風祭文庫・黒蛇堂の館






黒蛇堂奇譚

〜第1話〜
「人魚の歌姫」



作・ハカイダー03(加筆編集・風祭玲)


Vol.T-061





ワー!!!!

巨大なコンサート会場を埋め尽くす人・人・人。

熱狂的な歓声に包まれて、ステージの上では4人の少女が歌い、舞い踊っている。

そう彼女たちこそ、今をときめくダンスアイドルユニット「REAL」であった。



「おつかれー!」

「お疲れ様でーす♪」

今日の公演を終えた「REAL」の面々にスタッフが声をかける中、

控え室に戻った4人は、「ふぅっ」と一息ついた。

「はぁ、よかったぁ上手く出来て…」

今日の舞台で初めてメインを踊った13歳の理々香が言う。

「ね?

 だから言ったでしょ大丈夫だって。
 
 今じゃあ私たちの中で一番上手なの理々香だもん。」

「始めは一番ヘタクソだったのにねー。練習熱心のたまものだね。」

14歳メンバーの絵美と愛は口々に理々香を褒めた。

「そんな…私なんかまだまだですよぉ。

 やっぱりメインは涼子さんがいいなって…」

と、理々香はメンバー最年長で16歳の涼子を見遣る。



さて、お気づきの通り、

「REAL」というのは涼子・絵美・愛・理々香の4人の名前の頭文字をとったものである。

まあそんなことはこの際どうでもいいが。

涼子はにっこりと理々香に微笑みかけるとこう言った。

「理々香、とっても素敵だったわよ。

 あなたならこれからも立派にメインが出来るわ。」

「え…あ、ありがとうございますっ!!」

涼子に認められた嬉しさで、理々香の顔は真っ赤に染まった。

その1ヵ月後。

理々香は役目を立派に果たし、グループの人気はうなぎ登り。

ただ、メインからおろされた涼子は表面上は普通に振舞っていたけれど、

内心理々香のことを快く思っていなかった。



そんなあるオフの日、

涼子はぶらりと町へ出た。

野球帽を目深にかぶり、サングラスをかける。

アイドルが素顔で街中を歩いたりした日には、

大騒ぎになって休みどころではなくなるからだ。

さて、この町を涼子は特に何処に行くとも無く歩いていたのだが、

ある古びた店の前でふと足を止めた。

(こんな店、前からあったっけ…?)

ここには休みのたびによく来るのだが、このような店を見た覚えは無い。

小ぢんまりした西洋風のレンガ造りの建物で、

なんだか明治とかその辺の建物を連想する。

入り口ドアの上には木の看板がぶら下がっていて、

不釣合いな感じに墨で「黒蛇堂」と書かれていた。

何の店なのかさえさっぱり分からない。

それでも、涼子は半ば無意識に黒蛇堂の扉を開けていた。



店に入ると同時にゾクッ、と寒気がした。

…気温が違う。

薄暗い店内を見渡すと、

狭い部屋の中にまるで美術館の倉庫の様な棚がぎっしりと立ち並び、

その上には埃を被った薬ビンやよく分からないガラクタがぎっしりと置かれていた。

(なんだろう…アンティークショップって柄でもないし…)

そう思いながら涼子はキョロキョロと店内を見回していると、突然物陰から声がした。

「何かお探しのようですね。」

女の声だった。

「キャッ!!」

涼子はいきなり心臓をわしづかみにされたようになって飛び上がってしまうと、

「あら、ごめんなさい」

間髪いれず女性は涼子に詫びてきた。

「え?」

振り返って見ると、そこには14、5歳ぐらいの女の子が立っていた。

長い黒髪を後ろに垂らし、一見魔女かと思うような真っ黒な服を着ている。

「えっ…と、ここのお店の人?」

「ええ。私がこの黒蛇堂の主です…。

 人は私のことを黒蛇堂、と屋号で呼びますが。」

「そ…そう…ですか。」

(見た目より年上なのかな…?)

