風祭文庫・黒蛇堂の館






黒蛇堂奇譚

〜第23話〜
「鍵屋」


原作・カギヤッコ、風祭玲

Vol.T-226






時は大晦日の夕暮れ前。

かつてほど特別な印象を抱いている人は少ないとは言え、

それでもどこか心に何かを抱きながら人々は今年最後の一日を過ごしている。

しかし、必ずしもそうではない人たちもいる。

例えば不特定多数の人々が平穏に正月を迎える為に尽力している人々であり、

例えば…

『ふぅ…』

『いかがなされました、黒蛇堂さま』

薄暗い店内、

いつもの様にカウンターに立っていた主が無意識についたために、

その微かな音を耳にした”声”が静かに尋ねる。

『ため息…?

 わたしがため息などつきましたか?』

黒蛇堂はそれを気取らせない様に普段のクールな表情のまま応えると、

それを察しながらも”声”は言葉を選びながら声をかける。

『いえ…黒蛇堂さまは常に店を守る事、

 仕事を勤める事に務められ日々大変である上兄上さまや姉上さまに業屋さま、

 さらにはどこか星の向こうからの商い人まで…

 やはりお心苦しい事もあるのでは、

 そう思いまして…』

それに対して黒蛇堂は静かに被りを振ると、

『前にも言いましたが兄は兄、

 姉は姉…

 どのような近親縁者が割って入ってこようと、

 わたしはわたしの仕事をする…

 それだけです』

と言うと静かにカウンターを離れ商品庫の方に歩いて行く。

『黒蛇堂さま…

 申し訳ありません…

 しかし今の黒蛇堂さまは少し張り詰めすぎている様な…』

”声”は黒蛇堂にも気づかれない様な小さな声で

気丈な主を案じる言葉をつぶやいた。

そんな時…

キィ…

開くことを忘れてしまったかのように閉じていた戸が開くと、

人影が店内に入ってきた。

『いらっしゃいませ…

 っておや?

 あなたは…』

主に代わり応対した”声”は入ってきたこの人物が

この店を利用しようとしているものとはまた異質の存在である事を察知した。

顔つきはそこそこで少し渋い顔をした青年。

その身には黒いローブが羽織られ、

その手には大きな鍵を模したような杖を握り肩に担いでいる。

「おや、黒蛇堂さんは?」

青年は黒蛇堂の不在を見て声にたずねる。

『…黒蛇堂さまはただいま別室でお仕事を…

 おや、戻られましたね。

 黒蛇堂さま、鍵屋さまがお見えです』

”声”はうやうやしく黒蛇堂を出迎え、

青年―鍵屋も静かに一礼をする。

「黒蛇堂さん、お久しぶりです。」

『…鍵屋さんもお変わりない様で』

奥で少しまとまらないまま仕事を片付けたため、

やや疲れ気味だった黒蛇堂だったが

それを見せない様に静かな笑顔で鍵屋を迎えた。

『ところで鍵屋さん、

 どうしてこちらに?

