風祭文庫・黒蛇堂の館






黒蛇堂奇譚

〜第15話〜
「ある男の晩年」



作・茶(加筆編集・風祭玲)


Vol.T-148





「ここでいい」

男が一声かけると、運転手はいつもの通り忠実に車を停めた。

「しばらく……そうだな、

 夕方くらいまでぶらついてから帰る。
 
 ひとまずは屋敷に戻ってくれ」

ドアから外へ出ようとすると運転手の声が追う。

「午後は弁護士の先生方と遺言書作成の件でお会いする予定では?」

男は怒鳴りつけそうになるのを辛うじてこらえた。

雇い主に忠実で冷静沈着。

雇う時の決め手になったその長所が、

今は機械を相手にしているような苛立ちしかもたらさない。

名の知れた総合病院から自分がどんな顔色で出て来たのかは自覚していた。

お前だってそれを見たのだから、

こっちが今どんな気持ちでいるかくらいは察しろ……

そんな言葉を飲み込んで、男は言う。

「今日はキャンセルさせてもらう。

 ……近いうちに本格的に話をする必要は生じたが」

大金が転がり込んできた以上、

不測の事態も一応考えておく必要があるということです。

金持ちのちょっとした義務みたいなものですよ。

そんな風に弁護士は言い、

男自身も気楽に考えていた、

その程度のことだと思っていたのに。

「了解しました」

愚痴と言うよりはむしろ悲鳴にも似た男の付け足しにも運転手は顔色を変えず、

黒塗りのリムジンを悠然と発進させると男の視界から消え去った。



一人になった男は、手近にあった公園のベンチに腰を下ろした。

昼下がりの公園には、子供連れの母親や白髪頭の老人などがのんびりと動き回っている。

散歩を楽しんでいたり、近所づきあいのおしゃべりに花を咲かせていたり。

穏やかな陽光に彩られたその風景は平和そのものだ。

忌々しい。

あのヨレヨレの爺は何歳だ?

七十歳か?

八十歳か?

しかしこうして出歩いていられるほど足腰はしっかりしている。

すれ違う人々と挨拶を交わすということは、

ボケも始まっていない証拠だ。

事故や事件に巻き込まれなければ、

この先十年とは行かずとも、五年くらいは生きるだろう。

少なく見積もっても一年か二年。

二十四歳の自分に残された時間は、それよりも短い。

発音すら覚束ない、

長ったらしいラテン語の病名(世界的にも珍しい病気で、日本では自分が初の患者らしい)。

治療法はおろか延命策すら未だに見つかっていない、完全なる不治の病。

しかも余命だけは正確に算出可能な点は(周囲の人間にとっては便利であることも含めて)

