風祭文庫・人形変身の館






「ある男の顛末」



作・風祭玲

Vol.1021





西に傾いていた陽がやがてビルの谷間の中へと姿を消すと、

フッ

流れていた空気が一瞬止まる。

すべての音が途絶え、

時の流れのみが聞こえてくる静寂した時間。

その静止した時間の中、

「はぁ…」

俺は街を見下ろすペデストリアンデッキの上よりため息をついて見せる。

「はぁ…

 今日が終わるなぁ…」

時計を見ればまだ今日の終わりまで6時間はある。

でも、陽に支配されていた時間が終われば1日の終わりである。

フッ

止まっていた空気が動き出すのと同時に、

陽の光に支配されていた街のあちこちから明かりが点り始め、

その途端、街の中を仕事を終え家路へと急ぐ者、

やっと手に入れた己の時間を満喫しようとする者、

これより夜の仕事に就く者などがあふれ出し、

街はゆっくりと昼の姿から夜の姿へと佇まいを変え始めた。



昨日も…

一昨日も…

さらに一昨昨日も…

俺は同じこのペデストリアンデッキから同じ時間に同じ光景を眺めていた。

「はぁ…」

またしても溜息が出た。

つまらない…

そう、何もかもがつまらないのである。

俺はこの世に生を受けてきてから常に周囲の期待に応えることを強要されてきた。

無論、それに応えることが己の道であるとも思ってきた。

けど…どうだろうか。

皆に期待されてその期待に応えることのみを歩んできた俺の人生ってなんだと言うのだろうか。

皆の期待に応えて入社した大手企業にはもぅひと月も顔を出していない。

皆に祝福されて結婚した妻が待つ新居にはさらにふた月も帰っていない。

そういまの俺には行く当てがないのである。

だからと言って誰も探しには来てくれない。

俺はここにいるのに…

みんなの目に付くところにいるのに誰も…探しには来てはくれない。

「俺ってなんだろう…」

デッキにもたれかかりながら俺はそう呟いた。

と、その時。

『…お兄さん…』

俺に向かって話しかける声が静かに響いた。

ゾクッ

同時に俺の背中を冷たいモノが走っていく。

「だれ?」

声を出さずに俺は視線だけを横へと向けていくと、

フワッ

俺からわずか1mと離れていないところに一人の若い女性が立っていた。

「誰だ、お前?」

顔を向けずに口だけを動かすと、

『退屈そうね…』

と女性もこっちを向かずに口を動かす。

「だから?」

『いえ…

 ちょっと気になって。

 と言う理由じゃいけないかしら』

ネオンが輝きだした周囲の景色より浮き出るかのような白い衣装を風になびかせて女性はそう話しかけてくると、

こっちを向いて見せる。

「(ごくっ)なんだ、この女…」

背中まで届くような金髪の女ならいくらでもいるが、

しかし深海のごとく吸い込まれていきそうな碧眼を持つ女なんて初めて見た気がする。

「……」

黙って女の瞳を見ていると、

『あたし名は白蛇堂。

 ふふっ、

 退屈そうにそうやってブラブラしているの?』

白蛇堂と名乗る女は勝手に自己紹介をすると俺を見つめながら尋ねる。

「悪いかよっ

 俺が何をしていようとあんたには関係のないことだろう」

痛いところを突かれた腹いせに俺は毒づいてみせると、

『ふふっ、

 坊やね』

白蛇堂は自分の手を口に当て笑ってみせる。

カチンッ!

彼女のその態度に俺は非常に腹が立つのと同時に、

バッ!

俺は握ったを振り上げ、

白蛇堂を殴る仕草をしてみせる。

すると、

キッ

あの碧眼が俺を見据えた。

そうだ、俺が新居から姿を消す直前…妻をこうして殴ったんだっけ…

彼女の瞳を見ているうちに忘れていた事が俺の脳裏に蘇ってきた。

旧家のお嬢様で有名大学をトップで卒業。

しかも容姿端麗で性格も…いや、性格は最悪な女だった。

何かにつけて俺を見下げ、嘲笑する最悪の女。

俺は我慢に我慢を重ね、そして爆発をしたんだっけ…

鼻血を流して泣き叫ぶ妻の顔と白蛇堂の顔を重ねていると、

『あなたの心に大きな穴が空いていますね…』

と白蛇堂の声が静かに響く。

「うっ、

 だから何だって言うんだよ」

勢いを殺がれた俺は振り上げた拳を下ろしつつ膨れてみせると、

『本当に坊やね』

とダメを押して来た。

「坊や。坊や。って言うなっ、

 これでもちゃんとした大人だ」

笑みを見せる白蛇堂に向かって俺は怒鳴り声を上げてしまうと、

『坊やはねぇ、

 そうやってスグに感情を出すのよ。

 そして、自分の道もスグに見失ってしまう。

 どう、図星でしょう?』

まるでお袋のように諭しながら白蛇堂は俺の頬に手を当ててみせる。

「ぐっ」

言い返す言葉が見つからなかった。

思い返せばお袋や親父にもこんな言葉を言われたこともなく、

俺は不機嫌そうに口を真一文字に結び彼女を見据え続ける。

すると、

『どう?

 あなたがこれから進むべき道、

 あたしが見つけてあげても良いけど。

 ついて来る気ある?』

と深紅のルージュが引かれている唇に右手の人差し指を当てて白蛇堂が尋ねてきた。

「俺の進むべき道?

 そんなのあんたに決めてもらう必要なんて無いよ」

腕を組みそっぽを向きながら俺は返事をすると、

『でも、行くところがないんでしょう?

