風祭文庫・黒蛇堂の館






黒蛇堂奇譚

〜第3話〜
「プールの人魚」
(人魚の館「鱗」より)


作・風祭玲

Vol.429





「吉田、またタイムが落ちているぞ!!」

400メートルを泳ぎきり、

プールから上がってきた競泳パンツ姿の部員・吉田俊介に

彼にタイムを計っていたコーチが注意をすると、

「はぁ」

コーチから注意を受けた俊介は力の無い返事をする。

「なんだ、どうした、

 その気の抜けた返事は!!

 いつものお前らしくないぞっ

 このままでは今度の大会からのメンバーから外れて貰うことになるぞ」

俊介の返事にコーチは怒鳴り声を上げるが、

「………」

肝心の俊介は何も言わずにタオルを取るとスタスタと更衣室へと行ってしまった。

「おい、吉田」

「よせ」

彼のその行動にほかの部員が追いかけようとするのをコーチが止め、

「これは、あいつ自身の問題だ、

 あいつが解決しなければ何もならない」

と言うと、プールから出ていく俊介の後ろ姿を眺めていた。



ガンッ

「くっそぉ」

更衣室に戻った俊介は思いきりロッカーをけ飛ばした。

彼自身、いま自分が大会を控えてスランプに陥っていることは十分に判っていた。

しかし、藻掻けば藻掻くほど泥沼に陥っていく自分の姿に苛立っていた。

「駄目だ駄目だ駄目だ」

俊介は自分の頭をくしゃくしゃにすると、

「はぁ」

っと大きなため息を吐いた。



「どうすりゃぁいいんだ、このままでは俺は」

帰宅途中、俊介は常にそのことを考えていた。

すると、

「ん?

 こんなところに店?」

彼の行く手に一軒のレトロなレンガ造りの店が商いをしていた。

「おっかしいなぁ…

 確かここは空き地だったはず…」

そう思いながら黒蛇堂をかかれた重厚な扉に手をかけたとたん、

ギィ…

まるで俊介を引きずり込むように扉が開くと、

「うわっ」

俊介は悲鳴を上げながら黒蛇堂の中へと引き込まれていった。



『いらっしゃいませ、

 ようこそ、黒蛇堂へ』

黒蛇堂の店内に脚を踏み入れた俊介に少女を思わせる声が響き渡った

「うわっ」

その声に俊介が驚くと、

彼の正面に黒く長い髪を流し、

魔女を思わせる黒服を着た14・5歳の少女が立っていた。

「え?

 あのぅ
 
 ここの店の子?」

見た目は自分より年下だが、

しかし、年の割には妖美な眼に俊介は引き込まれそうになりながら尋ねると、

『はいっ、黒蛇堂と申します』

と少女は返事をした。

「あっ

 そう…
 
(うわっ、

 なんか近づきにくい感じだなぁ)」

黒蛇堂の返事に俊介はそう思いながらあいまいな返事をすると、

『この店はあなたが必要としているものをふんだんに取り揃えております、

 そうですね、
 
 いまのあなたに必要なのはこれでしょうか?』

黒蛇堂はその妖美な眼で俊介を見据えながらそう告げると、

商品が置かれた棚から一枚の紙の様なものを取り出し俊介に差し出した。

「これは?」

差し出されたものを見ながら俊介はその素性を尋ねると、

『これは…

 人魚の鱗です』

ニッ

黒蛇堂は笑みを浮かべながら説明をした。

「人魚の鱗?」

『えぇそうです。

 この人魚の鱗を身に着けたものは、
 
 人魚の霊力により溺れることは無く、
 
 そして魚の様に早く泳げるようになれます。
 
 どうです?
 
 いまのあなたにはきわめて有用だと思いますが』

「………」

手にしている物が人魚の鱗と説明された俊介はそれを見つめたのち、

「これ…

 もらえますか?」

と黒蛇堂に告げた。



タッタッタ!!!