罹患者への悪意すら感じさせる。

たった半年。

子供が甲高い歓声を上げながら砂場へ走っていく。

それを見守る母親の幸せそうな顔。

妬ましい。

いずれ結婚もする気でいた。

自分の性癖が特殊なために積極的になれずにいたが、

ゆっくり時間をかければそのうち似合いの女も見つかるだろうと高を括っていた。

もう遅い。

水飲み場の近くでは主婦連中が井戸端会議。

やれ子供の教育費がどうの、

亭主の小遣いがどうのと姦しい。

ちゃんちゃらおかしい。

四ヶ月前に死んだ父から受け継いだ、

相続税を考慮に入れても三代は遊んで暮らせるほどの遺産。

一人息子でありながらほとんど自由になる金を与えられず、

極めて平凡な学生時代と会社勤めを経験しなければならなかった。

なのに実際に相続した途端これだ。

富豪気分をろくに楽しみもしないうちに自分はこの世から退場しなければならない。


腹立たしい。


と、目の前を女子高生らしい二人連れが通りかかった。

特徴的なブレザーに身を包み、短いスカートを翻してきびきびと歩いている。

笑いさざめきながら

今日のテストの出来栄えだの明日の範囲だのといった会話を楽しんでいるが、

声音はその年頃にありがちなヒステリックな絶叫調ではなく、

周囲にも配慮していると思わせる落ち着きがある。

それはこの少女たちの知的水準の高さを窺わせた。

特に一方の少女に、男は視線を奪われた。

背の半ばまで艶やかに流れる美しい黒髪。

形良く盛り上がる胸。

ほっそりとくびれた腰に、豊かなヒップと太もも。

すっきりしたラインの眉に、黒目がちの大きな瞳。

小ぶりな鼻と対照的に口はやや大きめだが、

下品ではない。

スタイルもルックスも素晴らしい美少女だ。

だが何より男を引き寄せたのは、その目の輝きだった。

凛とした強さを芯に秘めている。

友人と他愛ないおしゃべりに興じている今この瞬間も、

その目は明るさや機知や優しさなどの要素と同時に、

侵すべからざる気品と呼べるようなものを周囲に放っていた。

――あの目だ。

少女たちが、ベンチに腰掛け俯いていた男の視野に収まったのはほんの数秒。

だが男は最初に一瞥しただけで悟った。

男の歪んだ性癖を、嗜虐欲を、真に満たすのはあの目なのだ。

金銭で取引を済ませる、何もかも承知している女たちの目とは違う。

表面上は拒んでも結局のところはこちらの思うがままになる、

媚びた女たちの目とは違う。

それはまさしく精神の強さ。

その強さを宿した目の輝きを、屈服させてみたい!

美少女をこの手に所有し、

その精神と肉体を思うがままに弄び、壊し、傷つけ、

そして作り変えたい!!

男は少女たちが通り過ぎてから三十秒後、

おもむろに立ち上がると何気ない足取りで歩き出し、

静かに二人の後を追った。

追いついてどうする?

そんなの決まってる。

あの少女を肉体的にも精神的にも征服してみせるのだ。

世間一般の言葉で言えば誘拐、監禁、暴行。

その過程で傷害、最終的には殺人の罪状も加わるかもしれないが、

知ったことか。

もしそれが頓挫したら、

刃物でも買ってラッシュ時の駅構内で振り回し、

そこら辺の女を手当たり次第に殺すのもいいかもしれない。

俺の寿命は残りわずかなんだ。

やりたいことをやって何が悪い。

自分でも驚くほど邪悪で凶暴な思考が

頭の中で渦を巻き始めるのを男は感じていた。

死を間近に控えたことで、

これまで彼を縛っていた防衛本能が剥がれ始めているのだ。



歩調を次第に速め、男はついに先ほどの少女を再び見出した。

友達とは別れたらしく、お誂え向きに一人である。

二人が歩いているのは、繁華街に近いにぎやかな通り。

しかし今は夕方にも遠い昼下がり。

少女の口を押さえ込んで一歩裏通りに入れば、

誰にも見咎められることはないだろう。

気を失わせればこっちのものだ。

その辺のラブホテルに少女を連れ込んで縛り上げておいてから車を調達、

いや、車と同時に監禁に適したアパートも即金で借り受けて……。

そんなシミュレーションを繰り返しながら、男が少女を尾行していると。

不意に目の前の店の扉が開いた。

「おっと」

黒ずんだ古めかしいドアの奥から店員が出てくるはず。

避けようと思ったその矢先。

「何?!」

店の中から白い手が伸び、

男の腕を掴み取るとそのまま引きずり込もうとする。

「ちょ、ちょっと待て!

 何だ貴様!!」

男の抗議も意に介さず、

白い手は見かけによらない強い力で男を完全に店内へ連れ込んだ。

暴力バーか何かか?

