風祭文庫・黒蛇堂の館






黒蛇堂奇譚

〜第5話〜
「悩み解消法」
(レスラーの館「祐太朗の悩み」より)


作・風祭玲

Vol.431





ワーァァァ

「回せッ」

「ほらそこだっ」

「食らいつけ!!」

そんな声に押されながら、

俺は勢いをつけ正面に迫ってきた対戦相手に喰らい付いた。

「くそっ」

「このっ」

キュッキュッ!!

シューズの音を鳴らしながら、

俺は迫ってくる対戦相手の後ろに回ろうとするが、

しかし、相手も俺の動きを牽制しながら俺の後ろに回ろうとする。

バッ

パシッ

常に先手を打ってくる相手に対して俺はその先を読み攻撃を仕掛ける。

トンッ

マットにタイムバトンが放り投げられた。

俺に与えられた試合時間を確実に消化している証だ。

「くそっ」

開始早々相手にポイントを取られているだけに、

このまま時間が尽きてしまえば俺の負けだ。

「何とかしなければ…」

心の中に湧いてくる焦りの気持ちを押し込みながら俺は攻める機会を探した。

と、その時、

スッ

相手の左腕が微かに下がった。

「シメタ!!」

そのチャンスを見逃すことなく、

俺はその左腕に食らい付くと、

左側から一気に相手の後ろ側に回り込み腰を落とし、

「くおのっ!!」

思いっきり相手を抱えあげた。

フワッ

相手の脚が床から浮かび上がる。

「いけー」

持ち上げられ焦る相手を俺は構わず倒すと2回、3回と振り回した。

ブーッ

と同時に、試合終了のブザーが鳴り響く、

その音に俺は起きあがると、

スッ

俺の腕が高く掲げられた。

「勝ったのか…俺は…」

ガックリと項垂れる対戦相手を見た俺はそう感じ取ると、

「よっしゃぁ!!」

と大声を張り上げた。




タタン・タタ・タタン

タタン・タタ・タタン

「んっあれ?」

ハッと目を覚ますと、

俺は通勤電車の座席に座った状態で右手を高く掲げていた。

と同時に、

「え?

