風祭文庫・黒蛇堂の館






黒蛇堂奇譚

〜第7話〜
「樹」



作・ハカイダー03(加筆編集・風祭玲)


Vol.T-075





「それじゃぁ行ってきますから、留守をよろしくお願いしますね」

黒蛇堂は身支度を整えると、店の奥に向かって言う。

「わかりました、

 どうぞごゆっくり」

返ってきた答に黒蛇堂は軽くうなずくと、扉の方へと歩いていく。

すると、その背中に向かって、声が響く。

「随分楽しそうですね」

「あら、そうですか?」

と、とぼけるその声にもやや楽しげな響きが含まれている。

「ええ」

「ふふ、そうですか、

 それじゃあいってきます」

黒蛇堂は重い扉を開き、店を後にした。

外は雲ひとつ無い晴天で、既に初夏の陽気だった。

『彼女』は太陽の光を体いっぱいに浴びて、満ち足りた気分でいた。

――ああ、なんて幸せなんだろう。

その時、『彼女』の眼に人影が映った。

ここに人が来ることは滅多に無い。

一体誰だろうか。

――あっ。

見覚えがあった。

この陽気の中でも全身を魔女のような真っ黒な衣服で覆った、15歳ぐらいの女の子。

同じく黒い長髪を後ろに垂らし、額には銀色のアクセサリが光っている。

少女は『彼女』の足元までやってくると、ぺこりとお辞儀をして言った。

「お久しぶりです。

 私を覚えてらっしゃいますか?」

忘れるはずも無い。

――黒蛇堂さん。

黒蛇堂はふっと笑みをもらした。

「覚えていてくださいましたか…ありがとう御座います。」

――どうして?

「たまたま近くに立ち寄りまして…

 ちょっと貴方に会ってみたくなったんです。

 …もう5年になりますか」

――あなたは、変わらないね。

「私は変わりませんよ、貴方は随分立派になられましたね…」

黒蛇堂は『彼女』を見上げて、目を細めた。

ずっと上を向いたままというのもきついだろう。

『彼女』は黒蛇堂に自分を登って上に来てはどうか、と言った。

「えっ、よろしいのですか?」

――もちろん。

「それじゃあ、失礼いたします…」

そういうと黒蛇堂は『彼女』の体を登り始めた。

あんなに動きにくそうな格好をしているのに、すいすい登るので感心した。

黒蛇堂は『彼女』の顔、

もとい、顔だった部分の隣にある枝に腰掛けると、フウと一息つく。

――上手いね。

「木登りなんてひさしぶりなので、登れるか心配でしたけどね」

そう返事をして黒蛇堂は屈託無く笑う。

『彼女』は黒蛇堂がこんな顔で笑うとは思っていなかった。

こうしてみるとごく普通の少女である。

そう伝えた。

「そうですか…

 いつもなかなか思うようにいかなくて、気分が晴れることも少ないですからね」

――大変なんだね。

「ですから、貴方のように私がお役に立てた人の姿を見るのは、本当にうれしいんです。」

『彼女』も黒蛇堂に感謝していた。

その返事に黒蛇堂はにっこりと笑う。

『彼女』の脳裏に五年前の出来事が蘇ってきた――。

『彼女』の名前は樹里といった。

樹里は自然の中で遊ぶのが何よりも好きで、小さいころからよく家の裏山に行っては一日中遊んでいた。

五年前、樹里が14歳のとき。

樹里のもとに思いもよらない知らせが舞い込んできた。

「森が伐られる!?」

樹里が大声を出すと、彼女の友人の桐子は顔をしかめた。

「何もそんなに大声出すこと無いでしょ。

 あそこ切り開いて製薬工場作るんだってさ」

二人はちょうど中学校の帰りだった。

なお、この桐子は後に高校を中退して子供を産み、

その時「ある事件」に巻き込まれることとなるが、

それはこれとは別のお話。

さて、樹里は桐子を問い詰めた。

「どうして!?

 何で急に…」

「結構前から話はあったらしいけどね。

 今度会社の社長が変わって、
 
 その人が金に物言わせて手に入れたんだってさ」

桐子は相変わらず素っ気無いが

その一方で樹里は真剣そのものである。

「いつ!?

