風祭文庫・人形変身の館






「あたしの心」



作・風祭玲

Vol.290





♪〜

流れる音楽の中、一羽の白鳥が華麗に舞い踊る…

まるで浮かび上がるようにして舞う彼女の姿に観客達は

しばしの間、時を忘れ、

そして、彼女が奏でる幻想の世界に見入っていた。



ザワァァァァァァ!!

劇場を飲み込む割れんばかり拍手の中、

”あたし”は花束を受けると舞台から去って行く、

「お疲れさまです」

労をねぎらうスタッフを後目に、

コツコツ

とトゥシューズの音を鳴らしながらあたしは控え室へと急いだ、

キィ…

キィ…

体のあちらこちらの関節から小さな音がこぼれはじめる。

『あっ急がなくては…』

その音が寄りいっそうあたしの足を急がせた。

「…なぁ…二階堂さん、汗かいてなかったか?」

「…そう?」

「…息も切らしてないし…」

「…まぁ、その辺がプロなんでしょう」

「…でも、なんて言うか作り物のような…」

花束を抱え廊下を歩くあたしを見てそんな声が聞こえてくる。

『そう、確かにあたしは汗をかいていないし息も荒れていない…

 だって、あたしは…』

そう思ったとき

「二階堂愛」

と書かれた紙が貼ってあるドアがあたしの目の前に迫ってきた。

カチャッ

無言であたしはドアを開けてまるで飛び込むように部屋に入った途端、

「愛っ、今日の舞台はまずまずの出来でしたわ」

と冷たく厳しい声が部屋に響き渡った。

『はいっ』

この声を聞いたあたしは反射的に直立不動の姿勢になってそう返事をすると、

「しかし、まだ全然レッスンが足りません、

 つぎの公演までみっちりとレッスンをしますからね」

そう言いながらあたしの目の前に線の細い中年女性…

そうあたしのママが姿を現した。

『はい、ママ…』

あたしはそう返事をすると

「よろしい、

 さぁ、あなたの痛んだ身体を繕ってあげます、

 衣装を脱いでそこに横になりなさい」

ママは満足そうに頷くと用意していたベッドを指さした。

あたしはママの指示に従い、

身につけていた衣装を脱ぎ捨てるとそこに横になった。

すると、

『失礼・します』

という言葉とともに一人の女性が姿を現すと、

彼女の手によって、油で薄く溶かれた漆喰があたしの肌に塗られていった。

シュウワァァァァァ…

そのような細かい音を立てながら漆喰はあたしの肌に染み込んでいくと、

舞台で痛んでしまった身体を修復していく、

『………』

既に何も感じることが出来ない身体になってしまったが、

しかし、このときだけは忘れかけていた快感を感じていた。

『あぁ…』

心地よさにあたしは声を上げる。

『いかがで・しょうか?』

あたしの声に女性は尋ねると、

『ありがとう』

笑みを浮かべながらあたしは女性に礼を言う。

しかし…

彼女はそんなあたしの顔を見ても何も言わず、

そのまま作業を続けた。

そんなあたしを見つめながら

「ふふふ…

 愛…あなたはあたしの大切な作品よ、

 歳を取ることも、

 醜くなることもない、

 永遠のプリマバレリーナ…」

そう言うと、

『はい、ママ』

ママの言葉にあたしはただ返事をするだけだった。

ママは昔のことはあまり詳しくあたしには話してくれなかった。

ただ、かつては有名なバレリーナだったこと…

死んでしまったパパと恋に陥ったこと…

そして、そのことが元でバレエ団を追われたこと…

それぐらいしかあたしには話してくれなかった。

普段は厳しいママだけど、

でも、納得の行く舞台が出来たときには、

恥ずかしいくらいに褒めてくれるから、

だから、あたしは一所懸命にがんばろうと思う、

それがママの娘であるあたしが出来る恩返しだから…

そう思っているうちにあたしはそのまま寝てしまっていた。



数日後…

パンパンパン!!

