待ち時間を恐縮していましたが、心配ご無用です。ボクは報道カメラマン。「待つ」ということには慣れています。特技は、いつでもどこでも即座に寝られること。しかも「昼寝」は趣味でもあります。おかげさまで、ありがたく病院のベンチで惰眠をむさぼるのでありました。
診察は今回の摘出手術の執刀医のI先生。心配していた高脂血症も問題ないという事で、結果は移植OK。いよいよ手術本番に向けてダッシュ!です。



【自己血採血・1回目】

骨髄移植手術の時に貧血になるのを防ぐため、自分自身に輸血のための、自己血の事前採血のために病院に行ってきました。(なんか「血」って字ばかりだな、こりゃ…)
今回400ccの血を抜いて、2週間後にもう一度400cc抜く予定です。献血ルームみたいなところで採血するのかなぁと思ってたら、案内されたのは20人くらいの人たちがズラーッと並んで寝ながら点滴を受けてる「点滴室」なる変な部屋でした。その中でボクひとりが「体に入れる」作業ではなく「体から出す」作業をしていたのです。他の人は、若い看護婦さんが針を刺したり抜いたりしていたのに、ボクには対しては、おじさんの執刀医ご本人自らの採血でした。
ちょっと他の患者さんが羨ましかったりする。(@。@)\(¨)バキッ!
そうそう、ふつう、総合病院では患者さんへの対応が横柄だったり、事務的だったりするのでしょうが、ボクに対しては妙に丁寧なんで、なんか、いつも居心地が悪い感じがするのです。
トカナントカ言いながら、本当に放っておかれたら、「俺はドナーだ!少しは相手しろ!」って言い出しちゃうんだろうな。結構、天の邪鬼かも…
帰り間際に「鉄剤」っていうんですか?これからは血の元となる薬を渡されて、毎日飲むように指示されました。なんか、たくさんタマゴを産むようにと薬を飲まされるメンドリのような変な気持ちです。(^_^;
でも、まぁ、いよいよです。これまで、けっこう他人事だったけど、自分の問題としてリアリティを持って考えられるようになってきました。エッ?遅すぎる?



【麻酔医の検診】

さてさて、この日、1回目の採血を終えたボクは、そのままコーディネーターのKさんに連れられて、麻酔担当医のもとを訪ねます。骨髄提供手術に際しての麻酔のための問診を受けるためです。
ボクが手術に際しての唯一の条件が、「痛くしないこと」
麻酔担当の先生には、「しっかりと眠らせて欲しい」と、冗談めかしながらも、目は真剣に訴えておきました。当然、医師は苦笑い。多くの人は全身麻酔による事故について心配するそうですけれど、手術未経験者のボクとしては、それより「痛いか、痛くないのか…」
という事の方が、100倍も気になります。だって、ボク、30も半ばにもなって、未だに歯医者が怖いくらいの、根性無しなんですもん…



【骨髄移植特別休暇】

骨髄移植のドナーになることは、ボランティアです。
ボランティアですから、もちろん報酬はありません。
ボランティアですから、仕事を休んでも休業補償はありません。

自分で休みを確保して、手術に望まななくてはなりません。例えドナーに年休などがなかったとしても、自分の責任で会社を休む必要があります。自営業などなら、なおさらです。自分が休んで収入が減っても、だれも補償はしてくれません。なんせ、ボランティアですから。
ボクの場合、全く使っていない年休と休日出勤の振替休日が、あわせて170日以上溜まってましたから、その休みをあてて手術に臨むことにしていました。
ところがです。ボクの勤める会社で新たに「骨髄移植に関する特別休暇」が新設されることになりました。公務員ではすでにある制度だそうですが、民間企業では、まだ少ないという事です。この休暇の新設、ボクの移植手術がきっかけだそうです。僕自身としては休みはたっぷりあるので、あまり関係ないんだけど、これから先にドナーになる人が手術が受けやすい環境になったということは間違いありません。いやはや、なんともめでたいことです。
ともかく、ボクは我が社の「骨髄移植に関する特別休暇」適応第1号となりました。



【自己血採血・2回目】

1回目の自己採血から2週間。2度目の採血にやってきました。前回とは違って、今回は診察室での採血です。簡単な問診、そして採血。毎日鉄剤を飲んでいるせいか、血液も順調に増えてるようで、気分が悪くなったり、ふらついたりすることもなく、簡単に終わりました。
ところで、この鉄剤、副作用がいくつかあります。人によっては吐き気などがあったりすることもあるようですが、これは、ボクの場合、全くありませんでした。
ボクが経験し、全ての人が経験するだろう副作用。それは「ウンコが黒くなる」という事です。まるで、タコになっちゃったみたい。これは、吸収できなかった鉄分が便と一緒に排出されているからだそうですが、実際に便器の中のモノを見てみると「ぎょっ!」としますよ。