 まさかあなたも…?』

そうたずねる黒蛇堂の顔に一瞬かげりが見えると、

鍵屋は少し不安を感じた。

『…あっ、わたしとした事が…

 すみません。

 いまお茶をお出しします…』

鍵屋の表情を見た黒蛇堂は

ハッとした表情を見せながら

カウンターを離れていくが、

しかし、その表情は少し重いままであった。

「どうぞお構いなく…

 ……

 …黒蛇堂さん、

 …だいぶお疲れのようですね…」

黒蛇堂を見送った鍵屋は

ため息をつきながら店を見渡と、

『ええ…

 黒蛇堂さまはああ見えてかなり気丈なお方、

 ご自身のお勤めやご同業の方々の参入など表向きは冷静であっても

 内心はご苦労が耐えないのではと心配で…』

”声”は静かに、

そしてつらそうにそうつぶやくと、

『誠に失礼ながら、

 実は鍵屋さまについても、

 もしかして…と、

 わたくしめ不安になりまして…

 あっいえ、

 とんだご無礼を…

 も、申し訳ありません』

途中まで言いかけて”声”は己の無礼に気づくと、

改めて謝意を告げる。

「いや、いいんですよ。

 まぁ確かに僕はこの様な店を持たぬ行商人。

 一応、レンタルみたいな事もしてはいますが、

 ある意味同業者・ライバルですし…

 しかし、黒蛇堂さんは商い人としてはむしろそうありたいと思っているだけに

 つらい顔は余り見たくはないような…」

鍵屋もそう答えた時、

『…前にも言ったはずです、

 他の方がどう商いをされようとわたしはわたしの商いをするだけ。

 それだけだと。

 鍵屋さんもお気持ちは嬉しいですがそれだけで十分ですので…』

と声をいさめる様な言葉とともに黒蛇堂が戻ってきた。

『黒蛇堂さま、申し訳ありません』

「…黒蛇堂さん…」

戻ってきた黒蛇堂に”声”と鍵屋は静かに謝ると、

黒蛇堂は静かに笑みを返す。

そして、鍵屋は黒蛇堂から差し出された紅茶を口に含んだが、

天界の女神が厳選したと言う茶葉でさえ

今の彼には少し気まずいものを感じてしまう味だった…

“…黒蛇堂さん…”

鍵屋は静かにカップを手にする黒蛇堂の姿を見て、

しばし考え込む表情をみせた後、

”うんっ”

と何かを決心したかのように頷き立ち上がった。

『どうされました?』

黒蛇堂がたずねるより早く鍵屋は腰につけていた小さなリール状の物体を回すと、

ポト…

一個の鍵が鍵屋の開いていた掌の上に落ちる。

そして、鍵屋はその鍵を持ち替えて、

何もない空間にむけてその鍵を差し込む仕草をして見せたのち、

静かに回して見せた。

カチャリ。

機械仕掛け特有の音が店内に響き渡ると、

スーッ!

何もない空間に縦50cm横1mほどの四角い筋目が姿を見せ、

丁度その真ん中に縦に1本の筋目が入ると、

ゆっくりと扉が開くように口を開けた。

「よしっ」

それを見た鍵屋はその中に手を入れ、

一枚のDVDを取り出しす。

『鍵屋さん、それは…?』

行為自体は鍵屋の「商売」のいつもの光景であるだけに、

黒蛇堂は大して驚かなかったが、

彼が取り出したアイテムが自分に差し出された事に思わず小首をかしげる。

「…黒蛇堂さん、

 立場上商売になりますが、

 このDVDをお貸しします。

 どうか役立ててください」

そう言いながら鍵屋は一枚の証書を出す。

それは鍵屋のレンタル契約書であり、

文面には普通なら裏面か顕微鏡でしか見えない位に

小さく書いてありそうな危険な内容

―あくまでも

 「不特定のトラブル以外の責任対応はいたしかねます」

 「万一の場合は相応のペナルティをお支払いお願いします」

 とかそう言うレベル―

まで恐ろしい位に読みやすく記されているものであった。

ただ、そのDVDの「効能」についての説明は記載されてはいなかったが…

黒蛇堂はしばらくその文面に目を通す。

本来なら意にも介さないはずのそれに対し黒蛇堂は静かにサインを書いた。

『黒蛇堂さま?』

”声”は少し疑問げにたずねるが

『…まあ、鍵屋さんとは浅い仲でもないですし…

 顔を立ててあげようと思いまして…』

黒蛇堂は少しクールな口調でそう応える。

「ありがとうございます、

 黒蛇堂さん」

鍵屋は心から嬉しそうに頭を下げると証書を受け取り、

また別の鍵を取り出すと、

新しく出てきた空間にそれをしまう。

そして、しまいながら、

その目が店の壁にかけられていた時計に向くと、

「…おっと、もうこんな時間

 …こちらから押しかけてすみませんが少し野暮用がありまして

 …これで失礼します。

 黒蛇堂さん、よいお年をっ」

鍵屋はそう言って自分の分のティーカップをトレイの上に置くと、

杖を手に取りローブを翻して店を去っていった。

『鍵屋さま、

 妙にあわただしい事で…』

『まあ、鍵屋さんにも色々とお仕事があるのでしょう…

 さて、わたし達も仕事に戻りましょう』

黒蛇堂はそう言うと自分のティーカップをトレイに載せて別室に運ぶと

再びカウンターの前に立っていた。

まるで今までの出来事が初めからなかったかのように…。



逢魔が時を幾時か過ぎ、

すでに年が明けてはいたが黒蛇堂の店内は変わる事無くそこにあった。

そして黒蛇堂も静かにカウンターに立ちいつ来るかわからない客を待っていた。

それは基本的に変わる事のないいつもの光景である。

しかし…

『…』

黒蛇堂の目がカウンターの隅を何度か見つめる。

そこには先ほど鍵屋から借りたDVDがそのまま置いてあった。

普段ならそのまま片付けるはずのそれを

何度か見つめていた黒蛇堂だったが

ついにそれを手に取りじっと目を通しはじめる。

パッケージには

「南洋の夜海」

と書かれたタイトルと海中を泳ぐ魚達の写真が描かれていた。

『…』

『どうされました?

