風祭文庫・人形変身の館






「柔軟ローション」



作・風祭玲

Vol.1123





「そんなぁ」

体育館に光海直子の不満そうな声が上がると、

「人選について異論は認めないといったはずだ」

新体操部コーチ兼顧問を務める男の声が追って響く。

「で、ですが」

彼に向かって直子が言い返そうとしたころで、

「真垣っ、

 いいな」

彼女の声を遮るように顧問は直子の後ろに立つ少女に向かって告げた。

「はっはいっ、

 頑張ります」

念を押す声に少女は顔を紅潮させて返事をすると、

「納得できません」

直子は不満げに声を荒げた。

しかし、

「話は以上だ」

彼女の声に応えず顧問は去ってしまうと、

(ヒソヒソ)

「くっ」

周囲から向けられる視線を全身で感じつつ直子は口を真一文字にして

去っていく顧問を見据えていた。



「はぁ…」

下校途中、

公園のブランコにもたれ掛りながら直子はため息をつくと、

「あぁ、なんで私がメンバーから落ちるのよっ、

 あのコーチったら、

 自分の言うことを聞く子を贔屓にしているんだわ」

と足元の土を蹴り上げて怒りをぶつけて見せるが、

直ぐに項垂れてしまうと、

「もちょっとあたしの体が柔らかければなぁ」

と呟く。

そして、

キィ

ブランコを前後に揺らしながら、

「今度の大会でやる演目にちょっとキツイところがあったから、

 そこを見抜かれたのよね。

 あーぁ、

 なんかこう、

 一発で体が柔らかくなる薬ってないかなぁ」

と空に向かって直子は声を上げたとき、

どぉん!

公園に音が響き渡ると、

『いらっしゃいませ、

 いらっしゃいませ。

 神出鬼没のドラッグストア・業屋。

 当地にて只今開店でーす』

という声が追って響いた。

「え?

 なに?」

突然のことに直子は慌ててブランコから飛び降りて音がした方へと向かうと、

公園内の一角ににぎやかに電飾を光らせる店舗が店を開け

その店前では頭頂部を光らせる白髪の男性が

法被を羽織り呼び込みの声を上げていた。

「え?

 あんなところにお店が?

