風祭文庫・人形変身の館






「裸婦像」



作・風祭玲

Vol.389





その高校の美術室には一体の大理石造りの裸婦像がある。

ほぼ等身大の裸婦像はギリシャ彫刻のようなポーズをとりながらも、

顔立ちや身体の線には東洋系のどこか神秘的な雰囲気を醸し出し、

見る人によって神々しくも、

また、エロチックにも感じられられ、

男子生徒からは欲望のまなざしを、

女子生徒からは羨望のまなざしを、

常に受けながら、静かに立っていた。

しかし、この像はいつ誰の手によってここに持ち込まれたものなのか一切不明で、

長い歴史のある学校だけに、

戦時中に軍が都内の美術学校から持ち込んだものとか、

または、戦後一時的にここを接収をした米軍の置き土産とか色々な噂が囁かれていた。



「はーぃ、

 いいこと?

 目だけで描くのではなくて、

 心で感じたことを描くのですよ」

新学期のスタートから時間が経ち、

ようやく校内の落ち着きが出てき始めたある日の午後、

美術教師、相沢理恵は美術室で1年生の授業を行っていた。

「なぁ、すげーな」

「話には聞いていたけど…」

「なんか怖いわねぇ」

「そうかな?」

噂の裸婦像を目の当たりにして1年C組の生徒達は皆一様に驚きながらもデッサンを始めだした。

「ちょっと、刺激が強すぎたかなぁ」

顔を赤らめながらデッサンをしている女子生徒の姿を横目で見ながら

理恵は心の中でそう呟きながら生徒達の作品を見て回り、

そして、ふと顔をあげると裸婦像をマジマジと眺めた。



「では私はこれで帰りますので、

 戸締りの方、よろしくお願いします」

最後まで職員室に残っていた教師が未だ明かりがついている美術準備室に顔を出し、

中で翌日の授業のために準備をしている理恵にそう告げると、

「はーぃ」

理恵は額に汗を浮かぶ汗をぬぐいながら返事をした。

そして、

「ふぅ!」

と大きく息を吐くと、

準備室内に置かれている机の上に腰掛け

置いてあったペットボトルに口をつける。

すると、

サワッ

開け放たれた窓から入ってくる夜風が作業で火照った身体を冷やしはじめた。

「はぁ…」

その夜風に理恵はしばし身体を預けていると、

ふとあの裸婦像のことが彼女の頭の中をよぎった。

そして、

「………」

無言のままじっと裸婦像が置かれている美術室の方を見つめていると、

サワッ…

再び入ってきた夜風がまるで理恵の背中を押すように軽く吹きかけた。



トッ

その夜風に促されるまま理恵は机から降りると、

カチャッ

準備室と美術室とを隔てているドアを開けた。

すると、美術室の奥に置かれている裸婦像が浮かび上がるように姿を見せると、

理恵に向かってその神秘的な微笑を投げかけてきた。

「………」

理恵はその視線を裸婦象に向けたまま無言で近づいていくと、

その前に立ちじっとモノを言わぬ裸婦像を見つめ始めた。

無言の時間が過ぎていく、

どれくらい時間が経っただろうか、

スッ

突然理恵の右手が動くと、

そっと裸婦像の頬にその手を当て、

「あなたはなんでそんな顔をしているの?」

と話しかけ始めた。

「…こんなに美しい顔に、

 いつまでも人を魅せつけ崩れないプロポーション…

 どれをとっても羨ましい」

裸婦像と面頭向かっているうちに理恵の心の中にある種の嫉妬心が芽生えていた。

そして、

「はぁ、あたしもあなたのようになりたい…」

そう理恵が口走ったとき、

『なら、替わってあげましょうか?』

という女性の声が美術室に響き渡った。

「え?」

響き渡った声に理恵が驚くと、

『ふふふ…

 あたしもこんなところに居るのもいい加減飽きてきたし、

 あなたみたいに自由に歩ける足が欲しい。

 と願っていたところなのよ』

「だっ誰?

 誰なのよっ」

再び響き渡った声に理恵は声を上げる。

すると、

『誰って…

 あなたの前に居るじゃない』

「うそっ」

そのとき、理恵は目の前に立つ裸婦像の唇が

その台詞にあわせて動いて行く様子が彼女の目に飛び込んできた。

「ひっひぃ!!」

『何を驚いているの?

 いまこの部屋に居るのってあなたとあたしだけでしょう

 さぁ交換しましょう。

 あなたとあたしの身体を…』

「いやぁぁぁ!!」

理恵は悲鳴を上げると、

大慌てで明かりが点る準備室のほうへと逃げ出そうとした、

しかし、

ゴトッ!!

踏み出した理恵の足先が突然鈍い音を立てると、

まるで錘のようにその場で止まってしまった。

「きゃっ」

ドタッ!!

いきなり足が止まっためにバランスを崩した理恵の身体は思いっきり床に打ち付けられた。

「痛〜ぃ」

鼻の頭を抑えながら理恵が起き上がると、

ピシピシピシ!!