しかしそれにしては店を開けるのが早過ぎる。

などと考えながら店の内部を見渡すが、

薄汚れたガラクタが大量に並べられたその造りは古道具屋以外の何物にも見えそうにない。

「黒蛇堂へ、ようこそ」

声をかけられた男は、自分を引っ張り込んだ張本人を見た。

十四、五歳くらいだろうか。

長い黒髪をまっすぐ後ろに垂らし、

まるで漫画に出てくる魔女のような黒ずくめの服に身を包んでいる。

「私がこの黒蛇堂の主です……。

 人は私のことを黒蛇堂、と屋号で呼びますが」

そう言いながら男を見据える眼光は異常なまでに鋭い。

追っていた少女とはタイプが違うが、

エキゾチックな魅力を持つ紛れもない美少女である。

その視線から垣間見える精神の強さも、あの少女に引けを取らないだろう。

しかし、そんなうってつけの新たな獲物が目の前に現れたのに、

男の嗜虐欲はぴくりとも反応しなかった。

目の前にいるのは、

人間の姿をかたどった何か別の存在であることを男は気づいていた。

死への強い恐怖と欲望の激しい奔流によって研ぎ澄まされた男のアンテナは、

常人では感知もできない何らかの差異を極めて鋭敏に捉えたのだ。

すると黒蛇堂はため息を吐いて言った。

「……私をそのように見つめる人は、初めて見ました」

「そんなことはどうでもいい。

 俺は急いでいるんだ。
 
 用件は何だ」

「『美少女をこの手に所有し、

  その精神と肉体を思うがままに弄び、
  
  壊し、
  
  傷つけ、
  
  作り変えたい』……これが貴方の願いですね?」

黒蛇堂の口からこぼれる言葉に、男はひどく動揺した。

「貴様、どうやってそれを!」

女を買って色々な要求をしたことはある。

だがその時にもそこまで露骨に自分の願望を言い表したことはない。

「私はお客様の満たされない思いを満たすものを商っております。

 そのお客様の思いを知らなければ商売ができません」

説明にならない説明。

しかし、男はこの少女の姿をした何者かが人外の存在であるとすでに悟っている。

『どうやって』など問うだけ無意味なのだろうということも理解した。

「ただの誘拐や監禁によって、貴方の願いは真に満たされますか?」

「…………」

その問いかけは、狂い始めている男の胸にも強く響いた。

確かにその程度のことであの少女を屈服させることはできそうにないと思われた。

たとえ殺すと脅し、実際に殺しても、それは変わらないような気がする。

「こんな道具がございます」

髪をなびかせながら黒蛇堂はカウンターの後ろに回り込むと、

極端に頑丈そうな金庫のすさまじく重そうな蓋を開け、

三本の短い棒を取り出して見せる。

シンプルな造作だが、いずれも両端が赤と黒とに塗り分けられている。

「黒い部分を貴方が握り、

 赤い部分をお目当ての少女に握らせて下さい。
 
 意識の有無は関係ありませんので、薬品で眠らせてからが確実でしょう」

顔に似合わぬ恐ろしいことをさらりと言う。

「するとどうなる」

「ある種の契約が成立したことになり、

 貴方はその少女の肉体を自在に作り変えることができるようになります。
 
 単に声を奪ったり四肢を取り除いたりすることもできますし、
 
 猫や蛙などの動物、
 
 さらには空想上の怪物に変えてしまうことも不可能ではありません。
 
 もちろんどれほど弄った後でも、元の姿に戻すことはできます」

「……何だと?」

予想を上回る言葉に、男は呆気に取られて棒立ちになった。

「ただし精神を操作することは不可能です。

 また寿命を変化させることもできませんので、
 
 姿を変えた状態で死なせたり殺したりすると、
 
 契約が破棄されて元の姿に戻ってしまいます」

「ちょっと待て。

 その場合、また改めて杖を両者が握り直さないといけないということか?」

「新たな杖を、です。契約成立とともに杖は消滅しますので。

 ……それにしても貴方、飲み込みが早いですね」

黒蛇堂は呆れたように呟く。

「今日は病院での告知からこっち、

 人生変えそうな出来事ばかり続いてるんだ。
 
 少しは慣れる。
 
 他に注意事項はあるか?」

「……二つほど。

 まず肉体改変の際は、当の少女の近くで直接言葉を発するか
 
 少なくとも唇を動かす必要があります。
 
 人の脳内イメージは奔放過ぎますので、
 
 言葉という枠組みを歯止めにしないとあまりにおぞましいことになってしまいますから、
 
 杖にはプロテクトがかかっているのです。
 
 それともう一つ、契約はどちらかが寿命で死亡した時点でも破棄されます」

「…………」

考え込み出した男の思考を読んだように、黒蛇堂は付け加える。

「ここで言う寿命とは運命と言い換えてもいいでしょう。

 貴方は今、三本の杖のうち一本を他人に委ねて
 
 ご自身の肉体を作り変えさせようと考えたかもしれませんが、
 
 そうしたとしても、半年後に貴方は事故か何かで命を失うはずです」

その言葉は男の希望を粉々に打ち砕いた。

「……ふん。

 俺がどれだけ暴れたくとも相手は多くて三人まで、期間は半年以内ということか」

「その通りです。

 ……それ以上の品物は不必要と存じますが?」

棚や金庫へ向いた男の視線を追って、黒蛇堂は釘を刺す。

「しかしお前はなぜ俺に手助けをしてくれる?