 何時の間に?」

突然現れた店舗に直子は目を丸くすると、

『おや、そこのお姉さん。

 ちょっと寄ってみてはいかがですか?』
 
と直子に気づいたのか男性が声をかけてきた。

「いやぁ、

 ちょっと急いでますので」

愛想笑いをしながらそそくさとその場から立ち去ろうとしたその時、

『あなた様がお望みとなる商品がありますよ』

彼女の耳元でささやく声が響いた。

「うわっ」

突然の声に直子は声を上げると、

いつの間にか呼び込みの男性が直子のそばに立ち、

揉み手をしながら笑みを作っていた。

「いつの間に?」

ギョッとした視線で呼び込みを見つめると、

『ほんの少しで構いませんから、

 ぜひ私の店を見ていってくださいなぁ』

と男性は言う。

「私の店って、

 あなた、この店の店長さんなの?」

『はい、

 業屋と申します(これ名刺)』

「はぁ、

 …あなた様のお望みの品、すべて取り揃えております。

 ヘルストア・業屋…」

店長から名刺を受取った直子はそこに書かれた文言を読み上げると、

『あなた様のご希望の商品はなんでしょう?』

と探るように店長は尋ねる。

「うーん、

 希望の商品ねぇ。

 そうねぇ、

 まぁ

 それをつければ一気に体の関節が

 ぐにゃーっと

 ネコのように柔らかくなる薬があれば買ってもいいかなぁ」

通りかかった野良猫を見ながら直子は言うと、

キラリ

彼の目が光るや、

『ございますよぉ』

と再び耳元でささやいた。

「え?」

その声に直子が驚くと、

『残念ながらご希望のお薬ではありません。

 ローションでなら…取り扱っておりますぅ』

そんな直子に向かって店主は店に戻るとローションの瓶を持ってくる。

「関節が柔らかくなるローション?」

瓶をマジマジと見つめながら直子は呟くと、

『そりゃぁもぅ

 そのローションをつけて30分もすれば、

 どんなに筋が固い関節でもこの通りパッカパカに開きますよぉ』

店長は手に持った販促用ソフトビニール人形の股間を開いたり閉じたりして見せる。

「逆に怪しいんですけど」

怪訝そうな目で直子は言うと、

『あははは、

 これは余計でしたね。

 如何でしょうか?』

「そうね、いいわ。

 騙されたつもりで頂くわ。

 おいくら?」

ローションに興味を持った直子は

スカートのポケットから財布を出しつつ尋ねると、

『当店のお支払いは現金ではなく、

 特別な決済をしております。

 この読み取り機に手をかざして頂くだけで決済は終わります』

そういいつつ店長は円筒形を短く切った形の読み取り機を差し出した。

シャリーン!

決算完了の音が響き、

『毎度ありがとうございます』

店長は深々と頭を下げて見せる。

そして、頭を戻しながら、

『あっそうそう、

 これは特殊な商品ですので、

 ご使用にあたって、

 絶対に守って頂きたい注意事項がございます』

と使用制限について話し始めた。



「ローションの使用は一日一回だけねぇ」

風呂上りの直子は濡れた頭を拭きながら業屋で購入したローションをしげしげと眺め、

「そんなにベタベタと塗るモノではないし」

と言いながら手のひらにローションを垂らすと、

今すぐにでも柔らかくしたい自分の股関節の周囲に塗りこんでみた。

「あまり変わらないような…

 あっでも、なんかムズムズしてきた。

 ちょっと塗りすぎたかなぁ?

 あんっ、

 なにこれ?

 へっ変な気持になっちゃう」

練習が続いたときのストレス解消に時折してしまう一人エッチよりも

はるかに強い快感が直子を身悶えさせ、

快楽の彼方へと打ち上げていく。

「はぁ

 はぁ

 めっちゃ、気持ちよかったぁ

 あっ…30分は経過したみたいね。

 …どんな感じになったのかな」

汗が流れる身体を拭かずに床に腰を下ろすと、

「えいっ」

その掛け声とともに股間を前後に開いて見せた。

すると、

くにゃっ

まるで骨や筋が無いかのように直子の股間は180度開脚してしまうと、

前に倒した額が床に付いたのである。

「うっそぉ!」

左右を逆にしても同じように開脚できることに直子は驚き、

何度も開脚を繰り返す。

そして、

「すっごーぃ!

 業屋の言っていた通りだ」

と目を丸くして見せると、

「よしこれなら」

直子は目を輝かせ、

ピチャッ!

業屋の警告を無視してローションを体に塗りまくっていった。

その結果、

「うそぉ!」

翌日の新体操部員たちが驚く前で、

直子は軟体動物かのような見せつけたのであった。

「これなら文句ないでしょう!」

人間離れした柔軟をして見せた直子は

息まきながらコーチ兼顧問に向かって言うと、

キラリ!

顧問のサングラスが光るや、

「判った。

 お前も出ろっ

 演出を変える」

その言葉を残して去っていく。



「業屋さん!」

その日の夕方、

嬉しそうな声を上げて直子が公園に向かうが、

だが、業屋の店があったところには店舗の影もなく、

葉を茂らせた樹木の枝が揺れているだけだった。

「あれぇ?

