風祭文庫・黒蛇堂の館






黒蛇堂奇譚

〜第20話〜
「心のロッカー」
(風祭文庫200万ヒット記念作品)


作・風祭玲

Vol.763





『黒蛇堂さま?

 これは?』

黒蛇堂の店内に男の声が響き渡ると、

『見て判りませんか?』

と黒染めの衣装に緋色の目、

そして、手入れの行き届いた漆黒の髪を腰に掛けながら

少女・黒蛇堂は済ました顔で聞き返した。

『はて?

 私にはただのロッカーにしか見えませんが?』

黒蛇堂の問いに男の声はそう聞き返すと、

『確かに…』

店内に一台、ぽつんと置かれているロッカーの前に立ち、

上から下へと視線を動かしながらロッカーを見た。

全く飾り気のないねずみ色。

無駄な装飾をことごとく排除した経済設計。

ドアから天板にいたるまでプレスで作られた華奢なその姿に、

『まさに事務用品って感じですよね』

お黒蛇堂は同意を求めた。

『はぁ、まぁ…』

黒蛇堂のその言葉に

声の主は困惑した口調になり、

『それで…』

とロッカーの処遇について尋ねると。

コツリ

黒蛇堂は一歩前に出て、

ロッカーの取っ手に手を掛けた。

そして、

ガチャッ!

徐にドアを開けると、

ブラン

ジッと主を待つハンガーに、

キラッ

その奥で光る一枚の鏡が置かれていた。

『鏡…ですか?』

ロッカーの奥に置かれている鏡を見ながら男は尋ねると、

スッ…

黒蛇堂は無言のままその鏡に向かって手を差出し、

そして、鏡面に軽く手を触れた。

すると、

キラ☆…

一瞬鏡が光り、スグに暗くなった。

『暗くなりましたが…』

それを見ていた男がそう尋ねると、

『黙ってみていなさい』

黒蛇堂はそう呟き、鏡を見る。

その途端。

フッ

鏡の面が一瞬揺らぎ、

ガチャッ!

いきなりドアが開けられる音と共に、

暗黒を写していた鏡面が光ると、

「あっ」

どこかの学生だろうか困惑した表情が映し出される。

そして鏡を見ながら、

「あっあれ?

 俺、何をしているんだっけ?」

学生服姿の男子学生は記憶をなくしたらしく急に戸惑うと、

戸惑いながらも鏡に向かって手を伸ばした。

カタン…

ハンガーの音が鳴り、

程なくして男子学生が手にしたのは

赤紫の生地に白いストライプが入るレオタードであった。

「えっと、

 これって、

 その…」

手にしたレオタードを見ながら男子学生は不思議そうな顔をしてみせるが、

「そうか、

 そうだった」

突然、男子学生は何かを思いだすと

徐に学生服を脱ぎ裸になり、

レオタードに脚を通した。

すると、レオタードに脚を通したところから脛毛が消え、

さらに股間をレオタードが覆うと今度は男性のシンボルの膨らみが消えてしまうが、

男子学生は構わずにレオタードを肩にまで引き上げ、

袖を通した途端、

ピチッ!

男子学生はシニョン頭の新体操選手になってしまった。

そして、レオタードが袖口を覆う手をロッカーに入れ、

何かを取って見せると、

彼、いや、彼女の手には新体操の手具が握り締められいた。

と、そのとき、

「あっ思い出した。

 あたしは新体操選手…

 今日は大会の日じゃない。

 急がなくちゃ」

と自分を新体操選手を思い込んだ男子学生は、

「行ってきまーす」

と言う声と共に鏡に向かって身体を飛び込ませてきた。



『うわっ、

 なんですか?

 これは…』

それを見た男は声を上げると、

『心のロッカーです』

と黒蛇堂は答えた。

『心のロッカー?