 お前のような存在にとって人間が何をしようと
 
 蚊に食われたほどの影響も受けないんじゃないか?」

「……満たされない思いが満たされる時、世界は少し幸せになります」

「おいおい、俺の思いが満たされる時は、

 あの女の子の思いが満たされなくなりそうだが?」

「あの少女は貴方のような愚物とは格の違う、傑出した人物です。

 死んだり元に戻れなかったりということにさえならなければ、
 
 どのような経験も糧にしてしまうことでしょう」

人外の者にここまではっきり己の矮小さを指摘されるのも辛い。

しかし男はむしろ、かの少女が衆に秀でていると認めてもらったことにより、

自分の目利きの正しさを裏付けてもらった喜びを感じていた。

「……なるほど、それも理由の一つか。

 あの子の命と将来を守った方がお前らの都合にいいわけだ」

「ご自由にお考え下さい」

「だがそれならなぜ俺をこの場で殺さない?

 手を汚すのが嫌なのか?だとしても石にでも変えて封じる手もあるだろうに」

「…………」

黒蛇堂はしばしためらい、思い切ったように口を開いた。

「殺せば怨霊になって害をなします。

 封じればいずれ解き放たれた時に害をなします。
 
 三人以内の少女に半年限定の苦痛を味わわせる代わりに
 
 貴方のガス抜きを済ませるのが最上策――と判断しました」

それを聞いた男は、高笑いした。

「ハハハハハッ!!

 それは愉快だな!
 
 俺はあんたらみたいな連中が扱いに困るほどの厄介者ってわけか!!
 