 あっ」

周囲の視線を一身に浴びていることに気づくと、

「どっどうも…」

そう言って誤魔化しながら俺は大人しく腕を下げる。

オホンっ

誰がしたのかは知らないが咳払いが一つ響き渡る。

「またこの夢かぁ…」

俺は顔を赤くしながら背もたれに寄りかかるとそう呟いた。

そう、この夢は就職をしてからこっち、よく見る夢だった。



俺の名前は赤城祐太朗、

とあるコンサルタント会社に勤めて4年目になるサラリーマンだ。

ぱっ見た目はどこにでも居るリーマンなのだが、

これでも学生時代にはアマチュアレスリングに打ち込み、

そこそこの成績を残すことが出来たんだけど、

でも、その経験が社会で生かされることはあまりなかった。

まぁ強いて言えば、

酒が強いのと先輩仕込みの芸が宴会で上司ウケするくらいか…



「え?…

 プレゼンは11時からですか?」

時間前に待ち合わせ場所に着いたものの、

しかし、なかなかメンバーが集まらないことに俺は会社に電話を掛けると、

電話口に出た同僚は集合時刻が変更になっていることを俺に知らせた。

『いいじゃないか、

 その辺の喫茶店でノンビリ時間でも潰していろよ』

と同僚は笑いながら言うが、

しかし、俺は仕事前にノンビリするのはどうに性に合わなかった。



『なんだ、赤城っ

 試合前にそんなに息を上げてはダメだぞ』

『いえっ

 こうしていた方が試合に集中できるんです』

試合前、

身体から湯気を上げながら体を動かし続ける俺に

あきれ顔でそう言ったコーチの言葉が頭をよぎる。

「さて、どうしようか…」

まさか駅前でプレゼンの資料を広げるわけにも行かず、

取りあえず落ち着けるところを探しながら俺は歩き始める。

とその時、

「アマチュアレスリング・新人戦」

と言う垂れ幕が駅前のロータリーに掲げられているのが俺の目に入ってきた。

「そうか…

 この駅は…あの体育館の最寄り駅だっけ」

この駅が学生時代レスリングの試合でちょくちょく乗り降りしていたことを思い出すと、

ふと周囲を見回した。

すると、

「おーしっ集まったかぁ…」

「うぃーす」

お揃いのトレーニングウェアに大きなスポーツバックを抱えた集団が、

駅のあちらこちらに屯していた。

「あはは、

 いるいる…」

間違いなく大会に出場する選手達だった。

無骨そうな顔をした男達を眺めながら俺は思わず笑みを浮かべると、

「がんばれよ」

っと呟いた。

すると、

「あっちょっと待ってください」

女の子の声が響き渡ると、

同じトレーニングウェアに身を包んだ女子が数名走り抜けていった。

「ん?マネージャか?」

彼女達のその姿に俺は首を捻りながらそう思ったが、

しかし、彼女たちから漂ってくる雰囲気は明らかに選手の物と同じだった。

「そういえば、

 最近、女子のアマレスラーが増えているって話を聞いたが、

 はぁ、こういう大会にも出場をするのか…」

そう思いながら俺は彼女達に声をかけようとしたが、

「いかんいかん

 このクセは止めなければな」

俺は頭を振り、上げかけた手を下ろした。

そして再び歩いていくと、

「!」

とある一軒の古風な店が俺の目に留まった。

「黒蛇堂?」

怪訝そうな目で俺はレトロなレンガ造りの店にかかる看板をひと目見た後、

「ほぉ…

 骨董屋かな?」

と呟きながらその前を通り過ぎようとしたが、

ピクッ

その店から漂ってくる空気に何かが俺の心の奥に引っかかると、

ピタッ

俺の脚はその場で止まってしまった。

そして、振り返ると、

「まぁいいやっ

 ちょっと暇つぶしに覗いてみるか」

と自分なりの理由を見つけると、

キィ…

「黒蛇堂」と書かれている重い木のドアを押した。



「こっここは…」

キィ…

ドアは見た目の重厚さとは思えないくらいに軽く開くと、

ゴワッ…

その瞬間、俺は無数の星が瞬く宇宙空間に立っていた。

「なんだ?

 これ?」

予想もしていない事態に

俺は入ってきたドアを手探りで探そうとしたものの

しかし、入り口から一歩も動いていないはずにも関わらず、

俺の真後ろには入ってきたドアは存在していなかった。

「バカな…」

振り返って後ろにドアがないことに俺が驚くと、

『ようこそ黒蛇堂へ』

鈴の音のような澄み渡った女性の声が響き渡った。

「!!」

サッ

その声に俺は反射的に足を開き腰を落すタックルの構えをする。

『そんなに警戒をしないでください、

 赤城祐太朗さん』

女性の声はまだ名乗っていない俺の名前をそう告げると、

「なっどうして俺の名前を…」

俺は姿が見えない女性に向かって即座に聞き返した、

すると、

『ここは、黒蛇堂…

 あなたがここに入った途端、
 
 わたしにはあなたが誰なのか、
 
 そして、なにを必要としているのか判りますよ』

と説明をしながら、

コツコツコツ

足音をたてながら一人の女性…

いや、少女が姿を見せた。

「なっ

 おっ女の子?」

腰まで伸ばした髪を棚引かせながら、

一見、14・5歳と思われる少女が黒衣を軽く羽織った姿で俺の前に立つと、

スッ

氷のナイフを連想させるその眼で俺を見据えた。

ゾクッ


その瞬間、俺の背筋に冷たいものが走ると、

「本当に少女なのか?」

と俺は彼女の顔をまじまじと眺める。

すると、少女は腰を下ろし、

まるで見えない椅子に座るかのような姿勢をすると、

『ようこそ、

 わたしは店長の黒蛇堂と言います』

と俺に自己紹介をすると薄っすらと笑みを浮かべた。

「………」

『まぁ、そんなに睨まないでください。

 私はあなたの見方ですよ』

黒蛇堂はなおも構えを崩さない俺にそう告げると、

俺は警戒しつつゆっくりと起きあがった。

すると、

『さっ、そこにお掛けになってください』

起き上がった俺に黒蛇堂がそう言った途端、

ツン

俺の脚の後ろにイスの感触を感じた。

「椅子?

