風祭文庫・黒蛇堂の館






黒蛇堂奇譚

〜第2話〜
「黒蛇堂の客」


作・風祭玲

Vol.428





キィ…

コツリ…

重い扉が開くと一人の少女が店内に入ってくる。

野球帽を眼深に被り、サングラスをつけたその姿は、

誰が見てもひと目をしのんでいることは明らかだった。

「黒蛇堂さま…」

「えぇ、また一人、

 客が訪れたようですね。
 
 さて、どんな悩みを抱えているのでしょうか」

「ふふ…

 黒蛇堂さまもお人が悪い

 この店を訪れる者の心が透けて見えるのしょう?」

「ふふ」

後ろから響く声にわたしは笑みを浮かべると、

ジッ

と客の心を覗こうとする、

しかし…

「あら…

 へぇぇ
 
 そう、心に防壁を建てているというわけ、
 
 しかも相当強いわ…
 
 ふふ…
 
 このわたしから心を隠すだなんて…
 
 そんなに追い詰められているのかなぁ」

この店に入ってきた者の心の中が見ることが出来なかったわたしはワクワクしながらそう呟くと

「ほぉ

 さすがの黒蛇堂さまでも心を見透かせないものがおりましたか」

と声は感心したような台詞を言う、

「稀にですけどね、

 久しぶりだわ、
 
 こんなにワクワクさせられるお客って、
 
 さぁて、
 
 見せてもらうわ、
 
 あなたの心とその望み…」

わたしはそう呟くと、

スクッ

座っていた椅子から立ち上がり、

徐に店内へと歩いていく、



「何かお探しのようですね」

わたしの口からその言葉が出たのは彼女が店に入って3分後のことだった。

「キャッ!!」

わたしの声に驚いたのか彼女は小さな悲鳴を上げると、

「あら、ごめんなさい」

即座に謝罪の言葉を彼女に向ける。

「え?」

その声に彼女はわれに返りそしてわたしの方を振り返ると、

マジマジとわたしの顔そして姿を見つめた。

「えっ…と、ここのお店の人?」

「ええ。私がこの黒蛇堂の主です…。

 人は私のことを黒蛇堂、と屋号で呼びますが。」

わたしは右手を胸に当てながらそう自己紹介をすると、

「そ…そう…ですか。」

一見、怯えているようでもあるが、

しかし、彼女の眼には好奇心が爛々と輝いているのが見て取れる。

「ふふ…

 こころの障壁が低くなってきたわ…

 単純な娘、
 
 ん?
 
 光?…

 光に囲まれている?
 