 おかしいわねぇ。

 確かここだったはず」

小首をひねりながら直子は業屋の店を探すが、

しかし、いくら探しても彼の店を見つけることはできなかった。

「困ったなぁ、

 ローションの買い置きをしたかったのに」

と直子は業屋から購入したローションの追加購入が出来なくなったことを嘆く、

だが、彼女の心配は杞憂で終わった。

業屋から買ったローションは不思議なことに使った分が補充されるのか、

いくら使っても空になることはなく、

瓶の中には常にローションが満たされていたのであった。

そのため、不安を覚えることがなくなった直子は新体操の練習に勤しみ、

それにつれてローションをつける回数が増えていった。

だが、

「なぁ、光海って最近気味悪く感じないか?」

「肌が妙にテカってなんか作りモノみたいな感じがするよな」

クラスの男子たちからそんな噂が立ち始めると、

「光海さんから変な臭いするときってあるよね?」

「甘いような薬品のような臭いのこと?」

「ほら、百均にあるようなプラスチックというか」

「それを言うならソフトビニールじゃない?」

「それよそれ」

などと直子に関する噂が加速度的に広がっていったのである。

無論、新体操部内でも

「ねぇ、やっぱり…よ、ねぇ」

「うん、あなたもそう思う?」

「なんか気味が悪いわ」

と練習をする部員たちの間でも直子の姿について眉を顰め始めた。

しかし、肝心の直子はそんな噂に耳を貸すことはなく、

「せ・っかく・つかんだ・んだ」

「れんしゅ・がんば・らない・と」

体中の関節から奇妙な音を響かせながら

大きく股間を開き

えびぞった態勢から中に放り投げたループを受け取ってみせる。

「うんっ」

その様子を見た顧問は満足そうにうなづいて見せると、

「光海っ、

 その感覚を忘れるな」

「は・はい」

彼の言葉に直子は嬉しそうに返事をするが、

だが、彼女の顔は表情を作ることは出来なくなっていて

また顔をぬぐうタオルは汗を吸うことはなかった。



やがて迎えた大会の日。

「なんて・こと」

朝目を覚ました直子が見たのは

彼女の飼い猫がテーブルの上に置いてあったローションの瓶を落としてしまい、

粉々に砕け散った瓶の姿だった。

「にゃぁ」

床に撒かれたローションでベトベトに猫は愛想良く鳴いて見せると、

「どうし・よう。

 きょう・たいかい・なの・に」

直子は猫への怒りとローションを失ってしまった困惑を覚えるが、

だが、彼女の顔は表情一つ変えることはなく、

猫を見下ろす瞳は油性ペイントで描かれたような姿に替わっていた。

「じかんが・ない」

「しかたが・ない」

出発時間が迫っていることに気付くと

直子は急いで新体操部のジャージに着替えると、

新体操の用具が入ったカバンを背負い飛び出していく。

そして、直子が出て行った部屋には

コト

「にゃ…」

ソフトビニールのネコの人形が床に転がり、

油性ペイントで彩色された口から小さな鳴き声を上げ続けていた。



カバンを背負い、大会会場に向かうバスに乗った直子はしきりに時間を気にするが、

彼女の瞳は瞬きをすることはなく、

また細かい仕草も次第にぎこちなくなっていった。

「お・・・おまた・せ」

直子が更衣室に到着すると、

すでにメンバー達は支度を済ませていて、

「遅いぞ!」

彼女たちの間で顧問が腕を組んで怒鳴り声をあげた。

「もうし・わけ・・・ありま・・せん」

彼に向かって直子は謝るが、

頭を下げるシニョンに結われた彼女の髪の毛は

頭と一体で型抜きされたような姿になり、

光を受けてテカる髪も油性ペイントで彩色された姿になっていた。

だが、顧問はそんな直子の姿に疑問を持つことなく、

レオタードへ着替えを命じると、

「は・・い」

直子は部屋の隅で着替えを始めるが、

彼女の首・肩・臍周り・股間などには筋目が入っていて、

関節はすべてその筋目を回すようにして動いていた。

程なくして直子はこの大会のために作ったノースリーブのレオタードを身に着けるが、

だが、せっかく身に着けたレオタードも肌に密着した部分から繊維の影が消え、

ビニールの肌に油性ペイントで直接描かれたものへと置換されていく。



やがて始まった集団演技。

曲に乗って直子たちはメンバーはフープ(環)を持って難易度の高い演技を始めるが、

(ギチッ!)