「愛っ、なんですかそのアチュードは!!」

自宅のレッスン室にママの怒鳴り声が響き渡る。

『はい、ママ』

レオタードに身を包んだあたしはそう返事をすると、

指摘された部分を幾度も反復練習をした。

「ちがうちがう…」

ママは頭を掻きながらそう叫ぶと、

時計に目をやるなり、

「あっもぅこんな時間だわ…

 愛っ、ちょっと工房まで出かけてきますからね」

と言い残すとレッスン室から出ていってしまった。

『あっ』

あたしはママを呼び止めようとしたけど、

しかし、ママはそのまま戻っては来なかった。

『あたし…どうしよう…』

レッスン室に一人ぽつんと取り残されてしまったあたしはしばし考えた後、

コト…

とにかくママに謝ろうと思ってレッスン室を出ると一階へと下りていった。

しかし、家の何処にもママの姿はなかった。

『ママ…そういえば工房に行くって言っていたっけ』

工房はパパのパパ…そうあたしのおじいちゃんが

先祖代々から研究としてきた場所のことで、

あたしはそこで生まれ変わったのだった。



カチャリ…

ざわっ

玄関のドアを押してあたしが表に出た途端、

忘れていた様々な音があたしを包み込む。

あたしの自宅兼レッスン室は街から遠い所にあったために

聞こえてくる音はすべて自然の音なのだけど、

でも、あたしは懐かしさで一杯になった。

サク…

サク…

レオタード姿のままあたしは工房に向かって道を歩いていく、

すると、

遙か先で微かな煙と倒れている人の姿が目に映った。

『誰か…居る…』

あたしはそこへ急いでみると、

『あっ』

そこには横転したバイクと、

そのバイクを運転していたであろう、

ヘルメットを被った青年が倒れていた。

『しっシッカリしてください』

あたしは青年を抱き起こすと思わす声を掛けた。

「……ん?」

気がついたのか青年はうっすらと目を開けると、

「ここは…あの世か?」

とキョロキョロとしながら呟く、

『大丈夫ですか?』

そうあたしが尋ねると、

「イテ…

 なんだ、目を開けたら美人が居たからてっきりあの世か思ったが、

 どうやら生きているようだな」

彼はそう言うと、

「よっ」

っとかけ声を掛けながら起きあがった。

『あっ』

起きあがった彼の行動にあたしは驚いていると、

「あちゃぁぁ…」

青年はバイクの惨状をみて目を覆った。

そして、

「なぁ君、この近くの子」

と尋ねると、

『えぇ…』

あたしはそう答えながら立ち上がった。

その途端、

「うわっ」

青年はあたしを見て声を上げた。

『どうかしましたか?』

彼の驚いた様子にあたしが聞き返すと、

「君…その格好で、出歩いてたの?」

と目を覆いながらあたしに言う、

『え?』

あたしは自分の格好を見ながら、

『どこかおかしいですか?』

と尋ねると、

「まぁ…こう言うところだし君がよければ別にいいけど…

 でも、君ぐらいのとしならそんな格好では出歩かないと思うけどなぁ」

と彼は周囲を眺めながらあたしに言った。

『そうですか…』

あたしはそう返事をすると、

「あちゃぁ…携帯が壊れているよぉ

 困ったなぁ…」

青年はポケットから2つに分離してしまった携帯電話を取り出すなり嘆いた。

『よろしかったら、

 あたしの家に来ませんか?

 電話ならありますよ』

彼のその様子にふとそう告げると、

すると、

「え?

 そうなの?
 