 ねじれ歪んだ妄想を抱えて悶々としてるだけの俺が、
 
 下手すりゃ悪霊になってこの世に害をなすのか!!」

腹を抱えてひとしきり笑った男は三本の杖を握りしめて言う。

「まあ、安心してもらおうか。

 せいぜい残り時間の間に楽しみ尽くしてやるとしよう。
 
 聖者のように清らかな心で昇天できるようにな」

黒蛇堂は苦々しげな顔をして、男を見送った。



昨日の二人の会話から、

今日もテストで下校時間が早くなっていることは推測できた。

昨日と同様、二人が通りがかるのを待ち、

昨日と同じようにひそかに後をつける。

そして少女は一人になった時、男は黒蛇堂に遮られた辺りを過ぎていた。

その時、

「あっあれ?」

昨日のことを思い出しながら男は周囲を見回わすが、

いくら探しても黒蛇堂の店は見つからなかった。

しかし、男はさほど気に留めず少女の後を追いかけた。

二メートル先を行く美少女。

その一メートル先にポリバケツが並ぶ狭い路地への曲がり角。

人通りは絶えている。

男はポケットから麻酔薬を浸したハンカチを取り出した。

少女に一瞬で駆け寄り、鼻と口にハンカチを押しつける。

悪意の襲来など予想していなかったのだろう、

少女はあっさりと薬を吸い込んですぐさま意識を失った。

男は少女を抱えて路地裏へ突き進む。

道端に座り込ませた。

めくれ上がったスカートを思わず直す。

目をつぶって小首を傾げている少女は可憐と形容したい美しさで、

これからこの少女を翻弄する半年間を妄想するだけで、男は股間を硬くした。

だがその前に、済ませることを済ませなければ。

男は鞄の中から杖を一本取り出した。

少女と自分をきつく結びつける、魔法の杖。

黒い先端部分を手に取り、夢見るように眠っている少女の手に、赤い先端部分を握らせる。

すると一瞬、周囲を虹のように眩い光が包み込み、

気がつくと二人の手からは杖が消え失せていた。

不可思議を実際に経験してほんの数秒男はぼんやりしていたが、

すぐに気を取り直して路地裏を見回す。

人はおろか、生物の気配は何もない。

怖いぐらい順調だ。

もしかしたら自分は何者か――黒蛇堂かその同類――の手助けを今も得ているのかもしれない。

男は少女を見つめながら、囁くように言った。

「白い子猫になれ」

男が言い終わると同時に、少女の身体は見る見る縮んで制服の中に飲み込まれた。

と、その衣服の中でもがくものがある。

ブラジャーと制服のブラウスを掻き分けて、白い子猫が外に飛び出そうとした。

まだ混乱しているようだが、

人間のようにしゃべろうとしてうまく出せない鳴き声も次第に大きくなっていく。

「移動ができないように、また声が出せないようになれ」

すると子猫はぱたりと動きを止めた。

男は嗅がせ過ぎないように注意しつつ、先ほどの麻酔で子猫を眠らせた。

「……変身と同時に薬物などの効果は消えてしまうということか。

 黒蛇堂め、商品説明を疎かにしやがって」

制服と下着を拾い上げ、鞄の中に詰め込む。

最後に男は子猫になった少女の小さな身体を拾い上げ、鞄の中に収めた。

深い満足感が男の胸に広がった。

そして鞄を持ち直すと、表通りに出る。

小さな鞄を片手に持っただけの男。

自分が少女を誘拐している最中だとは、誰も考えられまい。

抑えきれない笑みを浮かべながら、

男は調達しておいた隠れ家へ向かう足を速めた。



今日の午前中に買い取った地上三階地下一階のマンション。

その地下に男は入り、通り抜けるいくつものドア一つ一つに入念な施錠をしていった。

いずれもっと錠を取り付けねばとも思う。

そして最奥部の部屋に到着。

中央には最初から置いてあった簡素なベッド。

そのうち豪奢なベッドに取り替えるとしよう。

そのベッドの中央に子猫をそっと置き、男は言った。

「四肢と腰が動かせない状態で、元に戻れ」

ポンと煙が上がるような演出もなく、子猫は人間の少女に戻った。

人の姿を取り戻した少女は同時に目も覚まし、身体を動かそうとする。

しかし命令が有効に働いてベッドから転げ落ちることすらできない。

それでも少女は自由になる首を動かして、

全裸になっている羞恥に頬を染めながらも男を睨みつけた。

「あなたは何者ですか?

 どうしてこんな真似を――」

「しゃべれないようになれ」

口を動かせども少女の喉からは声が出なくなった。

少女は無駄な行為と悟ったのか、すぐに口を閉ざして男を強く見据える。

やはり賢い子であるようだ。

「私は君が気に入った」

少女の視線を意識して、男は普段より荘厳な口調でしゃべり始めた。

「単に抱きたいだけではない。

 君をこの手に所有し、その精神と肉体を思うがままに弄び、作り変えたい。
 
 ……おっと、舌を噛み切れないようになれ」

舌を突き出した顔に不安を覚え、命令を追加。

しかし少女自身は単にアカンベーをしただけで、そこまで考えてはいなかったようだ。

「と言うわけで、私はまず君の誇り高い精神を屈服させたいのだ。

 さもなければセックスは単なる暴行になってしまう」

少女は小馬鹿にした眼差しで男を見ている。

男は命じた。

「両腕両足よ、なくなれ」

少女は分解されたマネキンのような形状になった。

いきなり消え失せた四肢の感覚に、さすがの少女も激しい狼狽を示す。

男はすぐに、再び動きを封じた状態で少女を元に戻した。

「手品の類でないことは理解してもらえたかね?

