風祭文庫・人形変身の館






「銀の姫子」
(第6話:銀の海風)



作・風祭玲

Vol.907





季節は秋から冬へと移り変わり、

街中に木枯らしが吹きはじめた初冬。

「うー、寒くなってきたなぁ」

出してきたばかりのジャンバーを小脇に抱えて俺は研究室のドアを開けると、

「おはよーっ」

と勢い良くあいさつの声を上げるが、

「………」

その声に返って来る声は無く、

人っ子一人居ない研究室の寒々とした光景が俺の前に広がっていたのであった。

「あれぇ?

 おーぃ、誰もいないのかぁ?」

尋ねるようにして俺は声を上げて部屋の中を探るものの、

しかしいくら探し回っても俺よりも先にここに来たはずの姫子も含めて

どこにも人影が見当たららず、

「みんな…どこに消えたんだぁ?」

小首をかしげながら俺はそう呟くと、

俺の脳裏にあるシーンが再生され始めた。

半年前に見たその衝撃的な光景を思い出した俺は

「まさかっ」

冷や汗を流しつつ部屋の中をくまなく見回すが、

しかし、争いがあったような跡も無く、

またどこにも水銀状の物体は零れ落ちて無かったのであった。

「何も無い?

 …そんなはずは」

執拗に俺は惨劇の跡を探し回っていると、

「あれぇ?

 坂本君?」

と廊下から俺の名前を呼ぶ声が響く。

「あっ」

その声に俺は振り返ると、

ちょうどドアの向こうで同じ研究室の中海恵子が立っていたのであった。

「中海さんっ」

いつもと変わらない彼女の姿に俺は少しホッとしながら、

「みんな居ないけどどうしたの?」

問い尋ねると、

「坂本君こそ、そんなところで何しているの?

 みんなはとっくに出かけたわよ」

と中海さんはキョトンとしながら僕に尋ねた。

「え?」

「あれ?」

俺と中海さんは見合ったまま立ち尽くしていると、

「ひょっとして坂本君には連絡行ってなかった?」

と彼女は口を開いた手で隠しながら尋ねる。

「いや、連絡って…

 あっ!」

彼女の言葉に俺はあることを思い出し慌ててケータイを開く。

そして、

「忘れてたっ!」

と声を張り上げると、

ドタドタドタ!

慌てて研究室から飛び出して行ったのであった。



「おっそーぃ!」

慌てふためいて俺が駐車場に行くと

そこには不機嫌顔の姫子が一人で俺を待っていて俺が到着すると同時に、

パァン!