 いやぁ助かる!!」

彼はあたしに手を合わせながら頭を下げた。



「へぇ…そうなんだ…

 ずっとバレエ一筋ねぇ
 
 だからそんな格好をして居るんだ」

バイクを押しながら青年はあたしの話に大きく頷く、

青年の名前は加藤瞬と言い、

バイクに乗って旅をしている途中だと説明してくれた。

『はい…

 ママはあたしのバレエを誉めてくれます』

「ふぅん」

あたしは一所懸命自分のバレエがママに誉めてくれることを話すと、

「なぁ…

 愛ちゃんはママのためにバレエをしているの?」

とあたしに尋ねた。

『え?…』

瞬さんのその言葉にあたしは思わず言葉が詰まる。

「まぁ…ママに喜ばれることで愛ちゃんが満足しているのなら

 それでいいかも知れないけど、

 でも、それだけでは寂しいんじゃない?」

『………あたし…』

瞬さんの言葉にあたしはそう言いかけたところで、

「愛ッ!!」

ママの叫び声が響き渡った。

『あっママ…』

あたしは振り返ると、

そこにはクルマから降りて立っているママの姿があった。

「愛っ、なんですかっ勝手に家を出て」

ものすごい剣幕でママがあたしの所に近寄ってくるなり、

ビシッ!!

ママの手があたしの頬を叩いた。

「あっ…なにも」

それを見て瞬さんが驚きの声を上げる。

すると、

ママは瞬さんを見据えると、

「ねぇ、あなた…何処まで愛の秘密を知りました?」

と尋ねた。

「はぁ、秘密ですか?」

その質問に瞬さんは呆気にとられると、

「しらばっくれても無駄ですよ、

 大方、愛の秘密を探りに来た者でしょう」

「おいおい、秘密って何を大げさな…

 僕は何も知りませんよ」

ママの問いに瞬さんはそう返すが、

しかし、ママは、

「愛の秘密を知られた以上大人しく帰すわけにはいきません。

 さぁ、幸子さん、

 雪枝さん」

と声を上げた。

すると、

『はい』

と2人の女性の声がするなり、

カタカタ

音を立てながらレオタード姿の女性がママのクルマから降りてきた。

「なんだ?」

二人の女性を見て瞬さんは呆気にとられる。

しかし、

あたしはその二人を見るなり

『そんな…』

我が目を疑った。

『なんで…だって、幸子さんと雪枝さんって確か事故で…』

そう、あたしが驚いたのは

幸子さんと雪枝さんの二人はこの間のバレエ団の公演の前日に

交通事故で亡くなったと聞かされていたからだった。

『ママ…これはどういう…あっ!!』

死んだと聞かされていた二人があたしの目の前に姿を現したことに、

あたしは思わず訳を尋ねたが、

しかし、スグにその事情がわかってしまった。

『ママ…まさか』

あたしがそう指摘すると、

「そうよ、幸子さんも雪枝さんも死んではいないわ、

 このあたしが蘇らせたのだから」

とママはあたしに告げる。

「蘇らせた?」

ママの言った最後の言葉に瞬さんは思わず聞き返すと、

「ふふ…

 そうよ、あたしが蘇られたのよ

 この二人と、愛もね…」

満面の笑みを浮かべながらママはそう呟いた。



「はい、アンドゥトワァ!!」

レッスン室にママのかけ声が響き渡る。

あたしはママの前で賢明にレッスンを続けるが、

しかし、

そんなあたしの姿をレッスン室の隅で後ろ手に縛られた瞬さんがジッと見つめていた。

「なぁ、愛ちゃんのママさんよぉ…

 さっきあんたが言っていた話だと、

 俺の目の前でレッスンをしている愛ちゃんは人間じゃないということだぞ」

縛られている瞬さんがそうママに尋ねると、

「そうね…そう言うことになるかしら」

ママはまるで他人事のようにして言う。

そして、そう言いながらも、

「愛っ、気が散ってますっ」

と言うや否や

パシッ!!

ママの手に握られた竹刀が容赦なくあたしの身体を叩いた。

「うわっ」

その瞬間、瞬さんは目を閉じ身を縮める。

すると、

カシャッ!!