 私は君の肉体をいかようにも改変することができる」

少女の目を見つめながら、男は言った。

しかし少女は、目に恐怖の色を浮かべつつも男に媚を見せはしない。

「ふむ。

 まだまだくじけることはなさそうだな。
 
 ……そうでなければ面白くないわけだが」

男は部屋の隅から、一辺が五十センチほどもある頑丈で格子の細かい檻を持って来た。

「足を動かせない鼠になれ」

指示が曖昧な時は、男の脳内イメージがある程度反映されるらしい。

少女は男が望んだような薄汚れた子鼠に姿を変えていた。

少女は声を上げたが、

自分の声が甲高い鼠の鳴き声になっていることにショックを受けたのか、

すぐに黙ってしまった。

男はそれを拾い上げ、檻の中に入れると蓋をした。

「足を動かせるようになれ」

少女は自分の変わりようにしばらく呆然とし、

それからしばらくは狂ったように四本足で檻の中を駆けずり回っていた。

特に長い尻尾が彼女自身には別の生き物に見えていたようで、

疲れて動きを止めてから、

自分の変化を確かめるようにゆっくりと尻尾を動かす様が男の嗜虐心を刺激した。

しばらくの間、鼠の少女が精神を落ち着かせるのを待った。

男は檻の蓋を開け、チーズの塊を放り込む。

少女は蓋が開くのを見出したと同時に必死に壁を駆け上がろうとしたが、

男はすぐに蓋を閉めた。

鼠は重力に負けて床に叩きつけられた。

「多過ぎるように見えるかもしれんが、

 小動物は一日に体重の数十パーセントの食料を必要とする。
 
 食べたまえ」

男が促すが、ある意味で予想通りに、

少女は餌に食いつこうとしなかった。

「餓死をするのは自由だが、

 その場合君はただの鼠として死ぬことになる」

男は少女に嘘を吐いた。

今の状態で少女が自殺めいた真似をすれば、契約は破棄される。

それを三回繰り返されたら杖がなくなっておしまいだ。

死に対する恐怖は徹底的に植えつけておく必要があった。

男は鞄から少女の制服を取り出し、生徒手帳を調べた。

宮本晴香。

それがこの誇り高い美少女の名前だった。

「晴香君」

呼びかけると、鼠になった少女はぴくりと身を震わせる。

「鼠として死んだ君の死体を明日の朝私が宮本家の玄関に置いていくと想像してごらん。

 きっと君の家族は君が行方不明になったことで不安を覚えているだろう。
 
 しかしその人々は、玄関に転がる薄汚い小動物の死体が君の亡骸であるとは想像できない。
 
 恐らくは箒か何かで邪険に扱われ、生ゴミ扱いでゴミ袋に捨てられるのが落ちだろう」

男の言葉に翻弄されるように、鼠の晴香は檻の中を落ち着きなく歩き回った。

「私は君を肉体的に殺したいわけではない。

 安心して今の身体にふさわしい食事を楽しみたまえ」

念を押すように言う。

それでもしばらくはためらった後、晴香はチーズにかじりついた。

一時間ほど、男は檻の中の晴香をじっと観察していた。

鼠に変わり果てた少女は食事を済ませた後四肢を丸めてじっとしていたが、やがて身をよじり出した。

何かを紛らわせるように、晴香はふらふらと檻の中を歩き回る。

「食べれば出るのは自然の摂理だ」

男が天から声をかけると、その声から遠ざかるように檻の隅へ逃げる。

が、やがてついに耐え切れなくなったのだろう。

その場で排泄を開始した。

男はその行為も存分に観察した。

恥じらうように檻の別の隅へ進んだ晴香はそのまま寝てしまった。

男もそれ以上少女を弄ぶことはせず、最上階の寝室に向かった。



翌日の午前中、業者を呼んでの二階と一階のいくつかの個室の工事が始まった。

二階の工事は比較的簡単で、その日のうちに完了すると言う。

わくわくしながら男が地下室へ降り立つと、

鼠になった少女は檻の一角を必死に噛み破ろうとしていた。

歯がボロボロになり、口の周りは血まみれになっていた。

「足と口を動かせないようになれ」

男は胴体と尻尾をくねらせて身悶えする鼠の少女を、

人間用のベッドの上に優しく置くと逃亡や自害を封じた状態で元に戻した。

人間に戻った少女は肉体の損傷も回復し、美しい裸体に傷一つ負っていない。

もちろんそれに感謝するわけもなく、

首を持ち上げると怒りに燃えた視線で男を刺し貫く。

「君とは長期戦になりそうだね。

 厄介だしじれったいとも思うが、
 
 私は同時にわくわくしているところもある。
 
 私をとことん拒絶する君がいずれ私を受け入れるのか、
 
 受け入れるとしたらそれはどんな攻め手が効いたためか、
 
 それとも永遠に拒み抜くのか。
 
 どんな結果に終わるのやら、私は実に楽しみだよ」

饒舌に語った男は、次なる変化を少女に施そうと歩み寄った。



おわり