風祭文庫・黒蛇堂の館






黒蛇堂奇譚

〜第18話〜
「着物と少年」



作・風祭玲


Vol.563





『黒蛇堂様…』

『なんですか?』

尋ねるように響いた声に

黒蛇堂は窓から差し込む夕日を背にしながら返事をする。

『蔵よりお持ちしてきたそれは?』

『見て判りませんか、

 着物ですよ、

 これは小紋と言って…』

手にしていた着物を大きく広げながら黒蛇堂は説明を始め出すと、

『いえ、

 私が尋ねたいのは…

 なにやら、念が隠っているように感じるのですが…』

『ふふふっ

 判りますか?

 この小紋にはとある因果があるのです。

 そして、その因果に導かれ、

 まもなくお客様が…』

と黒蛇堂が言ったところで、

ギィ…

店と下界とを隔てている重厚な扉がゆっくりと開き始めた。

『どうやら、見えられたようですね。

 …いらっしゃいませ』

その扉が開くのと同時に黒蛇堂は小紋を素早く畳み、

そして、店に入ってくる客を迎える。

この店にお客が来るのは何日ぶりだろうか、

久々に迎える客の姿に黒蛇堂の心が躍る。

「あっあのぅ…」

『はい』

黒蛇堂に入ってきた客は高校生ぐらいの少年であり、

大人の逞しさと子供の幼さ、

この相反する魅力を醸し出しながらモジモジしている。

『なにをお探しで』

黒蛇堂は少年に尋ねると、

「えぇ…」

としか彼は返事をしなかった。

すると、

『お着物はいかがですか、

 お客様…』

黒蛇堂は笑みを浮かべながら尋ねると、

「え?」

彼は少し驚いたような表情を見せ、

黒蛇堂を見る。

『大丈夫ですよ。

 着物に興味がおありなのでしょう?』

そんな彼に黒蛇堂はそう尋ねると、

「えぇ…」

少年はそう返事をしながら顔を赤らめ俯いてしまった。

『はい、それでしたら、

 あなた様にはこれを…

 小紋って言うのですが、

 これなら浴衣とそれほど変わらないし、

 あなた様にピッタリのはずです』

そう言いながら黒蛇堂はさっき畳んだ着物を取りだし、

少年に向けて差し出す。

「え?

 これを?」

『えぇ…どうぞ』

困惑する少年に向かって黒蛇堂は笑みで返すと、

「はっはい…」

顔を思いっきり赤らめつつ少年は小紋を受け取った。

すると、

『それはですね、

 夏の浴衣と違って長襦袢着るのですよ、

 他のいるものはここに揃えておりますので

 ご安心ください』

小紋を受け取った少年に黒蛇堂はそう説明すると、

「でっでも、

 そんなに買えません」

と少年は声を上げた。

すると、

『うふっ

 大丈夫っ

 この店ではお金はいらないのですよ、

 ここにある商品は別の対価で頂くことになっているのです。

 それは、

 願いが叶い、そして満たされ、癒やされたあなたの心、

 その心の重さがこの店のお金…』

と黒蛇堂は告げた。

「ほっ本当に

 お金はいらないんですか」

『えぇ』

「本当に本当なのですか」

『えぇ』

目を輝かせ幾度も尋ねる少年に向かって黒蛇堂は微笑んでいた。

『はい、

 そうですよ、

 あっいまここで着てみますか?』

その少年に黒蛇堂はそう告げ、

そして、

シャッ!

店の奥にある更衣室のカーテンを開けた。

「は、はぁ…」

黒蛇堂に招かれ、

少年はつい従いながら更衣室に入ると、

『はい、

 着ている物を脱いで、

 背中をこっちに向けてください』

と少年の背後に立つ黒蛇堂は告げた。

「はいっ」

黒蛇堂のその言葉に従って

少年は制服を脱ぎ、裸になると、

パサッ

少年に肩に肌着を乗せ、

『これの袖に手を通してください』

と指示をする。

「はい」

その言葉に従い、

少年は肌着の袖に手を通すと、

続いて長襦袢を着せられた。

長襦袢を着終えると、

続いて、浴衣と違って足袋を穿かされた。

可愛い花柄の足袋。

「うわぁぁぁ」

自分の足を包む足袋に少年は目を輝かせ、

そして、一枚一枚着せられていくたびに、

少年の姿勢が綺麗になっていく。

ピンクの小紋を着た後、

帯も締めていくが

浴衣と違い結び方が難しい。

「はぁ…」

半分感心しながら着せられていく。

最後に帯締めを締めると、

ふぅー

と少年は大きく息を吐いた。

『どうでしょうか?』

そんな少年に黒蛇堂が尋ねると、

「え?

 えぇ…」

鏡に映る自分の姿に少年は満足げに見ながら返事をする。

すると、

スッ

そんな少年に黒蛇堂は草履を出すと、

『これを穿いてみてください』

と薦めた。

「あっはいっ」

その言葉に少年は草履を履くと、

『いかがですか?