(ギギギッ!)

ローションを塗ることができなかった直子の体の動きは悪く、

曲に乗ることが難しくなっていた。

「お・ね・が・い」

「う・ご・い・て」

人形のような動きをしながら直子は必死になって追いつこうとするが、

しかし、次第に人形の関節となった彼女の体への負担は大きくなっていく。

そして、演舞のクライマックスであるフープを花が咲くように天井に向かって放り投げ、

その下でメンバーが折りたたむように交差しようとしたとき、

ボコッ!

「あっ」

フープを放り投げた所作の勢いに耐えきれず直子の右腕が肩の関節から外れ落ちてしまうと、

トサッ!

外れ落ちた直子の右腕が床に転がっていく。

と同時に

トポッ!

ハメ穴が開く直子の右肩から

空洞になっていた身体の中に貯まっていたローションが零れ落ちはじめた。

「あ・あ・あ・あ」

直子は落ちた腕を慌てて拾おうとするが、

バコッ

今度は左足首が横にもげて外れてしまうと、

「だ・だ・め・ぇ」

その勢いで中央へと向かいフープの受け取り態勢に入ろうとしていたメンバーに向かって

突っ込むようにして倒れ込んでしまったのだ。

「きゃぁぁ!」

たちまちメンバーたちは倒れた直子の体に足を引っ掛けてしまうと、

悲鳴と共にダンゴ状態になっていく、

そしてその中で直子はメンバーの体重一身に受けてしまうが、

それに耐えることができず、

ローションをまき散らしながら関節が外れて四分五裂してしまうと、

分解したパーツが周囲に散らばっていったのであった。



「大丈夫かっ!」

突然の事態に周囲が慌ててダンゴになった新体操部員たちのもとに駆け寄っていく。

そして、

「うーっ」

「もぅ!最悪!」

ローションまみれになったメンバーたちが文句を言いながら立ち上がっていくが、

「なんだこれは?」

ビニールの臭いを漂わせながら

ソフトビニール製の少女人形が分解した状態で散らばっているのが見つかると、

「人形?」

「誰だ、人形を放り込んだのは!」

「演技妨害だぞ、これは」

散らばる人形のパーツを端へと寄せていく。

そして、一つ取り残された首が

油性ペイントで描かれた丸い瞳が瞬きもせずに見つめていたのであった。

結局、直子たちのチームは最下位となり、

ローションまみれになったメンバーは文句を言いつつ引き揚げると、

会場でバラバラになった姿で発見されたソフトビニール人形は

拾得物として警察に引き渡されたのであった。



ズカズカズカ!

「この馬鹿者がぁ!」

新体操部メンバーの帰校後、

怒り心頭の顧問が怒鳴り声をあげて部室のドアを開けると、

ムワッ!

更衣室内をソフトビニールと離型材・ペイントの臭いが満たしていて

「うっ、

 なんだこれは?」

その匂いに思わず彼が顔をそむけると、

「こ・こ・・ち」

ぎこちない声がいくつも響いた。

そして

ギチッ!

ギギギギ!!!

そんな音を上げながら人影が次々と立ち上がり、

コト

コト

と体を左右に大きく揺らしながら迫ってきた。

「え?」

そして迫ってきた者たちの姿を見て彼の体は硬直した。

「こ・・・・ち」

「ご・め・ん・・なさ・・・・い」

顧問に迫ってきたのはソフトビニールの人形たちであった。



後日談。

大会会場で散らばったソフトビニールの少女人形は警察が拾得物として保管したものの、

しかし、持ち主が現れることはなく、

程なくして無主物として払い下げられてしまうと、

街外れのアダルトショップの店先にレオタードを蛍光色に塗り替えられて置かれたが、

やがて、ショップが閉店撤退してしまうと、

放置された少女人形は次第に日に焼け、色落ちし、

荒れた姿でいつまでも立っていたのであった。



おわり