【入院前日】

いよいよ明日は入院、会社は今日から休みです。

パンツは…いいか。
パジャマも…いいか。
歯ブラシは入れた。
タオルも、OK。

まるで、修学旅行の前の日だな、こりゃ。(笑)
おやつは300円まで?…んーなわけはない。

暇つぶしの本も…読まないかもしんないけど、一応持ってこう。
愛用のモバイルギアは…重いけど、ま、いっか。持っていこ。

これまで、あれほどドキドキ・ビクビクしてたのがまるでウソのようにリラックスしています。自分でも不思議な感じです。なんやかやとバタバタしたけど、いよいよ明日です。入院に備えて、早めに寝ることにします。



【入院当日】

とうとうやってきました、骨髄採取の病院へ。
聞くところによると、ドナーに対しては、普通は静かな病室を準備されるそうですが、今回は「空きがない」という理由からか、救急対応の病室に案内されました。

案内された病室の名前は「ICU」
…そうです。交通事故などで救急救命が必要な方々が運ばれる、あの、「集中治療室」です。 案内された病室の中は、体中に管が通されてる患者さんばかりです。やはり、この中でボクは異質です。 ちょっと浮いてる…というか。ちょっと孤独です。(^_^;

みんな病状が深刻ですから、隣の患者さんとおしゃべり…なんて雰囲気ではありませんし。その上、夕方からは絶食です。ハッキリ言って、腹へりました。
看護婦さんや医師を始め、面会に来られてる家族の方の全てが白衣にマスクと帽子という完全無菌体制をとっていますが、そんな中でボクは夕方過ぎまでジーンズにトレーナーというラフな格好でベッドに寝そべりながら本を読んで暇をつぶしていたのです。
やっぱり、ボクは浮いてます。参ったなぁ…

向かいのベッドでは、厳つい顔のおじさんが看護婦さん相手に「薬は飲みたくない!」とか「薬漬けにはされたくない」と、わがまま放題を言ったりしていますが、その方も、面会に来た家族の顔を見るなり号泣しています。
ううぅ… ヘビーな「わーるど」じゃぁ… なんか、この部屋にいるだけで、元気なはずのボクまで病気になってしまいそうです。精神的にね。そんなこんなで、短い入院生活のはじまりです。
骨髄移植推進財団の手術前アンケートにも答えました。
手術に備えて腰のうぶ毛も剃られました。
絆創膏のかぶれテストも終わりました。
いつもは日付が変わる前に床につくことがないボクも、ここでは9時前には消灯なので、おやすみなさいです。

手術は明日の11時から。泣かない程度にがんばってきまぁーす!



【手術の日】

娯楽のないICUでの生活にも、やっとなれてきました。寝てるか、飯くってるか、友人にメール打ってるかのどれかです。モバイルギアでメールを入力したあと、ICUを抜け出して
玄関のグレー公衆電話から送ります。いつもはテレビ漬けの毎日を送っているので、入院中くらいはテレビのない暮らしもいいかなと思ったんだけど、やっぱり、退屈です。ラジオ用のイヤホンくらい持ってくれば良かった…

ヒマだよぉ!
ICUだから面会も来ないし… はっきり言って、ヒマです。

それでも、さすがICU。次々に急患が入ってきます。それも半端な症状ではありません。特に夜中が凄い!ハッキリ言って、手術前夜なのに超寝不足です!

「◎◎さん、息をして!」
「△△さん、しっかりして!」
大声が部屋中に響きます。

そして起床時間。体温計を持ってきた看護婦さんが優しく声をかけてきます。
「やっぱり寝られませんでしたか?」

それがわかってるんなら、初めっから普通の病室に入れてくれっちゅうの!
ハッキリ言って、寝不足です!…なんて本音を言えるわけもなく、「いいえ大丈夫です」などと無難な返事をするのでありました。

さぁ、いよいよ手術です。

骨髄提供手術はですねぇ、まず病室で手術用の服に着替えることから始まります。素肌に黄色い服を着るのですが、ぴろっとめくるとお尻丸だし。なんかへんなコスプレみたいです。それから、病室のベッドで筋肉弛緩剤とかいう注射をお尻に打たれます。
「メッチャ痛い」と噂に聞いたお尻の注射。看護婦さんも「痛いですよぉ…」などと脅しにかかります。(んーなわけではないんだろうけど、そう聞こえるのです)