 黒蛇堂さま』

まるで魅入られる様にそのパッケージを見つめる黒蛇堂。

普段の彼女からはあまりありえない様なその光景に

”声”は少し不安を感じて声をかける。

『いえ…なんでもありません。

 ただ、鍵屋さんからお借りした以上

 これも何らかのアイテムであると言う事ですね』

同業者の直感でそれを感じる黒蛇堂だったが、

それが何なのかまではまだわからない。

このアイテムの持つ力なのか、

それとも黒蛇堂の心に何らかの原因があるのか…

『確かに規模や形は違えど、

 鍵屋さまもまたわれわれと同じ商いをされる方、

 それはまず間違いはないでしょう。

 ただ…』

『ただ?』

『少なくとも黒蛇堂さまに害をなす為に

 その品をお貸ししたのではないと言う事はわたしにもわかります』

”声”は静かにそう告げる。

『そう…ですね…

 このDVDには悪意は感じられませんし…』

そう応える黒蛇堂の声はどこかうつろだったが、

声にそれを感じ取る事はできなかった。

しかし、不意にふらりと黒蛇堂がよろめいたのを見て、

『黒蛇堂さま、

 少しお休みになられては…

 あとはわたしが引き受けますので…』

と確かな声でそう言った。

その薦めに黒蛇堂は静かにうなずくと、

そのままどこかふらっとした足取りで店内を後にする。

いつの間にか例のDVDを手にして…

『やはり黒蛇堂さまもお疲れのご様子…

 今はゆっくりお休みください…』

別室―と言っても一個の水晶球が置いてあるだけの何もない部屋。

黒蛇堂はそこに入るとまるで操られるかの様にDVDを取り出し、

水晶玉の上に乗せる。

数秒後、

その水晶玉から光が伸びて壁に当たり、

そこ一面に南の海の映像が映し出された。

月の光が差し込む透明なくらい青い海、

その底で岩やサンゴ礁を縫う様に泳ぐ魚達…。

その光景はしばし黒蛇堂の目と心を奪っていた。

『きれい…』

それを見つめる黒蛇堂の目にはいつもの輝きはなく、

どこか魅入られたような目をしている。

そして自分もこの中で泳ぎたいと言う欲望が心の中で芽吹き、

その全身を覆い尽くそうとしていた。

『ああ…

 泳ぎたい…

 あの中で…泳がなくては…』

カチャリ、カチャ…。

黒蛇堂は身につけていたアクセサリーを外して床に落とす。

そして…

ハラリ

黒衣を床に落とし、

一糸まとわぬ姿で黒蛇堂はそのままスクリーンの海に歩み寄り、

そっと手を伸ばすと…

『…!』

その姿はスクリーンの中に飲み込まれる。

その際その白い肌は黒衣よりも黒い膜に覆われてゆく。

そして目と口元だけが浮かぶ黒い人型となった姿で黒蛇堂は海の中に飛び込んでいった。

ブクブク…

水を通して届く淡い光の中、

黒蛇堂はそのまま身を上下に揺らしながら泳ぐ。

それは蛇と言うよりウナギの様な印象を浮かべる。

『ああ…なんだか気持ちいい…

 もっと、もっと早く泳ぎたい…』

水を潜り抜けるように泳ぎながら黒蛇堂はそう思い続ける。

それに応えるかのように

彼女の“肌”の表面はゴムの様な光沢となまなましい弾力を持つ様になり、

背中から大きなひれが生え、

両足は癒着して足先は大きく広がる。

両手の指も癒着してひれの様な形になり、

腕全体が体の中に縮んでゆく。

首は太くなりながら胴体と癒着し、

顔も口元が細長くなってゆく。

その姿はまさにイルカそのものであった。

『わぁ…きれい…』

姿はイルカになった事でより鮮明となった視界で

神秘的な海の光景が飛び込んでくる。

色とりどりの珊瑚や岩、

海底で揺らめく海草、

その中を泳ぎ、

彼女を通り過ぎる色とりどりの魚達…

淡い光に照らされたそれらはまさに神秘的な風景を生み出していた。

『わぁ〜い!』

黒蛇堂―だったイルカはその光景に歓喜すると

心地よいスピード感に浸りながら水中を駆け抜けてゆく。

何も考える事無く、

ただ遠く、

遠く、

どこまでも泳ぐ…

ある時は一頭で水中を進み、

