風祭文庫・人形変身の館






「風になる」



原作・カギヤッコ(加筆編集・風祭玲)

Vol.T-155





「貴久、今日もツーリングなの?」

ガレージの前で念入りにバイクの整備をしている城島貴久に向かって

寺定美沙は少し不機嫌そうに声をかける。

そんな美沙の気持ちを知ってか知らずか貴久は、

「いやな、道雄の奴が休みだから

 ツーリングに付き合わないかって誘ってきてさっ。

 まっ、年の瀬前にこうして休みが取れたんだし、

 付きあってやるのが男ってもんだろ?」

そう言いながらニヤリと笑う。

「えーっ、今日はわたしと出かける約束だったじゃない。

 それに、その道雄って呼び方は…」

美沙が言葉を続けようとした時、

背後から別のバイクのエンジン音が聞こえてくると、

「よぉ貴久、待たせたな」

声と共にバイクに跨る橋田道雄が

ヘルメットを外しややいかつい笑顔を見せた。

「おせぇぞ道雄、

 お前をおいて一人で出かけようとしていた所だったぜ」

貴久は意地悪そうな笑顔を浮かべて答える。

「まぁっ、ちょっと橋田さんにそんな事言うものじゃないわよ。

 仮にもあなたの先輩で…」

「べっつにいいじゃないか。

 相手が誰だろうと同じバイク仲間、年も何も関係ねえよ」

厳しい視線を向ける美沙に悪びれず答える貴久は返事をする。

彼にしてみれば道雄が大学の先輩で

西羽署交通課の現役白バイ隊員である事実もさほど対した事ではないらしい。

「貴久、おれは構わないけど…

 でも、美沙ちゃんに向かってその言い方は

 少しきついんじゃないのか?」

そう言って貴久をいさめようとする道雄だが、

そのむこうずねに貴久のケリが入る。

「くっ…お前のケリは相変わらずきついな…」

痛みをこらえながら足をさする。

「貴久、橋田さんにあやまりなさい」

強めの口調を向ける美沙だが、

「保護者じゃあるまいし、

 いちいちうるせえぞ美沙。
 
 まったく、こいつの方がよっぽど無口で素直だぜ」

と貴久はまたがったバイクの腹を叩き、

美沙の反論をさせないようにヘルメットを被るとバイクをふかす。

「貴久!」

「美沙、今度の年越しに乗せてってやるよ!」

そう言い残し貴久はそのまま走り去って行った。

「…まったくもう…」

走り去っていく貴之の姿を見送りながら美沙は頬を膨らませながら、

“わたしなんかよりもあいつにはバイクが恋人なのかしら…。”

と思っていると、

その隣に道雄が静かにバイクを滑らせ、

「美沙ちゃん、

 あいつもあれで不器用な所がある…

 と言うより口が悪すぎるからな。でも、

 あいつはあいつなりに美沙ちゃんの事を思っているはずだぜ」

そう言いながらフォローをする。

「橋田さん…」

「それに、美沙ちゃんだってあいつの事を少しでもわかりたい、

 あいつの側にいたいと思っているんだろ?」

と指摘をすると、

そう言いながら道雄は美沙が手にしていた数冊の本に目を置く。

それらはどれもバイクやバイクの整備に関する本であった。



タッタッタッタッ…。

夜の病院。本来なら走る事を禁じている場所で高く鳴り響く足音。

それはその禁を破ってでも駆け付けたい人がそこにいる事を示している。

美沙にとってその相手とは…。

バンッ!