 いつから工事するの!?」

「え〜と…明日、だったかな?」

「えええっ!!?」

――こうしちゃ居られない。

そう思うが早いか樹里は脱兎のように駆け出した。

「樹里?

 ちょっと、何処行くのよ!?」

後に取り残された桐子は一人ぽかんとした顔で樹里の後姿を見ていた。

深夜。

樹里は幼いころから親しんだ例の森に居た。

両親には友達の家に泊まると言っておいたが、けど、いずればれるだろう。

それでも良かった。

とにかく今、ここにいたかった。

明日にはここもなくなってしまうのかと思うと、涙が止まらない。

樹里は土と草のにおいのする地面に突っ伏して、泣いていた。

「いやだ…

 別れたくない…
 
 この森と別れるぐらいならいっそ…」

――森の一部になって一緒に死にたい。

本当にそう思った。

ふいに、背後から声がした。

「なれますよ」

その声に樹里は弾かれたように立ち上がり後ろを見と、

そこには、自分と同い年ぐらいで、全身真っ黒な服に身を包んだ少女がいた。

「すみません。

 勝手に頭の中を覗かせていただきました。
 
 ・・・私、黒蛇堂という店の主で御座います。
 
 人は私のことをそのまま屋号で黒蛇堂と呼びますが・・・」

「く、黒蛇堂?」

その少女が放つどこか神秘的な雰囲気に気おされながら、

樹里が恐る恐る聞き返すと、

「ええ。

 貴方は今、森になってしまいたいと思われたでしょう。」

少女は樹里の考えていたことをずばり当てて見せた。

「えっ、なんで…」

「そんなことより、どうです?

 これから私の店に来ませんか?」

黒蛇堂はうっすらと微笑をたたえながら言った。

その店は、毎日樹里は通っている通学路の途中にあった。

「うそ…

 さっきまでこんな店なかったのに…」

全体としては洋風だが、

しかし、看板には筆で墨痕鮮やかに「黒蛇堂」と記してある。

どこかアンバランスな建物だった。

「さあ、どうぞ…」

一足先に中に入った黒蛇堂が中から樹里を招いた。

「お、おじゃまします…・」

恐る恐る店の中に足を踏み入れてみると、

そこには所狭しと棚が並んでおり、

色々ながらくたが陳列されていた。

黒蛇堂はその中から一つの古ぼけた木製の指輪を持ってきて、樹里に見せた。

「これが貴方のお望みの品で御座います」

「それは?」

「これは『木霊』の宿った樹から削りだした指輪で御座います。

 これを填めた人間はその場で木になってしまうのです・・・」

「ええっ!?」

さすがにそれには樹里も驚いた。

「いかがいたします?

 もし、お使いになられるならお代はいただきませんので、
 
 どうぞお使いになってください。」

「で、でも・・・・」

「勿論無理にとは申しませんとも。

 木になることはある意味で、人としての貴方の死を意味するのですから。」

樹里は暫く考えた末に、意を決したようにいった。

「これ、いただきます!」

朝が来た。

樹里はあの後森へ戻り、そのまま木の下で寝てしまっていた。

未だに『木霊の指輪』はポケットの中に入っている。

まだはっきりしない意識の中で、樹里は何かいやな音を聞いた。

――なんだろう。

轟々と機械の唸る音。

めきめきと木の倒れる音。

樹里の目が見開かれる。

もう工事が始まっている!!

樹里は慌てて起き上がると、音のするほうへ走った。

そこに到着して、樹里は愕然とした。

わずかな間に、彼女が愛した森のかなりの部分が赤茶けた地面に変わってしまっていた。

樹里の目の前でチェーンソーが木を切り倒し、

ブルドーザーが切り株をひっくり返していく。

「やめてーっ!!」

樹里は駆け寄ると、ブルドーザーの前に仁王立ちになった。

「うわっ!!」

運転していた男は慌ててブレーキをかけると、

「あぶねーじゃねえか!!」

と、怒鳴りながら降りてきた。

その騒ぎに、周りで作業中の者たちも皆集まってきた。

その中、樹里は指輪をそっとはめた。

とたんに

ドクン!!