自分の左右両方の足先が白い大理石へと石化していく様子が飛び込んで来る。

「ぎゃぁぁぁぁ!!」

衝撃の光景に理恵が悲鳴を上げると、

『ふふ…

 ダメでしょう、

 折角の身体が傷つくじゃないの。

 傷がついては台無し、

 じっとしていなさい』

と裸婦像の声が響き渡った。

「いっいやっ

 いやよ

 あたし、石になんてなりたくない。

 誰か助けてぇ!!」

ピシピシ

石化が膝まで及び曲げることが出来なくなった脚を庇いながら理恵は叫ぶが、

しかし、いつもなら飛んでくるはずの警備員は駆けつけてはこなかった。

「なっなんで?」

『ふふ

 無駄よ

 あなたの声は誰にも聞こえないわ。

 だって、あなたは石像なのよ

 石像の声が人間に聞こえるわけないじゃない』

「えぇ!!

 だって、あたしはまだ動けるし、

 こうして声も…

 あっ!!」

裸婦像の言葉に理恵が反論しようとしたとき、

ピキピキ!!

ついに彼女の両手の指が石化し始めたことに気がついた。

「いやぁぁ

 いやぁぁ

 いやぁぁぁぁ!!」

パキパキパキ!!

悲鳴を上げながら理恵は白い大理石へと化していく両手を掲げ揚げると、

『さぁお立ちなさい。

 今度はあなたが生徒達に見るめられる番…』

裸婦像はそう理恵に言うと、

ゴトッ

床の上に倒れていた理恵の身体が起こされると、

ゴロンゴロン

っと2・3回転しながら裸婦像の横に並ぶようにして立たされた。

「あっあっあっ」

裸婦像の真横に立たされた理恵が畏怖の表情で裸婦像の方を見ると、

ギギギギ…

『そんな顔をしないの、

 さぁ、あたしと同じポーズをとるのよ』

そう言いながら裸婦像の首が軋むような音を上げながら理恵の方を向く。

「……」

その光景にもぅ理恵の口からは悲鳴は上がらずに、

ただ、まん丸に向いた目が彼女の恐怖を伝えていた。

『さぁ…固まる前にこうするのよ』

裸婦像の声が響き渡ると、

ググググ…

まるで何かに掴まれた様に理恵の腕が動き、

そして、それにあわせて彼女の身体も裸婦像がしていたのと同じポーズをつけていく、

そして、それと同じくして、

パキパキパキ!!

理恵の腰と肩が石化してしまうと、

ジワジワと白い大理石が理恵の身体を蝕み始めていった。

「あっあぁ…

 いやぁ…

 かっ身体の中に、

 身体の中に砂が詰められていく…」

身体の中にサラサラした砂が詰められていく

そんな感覚を理恵が訴えると、

『そうよ、

 それが石になっていく感覚なのよ

 でも、もうスグそれも感じなくなるわ』

パキパキパキ!!

虫に蝕ばまれていく若葉のように理恵の身体が石化してしまうと、

石化は理恵の細い首へと移り、

その先にある理恵の顔も次第に白い大理石の輝きを放つようになってしまった。

そして

「あっあぁ

 あたしが…

 あ・た・し・が…石になって・い・くぅぅぅ」

その言葉を残して理恵の唇は動かなくなり、

輝きを失った目は空ろに遠くを見つめていた。



キン!!

すっかり理恵が石像と化してしまうと、

『さて、それでは』

裸婦像はそう声をあげると、

パキパキパキ!!

見る見る裸婦像の全体に蜘蛛の巣のようなひびが入ると、

バリバリバリ!!

と言う音を立てながら中から全裸の女性がその中から姿を見せる。

そして、

ゆっくりと自由に動く身体を確認するように身体の各部を動かすと、

クルリ

と振り返り、動かなくなった理恵の方を見た。

『!!』

彼女のその表情を見たとき、

一瞬、理恵は驚いたような顔をするが、

しかし、動かなくなった理恵の表情は何一つ変わることが無かった。

「驚いた?」

裸婦像から出てきた女性はそう理恵につげると、

「さて、それでは」

と言いながら、

ヒタッ

理恵が着ていた服に手をつけた。

すると、

パキン!!

まるで、氷が砕け散るかのように理恵が着ていた服が砕け散ると、

キラッ!!

一体の裸婦像が夜の美術室の中に浮かび上がった。

「さて、あたしの名前は相沢理恵…

 美術の教師…」

女性はそう呟きながら振り返ると、

ゆっくりと準備室のほうへと歩き始めた。



「はーぃ、

 いいこと?

 目だけで描くのではなくて、

 心で感じたことを描くのですよ」

美術教師・相沢理恵はそう声をあげると、

美術室に置かれた裸婦像のスケッチを生徒達は描き始める。

「ねぇ…」

「なに?」

「相沢先生、雰囲気変わったと思わない?」

「そう?

 いつもと変わらないと思うけど」

「そうかなぁ…

 なんか昨日までとは別人のような気がするんだけど」

そんな声が囁かれる中

相沢理恵は注意もせずにじっと裸婦像を見つめる。

その一方で、

『いやぁぁ…

 見ないでぇ!!

 そんなにあたしの裸を見ないでぇぇ』

『お願い、

 あたしを裸で人前に立たせないで、

 せめて、

 せめて、何かを着させてぇ』

裸婦像となった理恵はそう悲鳴を上げるが、

しかし、動かなくなり微笑を浮かべる彼女の口からは何も声が出てくることは無かった。



おわり