「貴久!」

華奢な体つきからは信じられない位の勢いで病室のドアを開けて叫ぶ。

その視線の先には救命機器に囲まれ、

右足を高く吊り上げながら眠りに付いている貴久の姿だった。

「美沙ちゃん…」

ベッドの傍らでずっと座り込んでいた道雄が声をかける。

美沙はその肩をつかんで激しく揺さぶる。

「貴久に、貴久に一体何があったの?」

激しく言い寄る美沙に対し、道雄は静かに貴久を襲った事件について語り始めた。

峠を走っている最中、数人のライダーが彼らに絡んできた。

二人は何とか振り払おうとしたが、

数で勝るライダー達は執拗に二人に絡み、

攻撃を仕掛けてきた。

そして遂に彼らのリーダーらしい人物の攻撃を受け貴久はバランスを崩して転倒した。

道雄が彼の身を案じてバイクをひるがえすのを嘲笑うように

彼らはそのまま走り去って行った…。

幸い一命は取りとめ、骨折も重傷レベルではないとは言え

当分はバイクに乗るどころか満足に足を動かす事もままならない状態である。

「…悔しい…おれがついていながら貴久を怪我させてしまい、

 その犯人をみすみす逃してしまうなんて…情けなさ過ぎるぜおれ!」

ガンっと膝を拳で打つ道雄。

美沙もただ黙って唇をかむ事しか出来なかった。

そのあと道雄が上司である堀田晶から聞いた情報では

彼らの名は死人狼(しとろう)と言う暴走族であり、

新興勢力でありながらその悪辣さと

バイク技術の巧みさは警察も手を焼いていると言う。

そして、今年の“初日の出暴走”に死人狼も参加すると言う情報も入っていた。

交通課長の小堀蔵人は道雄を責める代わりに

改めて今年の“初日の出暴走”を食い止める事を一同に誓わせた。



そして大晦日。

「なぁに、おれ達が仇を討ってやるから

 美沙ちゃんは貴久の側にいてやれよ」

道雄は出動間際にそう言っていたが、

美沙の心は晴れなかった。

最悪の事態は免れたとは言え、

未だ眠り続ける貴久の姿は美沙の心を激しく締め上げる。

貴久の家族と入れ替わりに病院をあとにした美沙の足は

ふと貴久がいつもバイクを置いていたガレージに向いていた。

その中にはいつの間に運ばれていたのか、

貴久が乗っていたバイクが無残な姿をさらしている。

貴久を辛うじて守った代償なのか、

そのボディはグシャグシャになっており、

もはや廃車処分を免れないのは誰の目にも明らかである。

その姿を見て美沙の目に涙が浮かぶ。

その涙が意味するものは貴久、

そしてバイクをこんな目に合わせた者達への怒りなのか、

それとも貴久のバイクへの愛情に

過ぎた嫉妬を抱きすぎた自分への悔恨なのか。

ひしゃげたフレームに手を置く。

バイク好きな貴久に対し、

タンデムシートに座る事さえ恐さを感じてしまう美沙にとっても

このバイクは自分の“分身”でもあった。

だからこそ、このバイクに自分を重ね、

そして少しでも彼と共にありたいと願うがゆえ

バイクの整備にも関心を抱き始めた。

しかし、貴久はそんな自分の気持ちを知ってか知らずか

自分にそっけなく、バイクにばかり愛情を示している。

そんな彼、そしてバイクそのものに軽い憎しみを感じる事もあった。

色々な気持ちを抱いてはいるが、

美沙にとってはやはり貴久、

そして彼の愛したバイクに対する思いは強かった。

「貴久…」

また一滴涙を流しながらフレームをなでる美沙。

その時、

ビリッ!

「えっ!?」

右手を通じて美沙の脳裏に電流のような衝撃が走った。

「な、なんなの?」

驚きを隠せないまま再びフレームに触る。

ビリビリッ!

「きゃっ!」

今度は全身を衝撃が走る。

体をのけぞらせた姿勢のまま体を振るわせる美沙の脳裏に

“何か”が入り込んでくる。

“えっ?何?これって…。”

それはバイクの記憶であった。

貴久がそのバイク好きな感情をつぎ込んで手入れし、

走り続けるバイク。

それはまさに乗り手に愛された幸福なバイクの姿だった。

“このバイク…本当に貴久に大事にされていたのね…。”

やるせない思いに包まれる美沙。

しかし、その脳裏にさらに意識が流れ込む。

それはバイクに乗りながら

貴久がつぶやいたり思っていた―美沙への想いだった。

美沙を乗せて色々な景色を見せてやりたい。

一緒に“風”を感じたい。他にも色々な想いが流れ込む。

“貴久…。”

そして、次に流れ込んだのはバイク自身の“意志”だった。

“そう…“あなたも”…そう思っていたの…。”

バイクの意志―それは自分を大事にしてくれていた貴久への思い、

バイクに乗っている時しか一緒にいられない自分とは違い

大学や町、その他彼のより深い所に入っていく事のできる美沙への嫉妬、

その他色々なものを交えた想いだった。

そう、美沙が貴久を思いバイクを羨んでいた様に

バイクもまた貴久を思い美沙を羨んでいたのだった。

「…あなたも、同じなのね?

