――二〇一X年 航空自衛隊某基地。 夜、基地内の廊下を、ゆっくりと歩く一人の男がいた。 彼を見た者は、彼が民間人であることに驚くことであろう。 そして顔には笑みを浮かべていることにも… 少年は暗い廊下を歩き、扉の前で立ち止まった。 扉の脇には小さなキーボードとタッチパネル、 カードを指し込むスロットがついている。 ピッ! 彼は慣れた手つきでカードを挿入すると、 キーボードを叩きタッチパネルに親指を押し付けた。 シュンッ すると電子音がして扉が開くと、 廊下より暗いその中へ彼は入っていった。 彼が中に入ると、 カシャンッ!!! 彼の後ろで扉が自動的に閉まり、 パッ っと蛍光灯がついた。 「うっ」 彼は眩しさに顔をしかめる。 そして、目が明るさに慣れた時、 自分の目の前にある物を見て、笑みはさらに強くなった。 それは架台に載せられた一発のミサイルだった。 ASM-2と呼ばれる、国産の対艦ミサイル。 彼はミサイルのそばに立ち、新たに付けられたカバーを開く。 その中のコネクタに二本のケーブルを接続し、 傍の机の椅子に座りPCを立ち上げる。 一方のケーブルはPCに、 もう一方は電源に… PCが完全に起動した時、スピーカーから人間の音声が発せられた。 「あ……ここどこ?」 「久しぶりだな。中西玲子」 部屋の中には彼以外いないし、 そのPCはネットワークにもつながっていない。 しかし、彼は声の主を知っていた。 「あなたは……まさか……」 「この風間陽介を覚えていてくれるとはな。 君にはさんざん世話になったからなぁ…… あんた等にはカツアゲされるは、 溺死させられそうになるは、 大恥かかされるはとひでぇ目に遭った」 「………」 「その借りを今返そうと思うんだが、どうだね? 玲子ちゃんよぉ」 「……何のつもり?」 声に怒りが見られ出した。 陽介はニヤニヤしながら言った。 「何がだい?」 「私をこんな風に動けなくして、どうするつもりって聞いてるのよ」 「どうすると思う?」 「答えなさいよ!」 玲子はついに怒り出した。 だが陽介はいきなり笑い出した。 「何が可笑しいのよっ! とにかくっ! 縄かなんかで縛ってるなら早くほどきなさい! どうせあんたの考えてる事なんて解ってるんだからっ! このк&#△!」 表記するのも躊躇われるような罵声を浴びながらも、 陽介は笑いつづけていた。 笑いが収まりかけた時、彼は涙を拭いながらこう言った。 「ハハハ、可笑しくて泣いてしまったよ。 ……別によぉ、拘束してるわけじゃないんだ。 必要ないだけでね」 「? どう言うことよっ!」 陽介はヤレヤレとため息をつくと、 あきれたように言った。 「お前さぁ、いい加減自分の体が変なのに気づかないのかぁ?」 「え?」 陽介はよいしょ、と大きな鏡を机の引出しから取り出しひざの上に伏せて置いた。 「今目に映っている画像はどこかおかしい筈だし、 姿勢も妙に感じているはずだ。 ……本当にわからんのか。 めでたい奴め。 だが今にわかる」 陽介はそう言うと、伏せていた鏡を一気に立てた。 「これが今のお前だ!」 鏡には、ASM-2の先端部が映し出されていた。 正面からそのミサイルを見ると、 推進装置であるジェットエンジンのインテイクが筒の後方に口を開けている様に見えた。 「今のお前はありふれたデザインの対艦ミサイルだ。 ……だが感謝しろよ。 見事な死に方をさせてやるんだからな」 「う、嘘……そんな……」 「本来のASM-2には赤外線センサーがついているが、 見ずらそうだからCCDカメラに変えておいた。 ……しかし傑作だったなぁ。 お前が何か喚く度に後ろの動翼がピクピク動くんだもんなぁ。 まるで釣った魚みたいだったぞ」 陽介は必死に笑いを堪えていた。 