ここは気合い一発!泣かないぞぉ!(オイオイ、オレは36歳だっちゅうの)
「打ちますよ」(チクッ!チューーーー)

あれれ… 大丈夫じゃん!気合いを入れてると、あまり痛みを感じないものです。
何となく、手術を前に幸先いいぞ。(なんのこっちゃ)

さぁ、本番です!ストレッチャーなる移動式のベッドに乗せられて、手術室へとゴロゴロと運ばれます。不安な想いでいっぱいで寝たままキョロキョロしていたボクに、覆い被さるように、ぬぅっと麻酔担当医の顔が出てきました。この日、最大のびっくりです。

「麻酔担当の◎◎です」

あまりのびっくりで、名前までは耳に入りません。
(正直言って全く名前も顔も覚えていません) (^^ゞporipori

「それでは注射をしますね…」

いよいよか!怖さのあまり、注射の瞬間、ボクは、ぎゅーーーーーーっと目をつむりました。

そして、気がついたらICUの元の病室の中。手術室に運ばれた時と今。まさに一瞬だったような感じです。夢さえ見ていない。本当に手術は終わったのだろうか?不思議な感覚です。しかし、手術は終わったのだということが実感として理解できるようになるまで、さほど時間はかかりませんでした。
ボクの体に2本の管が通されている。点滴に排尿の管でしょうか。腹帯が胴体にグルグル巻かれ、パンツの替わりにふんどしをはかされている。なんか、昔の映画に出てくる弱っちいヤクザのようです。
しばらく、ぼーっとした感じが続く。なんか、腰のあたりが「ずどぉーん」と重い。痛いというより重い感じ。そしてノド。重い扁桃腺炎にかかったような痛さ。

まもなく、コーディネーターのKさんがやって来て、何かゴソゴソ話して帰っていきました。(ハッキリ覚えていないだけですけど…)

点滴が終わり排尿の管がはずされると、自由に歩いて良いとの許可が出たのですが、なんか体が重くて自由に動けません。腰が痛くて寝返りさえままならないし、歩き方はまるで日本の伝統芸能「能」の役者ような感じです。腰をかばって背筋をのばし、しゃがむときもそのままの感じ。
夕方になると、再びコーディネーターのKさんがお見舞いに来てくれました。コーディネーターさんの話では、手術が終わった直後、ボクは元気に「手術は終わりましたか?」とか、「大丈夫ですよ」とか言っていたそうですけど、全く記憶にありません。日本の麻酔医学のすばらしさと恐ろしさを感じます。(笑) なんのこっちゃか、ようわかりませんが。



【手術の翌日】

執刀医のI先生から聞いた話ですが、ボクの骨髄液は、手術室の中で待っていた患者さんの担当医に直接手渡され、そのまま持って帰って、即日に移植が完了したそうです。
これで、ボクの役目は一段落です。これからは「他人の体のこと」ではなく、「自分の体の事」に集中する事にします。
とにかく、なんやかやとありましたが、手術から1日たったわけです。まぁ、痛み止めの座薬をもらって、痛み自体は薄らいできました。いつの間にかはかされていたふんどしもトランクスに着替え、手術用の服もパジャマに着替えました。胴体にグルグル巻かれた「さらし」は夕方の検診までそのままでした。導尿管が外されてから、オシッコは全て半透明なポリバケツに保存するようにと指示されました。オシッコは血液の中の不純物を濾過したものだから、骨髄液を採った後の検査に必要なのかなぁ?根が文化系なもんで、よくわかんないけど…
ともかく、1日2回の点滴のおかげか、出るわ出るわ、オシッコが。日頃ボクはこんなにオシッコしていたのかとビックリするくらい。

さてここは「ICU」ということで、だれも見舞いに来ない病室です。

持ってきた本は初日に全部読んじゃったし…
入院中くらいテレビのない生活もいいかな?とテレビも準備してないし…
ヒマだなぁ…
ウロウロ歩き回るには、腰が痛い…というか、重いし…
ヒマだなぁ…

家族が持ってきてくれた新聞も隅から隅まで読んじゃって、病室では見られないテレビの番組欄も読んじゃって、広告まで全部読んじゃって…

ヒマだなぁ…
やることないから、昼寝するか…

まぁ、こんな感じでぼちぼちと入院生活はすぎているのです。みんな忙しいこの時期に、こんな事言ったら怒られるかな?