微かな音を立てながら

『奥さま・あまり・愛さまを・叩きますと・身体が・痛んでしまいます』

瞬さんを監視している雪枝さんがママに言うが、

しかし、ママは

「全く、あの演出監督は舞台をなんだと思っているのかしら…

 せっかくの愛の主演だというのに…

 まったく、バレエ団に文句を言ってクビにしてもらおうかしら」

と言うだけだった。

レッスンは休みなく延々と続き、

あたしの身体は次第に疲労していった。

そして、ついには関節からキィキィと音が小さく出始めた。

『ママ…お願い、少し休憩させて…』

あたしはそう懇願してその場にへたり込むと

パシッ!!

竹刀の音が鳴り、

「これくらいのコトで弱音を吐いていてはダメですっ

 いいですか、愛っ、

 あなたはあたしが丹誠込めて作り上げたプリマバレリーナなんですよ、

 その辺の生身の女とは違うのですっ

 そして、だれにもまねできない表現力を身につけるのです」

ママはそういいながら容赦なく竹刀であたしを叩き、

そう言い聞かせる。

『ごっごめんなさい!!』

あたしは腕で庇いながら泣き声に近い声で返事をすると、

「いいですかっ、

 あたしが納得がいくまであなたのレッスンは終わりませんからね」

ママはあたしにそう言うと、

「おっおいっ、

 無茶苦茶してるんじゃねーぞ」

レッスンの過酷さに耐えかねた瞬さんがそう怒鳴ると、

シュルリ!!

腕を縛り上げていた紐を解くなり、

あたしの前に立ちふさがった。

そして、

「ママさんよぉ、

 あんたにどういう理由があるかは聞く気はないけど、

 ちょっと異常すぎるぞ」

ママを睨みながら凄むと、

「お前なんかに私の苦労が判りますか

 私の才能に嫉妬した者にバレエ団を追われ、

 さらに最愛の夫を失った。

 私は私をこんな目に遭わせた者達への復讐の一心で愛を育ててきた。

 そして、愛には年老いても崩れることない永遠の美貌と身体を与えたのよ」

ママは瞬さんに向かってそう言うと

「永遠のってさっきもあんたそう言ったよな、

 そして、愛ちゃんのその身体は生身じゃないって…」

瞬さんはママがさっき言っていた言葉を返す。

そして、

チラリ

とあたしに視線を送ると、

「それに、愛ちゃんの身体は固く

 そしてなんの温もりを感じなかった

 まるで、人形みたいに…」

と言ったとき、

『やめて!!』

あたしは耳を塞いで声を上げた。

『もぅやめて…』

あたしは泣きべそをかきながらヨロヨロと立ち上がると、

レッスンの続きを始め出した。

すると、

「愛ちゃんっ、

 君は誰のためにバレエをするんだ?」

瞬さんの声がレッスン室に響き渡った。

『それは…』

彼のその声にあたしは困惑すると、

「愛の心を乱すノラネコはお仕置きが必要ですね」

スッ

ママはそう言うとゆっくりと瞬さん近づいてきた。

『そんな…ノラネコだなんて』

あたしは咄嗟に瞬さんを庇うと、

「退きなさい、愛っ」

ブン

ママは竹刀を振りかざしながらあたしにそう言う。

それを見たあたしは

『瞬さん…逃げて…』

と後ろに居る瞬さんにそう言うが、

しかし、

スッ

瞬さんの手があたしの身体を押し退けると、

「愛ちゃんのママさん!!」

と言いながら彼は一歩前にでた。

「あら…ノラネコの癖に態度が大きいのね」

瞬さんの行動にママはまるで獲物を見据える虎のような視線でそう言うと

「愛さんを自由にしてあげてください。

 このままでは愛さんは身体だけではなく、心も人形になってしまいます」

と訴えた。

すると、ママは何も答えずにいきなり、

ビシッ

持っていた竹刀で思いっきり瞬さんを叩いた。

ドタァン

吹き飛ばされるようにして瞬さんがレッスン室の床に倒れ込むと

ビシッ

「ふんっ、あたしに命令をするなんて」

ビシッ

「まったく!!」

ビシッ

「許しません!!」

ママは顔を真っ赤にして竹刀で幾度も瞬さんの身体を叩いた。

『ママやめて!!』

ダッ!!

