風祭文庫・黒蛇堂の館






黒蛇堂奇譚

〜第8話〜
「保奈美の悩み」



作・風祭玲


Vol.434





「はぁ…」

よく晴れ渡ったある秋の休日、

商店街を歩くメイド服姿の少女の口から思わずため息が漏れる。

那須野保奈美…

この春に高校を卒業した彼女は就職をした人材派遣会社より

この商店街の先にある旧家にメイドとして派遣されて、

すでに数ヶ月が過ぎていた。

「はぁ

 武彦様も困ったものですわ…

 さて、どうしましょうか」

買い物を終えた保奈美は思案顔でそう呟くと、

「あっ!!」

点滅を始めた歩行者用信号が眼に入るや否や、

慌てて駆け出しはじめた。

「あそこの信号は、赤が長いのよね」

走る理由をそう呟きながら保奈美の足は次第に全速力で走り始め、

その一方で、

チカチカチカ

そんな保奈美を誘うかのように信号は点滅を続けた。

「よしっ

 いける!!」

最終判断を下した保奈美は点滅する信号に吸い寄せられるように横断歩道を渡り始めた。

とそのとき、

ギャァァァ!!

突然、ブレーキ音が響き渡ると、

彼女の視界に見る見る赤いクルマが迫ってくるのが入ってきた。

「しまった!!!」

後悔しても遅かった。

見る見る迫ってくるクルマに保奈美は臆すると、

その場に立ち止まり体を庇うように手を上げた。

「くっ」

身構えた途端、これまでのことが走馬灯の様に彼女の頭の中をよぎっていく。

とそのとき、

『ほらっ

 何をしているの、
 
 そんなところに立っていては邪魔でしょう。
 
 さっさと渡って』

身構える保奈美の耳に急かすような声が突然響き渡ると、

フワッ

いきなり彼女の体が浮き上がると、

一気に反対側へと連れて行かれた。

ゴワァァァァ!!!

「馬鹿野郎!!

 死にたいのか!!」

エンジン音と共にドライバーの罵声が響き渡る中、

「え?

 あっあれ?」

保奈美はキョトンとしていると、

『気をつけなさい』

という声と共に年は中高生くらいながらも

魔女のような黒尽くめの衣装を身にまとった少女がそう注意をすると、

ポンと保奈美の肩を叩いた。

「あっ(ムカッ)」

助けてもらったとはいえ

自分よりも年下の少女にまるで子ども扱いされたことに保奈美は少しムカつくが、

しかし、それを飲み込みながら、

「あっありがとうございました」

と頭を下げると、

ニコッ

少女は意味深な笑みを浮かべ立ち去っていった。

「なによっ」

そんな少女の後姿を見ながら、

保奈美はそう呟いて立ち去ろうとした時

「!」

なぜか少女のことが気に掛かり、

スッ

その足は自然と少女の後を追い始めた。

理由は特に無かった。

ただなんとなく…

いや、彼女ならいま自分が抱えている悩みを何とかしてくれるのでは?

そんな気持ちで保奈美は少女の後を追っていくと、

やがて、少女はとある建物の中に消えていった。

「黒蛇堂?」

古びたレンガ造りの建物に掛かる看板を見ながら保奈美はそう呟くと、

「お店みたいだけど…

 でも、こんなところにこんな店ってあったっけ?」

と首をひねる。

この町に来てまだ数ヶ月とはいえども、

メイドとして働きはじめて数ヶ月、

この界隈のことは粗方頭に入っていたはずであった。

しかし、目の前に建つ黒蛇堂の家屋のことは保奈美の記憶には入っていなかった。

「見落としていたのね、

 きっと」

そう思いながら保奈美が重厚なドアに手をかけようとしたとき、

キィ…

まるで保奈美を招き入れるかのようにドアはひとりでに開き、

「きゃっ」

バランスを崩した保奈美は小さく悲鳴を上げながら黒蛇堂の中へと入っていった。



「わっわっわっ」

バタバタ!!

前につんのめりながらも何とか体制を立て直すと、

「え?

 ここは?」

保奈美の目の前には等間隔にキチッと整列する棚と

その棚の上には今古東西様々なものが置かれ、

まるで博物館の資料室を思わせる佇まいであった。

「すっごーぃ」

感心しながら興味深そうに保奈美が棚に置かれているものを眺めていると、

『ようこそ、

 黒蛇堂へ』

と言う声と共にあの少女が保奈美の前に姿を見せた。

腰まで伸びる長い髪に黒染めの衣装…

街で見たときとはまるで印象が異なる。

「え?