やっぱり、ヒマです。暇なときには寝るに限ります。



【退院】

予定通り、手術の2日後に退院です。病院前のタクシーに乗り込み、自宅へと向かいます。が、しかし! 手術明けの体に、タクシーのキビキビした走りはキツイ!
乗務員さんがブレーキ踏むたび、カーブ曲がるたび、苦痛で顔がゆがみます。
「もっとゆっくり…」と言えば良かったんでしょうが、あまりの痛さに、口を開くことすらできませんでした。言っときますが、別にタクシーの乗務員さんが粗暴な運転をしていたわけではありませんよ。キビキビした「メリハリのある走り」をしているだけなのです。
ボクはあまりの痛さに、心の中で手を合わせ、「神様!早く我が家に到着させて下さい!」と祈るのでした。

※病院で客待ちをしているタクシー乗務員さんにお願い※
「お昼頃に病院から大きな荷物を持って出てくるのは、たいてい退院患者です。彼らは少なからず弱っていますので、いつも以上に運転は優しくしてあげて下さい」



【術後の検診】

退院から2週間。術後の検診です。
血液検査と尿検査。問診の後で腰の傷口をチェックして完了です。
結果は、異常なし。何の問題もありませんでした。腰の痛みは、わずかながら残りますが、普通の生活に支障はありません。
執刀医のI先生とコーディネーターのKさんにお礼を言って、お世話になった病院を後にしたのでありました。



【手術を終えて想うこと】

あれほどドキドキしてたのがウソみたいな感じです。腰の痛みは3週間ほどで完全になくなりました。鉄剤の服用も終えて、ウンコの色も茶色に戻りました。

実際に骨髄移植が終わってみて感じたことは、「大げさな献血だったかな」ってことです。まぁ友達の励ましで、なんとかがんばれたかなぁ…という感じです。

患者さんについては、最後まで詳しく知らされる事はなかったので、人の命を救うんだというリアリティーに乏しい感じがしたというか、なんちゅうか…
うーん…難しいけど。
ちなみに、ボクの患者さんは、近畿地方に住む40代の女性だと、後日コーディネーターさんが電話で教えてくれました。しかし、その後の経過などは全くわかりません。患者さんについては、最後まで何も教えてもらえませんでした。「近畿地方の40代の女性」という情報も、教えてもらったのは手術が済んで1ヶ月以上たってからです。ついでに言えば、僕自身のHLAの形すら教えることを拒否されました。自分のHLA…なのに。

最近、ドナー登録者の数がなかなか増えないと伝えられていますが、この情報の閉鎖性も要因のひとつなのかなぁ…と考えてしまいます。
前にも書いたとおり、骨髄提供はボランティアです。ボク自身としても、何ら見返りなどを求めているわけではありません。ただ、骨髄提供に前向きに臨めるようにと、ドナーとしてのモチベーションを保てるようにと、なにか、もっと、うまいシステムが組めないかナァ…と思うのです。自分の患者さんは元気なのか?とか、普通だったら気になるでしょ。
普通だったら…
でも、それは今のシステムだったら、全然わからないんですよね。
もちろん、情報公開には様々な問題があるのは充分わかっています。充分わかってはいますが、骨髄移植を待っている多くの患者さんのために、ひとりでも多くのドナー登録を増やさなくてはならない。一日も早く。
骨髄バンクは、登録者の「数」こそ「力」だと思うのです。建設的な意味で、いろいろと改善していくべき点はあると思うのです。