黒蛇堂を出た俊介はどこにも寄らず一直線に帰宅すると、

ジッ…

黒蛇堂で購入した”人魚の鱗”を取り出しそれを眺めた。

”人魚の鱗”は一見するとおもちゃの様にも見えるが、

しかし、素材は一般のおもちゃに使われているプラスチック等ではなく、

まるで魚からはぎ取ったかのように生々しかった。

「何で出来ているんだろう?」

そう思いながら俊介は明かりにかざしてみたり、

臭いを嗅いでみたりしたが、

しかし、その素材はさっぱり判らなかった。

「やっぱり、本物の人魚の鱗なのかな?」

そう思いながら”人魚の鱗”を机に置き、

彼は洗ったばかりの競泳パンツを取り出すと、

尻の部分にその鱗を張り付けると、

「これで、タイムが短くなるなら、誰も苦労はしないけどな…」

と苦笑しながら呟いた。



しかし、そのとき、俊介は黒蛇堂から手渡された

「注意書き」の存在をすっかり忘れていて、

そこには

「一週間の間に合計15時間以上の使用すると

 力が無くなるので控えるように」

と書かれており、その最後に

「効力が無くなった『人魚の鱗』は

 使用者に重大な影響を与えるので注意すること」

という警告がなされていた。



俊介が黒蛇堂から購入した「人魚の鱗」の効果はすぐに現れた。

翌日、再起を掛けてタイムを取ると、

これまでの自己記録を大幅に更新する数字を叩き出した。

「おい、俊介どうしたんだ?」

みんなが彼に詰め寄る。

「すげぇ、あの鱗のおかげだな」

俊介は鱗の効力に驚いた。

そして彼は無事大会のメンバーに選ばれた。



大会当日

俊介は鱗のお陰で順調に勝ち進み、ついに決勝へ出ることか出来た。

「俊介、落ち着いていけ」

「がんばれよ」

「お前なら大丈夫」

コーチや仲間が彼を励ます。

「おぅ、任せておけ」

彼は一言そう言うと第5コースに立った。

一瞬の静寂の後、

合図と共に横一列となった選手はプールに飛び込んだ。

俊介の頭の中には「優勝」の二文字があった。

しかし、競泳パンツの裏側に仕込んでいた「人魚の鱗」は、

すでに注意書きに書かれていた使用限界を超えつつあった。

「よし、いける」

俊介は確かな手応えを感じていた。

そして一回目のターンをした頃、ついに使用限界を超えた。

力を使い果たした「人魚の鱗」は競泳パンツから離れると

主を求めて俊介の身体へと張り付いた。

そして、ジワリジワリと増殖を始めると彼の肌を覆い始めた。

2回目のターンをしたときには増殖した鱗は競泳パンツからはみ出し始め、

鱗が足を覆うに連れ彼の泳ぐスピードは徐々に増していった。

「今日は調子がいい、このまま行けば」

俊介はまだ自分の身体に起きている異変に気がつかなかった。

しかし、彼を外から見ている観客達は彼の異変に気づき始めていた。

「おい、5コースを泳いでいるヤツの足おかしくないか?」

「あぁ、なんだか妙に赤くなってきたな」

たちまちのうちにざわめきが沸き上がった。

3回目のターンの時には鱗は足を覆い尽くすと、

徐々に競泳パンツがずり下がり始めた。

変化は足だけではなかった、

扁平だった胸に小さな膨らみが現れると

風船を膨らませるように見事なバストとなり、

腰は引き締まるようにくびれ、肩は小さく腕は細くなっていった。

やがて、髪がじわり伸び始めると緑色の髪となって彼の後ろ姿を飾った。

そして、4回目のターンのとき競泳パンツが脱げ落ちると、

彼の下半身は美しい朱色の尾鰭となって身をくねらせながら泳ぎ始めた。

会場からは一切の音が消え、プールを泳ぐ彼の姿を皆追っていた。


「あと少し…」

「もぅちょい」

「………」

タン

和宏はついにゴールの壁にタッチした。

「やったぁ」

俊介はうれしさのあまり飛び上がった。

大勢の観客が見守る中、

一人の美しい人魚が水面の上を華麗に舞った。



『黒蛇堂さま…』

『また今回も駄目でしたわ

 折角の注意書きを読まないだなんて…』

『ご返品は?』

『いえっ、その必要はありません

 また次の客を待つことにしましょう』

『畏まりました』



おわり