 あっ」

まるで蛇に睨まれた蛙のように保奈美は立ち尽くすと、

「あっ

 ごっごめんなさい。
 
 しっ失礼します」

硬直した空間を突き破るかのように保奈美はそう声を張り上げると、

回れ右をして黒蛇堂から出て行こうとした。

すると、

『保奈美さんが欲しているものは

 ここにありますわ』
 
と少女の声が響き渡った。

「え?」

その声に保奈美の足がピタリと止まると、

クルリと振り返った。

『ふふ…』

そんな保奈美を見据え黒蛇堂は笑みを浮かべると、

『あなた…

 仕事が上手く行ってないようですわね。
 
 で、その源は一人の青年…にありますね』

「どうしてそれを…」

『ふふ…

 わたしにはあなたのことが手にとるようにわかります』

「わかる?」

『はいっ

 那須野保奈美さん。
 
 人材派遣会社よりこの街にある旧家・城之崎家にメイドとして派遣。
 
 しかし、世話を任された城之崎家の跡取り城之崎武彦には
 
 生身の女性を毛嫌いし、
 
 人形のみに心を許すという癖があり、
 
 難渋している…
 
 ですわよね』

「うっ

 どうしてそこまで」

少女にズバリ現状を指摘され保奈美は返す言葉が無かった。

そして、少女を指差しながら

「あっ

 あなたは誰なの?
 
 なんでそこまで知っているのよ!!」

と叫ぶと、

『私の名前は黒蛇堂…

 この店の屋号と同じ…
 
 そして、この店に入った者の悩みはわたしの心に流れ込んできます。
 
 もっとも、あなたの場合、
 
 あの交差点で判りましたが…』

「あっ」

黒蛇堂に交差点でのことを持ち出され保奈美は恥ずかしさから顔を赤らめる。

そして、その気恥ずかしい状態から逃げ出そうと、

「あっ

 あたしの悩みを解決してくれると言うけど、
 
 何かあるの?」

と気丈に返事をすると、

ニコッ

黒蛇堂は笑みを浮かべ、

コトッ

傍の棚からあるものを取り出すと、

『これを…』

と言って差し出した。

「?」

保奈美は差し出されたものを首かしげながら受け取ると、

それは保奈美が幼少の頃にあそんだミカちゃん人形であった。

「ミカちゃん…じゃない…」

懐かしいようなそんな気持ちで人形を眺めながら保奈美は声を上げると、

『その人形に願を掛けなさい。
 
 そうすればあなたの道は開けると思います』

「はぁ?」

黒蛇堂の返事に保奈美はそう返す。

すると、

『ふふ

 大丈夫、
 
 あなたは彼にとって大切な女性になれますわ』

「そっそう?

(この人形で武彦さまのご機嫌を取れって言うのかしら

 まぁ、確かにそれも手かもね…)

 じゃぁ貰っていくね。
 
 あっそうだ、御代って…
 
 …これ御代取るの?」

ミカちゃん人形を見ながら保奈美がそう呟くと、

『御代はいりません、
 
 ただ、あなたの幸福を御代代わりに少し頂きます』

「私の幸福?

 いいわっ

 私の幸福でよければ分けてあげるけど、
 
 でも、分けることが出来るの?」

『はいっ』

保奈美の疑問に黒蛇堂は笑顔で答えた。



『よろしいのですか?

 黒蛇堂さま

 あれは、この星の者には合わないといって返品するものでは?』

『そうですわね…』

『そうですわね。と申されますと?』

『ふふ…

 今度は大丈夫でしょう…』

『はぁ…

 まぁ黒蛇堂さまがそうおっしゃるおなら…』

保奈美が立ち去った黒蛇堂のなかでそんな会話が響き渡るが、

しかし、それらの声は立ち去った保奈美の耳には入ることはなかった。



「ただいま戻りました」

広大な城之崎家の屋敷内に保奈美の声が響き渡るが

「………」

しかし、彼女の声に返事は無かった。

「あっあれ?」

返事が返ってこないことに首をかしげながら他のメイドたちが詰めている部屋へ行くと、

”那須野さんへ

 支店からの呼び出しがありそちらに向かいます。
 
 夕方には戻りますので
 
 武彦さまのお世話をお願いいたします。”

とメイドたちを取り仕切る大木光恵の文字が白板に書かれていた。

「なんだ、

 誰もいないのか…」

買い物袋を床に置きながら保奈美はそう呟き、

チラリと時計を見ると、

「そろそろ

 お昼か
 
 食べるかどうか判らないけど、
 
 武彦さまにお昼御飯を持って行きますか」

と言いながらテキパキを昼食を作ると、

武彦のいる部屋へと向かっていった。



「はぁ

 気さくな旦那様はに
 
 やさしい奥様…
 
 まったくこんなに恵まれているのに
 
 なんであぁいう息子が出来るのかなぁ…」
 
カチャカチャ

盆に載せた武彦の昼食の音を響かせながら、

彼の部屋の前に立つと、

そこには”女人禁制”の張り紙が堂々と張ってあった。

「もぅ!」

バリッ!!

まるで嫌味のごとく張ってある張り紙を保奈美は破ると、

コンコン!!

