風祭文庫・人形変身の館






「早樹」



作・風祭玲

Vol.656





サクッ!!

霧の中を僕は歩いていた。

サクッ

”ここは何処だ?”

サクッ

”何処に向かって僕は歩いている?”

一面に漂う乳白色の中を僕は何処途もなく歩き続ける。

サクッ

サクッ

サクッ

もぅどれくらい歩き続けたのであろうか、

1時間?

2時間?

半日?

それとも1日中歩いているのか、

大体いつから歩き始めたのも不確かな中、

僕は歩いていく。

サクッ

サクッ

キラッ☆

その時、足下で何かが光った。

「ん?」

それに気がついた僕は立ち止まりそして腰をかがめると、

そこには一輪の花が咲いていた。

なんて言う花だろうか、

真っ赤な花びらを持つ花は見たことはあるのだが、

しかし、名前は思い出せない。

「なんて名前だっけ…」

そう呟きながら手をさしのべ、

そして、指の先端が花に触れた途端。

キンッ!

花は小さな音を立てると、

サラサラサラ…

まるで砂を崩すかのようにその形が崩れ消えてしまった。

「!!!」

衝撃のその光景に僕は慌てて手を引っ込めると、

”そうだ、

 早樹は…
 
 早樹はどうしたんだ”

とある女性のことを思い出した。

「早樹ぃっ」

「早樹ぃっ」

スグに立ち上がり僕は彼女の名前を呼び叫ぶ。

「くそぉ…

 どこだ、
 
 何処に行った…」

ザクザクザク

僕は走り出し、

足音を立てながら彼女の名前を呼ぶ。

『大丈夫だって…』

一瞬、僕の頭の中に彼女の声が響き渡る。

”あっ”

その声に僕の脚が鈍くなると、

『問題ないよ…

 ちょっと、値を変えるだけだから』

また、早樹の声が響き渡る。

”早樹…

 お前、何処にいるんだ”

幾度も頭の中を彼女の声は響くが、

しかし、その声は僕の記憶が生み出している過去の出来事。

サクッ

サクッ

”何であの時止めなかったんだろう…”

ふと、後悔の念が僕の胸にわき起こる。

”あれ?

 なんで後悔するんだ…”

突然湧いたその気持ちに僕は戸惑う。

”何かが…

 何かがあったんだ”

だからこそ僕は早樹を探していた。

良く思い出せないが、

でも、何か重大なことが起きたことは事実だ。

この場に立ち止まってそれを思い出すか。

それとも早樹を探し出すことを優先するか僕は選択に迫られる。

”時間がない…”

そうか、僕には時間がないんだ。

でも、何で時間がないんだろうか、

”時計は?”

あれ?

時計がない…

”今は何時だ?”

タイムリミットまでどれくらいあるんだ。

僕に与えられた時間は一体どれくらいなんだ…

焦りが僕の心を支配し、

そしてそれに押されるようにして再び僕は早樹を探し始めた。

”早樹”

”早樹”

”何処にいるんだ”

迫る何かと必死で闘いながら僕は彼女の姿を探す。

すると、

ピチャッ…

前の前に大きな池が姿を見せた。

「池…

 いや、湖かな…」

波風も立たない鏡のような水面を見ながら僕はたたずんでいると、

『秀?』

と女性の声が響いた。

”!!”

その声が響いた方を見ると、

『秀なのね…』

霧の向こうで人影が微かに映る。

「早樹…

 早樹か!」

人影に向かって僕は声を張り上げ、

そして、向かってゆく。

目の前を覆う霧が見る見る薄れ、

やがて僕の前に1人の女性が姿を見せた。

”早樹”

間違いなく、彼女は早樹だった。

「早樹!!」

僕の口から彼女の名前が出ると、

『秀!!

 逢いたかったよ』

長いロングの髪を微かになびかせ早樹は声を上げた。

”けど…

 なんで、早樹は裸なんだ…”

一糸まとわぬ姿で佇む彼女の姿に僕は戸惑うが、

早樹に逢えた喜びが上回り、

僕はギュッと彼女を抱きしめた。

「早樹!」

『秀!!』

その場から一歩も動かない早樹の身体は氷のように冷たく

まるで石か何かを抱いているかのように固かった。

「早樹…

 早樹…」

しかし、僕はそんなことには構ってはいられなかった、

ひたすら早樹を抱きしめ、

また早樹も僕に抱きついてた。

いつまでもずっとこうしていたい。

そう願いながら僕と早樹は抱き合っていた。

「なぁ…一緒に帰ろう」

僕の口からその言葉が漏れる。

『………』

けど、その言葉への早樹からの返事は返ってこなかった。

「早樹?」

なかなか返ってこない返事に僕は早樹の顔を見ると、

『だめよ…

 あたしは帰れない』

と早樹は呟いた。

「なんで?

 どうして?」

 どうして帰れないんだ?

 こんな寂しいところにずっと居るっていうのか?

 裸のままで?

 いいから帰ろう…

 な?」

渋る早樹にそう言い聞かせ、僕は早樹の手を引こうとする。

すると、

ミシッ!