 その辺を少し歩いてみては?』

そう薦めると、

「このまま?」

と少年は困惑した表情で聞き返した。

『えぇ、

 とっても良くお似合いですよ、
 
 さぁ、どうぞ…』

黒蛇堂はそう言うと、

ギィ…

閉じていた扉を手で開けた。

「あっ

 ありがとう…」

その言葉に送られ、

少年はシズシズと出て行くと、

『あなたの望み…

 確かに叶えてあげましたよ』

と黒蛇堂は囁いた。



『黒蛇堂様…』

そんな黒蛇堂に店の奥から声が響くと、

『なにかしら?』

ドアを閉じながら黒蛇堂は返事をする。

『今回はこれで良いので?』

『えぇ…

 彼はあの小紋に呼ばれていたのです。

 それ故、彼は着物に惹かれ、

 そして、それを身につけた。

 わたしの役目はここまで、

 対価は確かに頂きました。

 この後のことは彼と着物が決めることです』

その声に向かって、黒蛇堂がそう返事をしたとき、

キィ…

閉じたはずのドアが再び開いた。

『いやっしゃ…

 あっ

 …あなたですか』

店に入ってきた客に挨拶をしようとしたものの、

入ってきた人物を見た途端、

黒蛇堂はため息混じりにそう呟く。

『ふんっ

 相変わらず陰の気が満ちあふれた店だ』

長い顎をしゃくり上げながら店に入ってきた男はそう評すると、

『陰の気はお互い様でしょう、

 で、何の用?』

と突き放したように黒蛇堂は言い返す。

『はははは…

 なぁに仕事で近くを寄ったものでな、

 お前の顔を見に来たまでだ』

黒蛇堂のその言葉に男はそう返すと、

『それはそれは、

 ご丁寧に…

 こんな妹の顔で良ければ、

 どうぞ、ご覧になってくださいな、

 お兄様』

と黒蛇堂はそっぽを向いた。

『なにむくれて居るんだ』

『別に…』

『………』

『あっあのぅ』

二人の間に気まずい空気が流れ始めたのを読み、

店の奥から人影が飛び出すと。

『あのぅ、誠に言いにくいのですが、

 黒蛇堂様は最近あなた様が手がけている拡大路線を快く思っていません。

 天界とて同じ見解だとお聞きしておりますが…』

と男に告げた。

すると、

『ふんっ、

 だから何だというのだ。

 この世界は欲望という名のパワーで満ちあふれて居るではないか、

 そして、我々にはその欲望をここの者達の欲望を叶える力がある。

 こういう場こそ、

 我々の力が発揮できると言うもの出はないのか?』

その言葉に男はそう返すと、

バンッ!

『ものにも限度がありますっ』

机を叩く音共に黒蛇堂の怒鳴り声が響き渡った。

『黒蛇堂様…』

『なにぃっ』

『わたしがこの店を作ったのは、

 満たされない思いに押しつぶされそうな人達の

 お手伝いになればと言う思いです』

『ほほぅ…』

『そのような人達の願いが叶い、

 そして、満たされ、癒やされていく心。

 それがわたしにとってかけがいのないものなのです。

 お兄様の手当たり次第バラ撒くのとはわけが違います』

『ははははっ

 なかなか言うではないか、

 お前のいまの言葉は兄への忠告として受け取っておこう…

 ふふっ、

 あの小娘だったお前が言うようになったな…』

『悪いですかっ』

『まぁいい…

 さて、妹の元気な顔も見たことだし、

 これで引き上げるとするか』

なおも睨み付ける黒蛇堂を一瞥し男は背を向けると、

ふと立ち止まり、

『あぁそうだ、

 お前こそ俺の心配をしている暇なんてないぞ、

 なにしろついこの間、

 お前の影がこの世界に降り立ったんだからな。

 ふふっ

 あまり派手なケンカはするなよ、

 俺の商売に影響が出る。

 まっこれでも付けて和んでおけ、

 いま評判のネコミミカチューシャだ』

そう言い残すと、

ヒョイ

男はネコミミカチューシャを黒蛇堂に向けて放った。

『ちょちょっと待って、

 いまなんて言ったの』

男のその言葉に黒蛇堂は驚きながら後を追うとしたが、

しかし、

ギィ…

店の扉は閉まり男の姿は消えていた後だった。

『そんな…

 あたしの影がここに…』

男が残した言葉に黒蛇堂はショックを受け

カタン…

その手からカチューシャが滑り落ちる。

『黒蛇堂様?』

『そんな…ホワイトが…どうして』



ヒュオォォォ…

黒蛇堂の場所からそう遠くない山の上、

『ふんっ、

 ここが私の影が居る世界か』

純白の白髪に碧眼、

そして、白い装束を纏った少女が降り立つと、

眼下に見える街を一目見るなりそう呟く、

『さぁて、

 その仕事ぶりを見て見ようではないか、

 ブラック…』



おわり