 ですか?』

それを聞いた男は聞き返すと、

『えぇ…

 人には皆秘めた思いがあります。

 そして、その秘めた思いを発散させずに抱き続けていると、

 心は病み、

 病んだ心は体を蝕んでいきます。

 このロッカーはそういう人たちの為に存在するのです』

と黒蛇堂は答え、

鏡面に手の位置を変える。

すると、どこかの体育館だろうか、

フローリングの床を区切られて作られた演舞場の中で、

あの男子学生が変身した新体操選手が

生き生きとリボンの演技をしている様子が映し出される。

『彼は新体操選手に憧れていたのですね』

そんな彼の様子を見ながら黒蛇堂はそう呟くと、

また鏡面の手の位置を変えた。



ガチャッ!

ドアの開く音が響くと、

「あら…」

その声と共に鏡には女性の姿が映し出される。

年齢は20代後半だろうか、

やや落ち着きのある表情と、

既製品のブラウスにスカート姿の彼女は

どこかの主婦と言った雰囲気を醸し出している。

「あれ?

 あたし何をしようとしていたんだっけ」

彼女もまたあの男子学生と同じく急に記憶をなくしたらしく、

キョトンとしてしまうが、

「あっ」

ロッカーの中に何かを見つけたらしく、

手を伸ばし黒い布束を取り出した。

それは力士が土俵に上る際に締めこむ廻しであった。

女性は折りたたまれている廻しを伸ばし興味深そうに見るが、

やがて、何かに気付くと、

学生と同じように着ている服を脱いで全裸になり、

シュルリ…

廻しを股間に通すと締め込み始めた。

すると、

ムリッ!

ムリムリムリ!!

女性の華奢な体が見る見る膨れ、

脂肪と筋肉が幾重にも折重なっていくと

瞬く間に女性は骨太のアンコ型力士へと変貌し、

頭には瓶付けの香りが漂う髷が結われ、

廻しの前に”下がり”が下がった。

そして、

「うっしっ

 力士だということを忘れてた」

ズシンっ!

足を高く上げて四股を踏み

ウォーミングアップを終わらせると、

「ごっつぁんですっ」

の声と共に鏡へと飛び込んできた。



『この女性は力士になりたかったのですか?』

土俵上で自分の倍近くはある巨漢の力士と張り手の打ち合いを演じている、

元女性の奮闘振りを見ながら男は尋ねると、

『そのようですわね』

と黒蛇堂は顔色を変えずに返事をして鏡面の手の位置を変えた。

すると、

ガシャッ!!

またドアが開く音が響き。

「あっ」

エリート・サラリーマン風のスーツ姿の男性が驚く姿が映し出された。

『ほぉ、彼は何になるのでしょうか』

興味津々そうに男は尋ねると、

『ふふっ』

黒蛇堂は小さく笑い鏡に見入る。

「なっ何だ、これは?」

メガネを掛けなおしながら男性は困惑した表情を見せるが、

「あれ?

 あれ?

 俺…なんだっけ?」

これまでの二人と同じように、

男性もまた記憶を無くしたような素振りをして見せた後、

そっとロッカーに手を入れた。

そして、

カタン…

ハンガーの音が響くと、

男性の手には白銀色に輝き、

跳ね上がったスカートが特徴的なクラシックチュチュが握られていた。

「これを…着るの…ね」

チュチュを自分の胸に当てながら男性はそう呟くと、

ネクタイを外し、

上着、Yシャツ、ズボンと脱いで全裸となった。

男の裸体が大きく映し出されると、

『あまり見たくないような…』

と男の声が響く。

そして、全裸になった男性はチュチュには脚を通さずに、

ロッカーから白タイツとトゥシューズを取り出すと、

白タイツに脚を通し、サテンのトゥシューズを穿く。

すると、

キュッ!

男性の脚が引き締まり、

脛毛が消えてしまうと

股間から膨らみが消えてしまった。

その後、ようやくチュチュを身に着けると

ウェストは括れ、

バストは膨らみ、

さらに7・3に分けていた頭がひっ詰め頭へと変わると、

メイクとアクセサリーが男性の顔を美しく表現する。

「うんっ、

 あたしはバレリーナ。

 大丈夫よっ、

 今日の舞台、頑張ろうね」

鏡を見ながらバレリーナに変身した男性はそう自分に言い聞かせると、

ズイッ!