 仇を討ちたいのね?
 
 そして、また貴久と走りたいのね?」

美沙がそうつぶやいた時、

ブォンッ!

二度と動かないはずのバイクのエンジンが大きく吼えた。

ビュゥン!

「きゃっ!」

その瞬間、竜巻のような衝撃が両者を包む。

その中で大破したバイクのボディ、

そして美沙の服がちぎれる様に消えて行く。

「…」

ヒンヤリとしたと言うには冷たすぎる空気が彼女の肌を火照らせる。

しかし、それ以上に彼女の体の中では熱いものがみなぎっていた。

ドクン、

ドクン、

ドクン、

ドクン…。

「はぁ…

 はぁ…

 はぁ…

 はぁ…」

そっと当てた両手を通じて心臓の鼓動が全身を走り、

全身が大きく呼吸をしている。

そんな高まりの中、美沙の両手は胸から腹を通り、

彼女自身の持つ“命の泉”へと伸びていた。

押し付けるでもなく、

なでるでもなくそっと両手をそこに沿わせる。

ビクン!

「あっ!」

その瞬間、彼女の両手を通じて激しく熱い力が“命の泉”へ伸びてゆく。

“泉”の中に飛び込んだその力は激しく湧きあがり、

美沙の全身をさらに熱く、

激しく振るわせる。

「あっ、

 あうっ、

 ひゃうっ!」

何度も全身をのけぞらせる美沙。

しかし、その手はそこから張り付いたように離れない。

そして美佐はそのままの姿勢で地面に両膝を付き倒れ込む。

「ああっ、あんっ、

 はあっ、ああっ…」

全身を駆け抜ける快感にただ声を上げ

頭を振りながら上半身をそらす。

ピクッ!

「うっ!」

両胸に異様な感覚を感じて一杯に胸を反らした時、

美沙の目に飛び込んだのは

やや小ぶりな乳房が変化してゆく姿だった。

グニュッ、

ムムム…。

「うっ、

 あんっ、
 
 うあっ…」

異様に前にせり出した乳房は見る見る細く、

長く前に伸びてゆき、

一対の棒の様な形になるとその頂点で結合する。

ムニョン、

ムクムクムク…。

「あん、あんっ、

 はぁん…」

乳房の先が擦れ合う感触に酔う中で結合した先端は

みるみる大きく、太くなり、

さながらバイクのタイヤのような形になる。

いつの間にか同じ様に両足も結合し、

タイヤのような形に変形して行く。

ブクッ!

「はうっ!」

不意に美沙の柔らかい腹が地面一杯に膨れ上がる。

「きゃっ!」

さすがに美沙の顔に恐怖が走る。

メキョッ、ムキョッ!

「うっ、くっ、うあっ!」

内臓をかきむしられるような感触が苦痛となって伝わってくる。

その感覚が無くなった時、

彼女の内臓は全てバイクのエンジンに変わっていた。

そうしている間にも、

ムクムクムク…。

付き出されていた形のいい尻がせり出し、

バイクのテール部を形成して行く。

「はあっ、ああっ、

 あっ、あっ…」

肌を振るわせ、息を荒げる美沙。

その姿はさながら人間を

無理矢理バイクの形に押し込んだような異様な姿をしていた。

その肌は既に冷たく硬いバイクのフレームのそれに変わっていたが、

その表面を覆うのはあくまでも人間の柔らかく細やかな素肌の色であった。

「ああっ、

 ああっ、

 あおっ、

 おおっ、

 うおっ、

 ぶおっ…」

ブォンブォンブォン・・・。

いつの間にか美沙の声は小さくなり、

代わりにバイクのスロットル音が響く。

あたかもそれが今の美沙の声であるかのように。

実際、今の美沙はバイクの体に人間の顔−

まさに“人面バイク”と言うにふさわしい異様な、

それでいてなまめかしい姿をしていた。

ブォン!(あんっ!)