早樹の手はまるで石のように固くなり、

微動だにしなくなった。

「早樹?」

『ごめんなさい…

 あたし…
 
 秀の言うことを聞けば良かった』

驚く僕に早樹は涙を流しながら謝り始める。

「言うことって、

 なんだよ…
 
 僕がなにか言ったのか」

泣き出した早樹に僕は詰め寄ると、

『ごめんなさい…

 ごめんなさい…』

早樹は謝り続けるそれ以上のことは何も言わなかった。

「早樹!」

ピシッ!

そんな彼女の肩を持ち名前を叫んだ途端。

早樹の身体の中から音が響く。

すると、

『あぁ…

 ダメ…
 
 もぅもぅ…

 あたし…』

早樹は僕を見つめながら声を上げると、

パキパキパキ!!

早樹の肌から色が消え、

そして、身体から動きが消えていく。

「早樹ぃぃぃっ」

僕は大声で早樹の名前を呼んだとき、



「芝崎さん!」

僕の耳に僕を呼ぶ声が響いた。

ハッ!

その声に驚くようにして僕は目を開けると、

「芝崎さん、

 芝崎さん」

と僕の名前を連呼する白衣姿の女性が目の前に迫った。

「え?

 あっ
 
 あれ?
 
 ここは?」

気がついた僕は周囲を見回すと、

病室だろうか、

それとも処置室だろうか、

僕はベッドの上に寝かされ、

そして、真横には生命維持装置らしき機器が添え置かれ、

そこから伸びる管が僕の腕に刺さっていた。

また、さらに僕の頭には無数の電極が貼り付けられ、

そこから伸びるコードが頭元に置かれていた機器に結ばれてる。

それらを眺めていると、

「はぁ、

 良かった…」

女性はホッと胸をなで下ろし、

安堵した表情になる。

「えぇ…っと、

 ここは…
 
 どこ?」

その女性に僕は質問をすると、

「そっか、

 記憶が混乱しているのね、
 
 ちょっとキツかったみたいね、
 
 あなたの希望で強制リンク掛けたんだけど、
 
 どうだった、妹に逢えた?」

と女性は僕に尋ねた。

「妹…

 妹…
 
 あっ、早樹のお姉さんか…
 
 早樹のお姉さん…」

彼女の言葉に僕の記憶が徐々に整理され、

一本化されていく。

そして、

「あっ!」

飛び起きながら僕は声を張り上げると、

「だめよ、

 寝てなければ…」

と彼女、いや、早樹のお姉さんである由宇さんが僕を押しとどめ、

「いいこと?

 秀君は一月の間、ここで寝ていたの、

 寝ている間はこの維持装置で栄養などは送っていたけど、

 でも、いま無理して起きあがると身体に悪い影響が出るわ」

と警告をする。

「あっはっはい」

その言葉に僕は返事をすると、

「由宇さん…

 僕…
 
 早樹に逢いました」

と報告をする。

「そう…」

僕の報告に彼女は少し暗い表情になり、

「で、どんな様子だった?」

と尋ねる。

「えぇ…

 なんか、しきりに謝っていました…
 
 ごめんなさいって…」

僕に幾度も謝る早樹の姿を思い出しながらそう告げると、

「そう…」

由宇さんはそれ以上はなにも言わなかった。

重苦しい空気が流れた後、

「由宇さん…

 大丈夫ですよ、
 
 確かに早樹は生きていました。
 
 生きて僕と逢うことが出来たのです。
 
 大丈夫ですよ、
 
 僕がきっと早樹を元の姿にして見せます」

と白衣姿の由宇さんに決意を言う。

「うん、

 ありがとう…
 
 そう言ってくれると、

 うれしいわ」

僕の言葉に由宇さんは笑みを浮かべ、

そして、視線をガラス一つ隔てた隣の部屋に移すと、

「そうね…

 はやく、早樹をあたし達の時間の世界に連れてこないとね」

そう呟いた。

「えぇ…」

その言葉に僕も頷くと、

「で、話は変わって…

 早樹とはどれくらいの時間は話せた?

 データが欲しいの。

 あなたの脳波を人工的に干渉して

 思考に掛かる時間を遅くし、

 早樹の脳波とシンクロさせたんだけど、

 体感で早樹とどれくらいの時間、一緒にいられた?」

研究者魂を見せつけながら由宇さんは尋ね始めると、

「えぇっとですね…」

その問に僕は頭を掻きながら一つ一つ答えて行った。



ガラスも向こうに据え置かれた一体の石像…

彫刻ではとても表現できない表情をした裸身の女性像は、

紛れもない僕の恋人であった早樹である。

彼女は死んではいない。

立派に生きている。

西暦2132年…

ここ火星軌道上で行われた人類初のワープ実験でその事故が起きた。

そして、事故に巻き込まれ1人の女性技術者が宇宙に放り出され、

すぐに救助されたものの、

しかし、その姿に皆は息を呑んだ。

そう、助け出された女性技術者の身体は

身体の構成元素の一つである炭素が珪素に置換され、

石化してしまっていたのである。

彼女を診察した医師は死亡と診断したが、

しかし、姉である由宇さんと恋人だった僕は彼女の死を信じなかった。

”早樹は生きている”

ただ、身体が珪素に置換されてしまったために、

新陳代謝が非常に遅くなってしまっただけだと…

そして、由宇さんが行った実験でそれが実証された。



早樹…

待っていろ…

僕が助けてやる…



おわり