そう叫びながらあたしは思わずママを突き飛ばすと、

瞬さんの手を掴み、

そのままレッスン室の外へ向かって走り出した。

『奥様…』

突き飛ばされたママを雪枝さん達が抱き起こすと、

「何をしているのですっ

 あの男はあたし達の秘密を知りました、

 すぐに捕まえるのです」

ママはそう叫ぶと、

『はいっ』

そう返事をするなり雪枝さん達はあたしを追いかけてきた。

どたどた

家を飛び出したあたしは、

瞬さんのバイクが置いてある所へと連れて行くなり、

『これを見てください…』

と言いながら手首を壁に打ち付け、

そして、その手首を瞬さんに見せた。

キラッ

衝撃で表の漆喰が剥がれたその下には

陶器のような輝きが顔を覗かせていた。

「これは…」

瞬さんはあたしの手首を見て驚きの声を上げると、

『そうです、見ての通りあたしの身体は焼き物の人形なんです。

 それどころかあたし…実は一度は死んでいるんです。

 でも、ママはあたしを死なせてくれなかった。

 それどころか、ママはあたしに新しい身体と、

 さらに2度と死なないように、

 生身だった身体をこうして人形にしてしまったんです』

と言うと、

「なぁ愛ちゃんも一緒に行こう」

瞬さんはそう言ってあたしに手を差し伸べた。

『そんな…

 でっでもあたし…』

瞬さんの申し出にあたしは困惑していると、

『愛さま・惑わされては・行けません』

いつの間にかあたしのとなりに立っていた雪枝さんがそう告げた。

『え?』

その声に驚いていると、

ぐほっ!!