美沙はさらにスロットルを入れる。

その瞬間、美沙の顔が真正面を向いたまま硬直する。

その顔から見る見る色が、そして顔の形が消えてゆく。

メキッ!

次の瞬間、首筋から二本の棒がせり出し、水平に並ぶ。

それはまさしくバイクのレバーとメーターそのものであった。

ヴォン!(ああっ!)

ファサァ…。

そして、変化に伴う最後の絶頂と共に

彼女の自慢であった長い黒髪が抜け落ち、その体を包む。

その黒髪が流れ落ちて消えた時、

そこには黒く輝くボディを持った一台のバイクがあった。

“…。”

恍惚感の抜けないバイク―美沙は

顔−フロントフレームに覆われたライト部を動かし、

生まれ変わった自分の姿を見渡す。

さすがに変化した事自体には驚きを隠せない様子だったが、

ブォン(ふうっ)と一息つくと

改めて自身のスロットルをふかし、

ライトを照らす。

まぶしさよりも明るさを感じる視界の中で

静かにガレージのシャッターが開いてゆく。

“行くわよ!”

そう言うと美沙は滑る様にガレージを飛び出し、

除夜の鐘の鳴り響く夜の街を走り抜けて行く。

あたかも熟練のライダーの様に…。

スピードを上げれば上げるほど加速した冷気が体を駆け抜ける。

“冷たい…でも、何だか気持ちいい…

 貴久っていつもこんな空気を感じていたの…。”

硬化素材の素肌に空気を感じながら美沙はさらにスピードを上げる。

“走りたい…もっと早く、もっと遠く…。”

その加速がさらに彼女を快感に導いて行く。

どれほど走った頃だろう。

視線の先にバリケードと思しき障害物、

そしてその向こうで響く爆音と声。

自分が成すべき事の存在をその先に見た

美沙はさらにスロットルを上げる。

キュオーン(あっ!)

気持ちの良い咆哮音と共に美沙の体は“戦場”へと飛び込んでゆく。



その頃、初日の出暴走族を取り押さえる為に出動していた道雄達西羽署の面々は、

突如乱入して来た死人狼を相手に必死の戦いを繰り広げていた。

陣頭指揮を取っていた小堀課長や晶をはじめ警官隊は必死に応戦するが、

奴らはとっさに展開したバリケードを難無く飛び越え、

あるいは問答無用で突き破る。

まさに包囲網などあってないが如しの暴れ振りである。

さらに彼らは取り押さえようとする警官隊を

あしらうかの様にバイクを操り暴れ回る。

火炎瓶や鉄パイプが飛びかい、

白バイが破壊されて行く。

道路上に死人狼のバイクの排気音と取り押さえようとする警官隊の怒号と悲鳴、

そして自分達にとっての“ヒーロー”の立ち回りに対する

他の暴走族の歓声がこだまする。

「くそっ、このままじゃ…」

道雄は乱戦の中自分のバイクに近づけず、

何とか手にした警棒と盾で応戦していたが、

戦況の不利は十二分に感じられる。

キィーン…。

道雄がその音に気を取られた瞬間、

死人狼の一人が鉄パイプを手に迫っていた。

対抗しようにも反応が遅れてしまっている。

「やられる!」

そう思った時、

ウォン!

彼の真横を風が走った。

「うわっ!」

そのあおりを受け、

道雄を襲おうとしていたバイクはバランスを崩して転倒、

構成員は投げ出される。

「…助かった…って何だあれは?」

駆けつけた他の警官にそいつを任せた所で回りを見渡すと

その影の姿はなかった。

バイク―美沙は暴れ回る死人狼の構成員達に襲いかかる。

ブォン!(この!)

前から来るバイクを横切るようにスピンしてその動きを止める。

そのバイクはバランスを崩して倒れる。

さすがに無人で暴れるバイクが目を引いたのか、

死人狼の面々は美沙を狙い始める。

それに答えるかのように美沙はさながら

スタントライダーのように何度も

スピンターンをしながら相手を牽制する。

「この野郎!」

四方から火炎瓶が放り投げられる。

美沙は一瞬たじろぐが、その脳裏に何かがひらめく。

“えいっ!”