…と、まぁ、これまでグチグチ文句を言ってきたり、泣き言を吐いたりしたけれど、ともかく、ボクの患者さん、元気になるといいなぁ…



【患者さんからの手紙】

手術を終えて半年。骨髄移植推進財団から、「親展」と判を押された封書が届きました。ちょっと厚めの封筒です。
開封してみると… なんと患者さんと、その家族からの手紙ではありませんか!
ボクの患者さんは、移植を終えたこの半年の間、拒絶反応や合併症に苦しみ続けていたそうです。ボク自身としては、骨髄提供したことすら忘れて、日々のほほんと過ごしていただけに、なんか、複雑な心中です。今のところ、このHPで詳しいことは書かないことにしておきますが、患者さん本人や家族からの手書きの手紙から、この1年間の地獄の日々と新たな希望の光をつかみかけた喜びがひしひしと伝わってきて、ボクは涙があふれそうになってしまいました。
ボクの患者さんの場合、「たとえ移植を受けたとしても生存の確率は30〜40%」と医師から宣告されていたということですが、つい先日、クリーンルームから出ることができたという事で、明るいきざしが見えてきたとのことです。このまま順調にいけば、来年には退院できるかも…ということで、ホント、喜ばしい限りです。
それにしても、いやはや、こんなヘビーな情報は事前に知らされなくってよかったです。もし知っていたら、この大変なプレッシャーで気弱なボクは押しつぶされて、ノイローゼになっていたかもしれません。
ボクの患者さんは、これから先、まだまだ大変なことがあるかもしれないけれど、家族のために、そして自分自身のために、頑張って生き抜いてもらいたいと思います。ボクとしては、これから先も、いろいろ励ましの便りを送ったりしたいと心の底から思うのですが、骨髄移植のシステム上、これ以上患者さんと接触することはできません。残念ですが、決まりです。まぁ、これがお互いのためなのだと、自分自身を納得させることにします。
ともかく、患者さんの手紙を読んで、これまで以上に心の底から叫びたいと思います。

「一日も早く元気になって! 元気になって、幸せになーれ!」


【完】
(C) Chockey


※解説

 本テキスト『骨髄移植ドナーへの道』は、骨髄提供を依頼され実際に移植を体験された、平尾直政(ちょっけい)氏が、その個人ウェブサイト『報道カメラマン ちょっけいの部屋』上で発表した私的なレポートである。今回、氏に転載許可をいただき、この場でも公開させていただくこととなった。経験者の口から直接語られるドナーの本音というのは、色々な意味で参考になるだろう。また、そうなるよう願うものである。

 ――ところで、私とちょっけい氏とは、骨髄移植やドナー登録に対するスタンスに随分と開きがある。私はできるなら「提供者なりたい」と考えてドナー登録した人間であるが、氏は本文中にもあるように「登録する人の数こそがパワーだ」という考えの持ち主で、ある意味で登録と提供は別物だと認識していたようだ。
 それから、私は骨髄移植に『手術』という言葉を用いることに結構な抵抗を覚える人間である。本物の手術を見学したことがある者、またその手術を受けた経験がある者などの眼から見れば、腰から注射針で骨髄液を抽出するだけの作業は、冗談でも手術などと表現できる代物ではない。
 ましてレシピエントと呼ばれる患者側は、取り出して処理をかけた骨髄液を点滴の要領で身体に流しこむだけの作業に終始するのだ。これを手術と呼ぶのは、技術的にもきっぱり誤りである。
 たしかに移植の際、ドナーは腰付近の皮膚を1〜3センチていど切開されることある。全身麻酔の必要もあることも半ば周知されていることだ。反面その多くの場合で、移植後に他人から指摘されないと、ドナーは自分の皮膚を切られたことに気付かない。その痕跡も、気が付けば完全に消えてしまう。
 ところが、本物の手術だとこうはいかないものだ。私は実際の患者やそれらを画像・映像として撮影した資料等を通して、様々な手術の痕跡を見てきた経験がある。心臓バイパス手術、バセドウ病における甲状腺全摘出手術、心房中隔欠損症におけるオペ、そのどれにも術後にあらかさまな縫合の痕跡が認められた。また当然ながら、伴う痛みや苦しみも骨髄移植のそれとは桁が違うし、術後も生涯に渡って消えない大きな――ときに目を背けたくなるほどの――手術の痕が残る。
 オペの実際を知らないものが、「そう感じた」という理由で手術という言葉を乱発することに疑問を覚えるのだ。

 勿論、それはあくまで私個人としての主張である。氏が自分が受けたものを手術に相違ないものと認識し、そう他人に伝達することを妨げるものではない。恐らく我々の間に横たわるものは正誤といった概念ではなく、単なる見解の相違なのだろう。いずれの主張にもそれぞれの正当性があり、また同じだけの問題や欠点があるに違いない。
 このウェブサイト上で公開されている情報は、そのほとんどが私個人が集め、私個人が編集したものである。作品も全て私の手によるものだ。つまり、槇弘樹という人間の狭い視野と偏った認識で語られる、一元的な情報しか存在しないわけである。
 そこで、よりフェアな場を作り上げること、違うスタンスに立つ方の意見を取り入れることを考えて、このテキストの転載許可をいただいた。
 繰り返すようだが、私とは違う角度から見た、違う立場の人間の意見である。これを含めて、読者諸氏には色々な問題について興味を持ち、それぞれを様々な角度から情報を検証する切っ掛けとしていただけたらと思う。
 末筆となったが、転載の許可を下さったちょっけいこと平尾直政氏に御礼申し上げる。

二〇〇一年 六月
槇弘樹

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