涼子は彼女の大人びた、というよりはやや時代錯誤な感のある口調からそう思った。

すると、黒蛇堂はしずしずと涼子に歩み寄ってくると、先ほどの言葉を繰り返す。

「何か…お探しのようですね。」

「い、いや、別に…」

涼子が口篭ると、黒蛇堂はこう言った。

「此処にいらっしゃる方々は皆、満たされない思いを抱いているお方。

 貴方も…満たされていないのでしょう?」

「満たされないって…」

涼子の脳裏を、ステージの上で生き生きと歌って踊る理々香の姿がよぎった。

「私には分かります。

 …貴方は満たされていない」

黒蛇堂は大きく頷くと、傍の棚においてあった小さな薬ビンを手に取り、

「これを差し上げましょう。

 これで貴方の今の思いは果たされます」

「これは?」

薬ビンには目盛りが3つあって、中に青い液体が入っていた。

「これは、人間を人魚に変える薬で御座います…」

「人魚に!?」

突拍子も無い話だった。

しかし、黒蛇堂は自信に満ちた様子で頷く。

「ええ…。

 それを一目盛り分飲めば、その者はたちまち人魚の姿と成り果てます…」

にわかには信じがたい話だった。

しかし、この店の雰囲気か、

或いは黒蛇堂店主の立ち振る舞いのせいか、

涼子はいつの間にかすっかりその気になっていた。

「これ、いくら?」

「お代は頂きません。

 貴方の願いが満たされれば、それで結構で御座います。ただ…」

「ただ?」

「果たしてそれが貴方のためになるかということまでは、保障いたしかねます…」

と黒蛇堂は忠告するが、

「そう…。

 とにかく、頂いておくわ。」

薬を受け取って黒蛇堂を後にした涼子の瞳が、妖しく燃えていた。



翌日。

公演前の控え室では、理々香が緊張した面持ちで動きの確認をしていた。

そこに、涼子が紙コップを持ってやってきた。

中には、ジュースに混ぜた先日の薬一目盛り分が入っている。

「あんまり硬くなると良くないわよ。

 ほら、リラックスリラックス。」

と、涼子は理々香にジュースを勧める。

「あ、ありがとうございますっ♪」

理々香は喜んで涼子から手渡された紙コップの中身を一息に飲み干した。

それを見ていた涼子はニヤリ、とほくそえんだ。

「ふふふ…みてらっしゃい…」

コンサートもいよいよ終盤。

今日も理々香は快調で、観客も超満員だった。

涼子は、いつまでたっても薬の効き目が現れないので、

(薄めたからなのかなぁ…それとも、やっぱりインチキだった?)

といぶかしんでいた。

そうして、最後の曲のクライマックスにさしかかろうとしたその時だった。

「うっ…!?」

理々香は突然苦痛に襲われ、その場に倒れこんだ。

「理々香っ!?」

横にいた愛が理々香に駆け寄り、会場にどよめきが走る。

「あ…足が……ッ!!」

足に奇妙な痺れを感じた理々香は半ば混乱する意識の中で自分の足を見遣ると、

そこには信じられない光景があった。

愛の叫び声が響く。

「り…理々香の足に…う、鱗がッ!?」

ショートパンツの下から伸びた、すらりとした理々香の白い足に、

ブツブツと朱色の鱗が湧き出してきていた。

「あ…ああ…」

理々香は信じられない事態に呆然としている。

周りのスタッフや観客たちも、ぽかんとあっけに取られるばかりだった。

そんな中、愛は必死に理々香の足から湧き出す鱗をむしっていた。

しかし、取るはしから鱗の広がりは大きくなるばかり。

愛はもはや半泣きである。

「絵美ッ!!手伝ってぇ!!」

しかし絵美は凍りついたようになって動けない。

その少し後ろで、涼子は固唾を呑んで成り行きを見ていた。

「ああ…あ…」

愛の健闘空しく、理々香の足は完全に朱色の鱗で覆われてしまった。

さらに、ビクン!!と理々香の体が波打ったかと思うと、

バリバリッ!!

とショートパンツの股が裂けた。

「!!?」

その様子に会場がざわめく。

見ると、理々香の足が根元から癒着して、一本になっていくところだった。

「嫌ァァァァッ!!!

 足が!
 
 私の足がぁぁぁ!!!」

悲鳴を上げながら理々香がもがくが、

しかし、理々香の脚ほとんど魚の尻尾のようになり、

足がバタン、バタンと上下するだけだった。

さらに足首から下が変形し、尾びれの形を形成する。

「に…人魚…?」

絵美が呟く。

既に理々香は人としての姿を失い、すっかり人魚になってしまっていた。


(す…凄い!!ホントに人魚になっちゃった…)

涼子は興奮を隠しきれない様子。

そして周囲の観客たちと、

TVを見ていた全国の視聴者たちは、いまだ自分の目が信じられなかった。

再び、理々香を非情にも変化が襲う。

「く…あぁぁあっ!!」

細く形のよい指の間には水かきが張り、肘からもヒレが突き出す。

わき腹の辺りには3対の裂け目…水中で呼吸するためのエラが出来上がっていく。

まだまだ控えめだった13歳の胸は急成長。

着ていたTシャツはパンパンになった。

このとき、今まで沈黙を保っていた観客の一部から「おおっ」という歓声が聞こえたが、

当の理々香はそれどころではない。

理々香のトレードマークだった黒のショートヘアは、

ウェーブがかかりながら腰まで伸び、緑色に変色し、

「くぁぁぁっ!!