 いつの間に…」

そう思いながら

ドサッ

俺は無言のままイスに腰掛けると、

『さて、

 赤城さんは心の中に燻っている物を抱えていますね』

俺がイスに座った途端、黒蛇堂は俺に向かってそう告げる。

「え?、燻っている?」

黒蛇堂の言葉に俺は思わず聞き返すと、

『はいっ

 あなた自身は気づいていないと思いますが、
 
 あなたの心の奥、
 
 そう、ちょうど真ん中から少し右側のところで、
 
 ジリジリと燻っている物があります。
 
 それがあるために幾ら仕事をこなしても達成感を感じることなく、
 
 そして、先ほど見たような夢を見るのです』

と答えた。

「なんで、夢の事まで知っているんだ!!」

夢のことを指摘された俺は思わず黒蛇堂に食ってかかると、

『ですから、私にはあなたの心の中はすべて見えています』

黒蛇堂は冷静な目で俺にそう告げる。

「ふぅ…

 そうですか」

彼女のその言葉に俺はイスに座り直すと、

「あぁ、確かに心の中にモヤモヤはあるよ、

 いろんな事があるからね」

半ばヤケ気味に俺はそう返事をした。

『ならば解消してみれば如何ですか?』

俺の言葉に黒蛇堂はそう返すと、

「解消?

 どうやって?

 まさか体を動かすのが一番ですよ…

 なんて言うのか?」

軽蔑した視線で黒蛇堂を見ながら俺はそう返事をした。

『そうですねぇ

 まぁ、それが一番かも知れませんが、

 でも、あなたはレスリングをおやりになっていたのですよね』

「あぁそうだよっ

 インカレで準優勝!!
 
 俺の勲章さ」

『でも、本音は満足をしていない』

「まぁな…

 最後で負けちゃったからな」

『もう一度やって見ますか?』

「はぁ、何をいってんだ?

 俺がもう一回、吊りパンを着て社会人レスリングをしろとでも言うのか」

『いえ社会人では、あなたの心は晴れないでしょう。

 学生でするのです。

 そうすればあなたの心は晴れ渡ります』

黒蛇堂は俺に向かってキッパリとそう告げた。

「あのなぁ、心眼さん。

 俺は会社員なのっ

 サラリーマンなのっ

 そんな時間なんて無いし、

 大体、学生と混じってレスリングなんて出来る分けないでしょう?」

呆れた口調で俺はそう言うと、

『そうですか?』

黒蛇堂はスッと立ち上がると棚から小さなクスリ瓶と思われるモノを取り出すと、

『これを、あなたに差し上げます』

と言いながら黒蛇堂は俺にクスリ瓶を手渡した。

「これは?」

瓶を片手に俺は尋ねると、

黒蛇堂は俺の傍に立ち、そして俺の肩に手を乗せた。

『それはあなたの満たされない思いを満たすためのクスリです

 いまのままで構わないと思うのなら捨ててください。
 
 でも、もしも…
 
 その思いを成し遂げてみたいと思うのなら飲んでみてください』

と薬瓶を指差しそう告げた。

ゴクリ…

クスリを目の前にして俺は喉を鳴らすと、

『御代は要りません、

 貴方の願いが満たされれば、それで結構で御座います。ただ…』

「ただ?」

『その薬は確かに赤城さん、あなたにもぅ一度チャンスを与えてくれますが、

 そのとき、あなたの心の中に邪なものがありますと

 あなたを違った世界へと導いて仕舞います。

 使用の際にはご注意を……』

と告げた。

「判ったよ、

 だまされたと思ってこの薬は貰っていくよ」

黒蛇堂の忠告に俺はそう返事をすると、

ポン

早速薬の封を開け、

グィ

っと飲み干した。

その途端、

グルリ…

俺の周囲で瞬いている星が一瞬回ったかと思うと、

ストン!!

「え?

 うわぁぁぁ」

俺の身体は一気に真下に向かって落ちた。



ゴォォォォォォ!!!


まるで電車が走るガード下のような轟音が俺の耳に響き渡り、

その中を俺はひたすら落ちていった。

「なんだよぉ

 これは!!」

もがきながら叫び声をあげると、

「あぁ…

 こんな目に会うのなら、
 
 やっぱ、あの娘たちに声をかければよかった」

と思わず叫ぶと

パシーン!!