 ふぅぅぅん…どんな仕事をしているのかな?」
 
彼女の心の障壁が来店時より低くなったので

次第にわたしの目に彼女の生活が見えてきた。

「何か…お探しのようですね」

「い、いや、別に…」

わたしがかけた言葉に彼女は口篭りながらそう返事をすると

「此処にいらっしゃる方々は皆、満たされない思いを抱いているお方。

 貴方も…満たされていないのでしょう?」

とわたしは彼女の心のうちを指摘した。

「満たされないって…」

わたしが投げた言葉に彼女の言葉が詰まる。

その途端わたしの脳裏をステージの上で生き生きと歌って踊る彼女の姿がよぎった。

しかし、その光景の中の彼女姿は小さく、

周囲の仲間と思われる少女達の方が一回りも二回りも大きく見える。

「へぇぇ

 歌手なの…
 
 ただ…
 
 仲間と比べて小さくなっているわ、
 
 それで、そんなに焦っているわけね」

いまの光景で彼女の仕事ぶり、

そして置かれている状況が手に取るように判った。

「なんだ…

 あんなに強い障壁を持っていたのに、
 
 随分とあっさり崩れたのね」

わたしは少しがっかりしながら、

「私には分かります。

 …貴方は満たされていない」

わたhしは大きく頷きながら、

傍の棚においてあった小さな薬ビンを手に取り、

「これを差し上げましょう。

 これで貴方の今の思いは果たされます」

と言いながら瓶を彼女に手渡した。



瓶の中身は人を人魚にしてしまう薬…

何十年も前にここを訪れた一人の魔女が置いていった薬…

それがいま縛り付けていたくびきを断ち切るようにわたしの手から彼女の手に手渡された。

「これは?」

手渡された瓶をかざしながら訝しげに彼女は質問をすると

「これは、人間を人魚に変える薬で御座います…」

とわたしは中身の説明をする。

「人魚に!?」

それを聞いた途端、

彼女の顔を驚きの表情が覆い尽くして行く、

無理も無い。

人魚の薬だなんて者の存在が彼女の住んでいる世界には存在しないのだから、

「ええ…。

 それを一目盛り分飲めば、その者はたちまち人魚の姿と成り果てます…」

わたしは自信に満ちた表情でそう告げながら頷く。

なんでこの薬を出したのか、今になって考えてみれば不思議だった。

人を人魚にする薬…

この薬はある意味、彼女にとって青天の霹靂とも呼べるものであろう。

そんな薬をわたしは彼女に手渡した。

ひょっとしたら、彼女が人魚になった姿で光輝く、

そんなことをわたしは望んだのかもしれない。



「これ、いくら?」

言葉を詰まらせながら彼女はわたしに薬の代金のことを尋ねてくると、

「お代は頂きません。

 貴方の願いが満たされれば、それで結構で御座います。」
 
わたしはそう言ったとき、

フッ!!

透けて見えていた彼女の心に再び障壁が立った。

「障壁?」

それを見たわたしの心に嫌な予感が走る。

ひょっとして彼女はこの薬を別のことに使おうとしているのでは?

そう言う思いが

「ただ…

 果たしてそれが貴方のためになるかということまでは、保障いたしかねます…」

という警告として彼女に告げた。



すると、

「そう…。

 とにかく、頂いておくわ。」

薬を受け取った彼女は心を隠したまま

そういい残してこの黒蛇堂を後にして行った。

けど、わたしには彼女の瞳が、妖しく燃えていたことが気がかりになっていた。

「おや、

 代金を取らないのですか?」

戻ってきたわたしに声はそう言うと、

「代金を取るときは、

 お客を信用したときだけよ」

とわたしはいつもの答えを言う。

「客を信用か、

 じゃぁ、あの客は信用出来ないというわけか?」

「まぁね」

「じゃなんで、商品を渡すんだい?

 もったいない」

「さぁ?

 きっと何か期待をしているのかも…」

「ふふ…

 黒蛇堂…
 
 お前のその親切心が仇にならないことを祈るよ」

「………」

その声にわたしは答えなかった。



しかし、あの客のその後が気になりわたしは遠見の鏡で追いかけて見た。

すると鏡に映し出されたのは、

舞台の上で人魚となり泣き叫ぶ少女の姿と、

それを遠目で見つめる彼女の姿。

「やはり…

 彼女は仲間を陥れる目的で薬を手に入れたのか」

それを見たわたしは憤りよりも悲しさを覚えた。

運というものはバランスを取るもの…

幸運と不運、

寄せては引いていくその繰り返しの中、

彼女はわたしが与えた薬で他人を蹴落とそうとしてしまった。

「このツケは必ず来る…」

わたしはその光景を見ながらそう思っていると、

案の定、

彼女のよって人魚にされてしまった少女は人魚であることをバネに復帰し、

その一方でさらに追い詰められた彼女は…

薬を全て飲み干し半魚人へと変身してしまった。

「………」

雨のなか、彼女は鱗に覆われた体でここへ来ようとする。

「無駄なことを…」

その姿にわたしはそう呟きながら

スッ

遠見の鏡に手を翳すと、

フッ

夜の街を疾走する彼女の姿が消え、

代わりにわたしの顔が鏡に映し出された。

「はぁ…

 またしても駄目でしたか」

そう呟き、わたしは立ち上がると、

「さて、これから見えられるお客様はどうでしょうか…」

と店頭の方を眺めた。

すると、一人の人影が窓を横切り、

キィ…

というドアが開く音ともに一人の少女が入ってきた。

どうやら今度の客は高校生らしい…

「いらっしゃいませ」

わたしはこの店・黒蛇堂を訪れたその客に挨拶の声をあげた。



おわり