 ぅう、ぁぁああああ!!!」

理々香の眼が苦痛でカッと見開かれた瞬間、

その瞳は真っ赤な色に染まっていた。

最後に耳が変形していくと、形の良いヒレへと変わってしまった。

こうして、理々香の変身は終了した。

しかし、理々香は二度とダンスの踊れない人魚の身体にされてしまったばかりか、

それを大観衆とTVにしっかりと目撃・放送されてしまったのであった。



あれから1週間が過ぎた。

あらゆる医者がさじを投げ、理々香は、もはや天に見放された状態となった。

REALは活動休止。

絵美や愛もすっかり打ちひしがれた様子だし、プロデューサー達も頭を抱えている。

理々香は三日前から自室から一歩も出ようとしないし、誰とも口を利いていない。

そんな中で、涼子はただ一人軽やかな気分だった。

(このままいつまでも活動休止ってわけにもいかないでしょう。

 そうなれば必然的にメインは再び私のもの。
 
 絵美や愛がまたでしゃばるようなら、あの子達も人魚にしてやればいいことだわ。
 
 ふふふ…)

そんなことを考えながら涼子が寮の廊下を歩いていると、

絵美と愛が、台車にいくつものダンボール箱を乗せてやってきた。

中には手紙のようなものがぎっしりと詰まっている。

「なに?

 その手紙…?」

「それが、理々香の方にかかりっきりで、今まで気づかなかったんだけれど」

「全国からのファンから理々香に、励ましの手紙がこんなに届いてたんです」

「なんですって??」

…励ましだって?

涼子はそのうちの一通を手にとってみた。

手紙の内容は、このようなものだった。

「理々香さん、

 奇妙な病気にかかってしまってつらいと思いますが、
 
 私たちは理々香さんの姿がまた見たいです。

 踊れなくても、歌ならできるのではと思います。
 
 どうか頑張ってください。」

……そんな馬鹿な。

涼子が予想外の事態に困惑していると、愛が力強く言った。

「理々香を説得してみようと思うんです。

 もう一回やってみないかって。」

涼子はにわかに不安になってきた。



そして、その不安は現実のものとなってしまった。

絵美と愛による励ましと、連日殺到するファンレターに力づけられ、

理々香がボーカル専門としてREALに復帰することとなったのだ。

2週間ぶりの公演の日、車椅子に乗った理々香がステージに現れるや否や、

場内が割れんばかりの拍手と大歓声が巻き起こった。

演奏の前に、理々香はマイクを取ってこういった。

「いま私がここにいるのは、とても…とても多くの人たちのお陰です。

 励ましの手紙を送ってくれたファンの皆さん、
 
 優しく私を支えてくれたREALの仲間たち…」

そういって、理々香は涼子達の方を振り返る。

絵美と愛は早くも涙を流していた。

「こんな姿で人前に出るのは…凄く抵抗あったけれど…」

と、理々香は自分のスカートから伸びている魚の尻尾を見下ろす。

「今はもう、平気です!

 ダンスは出来ないけど、これからは歌で頑張っていくので、
 
 応援よろしくお願いします!」

スピーチが終わるや否や再びの大歓声。

今度は理々香もぽろぽろと涙を流していた。

感動の渦に包まれる会場。

そしてただ一人、ぽつねんと取り残された感のある涼子。

こうやって理々香の復帰舞台は始まった。



古来から人魚の歌には魔力があるという。

果たしてこれがそうなのかは分からないが、

人魚になった理々香の歌は、以前のものとは比べ物にならない素晴らしいものだった。

そしてこの日の公演がREALの今後の方向性を決定するものとなった。

それは、<理々香の歌を中心として、他の3人がダンスを添える>というものだった。

絵美や愛はそれに快く同意し、理々香は決意を新たに頑張ることを決めた。

涼子は…何も言わなかった。

以来、REALは破竹の勢いで人気をのばし、

今や街中のどこへ行っても理々香の歌が聞こえるようになった。

そんなある日、深夜、外はざあざあ降りの大雨。

自室に戻った涼子はある決意を固めていた。

部屋のカギを閉め、

着ていた服を脱いで一糸まとわぬ裸になると、

机の引き出しから薬ビンを取り出した。

黒蛇堂で手に入れたあの薬である。

涼子は、自分もこの薬を飲んで人魚になるつもりだったのだ。

「見てなさいよ…今に見返してやるんだから…」

震える手でビンのふたを開けると、涼子は中に残っていた薬を全て飲み干した。

ビクンッ!!