ドアをノックし、

「那須野ですっ

 昼食を持ってきました
 
 入ります。」

と怒鳴るように声を上げ、

ガチャッ

持っていた合鍵でドアを開けると部屋の中に入っていった。

その途端

「誰が入って良いと言った!!」

若い男性の怒鳴り声が響き渡ると、

ダッ

禁を破られたことに腹を立てた武彦が保奈美の前に立ちはだかった。

しかし、

ドンッ!!

保奈美は臆することなく昼食を傍のテーブルの上に置き、

年は保奈美より1歳年上の武彦を睨みながら、

「私は武彦さまのお世話を任されているのです。

 奥様や旦那様からも許可を頂いているので合鍵を使わせてもらいました」

と語尾を強くしながらそういった。

「なに?」

保奈美の言葉に武彦が迫ってくるが、

「負けるかっ」

その気構えで保奈美は武彦を睨み返す。

すると、

「ん?」

武彦の表情が突然変わると、

「おいっ、

 それはなんだ?」

と保奈美の胸ポケットを指差した。

「なにって

 あっ」

保奈美の胸ポケットには黒蛇堂で貰ったミカちゃん人形が入っていて、

ポケットの中からその頭が覗いていたのであった。

「見せろ!」

「駄目ッ」

「見せろって」

「駄目です!!」

保奈美はこのミカちゃん人形を渡すつもりであったが、

しかし、強引な武彦の言葉に反射的に拒否してしまうと、

それを見た武彦は力ずくで保奈美からそれを取り上げようとする。

「良いから見せろ」

「いやっ」

壁に飾られた沢山の人形が見下ろす中、

武彦と保奈美の攻防が続く、

そして、全身の力を込めて

ドン!!

っと武彦を突き飛ばすと、

「そんなに人形が良いのですか、

 だったら、あたしも人形になった方が武彦さんのお世話が出来ますね」
 
と叫び声をあげた。

そのとき、

カッ!!!

突然、胸ポケットのミカちゃん人形が光り輝くと、

フッ!!

保奈美の胸ポケットから姿を消してしまった。

「え?」

いきなり消えてしまったミカちゃん人形に保奈美は驚くが、

しかし、本当に驚くのはその後だった。

パキパキパキ!!!

何かが硬化していくような音が保奈美の足元から響き渡ると、

彼女の足が見る見る光沢を放ち始め、

それが上へ上へと上り始めだした。

「へ?

 なっなに?
 
 なんなの?」

硬くなっていく足に保奈美は悲鳴を上げるが、

その一方で武彦は唖然としながら目の前の事態を眺めていた。

「いやっ

 助けて!!
 
 武彦さま!」

パキパキ!!

プラスチックの輝きを見せる両手を見ながら保奈美は声を上げ、

そして武彦にすがろうとするが、

ゴトン!

ゴトン!!

すでに人形の脚となってしまった保奈美の脚は思うように動かず、

グラッ!!

「きゃっ!!」

バランスを崩すとその場に崩れるように倒れてしまった。

「だっ大丈夫か?」

その様子に武彦が呪縛を解かれたかのように駆け寄ると、

硬いプラスチックの腕となった保奈美の手を握りしめた。

「あっ

 武彦さま…」

パキパキ

ふくよかなだった乳房も硬いプラスチックの盛り上がりとなって

メイド服を押し上げるとさらに首の周りも光沢を放ちはじめた。

「おっおい、

 いったい…」

事の事態が飲み込めないまま武彦は人形と化していく保奈美を眺めていた。

「あっいっいやっ

 にっ人形…なんかに

 な・り・た・く・な・い…」

その言葉を残して保奈美の口はプラスチックの輝きを放ち始めた。



キッキッキ…

「うっ動けるか?」

『え・え・ぇ…』

数日後…

寝台から起き上がった保奈美はプラスチックの関節を鳴らしながらゆっくりと起き上がる。

コトッ

光沢を放つ足先がゆっくりと床に着くと

グググググ…

保奈美は体を震わせながら寝台から下り立ち上がった。

「無理はするな…

 ゆっくり
 
 ゆっくり
 
 な…」

まるで大事なもの労わるかのように武彦は保奈美に声をかける。

この数日間、

武彦は人形となってしまった保奈美の体を磨きあげ

そして、何とか自力で立ち上がれるようにまで関節の手入れをしたのであった。

無論、あの日、目の前で起きたことは信じられなかった。

しかし、人形となってしまった保奈美は死んではなく、

また、意識もあることに気づくと

彼女の身体を動けるようにひたすら手入れを続けたのであった。

『や・や・さ・し・い・の・で・す・ね』

「いやっ

 そんなわけでは」

『わ・た・し・が・人・形・に・な・っ・た・か・ら…で・す・か?』

「うっ

 そう言うわけでは…」

『・い・い・の・で・す・よ、

 こ・う・し・て・武・彦・様・に・大・事・に・し・て・く・れ・る・だ・な・ん・て、
 
 あ・た・し・は…嬉・し・い・で・す』

「そっそうか?」

『は・いっ』

そのとき初めて保奈美は武彦と心を通わせることが出来たような気がしていた。



おわり