俺の周囲に白い光が走った。

そしてその途端、

着ていたスーツが解けるように消え、

変わりに色鮮やかなシングレットが俺の身体に身につけられた。

しかし、そのシングレットは俺の現役時代とは違い、

どちらかというと女子のレオタードに近いものだった。

「なっ何だ?これは?」

自分の身体を覆うシングレットの違いに俺は驚いていると、

ピクッ

ムリムリムリ

突然、俺の胸に左右2つの膨らみが盛り上がり始めると、

ググググ…

腰が張り出し、

ウェストがくびれていく、

「やっやだ」

その光景に俺は思わず両手で胸と股間を隠すと、

コリッ

硬くなった乳首が俺の手のひらを刺激する。

「あっ」

ビクンっ

その感覚に俺は思わず声を漏らすが、

しかし、俺の体の変化はそれだけではなく、

シュルルル…

股間から俺の逸物が消えてしまうと、

その後には縦筋が姿を見せる。

「やっいやぁぁぁ!!」

自分の変化に俺は悲鳴を上げるが、

しかし、その声も少女を思わせるものに変化していた。

「あぁ…

 なんだ?

 かっ体が女の子になっていくぅ!!!」

俺は見る見る変わっていく身体を感じながら

ポッ

落ちていく先に見えてきた光点へと向かっていった。



「…さんっ

 赤城さん!!」

ハッ

呼びかけられる声に俺はハッと気がつくとすぐさま周囲を見た。

「ここは?」

ざわざわ…

すると俺が居るところはどこかの更衣室のようだった。

「更衣室?」

そう思いながら振り返ると、

「えっ!!!」

俺は思わず目を丸くして驚いた。

「何を驚いているの?」

「ほらっ、もぅスグあたし達の試合よ」

俺の目の前にはシングレットに身を包んだ女の子たちが呆れた表情で立っていた。

「え?

 あっあのぅ」

俺は目のやり場に困りながらそう訊ねようとすると、

「どうしたの?さっきから」

「緊張しているの?」

「もぅしっかりしてよねっ」

女の子達は口々にそう言うと俺の背中を叩いた。

「いっ一体…どうなっているんだ?」

突然の環境の変化に俺は驚きながら改めて周囲を眺めると、

「んなにぃ!!」

俺の周囲には着替え途中の女の子達が俺を見ていた。

「うわぁぁぁ…

 ここって女子更衣室!?」

俺はいま自分が女子更衣室の中に居ることに気がつくと、

「すっすみませーん」

と声を上げて更衣室から飛び出し、

そのまま男子トイレへと駆け込んだ。

「うわぁぁぁ」

男子トイレに駆け込んできた俺の姿を見るなり用を足していた男性達は一斉に慌て始める。

「なっなんだ?」

その様子に俺は訝しげながらふと洗面所の鏡を見ると、

「ん何ぃ!!!」

鏡に映し出された自分の姿に思わず呆然としてしまった。

そう、鏡に映し出された俺の姿は

顔に俺の面影を残しているものの、

しかし、首から下には2つの膨らみを持った胸に、

くびれた腰、

そして、ツルンとした股間をさらけ出したシングレット姿の女性が映し出されていた。

「うっうそ!!」

その光景に俺は慌てて股間に手を差し伸べてみるが、

しかし、

「なっ無い!!」

俺の手には股間にあったはずの男のシンボルの感覚はなく、

代わりに一直線の溝があることを俺に伝えてくる、

「そんな…おっ俺…女になっている…」

ヘタリ…

俺のその場に崩れるように座り込むと、

「ちょっと、

 赤城さんっ
 
 そんなところで何をしているの」

と叫びながら女子選手達が入ってくるなり

俺の腕を掴みあげると試合会場まで引きずっていった。

そして、

「いい加減にしてくださいっ

 初めての試合で緊張しているのは判りますが、

 これ以上、変な行動をすれば帰って貰いますからね」

試合会場の隅でリーダー格と思える女子が俺に向かってそう怒鳴ると、

「まぁまぁ

 この試合頑張ろうね」

別の女子が俺にそう言いながら呆然としている俺の手を握ると

次々とその上に手が重ねられた。

そして、

「○×大学ぅぅぅ

 ファイトォ!!」

と叫んでシングレット姿の女子選手達はそう言って気合いを入れると、

それぞれの階級の試合が行われる所へと向かっていった。

「一体…何が…

 おっ俺は男だったんだぞ…

 そんな…

 いっ一体、どういうこと

 れっ黒蛇堂さん
 
 説明してくれよ」

女子選手になった俺は目の前で繰り広げている試合を見ながらそう呟いていた。



『はやり…

 彼の心の中の雑念が彼を女子選手として生きる世界に連れて行ってまいましたね…』

『返品ですか?、黒蛇堂様』

『えぇ…

 残念ですがこの薬は人間には少々早すぎるようです。

 手続きをお願いします』
 
『畏まりました…』




おわり