鏡の中に飛び込んできた。



『バレリーナ…でしたか、

 あの彼にこのような願望があったとは…』

舞台の上を美しく、可憐に舞うバレリーナの姿を見ながら、

男性は呆気に取られたような声を上げると、

『………』

黒蛇堂は何も言わずに鏡面の手を動かした。



ガシャッ!

ドアが開く音がまた響き、

今度鏡に映ったのは航空会社の客室添乗員の女性だった。

清楚且つ知的な制服姿の彼女はロッカーの中を不思議そうに覗き込むと、

恐る恐る手を入れ、

青く輝く管や茶褐色の球が連なって出来ている

長い一本の紐のようなモノを取り出した。

「何かしらこれ…

 トンボ球のような」

紐を興味深そうに見ながらそう女性は呟くと、

「あれ?

 あたし…なんだっけ?」

彼女もまた記憶を失ってしまったらしく、

紐を持ちながらオロオロし始めた。

そして、

「!!っ

 あっそうだ

 これをつけないと」

と何かを思い出すと、

イソイソと制服を脱ぎ、

そして、全裸になってしまうと、

自分の腰にその紐を巻いてみせる。

すると、

メリッ

メキッメキメキ!!!

女性の体が縦に引き伸ばされたように引き伸ばされていくと、

ゴリッ

ムリッ!

飾り毛に覆われた股間より

漆黒の肉棒が飛び出し成長をし始めた。

また、色白の肌は見る間に黒く染まっていくと、

身体を柔らかく演出していた脂肪が消え、

張り出してくる筋肉がそれに取って代わる。

さらに、結い上げていた髪の髪留めが外れてしまうと、

手入れの行き届いた髪はバラバラと落ち、

代わりに小さく縮れた髪が女性の頭を覆いつくした。

「あうぅぅぅぉぉぉぉ…!!」

厚く膨れた唇を動かし、

身体を小刻みに動かし始めると、

女性、いや炎熱の大地で野生生活を送るで原始部族の勇者は、

トンボ球の腰紐と共に

その股間に生えた男のシンボルをペチペチと鳴らし始めた。

そして、ロッカーより槍を取り出すと、

「うおぉぉぉっ」

雄たけびを上げながら鏡へと突進してきた。



『なっなんです?

 彼女が変身モノは?』

彼女の変身の意味が理解できなかった男性は黒蛇堂に解説を求めると、

『恐らく…

 どこかの地で出会った原始部族のスタイルに共鳴を受けていたんでしょう。

 それが彼女の意識の奥に刷り込まれて、

 ずっと成長していたのだと』

と黒蛇堂は推測すると、

茶褐色の大地で槍を片手に疾走する勇者の姿を見つめていた。

そして、鏡面の手を動かすと、

ガチャッ!

ドアが開く音が響き、

セーラー服姿の少女が姿を見せる。

『ほぉ、このような少女も…ですか?』

少女の姿を見た途端、男性はそう尋ねると、

『年齢は関係ありません。

 思いの強さにロッカーは反応するのです』

と黒蛇堂は説明する。

「えーと…

 あれ?

 なんか違うなぁ…」

自分の荷物が見当たらないのだろうか、

少女は少し困惑した表情を見せるが、

「あれ?

 あたし…

 なんだっけ…」

これまでの人と同じように少女は記憶を無くしてしまうと、

「えーこれって…」

とロッカーから光る何かを取り出した。

それは一枚の鱗であった。

「これって、どうすればいいのかなぁ」

七色に輝く鱗を手に少女は困惑して見せるが、

「あっそうか、

 こうすればいいのね」

と少女はそう言うと

着ていた制服を脱いで全裸になると、

鱗をへその下に貼り付ける。

すると、

ジワッ

ジワジワジワ…

貼り付けられた鱗の周りから、

花が咲くように次々と鱗が生え始め、

そして、その鱗が少女の下半身を覆い尽くしてしまうと、

「あんっ」

ドタッ!