と樹里の体が脈打った。

「う・・・・・ッ」

「?

 ど、どうした?…
 
 うわっ!?」

先ほどブルドーザーを運転していた男が樹里に歩み寄ったが、

彼女の足を見たとたんに悲鳴を上げて飛びのいた。

樹里のはいていたスニーカーを突き破り、何本もの根が地面に伸びていたのだ。

ミシミシ・・・・

と樹里の体がきしむ。

「う………わああああああ!!!」

変化に伴う激痛に樹里が声を上げるが早いか、

彼女の下着を突き破って無数の根が股間から生えてきた。

根は彼女の両足に絡みつきながら地面に向かって伸びていく。

「ひ、ひええええっ!!」

それを見た工事関係者たちはこぞって道具を投げ出して逃げていった。

「あはは、やったぁ…うっ!!」

彼らの撃退に成功した樹里が一息つくまもなく、彼女の下半身を変化が襲う。

もう両足は根の中に埋もれて同化し、樹里は一歩も歩くことが出来なくなっていた。

そして次第に腹、胸と自由が利かなくなってゆく。

もはや苦しみにもがく樹里が体を動かそうとしても、ミシミシという音を立てるだけである。

そうこうしている間にも、木の幹になった下半身は肥大してゆき、

とうとうセーラー服のスカートが変化ついていけず破れ落ちた。

樹里は自分の下半身がどうなっているのかを見ようとしたが、首が動かせない。

「ううう…あぐっ、ああ…・て、手が・・・・」

指の一本一本が節くれて枝になってゆき、腕全体も長く伸びていく。

バリバリッ!!

音を立てて上着が破れ去ったときには樹里は顔を残して完全に木になってしまっていた。

「あぐ…くはぁっ…!!」

苦しみのあまりまともな思考すら出来ない樹里はただあえぐばかりであった。

その時、彼女の視界に黒い人影が見えた。

黒蛇堂である。

「…あぐ、あぅあ…」

樹里はその姿を認めても、うめき声を発するので精一杯。

黒蛇堂はしずしずと樹里の前にやってくると、優しく語りかけた。

「大丈夫です。

 無理に抗うから苦しいだけ。
 
 自然を受け入れればすぐに楽になります」

黒蛇堂がそっと木の幹となった樹里の体に触れる。

「さぁ、息を吐いて、力を抜いて・・・・・」

黒蛇堂の言うとおりに力を抜き、

そのまま身を任せるようにすると樹里の体から苦痛がスッッと消えていった。

そして、樹里の顔も木の表皮に覆われ、木製の仮面のようなものになった。

「…いかがです?」

――うん、とってもいい感じ・・・・私が森になったみたい。

「『みたい』ではなく、今の貴方は森と感覚を共有しています。

 気に入っていただけましたか?」

――ええ、どうもありがとう黒蛇堂さん。

「そういってくれて何よりです・・・」

早朝の森の不思議な光景だった。

そして五年の間に樹里は立派な大木となり、

開発工事は再開しようとするたびに起こる事故のため中止となったのだった。

「さて、そろそろおいとましますよ」

――もう行ってしまうの?

「ええ。また近くによったらお邪魔するかもしれません。では、お元気で。」

――さようなら

若干名残惜しそうにしながら、黒蛇堂は樹里のもとを後にした。

樹里はその後姿が見えなくなるまで、ずっと彼女の影を追っていた。

その夜、黒蛇堂店内。

声が黒蛇堂に今日のことを訊いていた。

「彼女はどうでしたか?」

「元気そうでしたよ。

 お客様が皆あのような方ならよいのですが…・」

黒蛇堂は軽く溜息をついた。

「まぁ、難しいものですな」

「全くです」

そのときコンコンとドアを叩く音がした。

「お客様のようです」

「ええ。今度こそは喜んでいただきたいものですね」

黒蛇堂は期待と不安を抱えたまま、客を店に導きいれた。



おわり