逆立ちの要領で後輪を持ち上げ、

そのまま一回転ターンする。

火炎瓶は全て後輪のタイヤにはね返され、

構成員達を襲う。

「バケモノが!」

バイクを降りた構成員が鉄パイプを手に襲いかかるが、

グォン!(やあっ!)

排気音を上げてウイリーをかける美沙にたじろいだ瞬間、

激しい勢いで叩き付けられる前輪に鉄パイプを叩き落とされる。

さながらロデオのように走り回る美沙の前に

構成員達はペースを乱され一人、

また一人バイクを下ろされ、

警官隊に取り押さえられてゆく。

少なくとも横道に逃げる余裕など今の彼らにはないだろう。

いや、ただ一人いた。死人狼のボスである。

彼は一連の乱闘を傍目から傍観していたが、

状況を見るや単身その場を走り去っていた。

「おい、ボスが逃げるぞ!」

「早く追うんだ!」

怒号が響くが、動けるバイクはわずかで

要員も構成員の捕縛に追われている状況では

それもままならなかった。

キュオン!(わたしが!)

ただ一人、美沙だけがそれを追って走り出した。

“許さない…あいつだけは…!”

バイクの記憶が伝える貴久の敵を追って…。



夜の道路を疾走するボスのバイク。

その表情は“余計な荷物”を捨てられた分

より“走る愉悦”に浸っていた。

しかし、

キュオン!

バックミラーにその影を見たボスは

その行く手をさえぎろうとバイクを動かす。

“負けるものですか!”

美沙もその隙を突こうと必死で動く。

“許さない…あなただけは…!”

貴久を傷つけ、

彼のバイクを再起不能にし、

そして自分自身の心にも深い影を落としてしまった相手への怒りが

彼女に力を与えていた。

もしできたなら彼女の姿はバイクからさらに猛獣の姿に変わり、

ボスの喉笛に飛びかかろうとしていたに違いない。

いつ果てるとも付かない併走が続く中、

両者は激しいカーブに差し掛かろうとしていた。

美沙がボスを内側に追い込もうとした瞬間、

ボスはバイクのブレーキレバーを引いた。

“えっ?”

美沙が驚いた瞬間、その体は加速し、

ガードレールに直撃コースを取った。

キキーッ!

急ブレーキ音が響くが加速は止まらない。

ボスは「バケモノバイク」の最期を確信した。

しかし、そのバイクが「バケモノバイク」だった事を

ボスは理解し損ねていたようだ。

“うわぁーっ!”

ギュオーンッ!

美沙は声を限りに吼えた。

そしてその身を横にする。

偶然の奇跡か、美沙の闘志が生んだ奇跡か。

それとも美沙とバイク、二つの意志が生み出したテクニックか。

直撃の寸前、美沙の両輪はガードレールをつかむと

そのままその上をわずかな間駆け抜け、

再び道路に降り立つ。

「何?」

ボスの目が大きく見開かれる。

慌ててバイクを走らせようとするが、

全速ですり抜けた美沙の衝撃で大きく転倒する。

何とか身を起こした時、その体が浮き上がる。

彼の体は美沙のフロントに乗っていた。

“…。”

美沙はそのまま急加速で走り出す。

ブレーキに頼らず、

ひたすらハンドルテクニックだけでカーブを切る危険な走法。

それでいてボスは振り落とされる事なくフロントでおびえている。

まさに神業と言ってもいい。

「や、やめろ、やめてくれ…」

いつの間にかボスの顔には恐怖の色が満ちていた。

さすがに向き出しでバイクの高速曲乗りを味わえばそうなるだろう。

そして、その眼前には先ほど美沙を落とそうとしていた急カーブが見えていた。

「お、おい、

 やめろ、

 やめろ…やめろーっ!」

ボスの悲鳴をよそに美沙はカーブに突っ込み…直前で止まった。

ボスの体は滑り落ちるようにガードレールにもたれ落ちる。

放心し、失禁までしているその姿を見ていた美沙は

その身をひるがえすとそのまま走り去っていく。



山の中にある高台まで走った所で美沙は走りを止める。

“ふぅ…。”

大きく息を吐く。

“これで…よかったのよね…貴久…。”