 勤めていた会社では手当たり次第、女の子を乱暴にした上に、

 職場での待遇を巡って上司に暴行。

 さらに、家庭では賢明にあなたに尽くそうとしている奥さんに言いがかりをつけての乱暴三昧。

 ふふっ、

 みんな、あなたが消えて清々しているのよ。

 だから誰もあなたを捜そうとしない…』

「ちがうっ!」

白蛇堂がしてきたたことはひょっとしたら事実かも知れない。

でも、そんな事実、

俺は絶対に認めたくはかった。

気が付くと俺は彼女の首を締め上げていた。

「黙れ!

 黙れ!!

 黙れぇぇ!!!」

白蛇堂に向かって何度も怒鳴りながら俺は一心不乱に首を絞め続ける。

すると、彼女の体から力が消えていくと、

見開いた碧眼はうつろに宙を見つめ、

金色の髪は乱れて俺の腕に絡み、

腕はだらんと垂れ下がって行く。

「しまった!」

後悔しても遅かった。

手を離した途端、

白蛇堂は俺の足下に崩れ落ちていく。

「やってしまった…」

動かなくなった彼女の肉体を俺は呆然と見つめると、

ジワッ

背後から何かが迫ってくる錯覚に陥った。

「おっ俺が悪いんじゃないからな…

 変なことを言ったお前が悪いんだぞ」

責任を白蛇堂に押しつける台詞を吐いた後、

ダッ!

俺は迫るモノから逃れるように逃げ出した。

「やっちまった。

 とうとうやっちまった。

 これで俺は殺人犯だ!」

警察官が追いかけてくる幻想に駆られながら俺は夜の街を走り抜けていく。

そうだ、俺はいつもこうして逃げていたんだっけ…

会社からも…

妻からも…

いやだ、

いやだ、

見捨てないでくれ、

誰も俺を見捨てないでくれ。

みんな、俺を見ててくれ!

走りながら俺は声を大にして叫ぶと、

『判ったわ、

 あなたのその願い…

 叶えてあげる』

さっき殺したはずの白蛇堂の声が耳元で響いた。

その声が響くのと同時に俺は立ち止まると、

カラン…

俺の周囲には乾いた音共に大勢の人影が立ってた。

「ひっ!」

それを見た俺は咄嗟に身構えるが、

見ると人影はすべてマネキンであった。

「どっどこだここは?」

どこをどう走ってきたのか判らない。

判ることはここはマネキンの倉庫らしいということだった。

キョロキョロとしていると、

フワッ

俺の前に白い人影が降り立つ、

「お前は!」

吸い込まれてしまいそうな蒼い碧眼…

間違いない、

さっき俺が絞め殺したはずの白蛇堂だ。

「おっ前、死んではなかったのか」

白蛇堂を指さして俺は声を上げると、

『ふふっ』

白蛇堂は小さく笑いながら俺を指さし、

『あなたが殺したのはあなた自身』

と彼女は言った途端、

フッ!

俺の脇にある光景が浮かび上がる。

『…どうしたんですか?』

『…ここに居た男が自分で自分の首を絞めだしたんだよ』

『…やだぁ、死んでいるよぉ』

『…新手の自殺か?』

『…警察です、どいてください!』

白蛇堂が倒れたはずの場所には自分の首を絞めて絶命している俺の姿があった。

「なっなんだこれ?

 何で俺が死んで居るんだ…」

『ふふふっ驚いた?

 でもこれは事実よ』

恐れ戦く俺に向かって白蛇堂は呟くと、

「じゃおっ俺はこの俺はなんだと言うんだ」

彼女に向かって俺は怒鳴り声を上げる。

『さぁ、どうしましょうか。

 肉体を失ったあなたが行く先は天国か地獄のどちらか一方、

 もっとも、これまでに多くに人に迷惑を掛けていたあなたが行けるところは一つしかないけどね』

と白蛇堂は答えると、

「たっ助けてくれ!

 俺を助けてくれ!」

彼女の足にしがみつき俺は助けを求める。

『あらあら、

 さっきの威勢はどうしたの?

 そんなに助けて欲しいの?』

細い手で俺の頭を撫でながら白蛇堂は尋ねると、

「お前が欲しいものはなんでもやるっ、

 だからお願いだ!」

彼女に向かって俺は泣き叫ぶと、

『では契約成立ね、

 毎度ありがとうございます』

の声が響くのと同時に、

パァァァン!

俺は何かに撃ち抜かれた。



街に陽が昇ると新たな一日が始まる。

朝の喧噪を受けながら、

ゴトッ!

俺は鈍い音共に全身に陽の光を浴びるが、

「………」

しかし空を見つめる俺の瞳は瞬きもせず、

結ばれた唇は微動だもしなかった。

「おーぃ、

 開店までにさっさと準備を終わらせるんだ」

「うぃーっす」

タオルをバンダナ状に巻いた若い男性達に俺は担がれると、

陽の光を受け止めているガラスケースの中へと置かれ、

待機していた女性達によって手早く着付けをされていく。

それから僅かの後、

俺は流行の衣装を纏い、

女性達の視線を一身に浴びる存在になっていた。

でも、1ミリたりとも体を動かすことは出来ず、

ただ立っているだけの存在…

そう俺はマネキン人形になっていた。

『嫌だ…

 マネキン人形なんて嫌だ。

 白蛇堂!

 なんでこんなモノに俺を閉じこめたんだ!

 出してくれ、

 俺をここから出してくれ!』

動かない瞳で彼女を探し、

動かない口で彼女に訴えるが、

けど、幾ら待っても白蛇堂からの返事は返ってこない。

ただ、視線の先にあるペデストリアンデッキに置かれた花束が風に吹かれて静かに揺れているだけだった。



おわり