またある時はしばし他のイルカの群れとともに進む。

月明かりの中イルカは何度も水面を跳ねる。

『ククックーッ!』

イルカの歓喜の鳴き声が海一杯に広がる様に轟いた。

そして泳ぎ疲れたイルカは海面に浮かんでいた小さな島。

と言うより岩場にゆっくり身を寄せ一息つく。

その時、

イルカの視界に、

いや海全体に光の線が射した。

その先にあったもの…それは水平線から昇る太陽だった。

ゆっくりと夜から朝に変わる空間、

それを見つめるイルカの心に不思議な感動が満ちてゆく。

日が昇り切った時イルカは再び声を上げて鳴いた。

そして、大きく海面ジャンプすると

そのまま淡い光のさす海の中に飛び込んで行く…



『…さま…さま…』

イルカの耳に誰かが呼ぶ声が入る。

『だ…だれ…誰なのですか…?』

『さま…堂さま…黒蛇堂さま…』

それが自分を呼ぶ声だと気づいた時、

黒蛇堂の意識は覚醒した。

『…ここは?』

そう言って辺りを見回す。

水晶玉以外は何もない部屋…

そこはさっきまで自分がDVDを見ていた部屋であった。

『…どうやら夢を見ていた様ですね…』

『夢…ですか?』

安心したような”声”に対して黒蛇堂は続ける。

『ええ…わたしが身も心もイルカになって月明かりの海中を泳ぐ夢…

 でもそう言い切るには余りにも感覚が生々しい…』

そこまで言って黒蛇堂は自分が裸のまま眠っていた事に気がつく。

あわてて右手を振ると黒衣やアクセサリーが浮かび、

彼女の素肌を覆うとそのまま着衣される。

『…』

声はしばし無言を通し、

黒蛇堂も少し顔を赤くする。

『ま、まあ、これがあのDVDの効力だったと言う事ですね。

 その映像に適した姿に変化させて映像の世界に送り込ませる…

 確かに商品としては悪くないできですけど…』

そう言いながらDVDをパッケージに戻す。

『黒蛇堂さま…?』

『何ですか?』

まだ少し複雑な気持ちの抜けないまま黒蛇堂は応える。

『お顔の色、以前に比べて少しよくなられた様な気がします。

 それにどこか全身に安堵と活力が戻られたような…』

そう言われて改めて黒蛇堂は自分自身の中にあったもやもやのようなものが和らぎ、

そして新たな気力が満ち、

心が穏やかになっているのを感じていた。

『…鍵屋さんに感謝しないといけませんね』

そう一言言うと黒蛇堂は再びカウンターへと足を運ぶ。

自分のするべき事を果たす為に…。



ちなみに、そのあと朝帰り状態で手土産を持ってやってきた白蛇堂は

妹が妙に明るいのを見て酔いを醒ましたと言う…。

「やれやれ…なんのかんので夜が明けたな…。」

黒蛇堂のある場所とはまた“別の”場所。

地元の人達は天主の社と呼ぶその一角で

鍵屋は手にしていたまがまがしい物体に鍵の様な杖を突きたてながらそうつぶやくと、

「はい、封印完了」

かつて異国より伝わり若い女性を贄にして行われ、

その後も瘴気を残していた禁忌の技は

その怨念ともども永久に封じられる事となった。

「…できれば巻き込まれた人達も救いたかったけど…未熟だ…」

悔しさを抑えながら鍵屋は巻き込まれていた人達の魂が

善き輪廻の中に旅立っていく事を祈りながら

再び澄んだ空気を取り戻した社を後にする。

余談だが、

かの地で建設されていたマンションが「ありえない移動」を起こし、

さらにはその周辺の開発がのきなみ立ち消えてしまったのはまた別の話である。

「さて…黒蛇堂さんは喜んでくれただろうか…?」

気持ちを切り替える様に鍵屋は

ここに来る前に黒蛇堂に託したDVDの事を思い出す。

「僕としては白蛇堂さんや業屋さん以上に

 黒蛇堂さんにしっかり頑張って欲しいわけだし…

 あれが役立ってくれる事を祈りたいな…

 モニターになってもらったのは少し心苦しいけど…」

そうつぶやきながら鍵屋は黒蛇堂へ歩を進める。

DVDを返してもらう為、

そして黒蛇堂に例のDVDのルートを教える為…



おわり