ボスを乗せたまま突進した時、

本当はボスを突き落とすつもりでいた。

そんな彼女を思い止まらせたのはバイク、

そして美沙自身の心にある貴久の姿だった。

自分と同じ位バイクが大好きな貴久。

そのバイクで人を殺して彼は喜ぶだろうか。

いや、

わたしは二度と彼にも、

そしてバイクにも目を合わせる事は出来ないだろう。

できる限り事はした。

そんな充足感が彼女の心を満たしていた。

それに答えるかのようにゆっくりと初日の出が顔を出す。

“わぁ…。”

美沙のライトが光量一杯に光る。

朝日に照らされた山々。

見下ろせば大きな湖も広がる。

“貴久…あなた…これを見せたかったのね…。”

美沙の心一杯に感動が広がる。

ブルッ!

“えっ?あっ…。”

不意に全身が震え出す。

ムクッ、ムクムク…。

同時に美沙の体は再び変化を始める。

硬く無機質的だったフレームが柔らかい人肌の感触を宿してゆく。

エンジンを包んでいた腹部が引き込まれて行く。

前輪と後輪が消えると同時にフォークが縮んでゆき、

細長い両足と小ぶりながら形のいい乳房を形作ってゆく。

テール部が尻の中に消えて行くと同時にゆっくり立ち上がる。

のっぺらぼうのライトに顔の輪郭が刻まれ、

レバーとメーターが後頭部に消えると同時に長い黒髪がファサッとなびく。

朝焼けの中で照らされる白い素肌を見ながら

美沙はえも知れぬ感覚に包まれていた。

「ふうっ…」

股間に沿わせていた両手をゆっくりと広げ深呼吸をする。

そして、そっと体を抱きしめる。

肌の感触が心地よい。

ブァサッ。

「えっ?」

次の瞬間、美沙の髪が大きく伸びるとその体を繭の様に包み込む。

時間が経つにつれ、

その姿は繭から卵に変わった。

その数分後、放心状態で失神していた

死人狼のボスを確保した道雄達西羽署交通課の面々は

初日の出をバックに悠然と空を飛ぶ白い鳥の姿を目にする。

そして、その数十分後年賀状を配達していた郵便局のアルバイトは

とあるガレージでシートに倒れ込み軽く寝息を立てている

着衣の少女の姿を目撃する事になる。

「なんだ、あいつらもう捕まっちまったのかよ。

 せっかくおれが治ったら

 叩きのめしてやろうと思ってたのによ」

美沙の押す車椅子に乗りながら貴久は悪態を付く。

「何言ってんだよ貴久。

 完治できるだけツイテいたと思わないと」

パトロールがてら見舞いに来ていた道雄が納得の行く指摘をするが、

それに対して貴久の左蹴り上げが道雄の足を捕らえる。

「くぅ〜、この調子なら退院も早いな」

「ああ、怪我が治ったらまた一緒に走ろうぜ」

貴久のサムズアップを背に道雄はその場を後にする。

“さすがにその時謎の無人バイクが走り回ってたなんて…

 言えないよな普通…。”

そう言う内心の呟きを胸に。

ちなみに、その事実は西羽署では秘匿とされているらしい。

しばしの後、ふぅっと息をつきながら貴久は口を開く。

「なあ、美沙」

「何?」

「…その…悪かったな。

 おれがヘマしたせいでせっかく初日の出を見に行く約束が
 
 パーになってしまって…
 
 それにバイクもパーになっちまったし、
 
 本当になってねえぜ」

珍しくすまなそうに顔を向ける貴久に美沙は笑顔で返す。

「いいのよ貴久。

 わたしも…あなたの気持ちがわかるから…それに…」

「ん?」

美沙は静かに車椅子を反転させ、病院に向ける。

「ねえ…実はとってもステキなバイクを手に入れる事が出来たの…

 とってもかっこよくて、早くて、力強いバイク…

 退院したらそのバイクで一緒にどこか行きましょう。

 念入りに整備もしておくから…」

「整備?

 お前、そう言う腕前あったのか?」

首をかしげる貴久。

彼は車椅子を押す美沙の笑顔が

赤く染まっていた事に気づいてはいなかった…。



おわり



この作品はカギヤッコさんより寄せられた変身譚を元に
私・風祭玲が加筆・再編集いたしました。