少女は軽い悲鳴を上げてひっくり返ってしまった。

しばらくの間、少女の姿は鏡から消えるが、

再び少女が姿を見せたとき、

彼女の黒髪は翠色に変色し、

頭の両側からは小ぶりな鰭が左右に2つそそりたっていた。

そして、なにより

少女の足先は扇を広げたような尾びれになっていて、

「えーと」

少女は這いずりながらもロッカーから貝殻のブラを取り出すと、

たわわにゆれる自分の胸に着けてみせる。

「うんっ

 これでいいわっ、

 あたしは人魚。

 人魚だったのよ」

美しい人魚に変身してしまった少女は満足げにそういうと、

「海が呼んでいるわ」

と言うなり、鏡に向かって飛び込んだ。



『人魚に憧れていたのですね、

 この少女は…』

納得をしたような口調で男はそういうと、

『えぇ、

 このほかにも…

 覆面レスラーになったOLや、

 尼僧になった警察官。

 犬になって彼氏に甘える女性など、

 結構ありますね…』

と鏡面の上に置いた手を動かしながら、

黒蛇堂はこのロッカーで変身をしていった人々の履歴を言う。

『はぁ、

 で、変身をした人はどうなったのですか?

 みんなあのままで?』

そんな黒蛇堂に男性はそう尋ねると。

『永遠…はありません。

 願望が尽きれば自然と夢は覚めます。

 そして、それらの願望は全てこのロッカーが引き受けるのですよ』

黒蛇堂はそう説明する。

『夢?

 あの変身は全て夢なのですか?』

それを聞いた男性が聞き返すと、

『えぇ…

 変身は本物の変身ですが、

 でも、心のエネルギーを使い果たして元の姿に戻ったとき、

 確固たる記憶は残りません。

 そう、心地の良い夢を見ていた。

 そんな爽快感が残るだけです』

と黒蛇堂は説明をし、

そして、

クルッ

鏡面の手を時計回りに2回まわして見せる。

すると、

カシャッ!

ロッカーの脇から照準器とトリガーが飛び出すと、

ミァミァミァミァミァ……

何かが蓄積されるような音と共に、

鏡面に光の粒子が集まり始める。

『こっこれは…』

その様子に男は驚きの声を上げると、

『これより、

 ロッカーに溜まった人々の思いのエネルギーの放出を行います。

 エネルギー充填120%

 電影クロスゲージ明度20!

 対ショック対閃光防御。

 発射角修正+2度!』

いつの間にか保護グラスをつけた黒蛇堂はそう叫ぶと、

ロッカーの向きを微調整する。

そして、ロッカーの鏡が店の奥のある一点に向いたとき、

『発射っ!』

の声と共にトリガーを引いた。

すると、

キラッ!

一瞬、鏡が光り輝き、

ズドォォォォン!!!

鏡面より黒蛇堂の店内置く深くに向かって光の帯が真っ直ぐ伸びていくと、

わずかの間、帯は光を迸らせ、

黒蛇堂の中を明るく照らしだす。

そして、

スゥゥゥゥ

余韻を残しながら光は消えてしまうと、

『これでよし。と

 このロッカーのエネルギーコンデンサの放出は終わりました。

 これでまた様々な人の思いを吸い取ることが出来ます。

 その人の秘めた思いを実現させながらね。

 人の秘めた思いとはこれほどのものなんですよ』

と黒蛇堂は笑顔を見せると、

ポンッ!

ロッカーの点検票に”検査終了”の印を押す。

その途端、

グィィン!!!

電子的な起動音を鳴り響かせながら、

ロッカーは緑色に光り輝くと、

スゥゥ…

整備を終えたロッカーは煙のように黒蛇堂の店内から消え、

この世界のどこかで秘めた思いを胸にしまっている人が

扉の取っ手に手を掛けるときをジッと待つのであった。



おわり