瞬さんの苦しそうな声があたしの耳に入ってきた。

『あっ』

ギリギリギリ

バイクに跨っている瞬さんの胸に幸子さんの腕が深々と突き刺さっている。

ボタボタボタ…

彼の脚から大量の血が滴り落ちているのを見て、

『いやぁぁぁぁぁ!!!』

あたしが悲鳴を上げると、

「どっちにしても彼はこうなる運命なのよ」

と家から出てきたママがあたしに告げた。

『そんな…

 お願い、ママ、

 瞬さんを助けて…』

そう言いながらあたしがママに訴えると、

「ふふ…

 さぁて、どうしましょうか?」

ママは考える素振りをする。

『レッスンは頑張ります。

 今度の公演ではママに誉められるように頑張りますから

 だから…』

縋る思いであたしはそう言うと、

ポン

ママは優しくあたしの頭を撫でながら、

「ふふ…そうね。

 愛ちゃんにはレッスンメイトが必要なのよね」

と囁いた。

『え?』

ママのその言葉にあたしは思わずママの目を見るが、

しかし、ママはあたしの目から視線をそらして、

「さぁ、なにをしているのです」

と幸子さんたちに指示をすると、

『はい・』

幸子さんたちはそう返事をすると

瞬さんを担ぐようにしてママのクルマへと運んで行った。

『まっママ?』

あたしは白衣に袖を通しながらクルマへと向かうママの後を追うと、

「愛っ、あなたは何をすべきか知ってますよね」

ママとあたしにそう言いつけるとそのままクルマを出してしまった。



「うっ…ここは(ゴボ)…」

目を覚ました瞬がふと周囲を見ると、

彼は薄暗い部屋に据えられているガラス容器を満たしている液体の中に沈んでいた。

「(ゴボ)息が…」

液体の中に沈んでいながらも、

呼吸が出来ることに彼は不思議に思っていると、

『気分はいかが?』

と言う声と共に愛の母親である圭子が白衣姿で姿を現した。

「おっ俺をどうするつもりだ」

容器の中から瞬が尋ねると、

『そうね…

 このままあなたを始末しようかと思いましたが、

 でも、愛の頼みもありますしね』

と冷たい笑みを浮かべながら圭子が瞬そう言うと、

『それでね…

 愛にはやはりレッスンの刺激になる人形がもぅ一体必要って事に気がついてね』

と続けながら

パチッ

圭子は壁のスイッチを入れた。

その途端、

ウゥゥゥゥン…

部屋中に不気味なモーター音が響き始めた。

「なっ何をする気だ」

モーター音に驚いた瞬は顔を左右に振って声を上げると、

『ふふ…

 あなたを愛と同じバレエ人形にしてあげます。』

と圭子は瞬に告げた。

「やっやめろ!!」

圭子の言葉に瞬は驚きの声を上げると、

『そうそう、

 何も知らないで人形にするのは忍びがたいから、

 良いことを教えてあげましょう。

 あたしの亡くなった主人の実家は

 鎌倉時代から代々続く人形を作る人形師の家で、

 その昔、

 豊臣秀吉に攻め立てられたとある大名から、

 刀で切られても死ぬことのない軍勢を作るように依頼されたのよ、

 無論、依頼主も必死だから金に糸目は付けなかった見たい、

 それで、色々研究をした末に、

 人間にある上薬を塗り込んで焼き上げる方法を編み出したの、

 でも、最初は焼いているうちに人間の身体は縮むし、

 それに焼き上がった人間は指一本動かすこことが出来ないただの飾り物…

 それで、さらに長い間研究を重ねた末に、

 人間を一度粘土にして、

 それを元に人形の部品を作ってから焼き上げる方法を開発したわ』

「人間を粘土にして焼き上げる?」

彼女の話に瞬は思わず聞き返すと、

『そう、

 ある細菌を使ってね…

 うふ…判るでしょう?

 そう、いまあなたが浸かっているその溶液に

 その細菌を放出したわ、

 ふふ、あなたは細菌に喰われ粘土となっていくの』

と圭子は瞬に告げた。

圭子の話を聞いた瞬は驚くと同時に

「…ここから出してくれ!!」

ドンドン!

と拳を振り上げ幾度も容器を叩いたが、

しかし、

『うふふ…無駄よ、

 その容器は簡単には壊れないわ、

 そうそう、愛の身体の表面に塗ってある漆喰を作ったのは夫よ…

 あの漆喰を塗ることで殆ど人間とは見分けがつかなくなったわ、

 さぁ、話はこれで終わり、

 大人しく愛のレッスンメイトの素材となりなさい』

圭子はそう告げるとクルリと背を向けた。

「出せ、俺をここから出せ!!」

部屋を出ていく圭子に向かって瞬は怒鳴り続けたが、

ゴボッ

溶液中の細菌の量が次第に増えて行くに連れ、

ミシッ

彼の手足の色が徐々に黄道色に変色していくと、

次第に瞬の動きは緩慢になっていった。

「くそっ…」

徐々に薄れていく意識のなか、

瞬は無念そうにそう呟くと、

そのまま動かなくなってしまった。



それから、小一時間が過ぎた頃…

チッ!!

スイッチが入る音が響くと、

ゴボッ!!

瞬を沈めていた容器の液体は抜かれ始めた。

徐々に液体の水位は下がり、

液体の中から瞬の身体が姿を現す。

そして、液体がすべて抜き取られ、

スゥ…

彼を束縛していた容器が引き上げられると、

そこにはさっきまで瞬だった肉体が無言で立っていた。

「うふふ…」

戻ってきた圭子は動かなくなった瞬の腕を

ギュッ

と握りしめると、

ボロッ!!

っと崩れ、手先が静かに落ちていく。

すると、

「幸子さん、雪枝さん」

と声を上げると、

カタカタ

『はいっ』

と言う返事と共に2体の人形が入ってきた。

「さぁ、これで愛のお友達を作ってあげて…」

圭子は2体の人形にそう告げると、

『畏まりました』

2体の人形はそう返事をすると頭を下げる。



やがて、作業用の人形達の手によって瞬の身体は粘土の塊にされると、

新しい人形のパーツがその中から新しい人形のパーツ次々と作り出されていった。

そして、その横では削り出されたパーツに上薬が塗り重ねていくと、

次々と窯の中に運び込まれていった。

ゴォォォォォ!!