だが、玲子はまだ信じきれない様子だった。 「嘘よ! 誰がそんな事を信じると思ってるのよ! この……」 まだ陽介を罵倒するつもりの玲子を尻目に、 彼は立ちあがって彼女の死角に消えた。 「何処に行くのよ!」 だが重い物を転がす音と同時に視界が動いた。 「一体何を……って何これ? ベッド?」 玲子の視界には一つのベッドが映っていた。 その病院にあるようなベッドには、既に誰かが眠っていた。 陽介はその脇に立つと嫌味ったらしく、 「さて、この眠り姫は誰かというと……」 と、眠っている誰かの顔を玲子に向けた。 その顔は中西玲子その人であった。 頭に包帯を巻いてはいたが。 「イヤァァァァ! 何で、何で私がそこに寝ているのぉ! どうして私がそこにいるのよぉ! どうして、どうして……」 陽介はミサイルの目の前に立つと、自信満万に言った。 「ここで眠っているのは君自身で、 コピーされた心はこのミサイルの中だ。君は知ってるか? 人間の本質とも言うべき精神は、 特殊な言語で記述されたプログラムであることを。 米軍の研究ではどんな言語なのか解っているだけだが、 僕はそこより先にいるんだ」 「そんな……」 「僕はそれを解析して改造することができる。 ついでに言うと、君の精神は少々改造してあるんだ」 「どうして……どうしてこんな……」 陽介はクックックと笑うと言った。 「なあに、大した事じゃない。 脳幹にコネクタを埋め込んで情報をコピーした後、 ミサイルの誘導プログラムとして使えるようにしておいた。 君が機体から切り離された時、ミサイルとしての本能が目覚める。 本能ってのも変な言い方だが、 その時にはもう、無性に目標に体当たりしたくなるんだ。 そして……」 その説明は、玲子の悲鳴で中断された。 「もうやめて! もう何でもするから! だから早く元の体に戻して!」 「元の体とはどう言う意味だ? 君はASM-2改「桜花」だろ? 中西玲子とは別の存在だからその必要は無いんだ。 ……中西は生きて帰すつもりだが、お前はミサイルだ。 死んでもらう」 「そんなぁ、ミサイルはやめてぇ……死にたくないぃ……」 もはや涙声だった。 「死にたくないだって? 僕が何度そう思ったか解ってるのか? それともあれか? 永遠の苦しみがいいのか?」 「そんなぁ……」 「今君の思考速度はリミッターをかけてあるから人間と変わらんはずだ。 もしコンピュータの速度で動かしたら、発狂する。 それじゃこっちが困る。 ……何だったら、このまま日本海溝に捨ててやろうか? 回路に防水処理して。真っ暗な海の底に壊れるまで一人ぼっちだ。 深海魚と友達にでもなるか?」 「イヤぁ! やめて! 捨てないで!」 玲子は、狂ったように喚き続けた。 玲子の喚き声に耐えられなくなったのか、陽介は怒鳴った。 「黙れ! 今まで僕がどれだけ我慢してきたと思ってる! 本当はもっと痛い目に遭わせてやりたかったが、これで我慢してやってんだ! 脳が腐りきったバカでも国の為に死ねるんだからありがたく思え!」 陽介はミサイルからPCに繋がっていたケーブルを引き抜く。 そしてPCの電源を落とし、ミサイルに背を向ける。 <何所に行くの?!> 扉まで歩いていく陽介。 「集音マイクと視覚センサーだけは接続しておいてやる。 じゃあな、最後の夜を存分に楽しめよ」 <待って! お願い!> 陽介が扉を開けて出て行くと自動的に照明が落ち、扉が閉まった。 <そんな……> 真っ暗な室内に、玲子はたった『一人』で取り残された。 どれほど時間が経っただろうか。 いきなり室内が明るくなった。 <え……何?> すると、開いた扉から数人の男がストレッチャーを転がして入ってきた。 彼らは玲子が寝ているベッドの傍に立った。 <私の体! 連れていかないで! ねぇ!> 彼らは一人だけ残して寝ている玲子をストレッチャーに乗せて出ていった。 <体……私の体……返して……> 残った一人が桜花に近づく。 (ああ……なんでよ……なんで私が……) 『お前はミサイルだ。死んでもらう』 この言葉が、玲子に重くのしかかっていた。 (死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくないぃぃ!) 『黙れ! 僕がどれだけ我慢してきたと思ってる! 本当はもっと痛い目に遭わせてやりたかったが、 これで我慢してやってんだ! 脳が腐りきったバカでも国の為に死ねるんだからありがたく思え!』 男は、桜花から伸びるもう一本のケーブルを掴むと、 一気に引き抜いた。 (いや、いや、嫌、イヤァァァ! 助けて! たすけて! たす――) 玲子の意識は急に薄れ、そして消えた。 玲子は突然目覚めた。まだ視界は真っ暗だった。 (あ、あれ? 動いてる?) 彼女は自分が約500ノット(約926km/h)で動いてることに気がついた。 (なんでだろう? さっきまで動いてなかったのに……まさか!) そのまさかだった。今、桜花はF-2Aの主翼下に吊り下げられて飛んでいる。 『玲子』はいきなり座標が自分に入ってくるのを感じた。 その瞬間、ある感情が湧き上がってくるのを『玲子』は自覚した。 (何これ、なんか、体が疼く! これが風間が言っていた改造なの?! いやぁ! でも押さえられない! なんとかして!) その時、いきなり陽介の声がした。 「辛そうだな」 <その声……風間! 何所にいるのよ!> 「それはどうでも良い。 今、君は押さえきれない程の性欲を感じているはずだ」 <……> 「解消する方法はたった一つ。敵艦に突っ込め」 <嫌よ! それじゃ死んじゃう!> 「本当に嫌か? 本当は突っ込みたくて堪らないんじゃないか?」 <そんな筈は……ああっ、突っ込みた……なんでこんな変な……> 「ククク、焦るな。直ぐにそうさせてやる」 <早く、早くして! ……違う! やめて!> その時、桜花は機体から切り離された。 <あああっ! ……なんで? なんで気持ち良いの!?> 推進用のジェットエンジンが始動、桜花は高度数mを飛行する。 <あう……まだなの?> 突如として視界が開ける。 しばらくすると、何本もの白煙が向かってきた。 <ミサイル?! 死にたくない! こんなに気持ち良いのに!> 敵ミサイルの姿を確認した桜花はジグザグに機動。 数発が海面に着弾。 <しつこい! でも!> 桜花、敵ミサイルをギリギリまで引き付けて回避。 敵ミサイル、目標を見失って墜落。 視界に敵艦隊が映る。 今度はアイスキャンディーのような曳航弾が雨のように飛んでくる。 コンピュータ制御の機関砲だ。実際の弾数はもっと多い筈。 <まだ邪魔を……> 再び海面すれすれをジグザグに機動しながら接近。 駆逐艦の向こうに空母の姿が映る。 <ここで!> 桜花、急上昇。 そして直ぐに急降下。 空母の甲板が大きく映る。 <ああっ、ようやく――> 甲板上の整備員と目があう。 その顔が大きくなり、視界が消える。 その時、『玲子』は大きな喜びを感じた。 中西玲子の人生で、もっとも充実した瞬間だった。 でも、それが最期だった。 『玲子』は喜びを感じながら消えた。 「……はい、そうですか。 ……ところで桜花は ……あ、そうですか、はい。 では」 陽介は受話器を置く。 電話の相手は防衛庁の人間だった。 ――やれやれ、こんな筈じゃなかったのにな…… 陽介はため息をつくとコーヒーを啜った。 コーヒーはすっかり冷めていた。 ――まさか第二次湾岸戦争が始まって、日本が参戦するとは思っても見なかったな。 