薬を薄めなかったせいか、今回はすぐに体が変調をきたしはじめた。

「う…ぐッ…!!」

苦痛に耐えかねて涼子が膝をつくと、その足に青く光る鱗が発生し始めた。

「ああぁぁ…」

理々香のときよりもはるかに速いスピードで青い鱗は涼子の長い脚に広がっていく。

あっという間に両足ともすっかり鱗で覆われてしまった。

「あぁ…私、人魚になっちゃうんだ…」

涼子はそう呟いたものの、

涼子の足は理々香のように癒着する様子も無く、

鱗のほうは腰から腹へと、

涼子の身体にどんどん広がってきていた。

ペキペキッ!!

と音を立てて、両足の先がダイバーの使う足ヒレのような形に変化する。

「あ、あれ…ッ?」

その頃になってようやく涼子は、自分の身に起きている異変に気がついた。

涼子の肌を食らうようにして増殖する鱗はすでに涼子の胸まで覆い隠し、

わき腹には理々香と同じようなエラが出来ていた。

「う、嘘、なんで…!?」

腕のほうに鱗が広がっていくのに並行して、

涼子の手に水かきと肘のヒレが形成されていく。

「!?がッ!!?」

突如、激痛が走る。

メリメリメリメリ!!

と彼女のお尻から、文字通り魚の尻尾が生えてきた。

「イヤアアァァァァァッ!!!」

とうとう耐え切れなくなった涼子が悲鳴を上げるが、

既に鱗は顔まで侵食し、

ストレートの長い髪はコバルトブルーに変色を始めていた。

「なによこれぇ…

 私の体、どうなっちゃってるのぉ…」

涼子は力を振り絞って全身鏡の前まで這っていく。

その間にも、背中の皮膚を突き破って背ビレが姿を現していた。

鏡にもたれるようにして立ち上がった涼子は、

そこに映った自分の姿を見て絶句した。

そこにはオレンジ色の眼を爛々と光らせ、鋭い牙を持った…そう半魚人の姿があった。


「そ、そんな…どうしてぇぇぇ!!?」

はっ、と涼子は黒蛇堂の言葉を思い出した。

『それを一目盛り分飲めば、その者はたちまち人魚の姿と成り果てます…』

自分が飲んだのは、二目盛り分…!!!

そのことに気が付いた涼子はがくりと膝をついた。

「どっどうよう…」

半魚人と化した自分の体を見つめながら涼子が呆然としていると、

ドンドンドン!!!

激しくドアを叩く音がした。

「涼子さん!?

 涼子さん大丈夫!?」

涼子の悲鳴を聞きつけた絵美だった。

「待って

 こないで!!」

こんな姿を見られるわけにはいかない。

涼子は窓を開けると2階にある自室から思い切って外に飛び降りた。

バシャッ!!

土砂降りの真っ暗闇であるにもかかわらず、

涼子は難なく着地することが出来た。

「ウソ…?

 私、やっぱり…」

その時、涼子は自分が人間でなくなったことを実感した。

「そうだ…あそこに」

黒蛇堂に行けば、元に戻れるかもしれない。

そう思うが早いか、涼子は雨の中を走り出していた。

距離的にはそう遠くは無い。

だがそれにもまして涼子は凄まじいスピードで移動することが出来た。

幸い大雨の夜中なので人通りもなく、人に姿を見られることも無かった。

…あの角を曲がれば。

目指す黒蛇堂があるはずだ。

しかし、息せき切って角を曲がった涼子が見たのは、信じられない光景だった。

「!!…ない!!」

あの時、確かに黒蛇堂のあった場所には、

大きなパチンコ店が建ち、明るいネオンが周囲を照らし出していた。

無くなったのか。いや、違う。

このパチンコ店はずっと前からここに建っていた。

黒蛇堂に立ち寄ったあの日の前から。

つまり…黒蛇堂は始めから存在していなかった。

「そんな…そんなぁぁぁぁっ!!!」

雨の中、涼子の叫びが響きわたった。

以来、彼女の姿を見たものはない。



…もし、貴方の心が満たされていないなら。

 黒蛇堂はきっと貴方の前に現れるでしょう。
 
 しかし、この品物が幸運を呼ぶか、不幸に落とすかは、貴方しだいで御座います…



おわり