人形のパーツをすべて飲み込んだ窯に火が入れられると、

じっくりとパーツを焼き上げていく、

やがて、焼き上げていた火が消され、窯の温度が十分に下がったころ、

窯の蓋が静かに開けられると、表に取り出された。

チンチンチン

焼き上げたパーツが小さく音をあげているなか、

「ふふ」

ものを言わぬパーツを眺めた圭子は

その中から目を閉じたままの少女の顔をした頭部をそっと持ち上げると、

「あのむさ苦しい男がこんなに可愛くなって…」

と呟きながら、微かに開いている唇にそっとキスをした。

そして、

それらのパーツを丁寧に一つ一つ手に取ると、

カシャッ

カシャッ

っと圭子の手で各パーツの関節をはめ込み、人形を組み立てていった。

そして、最後のパーツをはめ込み終わると、

そこには白い肌をした一体の少女の人形が姿を現していた。

『圭子さま・これを・』

少女の人形を満足そうに眺める圭子に

雪枝はきれいに畳まれたバレエ用品を手渡すと、

「ありがとう…」

圭子は笑みを浮かべながらそれを手に取り人形に着せていく。

足にはトゥシューズを履かせ、

身体には白のバレエタイツにピンクのレオタード、

そして頭にはシニョンに結い上げられた金髪が植え付けられると、

人形は瞬く間にバレエ人形と化していく、

「さぁ出来たわ…

 なんて可愛い人形でしょう…

 さて、名前はなんにしましょうか?

 あっそうだわ、

 パトリシアってどうかしら…」

まるで我が子の名前をつけるようなはしゃぎぶりで、

圭子は後ろで待機している雪枝にそう尋ねると、

『はい・良いと思います』

雪枝と幸子はそう返事をした。

「ふふ…パトリシア…

 愛のレッスンメイトにはふさわしい名前ね、

 さぁ、パトリシア…お目覚めなさい。」

人形に向かって圭子がそう呼びかけると、

スゥ…

瞬の肉体を素材に焼き上げられたバレエ人形・パトリシアは

陶器独特の輝きを光らせながらゆっくりと目を開けた。

そして、圭子の姿をみるなり、

カシャッ!!