その年の早春… デフレスパイラルに陥った世界経済は立て直すべく、中東の石油資源の支配を目 論んだ石油メジャーの意向を受けた米国はイラク政府に対して”春ノート”を示 して首都バクダットの無血開城を迫った。これに対しイラク大統領・布施院は、 緊急御前会議を招集するとその場で対米開戦を決定。その決定からわずか1時間 後、ハワイ諸島・真珠湾に投錨していた米国艦隊に対し、イラク空母艦隊はノド ンおよびテポドンミサイルによる奇襲攻撃を掛け、戦艦・アリゾナを撃沈するな ど多大な戦果を上げることに成功した。この知らせに米国大統領・藪は露西亜・ 仏蘭西政府の反対を押し切り、国連決議を受けることなく核開発に湧く平壌の空 爆を指示、米国空軍機と大統領警護部隊との間で激しい空中戦を演じた。 こうして緊張の度合いを増していたイラク問題は、ついに第2次湾岸戦争と言う 最悪の形を迎えてしまったが、開戦と同時に布施院の意を受けた毛沢東主義を掲 げるイスラム原理主義組織IRAが、世界主要都市に対し自転車を使ったお得意 の人海戦術形自爆テロを決行。それによってバクダットの大統領宮殿や平壌の人 民武力省など多く建物が倒壊、ニューヨーク株式市場が一時閉鎖されるなど世界 中が大混乱に陥ってしまった。 さて、開戦当初は憲法問題もあって知らんぷりを決め込んでいた日本だったが、 しかし、テロを警戒して東京ビッグサイトで開催を予定していた世界規模の同人 誌即売会が無期延期になると世論は急速に硬化、東京大阪はもちろん、地方各都 市でも大規模なデモが繰り広げられた。これに対し政府は急遽、警備が厳重な幕 張メッセでの開催を提案したが、しかし、GDPの約3%を占めるエロ系同人誌 を締め出してしまったために、それを知った参加者の一部が暴徒化、千葉県知事 が急遽、自衛隊に治安出動を要請する事態に発展した。しかも、この非常事態に も関わらず、地元市議会議員選挙の応援の為、羽田に向かっていた与党の実力者 ・青野前幹事長一行が閉鎖された首都高速に閉じこめられると言う事件が発生し た。約8時間後、前幹事長一行は公団職員によって無事発見救出されたものの、 しかし、選挙結果は無惨な敗北。選挙責任を問う地元の声に対して「すべてはイ ラクが悪い」と押し切ると、与党道路族議員47人を集め、 「我らの手で作ろう!アジア・ハイウェイ!」 をスローガンに決起、雪の降りしきる2月26日、宮中・松の廊下において大泉 首相に対し自衛隊派遣要求を突きつけた。この結果、多国籍軍への自衛隊並びに ゼネコン営業部隊の派遣が決定したが、無論、この決起の裏にあるのはイスラマ バードから東京まで全長約数千キロにも及ぶ高規格高速道路建設の受注であるこ とは誰の目にも明らかだった。それに対し捨民党の樋党首はマイク片手に「ダメ なものはダメ」と訴えながら、装甲車に乗って銀座から工作船が待つ新潟港まで 行進をしたものの、しかし、世論の支持を取り付けるほどには至らず、そのまま 工作船に乗船すると親愛なる将軍様が待つ北の大地へと旅立って行ってしまった。 こうして、いつもの如く議論を先送りにしたまま、日本はズルズルとこの戦争に 引き吊り込まれて行ったのであった。 ――そういえば、初代「桜花」の開発者は何を考えていたのだろうな…… 桜花は日本海軍が太平洋戦争末期に開発した特攻兵器であり、 ロケット推進の有人飛行爆弾である。米軍がつけたコードネームは”BAKA”。 陽介は外を見る。 桜の花が咲いていた。 風が吹くたびに、花が散っていく。 彼には、その色が血の色のように思えて仕方なかった。 おわり この作品はヘリックスさんより寄せられた変身譚を元に 私・風祭玲が加筆・再編集いたしました。