俺の頭を叩いて見せる。

「痛ってぇ!」

頭を抑えながら俺は文句を言うと、

「みんな行っちゃったよ、

 遅刻した敦が悪いんだからね」

姫子は俺に言い、

プィッ

と横を向く素振りをしてみせると、

「悪かったよぉ

 この通りだ!」

姫子に向かって俺平身低頭で謝ってみせる。

それを見た姫子は呆れたようびため息をつき、

「とにかくあたしと敦は後から追いかける。

 ということにしてもらってあるから、

 敦ぃ

 さっさと追いかけて行くわよぉ」

と言うや否や姫子は地面に手をつけ、

瞬く間に形を崩していくとある物へと姿を変えはじめた。

「やれやれ」

叩かれた頭を掻きながら俺はため息を付き、

「最初に言っておく…」

と姫子に向かって言い聞かせようとした途端。

『免許は持っていても、

 バイクは源チャリしか乗ってないって事でしょう。

 もぅ、クルマ持ってないんなら中型バイクぐらい買いなさいよぉ』

俺の言葉をさえぎりバイクに変身をした姫子は情けなさそうに俺に言う。

「そんな事いったってぇ、

 お金が…」

姫子の言葉に俺は口を尖らせると、

『つべこべ言わずにさっさと乗る!』

姫子の怒鳴り声が鳴り響いたのであった。



「温泉?」

唐突にその話が沸き起こったのは先週のこと、

「あぁ、急にキャンセルになってしまってな、

 でも、せっかく予約を取っているし、

 先着6名、費用自己負担で行って見ないか」

そう言いながら前田先生は俺達に話を持ちかけてくると、

「はいはーぃ」

俺と姫子は仲良く手を上げたのであった。



ドドドドドド…

街中を姫子に跨った俺はいくつかの街を抜け、

やがて海岸通りへと出る。

「はぁ、日中こうして走ると良い道路だよなぁ…」

あの馬鹿坊ちゃまとの激しい戦いを思い浮かべながら俺は海岸道路を流していくと、

やがて仮設道路による片側交互通行となっている箇所へと出くわした。

「おーぃ、

 お前が盛大にぶっ壊したところ、

 大工事になっているぞぉ」

足場が組まれ忙しく作業員達が動いている工事現場を横目に俺は股下の姫子に話しかけると、

『もぅ、あのことは言わないでよっ』

と姫子は不機嫌そうに返してきた。

「まったく…」

もしもあのまま姫子の暴走が止まらなかったら…

万に一つの可能性があった最悪のシナリオを脳裏に思い浮かべながら俺は工事現場を抜けていくと、

程なくして係留船舶のない突堤だけの小さな漁港が姿を見せてきた。

「!っ

 なぁ姫子っ、

 ちょっと休んでいかないか」

それを見た俺は不意に姫子に話しかけると、

『そうね…』

姫子もまた走りつかれてきたのかあっさりと俺の提案に乗り、

俺達は海岸道路を出ると人気のない漁港の突堤へと進み出ていった。

街中では曇っていた空も海岸沿いではその雲は切れ、

初冬特有の斜めの光の照り返しもあって突堤の上は汗ばむ程の気温になっていた。

「ふぅ」

バイクから降りた俺は大きく深呼吸をし、

「前回来た時、

 こんなことをする暇がなかったね」

と姫子に向かって話しかけると、

「そうねぇ…

 走ってばっかりだったもんね」

人の姿に戻った姫子は海から吹いてくる風に髪を押さえながら答える。

そして、突堤の下の海を覗き込み始めると、

「おーぃ、

 落ちても知らないぞぉ」

そんな姫子に向かって俺は注意をするが、

しかし、彼女は俺の注意などに耳をかさずに、

腰を下ろし海に向かって足を投げ出してみせはじめた。

「まったく…

 勝手にしろっ」

足を投げ出し笑って俺を見る姫子に背を向けて俺は歩き始めた途端、

「きゃっ!」

姫子の悲鳴と共に

バシャン!

何かが落ちる音が響き渡る。

「姫子っ!」

その音に俺は慌てて振り返ると、

さっきまで姫子は居た場所には彼女の姿は無く、

「あの馬鹿っ、

 海に落ちたのか」

歯を食いしばって俺は突堤から海を見下ろすと、

ニューッ!

いきなり海中から銀色の触手が伸び、

ガシッ

俺の襟首を掴み上げや否や一気に俺を海へと引きずり込んだ。

「うわぁぁぁ!」

一瞬のうちに天地がひっくり返り、

ザボン!

俺は海の中へと飲み込まれてしまうと、

『あはは、

 驚いた?』

の声と共に俺の目の前に姫子は姿を見せるが、

しかし、その姿は上半身はトップレスの姫子の裸体、

下半身は朱色の鱗が光ってみせる魚の姿をしていたのであった。

『いっ、

 人魚?』

まさに人魚といって良い姫子を指差して俺は声をあげると、

『一度なってみたかったのよね、人魚に』

と姫子は言いながら尾びれを動かし俺の周りを泳いでみせる。

『それだけのためにこんなことをしでかしたのか、

 お前は!!』

人魚姿の姫子を呆れた目線で俺は言いながら腕を組もうとしたとき、

フニッ

俺の手に左右二つの果実の感触が乗っかってくる。

『へ?』

男性ではありえないはずのその感触に俺は下を向くと、

ポロン…

なんと俺は裸になっていてさらにの胸にたわわに実る果実の膨らみがあり、

腰から下は姫子と同じ鱗を輝かせる尾びれへと変わっていたのであった。

『なっなんじゃぁ、これは!!』

胸を揺らせながら俺は声を上げると、

『もぅ大きな声を出さないでしょ』

そう姫子は怪訝そうに言い、

『あたしの力で敦も変身させてみたのよ』

と俺に行って聞かせた。

『まったく勝手なことを…』

たわわに膨らむ胸や、

鱗を輝かせる尾びれを触りながら俺は文句を言っていると、

『ねっ、デートしよう』

というなり姫子は俺の手を引いてみせた。

『え?』

『いいからいいから、

 冬の初めの海中散歩を楽しいかもよ』

その言葉と共に俺と姫子はシーズンが過ぎ、

人の気配が消えた海の中を誰に邪魔されることなく泳いだが、

しかし、初冬の日差しは長く持たず、

すぐに夕暮れ時になってしまうと、

『はぁ…

 もぅ今日は終わりか…』

姫子は夕焼け色に輝く海面を見上げ残念そうに呟く。

『戻るか』

俺の声を合図にして二人そろって突堤へとに登ると変身を解き、

「やれやれ、

 ちょっとの休むつもりだったが、

 大幅に時間を超過してしまったな…」

と俺は皮肉たっぷりに言うと、

「あっ!」

俺のその声を聞いて姫子は声を上げ、

「え?

 まさか、

 忘れていた?」

俺は驚きながら聞き返すと、

「あはははは…

 敦っ

 超特急で行くわよ」

姫子はそう返すなり瞬く間にバイクへと変身し、

無理やり俺を乗せると一気に走り出したが、

「おいっ、

 スピード出しすぎるなっ」

「いっいまの赤信号だったぞ!」

「姫子っ

 頼むからまっすぐ走れぇぇぇぇぇぇ!」

悲鳴を上げる俺の声をよそに姫子は日が落ちた道を猛スピードで走り去っていったのであった。



「うわぁぁぁ、

 何かにぶつかったぁ!」

『もぅ、

 男の子でしょう、

 それくらい我慢我慢。

 温泉に行ったらお風呂の中で人魚に化けようね』

「どうでも良いから安全運転しろ!」



つづく