関節を鳴らして小さく驚いた。

その様子を見た圭子は

「あら、どうしたの?」

と優しく声を掛けた。

すると、

『こ・こ・こ・こ・ここは…あ・お・おはようございます』

パトリシアは何か別のことを言おうとしたが、

目がグルリと一周すると、

すぐに圭子に向かって挨拶をした。

圭子はパトリシアの頭を優しく撫でながら、

「いぃ、あなたはパトリシア、愛のレッスンメイトよ」

と告げると、

『ち・ち・ちがう・お・お・おれは…

 あああああああはは…はい』

パトリシアは必死になって抵抗をするが、

しかし、逆らえきれずに素直に返事をする。

「ふふ、人間の記憶がまだのこっているのね、

 でも、大丈夫、

 暫くすれば、あの男の記憶は無くなるわ」

圭子はそう告げると、

『お・お・お・おれを・も・もとに…

 あぁ…

 あ・愛さまと・バ・バレエの・レッスンを・させてください』

パトリシア人形となった瞬は圭子にそう懇願した。

「まぁ、パトリシアったら…」

パトリシアの言葉に圭子は悦ぶと、

「さぁ、あなたのお友達を紹介してあげますね、

 いらっしゃいっ」

圭子はパトリシアにそう告げると部屋を後にした。



あれから数日が過ぎ、

あたしはママの言いつけどおりにレッスンをしていた。

とその時、

チャッ

レッスン室のドアが開くと同時にママが入ってきた。

カタっ

『ママ…瞬さんは?』

あたしはレッスンを止めすぐにママのところに駆け寄って尋ねると、

「ふふ…

 さぁ、愛…

 あなたにレッスンメイトを紹介するわ」

そう優しくあたしに告げると、

「さぁ、入ってらっしゃい」

と後ろを向いてそう指示をした。

すると、

『お・お・お・おは・よう・ございます・

 パパパパ・パトリシアと・申します』

そう言いながらフランス人形を思わせる少女が

可愛らしいピンク色のレオタード姿であたしの前に姿を現すと、

スッ

っと脚を曲げどもりながら挨拶をした。

『え?』

レッスンメイトの登場にあたしは動揺する。

そして、彼女の顔をよく見てみたとき、

あたしの心に衝撃が走った。

『…しっ瞬さん?…そんな…』

そう、少女の顔つきに瞬さんの面影を見出したあたしは驚きながらそう呟くと、

スッ

ママはあたしの肩を握りながら、

「愛っ、判っていると思いますが、

 彼女はあなたへの変な感情は一切持っていません。

 だから、しっかりとレッスンに励むのですよ」

とあたしの希望にトドメを刺すように告げた。

『さ・さささぁ・あ・あ愛さま・れレッスンを・しましょう』

バレエ人形・パトリシアにされてしまった瞬さんはそうあたしに言うと、

コトッ!!

トゥシューズの音を鳴らしながらレッスンをはじめた。

『そんな…なんで…

 ママ…酷いよ、瞬さんをあたしと同じにしてしまうなんて…』

そんな瞬さんを見てこんなに悲しい気持になったは

あたしがこの身体になって初めてのことだった。

「なにを言うのです愛、

 あなたはバレエをするためにあたしが生まれ変わられたのですよ、

 必要の無い余計な感情を持たないことです」

『だったら、なんであたしの心を残すの?、ママ、

 こんな目にあうのならあたしの心も瞬さんみたいに消してよ』

ママの言葉にあたしはそう訴えると、

「それはね、愛、

 あなたの心を消してしまうとバレエを踊ることが出来なくなるからよ、

 心をなくしたもののバレエは観る人を感動できませんからね、

 さぁ、お話の時間はこれでおしまいよ」

そうママはあたしに告げると、

幸子さんたちを従えてレッスン室から出て行ってしまった。

『あ・愛・さま・』

カタ…カタ…

関節の音を鳴らしながら

パトリシアにされたしまった瞬さんがあたしの傍によると、

『よ・よろしく・お願いします』

と頭を下げた。

『…瞬さん……』

あたしはそう呟きながら彼女をじっと見つめた後、

そっと抱きしめると、

その固く冷たい身体を撫でながら、

『ごめんね、こんな身体にしてしまってごめんね…』

と幾度も謝った。

すると、

スッ

彼女の手があたしの頬を撫でると、

『大丈夫・です・ぼ…あたしは・愛ち・ち・ち・ち…さまと・

 ずっと一緒だ・だ・だ・

 す・す・す・す・隙を見て・に・に・に・に・逃げよう…』

と必死に抵抗するように囁いた。

『え?』

その声に驚いたあたしは彼女の顔を見ると、

ニコ

彼女の顔が微かに笑ったように見えた。

『うん』

それを見たあたしは大きく頷いた。



「愛っ!!、パトリシア!!」

誰もいなくなったレッスン室に圭子の叫び声が響き渡る。

『愛さまは・どこにもおられません』

幸子さんがそう報告すると、

「迂闊だったわ、パトリシアめ」

頭をかきむしりながら圭子はそう呟くと、

「スグに追いかけるのです。

 見つけ次第、パトリシアは破壊してしまいなさい、

 そして愛をここに連れ戻してくるのです」

と指示をすると、

『はいっ』

そう返事をして幸子たちは姿を消した。



『ねぇ…大丈夫?』

あたしはそう尋ねると、

『だだだい・じょうぶ・です・愛ち・さま』

レオタード姿のままバイクにまたがる瞬さんはあたしにそう返事をした。

『ごめんね。ママ、

 あたし…ママを裏切っちゃった…

 でも、あたしはママの操り人形じゃないのよ』

あたしはそう呟くと後ろを振り返った。



おわり